その人のドラマ2
〜そして、僕〜
自分のデスクに戻ってくると、はぁぁ〜とため息がこぼれた。隣に座る室長がちらりと僕を見る。
「どーしたの?また怖いおじーちゃんだった?」
パソコンで記録を打ちながら声をかけてくれた。
前回担当した患者さんが見た目普通、話すとヤクザ風のべらんめぇ口調だったので大変だったのを愚痴ったことを覚えててくれている。
「いや、なんか、高羽田さん、年金泥棒にあったらしくてお金ないって。いや、来月入ったらそれなりにお金あるので払えるそうなんですけど」
「あらぁ、それは大変だったわねぇ」
流石年季の入ったソーシャルワーカーだけあって、室長は驚く様子はなかった。内心、ハラハラし続けた自分が情けない。
「それで、ご病気の方はどうなのかしら。高額療養費の説明してきた?」
指摘が適切なこともまた、僕を凹ませる。
「あ・・・そこまで言いそびれました。でも、民生委員さんしか今いなくて。弟さんが連絡先あるので遠方なんですけど、連絡してみようかと」
「そうね、ここの市は高額療養費の申請は親族でなくてもできるけど、お金の話だしねぇ、本来はご親族の方にお願いすべきよね」
ですよね・・・と、言いながら僕もパソコンで高羽田さんのカルテを開けた。
ぼくたちソーシャルワーカーは、医師がカルテを書くように記録をつける。
今日話した内容をまず忘れないうちに書き留めよう。そして、伝える内容を決めたら弟さんに連絡を・・・。
きっと兄弟だし、しばらくあってなくたって何かしようと思ってくれるだろう。
この日は、悩んだり他の仕事をしているうちにあっという間に時間が過ぎていった。
結果、弟さんに連絡できたのは、もう夕方になってからだった。弟さんは電話にはスムーズに出てくれたが、僕思ったような回答は得られなかった。
〜電話〜
「あのぉ、どちら様ですか?」
一言目は、知らない番号からかかってきたという不信感丸出しの言葉。
丁寧に所属と僕の名前、それから電話をした理由を伝えたが、反応は変わらなかった。
「まぁ、確かに僕が弟ですけど。長らく交流もないし弟といっても間に何人も兄弟がいたんで、そんなに隆兄ちゃんとは付き合いがなかったもんで。何ができるんですかね」
その、言葉の端々にめんどくさそうなイントネーションを感じる。
「海野さん、でしたかね。僕もね、去年脳出血しましてね左麻痺があるんですよ。杖で歩いてる始末です。こんなんで、何ができますか? 住まいも東京でね、そちらに伺うにも二時間半はかかりますよ。歩くんだってスタスタ歩けるわけじゃぁないし。こっちだって年金生活で金貸してくれったって、カツカツでやってますからね、なんともなりませんよ。
病院さんには申し訳ないけど、僕は何もできないですよ。
なんですか、兄はすぐに死ぬような病気とかですか?すぐに行った方がいいんですかね」
自分の腹わたが煮える音が聞こえた。〜死ななきゃ、会いになんて来ないってことか!それでも家族か?!〜
目を瞑って1秒ぐっと心の声を抑えて、声色は変えぬまま、病気の詳しい説明は医師からしかできないこと、自分はソーシャルワーカーであり、退院までに療養の支援と退院の支援をすることを説明し、支払いや大きな治療で同席が必要となれば、どうしても家族でなければならない同席場面もあるかもしれないので連絡をしたのです、と話した。
冷静に話したつもりだったが、後になって詳しくどんな言葉を使ったか思い出せないあたり頭に血が上ってたと思う。
だが、声色を冷静にするところは一応は成功したので弟さんは円満に「家族でなきゃならんとなれば僕しかいないですから仕方ないですからね。また連絡ください」と、言ってくれた。僕はガチャンと言わぬよう受話器をそっと下ろした。
話はできたが、話の流れで手続きをして欲しいだとか面会に来ますか?だとか、予定していた事を話すことが出来なかった。
でも、本当はどうだったんだろうか。もっと伝えるべきことがなかったかだろうかと反芻する。それでも、この時は答えはでなかっな。
