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前の話少し改稿しています!
部屋に戻ってくると、テーブルの上のチョコレートと彼の直筆のカードがコレットをまた出迎えた。彼女はソファーに座ると、そのカードを手に取る。
コレットのために、わざわざ彼女が好きそうな物を用意し差し入れる。そういうヴィクトルのまめなところは嫌いではないけれど、今はその行為が素直に受け取れなかった。
(結局のところ、私のために用意してくれたわけじゃないものね……)
全ては《神の加護》のためなのだ。そう思えば思うほど心が冷えていく。
《神の加護》なんて持っていなかったら……、そうも思ったが、この力を持っていたからこその縁だということは痛いほど理解していた。
ティフォンも場の空気を読んだのか、先ほどから足元に現れてさえもいない。
コレットはチョコレートをつまみ上げる。そうして口の中に入れようとした瞬間、部屋の扉がノックされた。
「……はい。どうぞ」
「失礼します」
コレットが答えると同時に、ラビが扉を開けて顔を覗かせる。そうして、部屋の中をぐるりと見渡すと肩を落とした。
「……ここにもいませんか」
「どうかしたの?」
「ちょっと、ヴィクトル様を探していまして……」
今一番聞きたくない人の名前を聞いて、コレットの眉間に皺が寄った。
その表情を見て、ラビが剣呑な声を出す。
「なんですか。その嫌そうな顔は……」
「いや。……ちょっと、ね」
馬鹿正直に全てを言うつもりはない。言ってしまえば『当たり前でしょう。何をうぬぼれていたんですか』なんて鋭い言葉が飛んでくるかもしれない。
コレットの態度をどう思ったのか、ラビは口をへの字にして、先ほどよりも不機嫌そうな声を出した。
「ヴィクトル様のことですか? コレットさんはあの方のどこにそんなに不満があるんです? 本来なら土下座をしたとしても、声も交わせないような方なんですよ!」
「ラビさんって私のこと嫌いですよね?」
ラビのあからさまな態度にコレットは頬杖をつきながらそう言った。
出会った当初から彼はコレットに辛辣な態度をとっていいた。別に理不尽に責め立てられるようなことはないのだが、彼がコレットに放つ言葉の端々には棘を感じる。
ラビは悪びれもせずに一つ頷いた。
「貴女自身が、というよりは、貴女の態度が気にくわないんです」
「態度……?」
「ヴィクトル様と不釣り合いにも関わらず、求婚を断っているでしょう? 普通は二つ返事で承諾するところですよ! そういう態度をとれば、ヴィクトル様が構ってくれると思っているのかもしれませんが、あの方はそういうのはお見通しですからね!! 構ってますけど!!」
そう言いながら彼は地団駄を踏む。彼は相当ヴィクトルに傾倒しているようだ。ならば、コレットが何かまかり間違って結婚を承諾したとしても、『不釣り合いだ! この小娘が!』と怒り狂うかもしれない。
なんとなく呆れたような視線を送っていると、彼は野暮ったい眼鏡を指先で持ち上げながら咳払いをした。
「まぁ、ヴィクトル様のことは関係なく、貴女自身のことを好きか嫌いかと聞かれたら、『良い方だな』とは思っていますよ。孤児院を一人で建て直そうとしていたり、ステラ様に心を砕いているんですから。凄い方だとは思っています」
「……ラビさん」
「そうは思っていても、ヴィクトル様のことがあるので貴女には一生優しい態度は取れないとは思いますがね!!」
指を突きつけながらそう言われて、少しだけ感動で緩んでいた心が急に引き締まる。
その後、僅かに笑みがこぼれた。
こんな真面目で偏屈な人を、どうしてヴィクトルが側に置いているのか少し疑問だったが、その理由がわかった気がした。
彼はいつでも自分にまっすぐなのだ。嘘がつけないし、人に流されたりもしない。一本筋が通っている人というのは、案外こういう人のことを言うのかもしれない。
コレットは口元には笑みを覗かせたまま、目を眇めた。
「ラビさんって、まぁまぁいい人ですよね?」
「まぁまぁってなんですか……。ところで、何をつまんでいるんですか? チョコレート?」
