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10.夜会

婚礼の儀が終わり、エリザベートは夫となったレオンハルトと共に夜会に出席するべく支度を整えると控えの間に移動した。


神殿で行われた婚礼には聖職者を除けばカッサンドラ帝国の皇族及び高位貴族のみが参列していたが、その後の夜会には位を問わず帝国貴族が招かれている他、周辺国からの祝いの使者も参加する。

レオンハルトの故国セルビス公国からも今回の婚礼にあたって特使が訪れており、他の参加者と同じく会場である大広間にて主役の到着を待っている。



しかし、夜会の主役である花嫁と花婿のいる控えの間には、新婚には似つかわしくない緊迫した空気が漂っていた。


レオンハルトは婚儀からずっと変わらぬ無表情。

暫く前から控えの間にエリザベートと二人でいるにも関わらず、視線を寄越すことも言葉をかけることもない。

一年前に求婚に来たときとはまるで別人のよう。

求婚の際の優しさも、気遣いも、一切ない。


結婚という目的を果たしたレオンハルトが今後一切エリザベートに媚を売る気はないとの宣言にも見える態度に、帝国皇女であるエリザベートが我慢できるはずもない。



「どういうおつもり?」



つい先刻、永遠の愛を誓った相手への物言いとは思えぬ冷ややかな口調でエリザベートが言った。



「何のことです?」



エリザベートの強い眼差しにも揺らぐことなく、レオンハルトも丁寧ながら愛情を全く感じさせない声音で答えた。

そこで初めてレオンハルトがエリザベートを正面から見たことで、真正面から二人の視線がぶつかり合う。


だが、彼らの間には、甘やかな空気は微塵も存在していなかった。

あるのはただ張り詰めた冷たい気配だ。



「あくまでしらを切るのね。なら、はっきり言って差し上げるわ。……笑いなさい」



エリザベートが高らかに命じた。

優雅な声音でありながら、拒否することを許さない支配者としての威厳を持った言葉であった。


その言葉に皮肉気な笑みを返し、レオンハルトはわざとらしい慇懃無礼な態度で一言言った。



「命令とあらば従いましょう」



そうして微笑む。

美しく、けれどエリザベートを見る瞳は氷のように冷たく、拒絶を意味する微笑み。

だが、再会後にエリザベートが初めて目にするレオンハルトの微笑みでもあった。


命令としてしか彼の表情を変えることのできないことが悔しい。

けれど命令してしまえば彼は逆らえない。

無関心よりもいいと思った。



「…行きましょう」



夜会の会場に入るべく声をかけると、レオンハルトは無言で腕を差し出した。


皇女のエスコートには無粋だが、エスコートを命じなくて済んだだけましなのかもしれない。

そんな風に思いながら差し出された腕に手をかけ、控室から出て大広間に向かう。


侍従によって扉が開かれ、主役の登場が告げられる。

エリザベートとレオンハルトが寄り添って夜会に現れると、一瞬その場が静まり返り、その後感嘆の溜息がいたるところから漏れ聞こえてきた。


まるで絵画から抜け出てきたような完璧な美をたたえた花嫁と、彼女の美を引き立たせながらも決して見劣りすることなく傍らに寄り添う花婿の姿は、集まった紳士淑女を完全に魅了した。