〜スーパービジョン〜
「室長、高羽田さんの弟さん、全然支援する気、なかったです。僕には何もできませんって!家族じゃないんですか?歳をとったら、独立して長く別に住んでたら、もう助けてあげようと思わないんでしょうかね」
感情的になっていた。
まるで、先生にイタズラを言いつけるような言い方で、悪い子でしたとでもいうように。
「ねぇ、海野くん」
室長が、こちらに顔を向けた。
「ご本人はなんて言っていたのかしら。弟さんに助けてほしいって?お金、払って欲しいって?」
静かで、優しい声に急に血の気が引いたような、僕の肝が氷水をかけられて冷めていくようだった。思い出しながら、でもちゃんと向き合う。僕はMSWだ。
少しまごつきながら答えた。
「・・・いえ、ご本人は弟さんも杖で歩いてて遠くにいて、支援は難しいかも、といった風でした。まぁ、はっきりとは、おっしゃいませんでしたが」
そうだ、頼みたいとも頼まないとも、どちらも言ってはいなかった。ただ、残念そうな顔をしていた。だから僕は、本音は助けて欲しいんじゃないかと思ったんだ。
「そうなの・・・。私たちMSWは病院の職員としての立場で支払いをお願いすることもあるし、ソーシャルワーカーとしての専門職的な原則も持ち合わせていて、利用者の利益を守ることも求められている。でも、私たちも人間であって感情に左右されているから、そういうところで海野くんは悩んだのね。でも、私はね、海野くん。クライアントの、ご本人の意思を、気持ちを尊重することも大切だと思う。今までも一人で頑張ってきた人だし、海野くんの話を聞くと丁寧に人に謝る姿からも他者に迷惑かけたくないというプライドがあるかもしれない。ましてや年下の弟さんとなれば、負担になりたくないから頼りたくなかった、のかもしれない。まだ、初めての面接でそこまで話はできてないでしょう?
また、体調がよければ明日ご本人と話してみたら?
明日の検査結果で治療方針も変わるかもしれないし、今、焦らなくてもいいんじゃない。お金のことも今すぐ払うわけじゃないし」
僕は、膝の上に乗せた自分の拳を見ながら、はい、と答えた。それしか言えなかった。でも、冷たい頭が言っている。室長は正しい。僕はそこまで冷静にアセスメント(分析)できていなかった。分析にたる情報を面接で集めていないし、またはっきりと確認もしなかった。
室長は、手早く荷物を片付けると、じゃあお先に、みんなも早く帰るんだよ。と、笑顔を振りまいて帰っていった。それを見送った後も、僕は悶々としていた。
僕が、僕自身が『なんてひどい家族なんだ、困ってるんだから助けてくれれば良いのに』と思ったんだ。高羽田さん自身は助けてくれなんて、一言も言ってない。何度も彼は言ってたじゃないか。『迷惑をおかけして申し訳ない』って、それが答えだったんじゃないか?
年金泥棒になってしまった女性の話だって高羽田さんが助けて欲しいと頼んだわけじゃなかった。彼女が申し出てくれたんだ、と。彼はそれに感謝をし、盗られたお金を取り返そうとも考えない人柄だ。
僕は「決めつけ」ていた。弟さんが悪い人で支援を拒否した。そんな風に見ていた。もしかしたら家族だからこそ迷惑をかけたくない、心配をかけたくないという高羽田さんの気持ちを裏切るところだったかもしれない。それに、弟さんだって杖歩きなのに東京から神奈川まで、電車だとしても、なかなか大変な移動になるはずだ。簡単に助けられますと言えない状況を誠実に伝えてくれたかもしれない。そうだとしたら、自分の無力を訴えるというのは勇気がいることだ。
それを僕が「助けてほしい」という僕の感情が、嫌な声、いやな気持ちで聞いていただけなのかもしれない。
悔しくて記録どころではなくなったので、胸にわだかまるもじゃもじゃしたものを抱えたまま、僕は取りも会えず片付けると、先輩方に声をかけて帰った。
空気を察した先輩の一人が、
「寝ずに悩まず、寝て悩め」とアドバイスしてくれた。




