11.屈辱の結婚〜レオンハルトside〜
この婚礼は、両国の国力を反映している。
カッサンドラ帝国の皇女エリザベートと共に婚礼の後で開かれる夜会に参加したレオンハルトは、会場を見まわし、真っ先にその感想を抱いた。
レオンハルト自身のいる上座に近い位置で談笑している着飾った紳士淑女はカッサンドラ帝国の高位貴族、下座で肩身が狭そうにしているのはセルビス公国をはじめとした帝国の属国扱いを受ける諸国の貴族だ。
両国の国を挙げての婚儀の筈が、帝国の貴族らはセルビス公国の人間などこの場にいないかのように身内だけで談笑している。
通常であれば、新郎であるレオンハルトの故国セルビス公国は新婦であるエリザベートのカッサンドラ帝国と形式上は同列に扱われるはずである。
しかし、帝国の貴族にとって公国の者など相手にする価値すらないのだろう。
セルビス公国から夜会に参加した面々は他の国よりも上座を用意されていたが、主役であるレオンハルトたちからは遠く離れた席となっていた。上座であるレオンハルトたちの側には皇族をはじめとした帝国の高位貴族が座り、その中の誰一人として他国の人間に興味を示さない。
レオンハルトにとって、この光景は屈辱でしかなかった。
セルビス公国の第一公子として生まれ育ったレオンハルトは自国を愛していた。
小国ではあるが、実り豊かで、素朴で優しい人々の国を。
だからこそ、自国の人間がこのような扱いを受けていることに激しい怒りを感じずにはいられなかった。
しかし、レオンハルトはそれをどうすることもできない。
婚礼の儀で、臣下の口付けを強要されたときと同じく。
そのときのことを思い出すだけで、屈辱で目の前が歪んで見える。
一年前とはまるで別人へと変貌を遂げたエリザベートの外見など、どうでもよくなるほどに、心も頭も怒りと屈辱に支配された。
婚儀を取り仕切る教皇に促され、誓いの口付けを交わそうとしたとき、妻となる相手が放った言葉はレオンハルトを屈辱と憎しみに染めた。
「…無礼者」
言われた言葉の意味さえ、咄嗟に理解できなかった。
教皇に言われるがまま誓いの口付けを交わそうとしたことの一体何が無礼だというのか。
訳が分からなかった。
だが、その混乱も皇女の次の科白で吹き飛んだ。
「貴方はわたくしに、跪いて愛を誓うのよ」
ふざけるなと、怒鳴ってやりたかった。
何様のつもりだと言ってやりたかった。
跪いて愛を誓えとは何という傲慢。
仮にも一国の公子にそのようなことを強要するなど、相手の神経を疑った。
結婚の誓いの口付けを、どうして臣下が忠誠を誓うようにしなければならないのか。
王侯貴族の結婚は政略結婚であり、そこには国力が影響するとはいえ、ここまで酷いのは聞いたこともない。
結婚は男女が互いを尊重し、愛し支え合うためにするものであるというのが教会の教えである。政略結婚においては建前にすぎないが、聖職者の手前、体裁だけは取り繕うものだ。
教会の教えに背くエリザベートの行為。
この結婚の立会人は教皇猊下であり、そのような暴挙が見逃されるはずがない。
大陸中の大半の国が国教と定めるアッスーラ教。その信徒の頂点に立つ教皇猊下の威光は帝国皇帝に勝るとも劣らないとされている。
その教皇猊下の前で教会の教えに背く行為を行ったエリザベートがただで済むわけがない。
だからレオンハルトは待った。
教皇猊下がエリザベートを窘めるのを。
しかし教皇猊下は少し困った表情を浮かべつつも口を開こうとはしなかった。レオンハルトが跪いて誓いの口付けをするのを見届けるべく、成り行きを見守っている。
教皇がエリザベートの行為を黙認すれば、他にその場にいるのは全員がカッサンドラ帝国の人間。彼らの誰一人として皇女の行き過ぎな行為を止めようともしない。
その瞬間、レオンハルトは諦めた。
帝国も教会もセルビスを軽んじているのだ。
どのように扱ってもいいと思われるほど、レオンハルトの愛する故国は軽んじられている。
「仰せのままに」
屈辱に打ち震えながら、レオンハルトは言った。
臣下のように振る舞わなければいけない屈辱と悔しさに必死に耐え、高慢な表情を浮かべる花嫁に跪いて彼女が差し出した右手を恭しく取る。
一年前とは全く違う細い手。その手の甲にそっと口付け、それが誓いの口付けとなった。
その様は、そのまま両国の力関係を象徴していた。
宗主国と従属国。
婚姻を結んでもその関係は揺るがない。
セルビスは帝国の、レオンハルトはエリザベートの下僕だった。
それをはっきりと見せつけられる婚儀であった。