限られた者しか列席を許されなかった婚礼の儀のときとは異なり、花婿であるレオンハルトが柔らかな笑みを湛えていることが場の雰囲気を一層よくしている。

その笑顔がエリザベートに命じられたためだと知るのは当人たちしかいない。


そのため誰もが騙された。

レオンハルトはエリザベートを愛しているのだと。

エリザベートもまたレオンハルトを愛しているのだと。


だが、真実は命令がなければ二人の間には会話さえない。



「何か話しなさい」



場に集った人々に華やかな笑顔を振りまきながら、その表情とは決して相容れない厳しい声音で、エリザベートは小さく命じた。



「僕と貴女の間で何を話せと?」



話すことなどないでしょうに、とでも言いたげにレオンハルトはエリザベートを見た。



「話すことなどいくらでもあるでしょう?綺麗だとか愛してるとか、花嫁にかける言葉なんていくらでも」



誰もが美しくなったエリザベートに綺麗だと賞賛の声をあげた。綺麗だと言って、虜になった。

なのにレオンハルトだけはそんなことは一切言わない。

魅了されもしない。

お世辞ですら、レオンハルトは言ってはくれない。


一年ぶりに会った婚約者にかける言葉なんていくらでもあるはずなのに、彼は何一つ口にしてはくれない。

命令だと言わなければ会話さえない。



「貴女が上辺の言葉を求めるなら、僕の立場では従う他ないのでしょう」



途中で溜息を一つ吐いて、レオンハルトが言った。



「愛しています、エリザベート様」



愛していると言われて、心が凍えた。

無機質に、無表情に、一切愛情を感じさせることなくレオンハルトは愛していると言う。

だが、そんな心にもない言葉が欲しかったわけではない。


愛しているという言葉が、心を凍らせ、ひび割れてしまいそうだ。



心が痛い。愛しているという言葉が、心を凍らせ、ひび割れてしまいそうだ。


愛しているという言葉が、心を凍らせ、ひび割れてしまいそうだ。


心が痛い。

痛みなど感じないはずなのに。容姿と引き換えに悪魔に痛覚を売ったはずなのに、今、心が痛い。



「わたくしは貴方など大嫌いよ」



痛む心を忘れる為にレオンハルトにだけ聞こえる声で告げた。貴方など大嫌いだと言って、微笑んでやる。

そうして虚勢を張らなければ、レオンハルトの顔など見れなかった。大嫌いだと言ったところでレオンハルトの無表情を崩せないことはわかっていたけれど。


嫌いだと言いながら微笑んで見せたのはエリザベートの強がりだ。

だけど、レオンハルトの顔を見たとき、一瞬だけ彼の顔が歪んだように見えて、戸惑う。

辛そうな、悲しそうな表情を一瞬だけ浮かべた気がして、だけどすぐにいつも通りの無表情に戻っていて。


彼がエリザベートの言葉なんかで傷付くはずなんてないのに、傷付けたかもしれないと一瞬でも思った自分が嫌だ。

彼の顔が歪んでいるように見えたのだって、どうせ目の錯覚。彼は一貫して無表情なのに。


彼はエリザベートを愛していない。

それどころか嫌悪している。

嫌悪どころか憎悪しているのかもしれない。


そのことは一年前のあの夜に知った。

醜い外見のエリザベートを彼は心底嫌っていたのだ。

そして今日、美しくなったエリザベートのことも彼は嫌悪しているのだと知った。



「皇女殿下、ご成婚おめでとうございます」



険悪な雰囲気に終止符を打ったのは、エリザベートのよく知る人物だった。


侯爵家の世継ぎであるギルフォード・ルク・アクセルナ。

文武に秀で、家柄も良く、彼自身の容姿・性格も良い為、彼との結婚を望む人間は多い。

エリザベートも彼には好感を覚えていた。



「ギル、ありがとう」



家族を除いてはエリザベートだけが呼ぶ愛称。その愛称で彼を呼び、話をする。



「今日の君はいつにも増して美しい」



「ギルは口が上手いわね」



「そんなことはないさ。既に公子からさんざん言われた後なんだろう?」



からかうように言われ、事実がかけ離れていることが悲しくなった。



「お父様を除けば、男性から褒められたのは貴方が初めてよ。この人は何も言ってはくれないわ」



当てつけのようにレオンハルトの前で言うが、反応さえしてはくれない。

エリザベートの言葉など右から左へ聞き流し、まるで相手にしていないのだ。



「…何だって?」



無反応なレオンハルトとは対照的に、ギルフォードは過剰なまでに反応した。

怒りを纏わせ、レオンハルトを睨みつける。



「いいのよ、気にしてないわ。こんな人、放っておいてあっちに行きましょう」



このままではレオンハルトに殴り掛かりそうなギルフォードを制し、少し離れたところにいた友人たちのところへ向かう。


そのときもレオンハルトは一切表情を変えなかった。

引き留めようともしない。

レオンハルトは妻が他の男と去っていくのをただ黙って見送った。


わかっていたことだったけれど、その事実が悲しくて悔しかった。彼にとってどうでもいい存在なのだということが悔しくてしょうがない。


だが、ギルフォードと共に友人たちの元に加わる手前、そんな感情を表に出すわけにはいかない。

なけなしの矜持で微笑みを浮かべ、友人たちに声をかける。



「皆さん、今日は来てくださってありがとう」



そんな風に声をかければ、友人らは口々に祝いの言葉を述べていく。


集まっていたのは、侯爵家、伯爵家、子爵家の子息ら数人であり、彼らは皆、エリザベートの取り巻きだった。

美しくなったエリザベートに心酔し、彼女の取り巻きを自称している面々である。

その中でも特に熱心な取り巻きがギルフォードだ。

名門貴族の出身である彼らは話術も巧みで、次々と話題を豊富に提供してくる。


普段ならば楽しめるはずの会話だったが、今日に限っては全く頭に入ってこない。

それどころか背後が気になって仕方がなかった。


エリザベートが去ってしばらくしてから、レオンハルトの元にも貴族の子女が集まってきたようで、その会話が途切れ途切れに聞こえてくるのだ。

その会話が、目の前で交わされている会話よりも気になる。


どうしても気になって、チラリと背後を振り返ってみれば、優しげな微笑を湛えて令嬢らと会話を交わすレオンハルトが目に入った。


見たくない。

咄嗟にそう思って、すぐに視線を戻そうとしたが、その途中、レオンハルトと目が合った。


気になって見てしまったところを、逆に見られてしまった。

その事実が恥ずかしくて悔しくて、その後も会話は全く頭に入ってこなかった。

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