ラビの視線を辿るようにしてコレットは自分の指先を見る。そこには人差し指と親指に挟まれたチョコレートがあった。
「これはヴィクトルが差し入れてくれたみたいで……」
「はぁ? ヴィクトル様が?」
ラビはそう言いながら机の上に置いてあるカードを手に取る。
コレットは掴んだままになっていたチョコレートを口に放り込んだ。
「ちょ、コレットさん! これはヴィクトル様の筆跡ではありません!!」
ラビがそう叫ぶのと、コレットがチョコレートを噛み砕くのはほとんど同時だった。
コレットの口の中で半分になったチョコレートからはどろりとした液体が出てくる。コレットもまずいと思い、すぐに吐き出したが、判断が遅れたのか一部は飲み込んでしまった。
舌がじりじりと焼けるように熱い。内臓も燃えているようだ。
腹部を襲った猛烈な痛みにコレットは身体をくの字に曲げたまま倒れてしまった。
遠くで自分の名を呼ぶラビの声を聞きながら、コレットは意識を手放した。
◆◇◆
身体がいつもより火照っていて、苦しかった。手足が自分の物ではないかのように重くてどうしようもない。呼吸をすれば喉からひゅーひゅーと変な音が鳴った。
苦しくて身を捩れば、ひんやりとした何かがコレットの頬に触れる。その気持ちよさに顔をすり寄せれば、その冷たい何かはゆっくりと両頬に当てられた。
「……く……って……」
なんと言われたのかは聞き取れない。けれど、その声色は彼女のことを心配しているのがありありと伝わってくるものだった。
鉛のように重たい瞼をゆっくりと開ける。すると、目の前に深い青が見えた。
それが瞳だと、数秒遅れて気がつく。
「コレット!?」
これでもかと目を見開いた後、瞳の持ち主にそう声をかけられた。
コレットとは誰だろうと考えて、意識が覚醒を始める。コレットは自分で、彼は……
「……ヴィクトル……」
掠れた声でそう言うと、彼は安心したかのように表情を崩した。
「大丈夫? どこか痛いところはない?」
「……喉が渇いた……かも……」
咳をしながらそう言うと、ヴィクトルはコレットの背中を支えて起こしてくれる。そして、水の入ったコップを差し出した。
「自分で飲める? 飲ませようか?」
「だいじょぉぶ……」
まだ舌が上手く回らない。恐らく起き抜けだからだろうが、ヴィクトルはそうは思わなかったらしい。
一瞬だけ苦しそうに顔を歪めた彼は、コレットの口元にコップを持っていって、そのまま水を飲ませた。水が喉を通っていく感触が心地がいい。
ゆっくりと三分の一ほど飲んで、そこで一呼吸置いた。
「毒を飲んで倒れたんだよ。覚えている?」
ヴィクトルの問いかけにコレットは一つ頷いた。その弱々しさにヴィクトルは表情を歪ませる。
「……ごめん」
消え入りそうな声でそう言われて、コレットは首を捻った。何に対する謝罪なのだろう、と。
毒を飲んでしまったのはちゃんと確かめなかったコレットの落ち度だ。ヴィクトルのせいではない。名前を使われたことを謝っているのなら、それこそヴィクトルは悪くないし、被害者だと言えるだろう。
「こんなことに巻き込んでごめん。君が狙われるかもしれないって、わかってたのに……」
今にも舌をかみ切ってしまいそうな痛ましい響きにコレットは首を振った。そうして、精一杯の笑顔を向ける。
「大丈夫。私って強いから」
最後の言葉は掠れていたが、聞き取れるぐらいには発せれただろう。なのに、ヴィクトルは顔を伏せてしまった。
手が痛いほどに握られている。
「コレットは弱いよ。弱い。……死んでしまったかと思った」
よほど心配したのだろう。ヴィクトルのては小刻みに震えている。震える手を両手で包んでコレットは困ったように笑った。
「心配させてごめんね」
「……本当だ」
初めて聞くヴィクトルの拗ねたような声に、コレットは胸が痛んだ。
彼が心配してくれたのは嬉しい。とても嬉しい。
けれど、その心配はコレット自身に向けられた物ではない。コレットの《神の加護》に向けられた物だ。
コレットが死ぬのをこんなに怖がるのも、《神の加護》が消えるのが怖いからだろう。
(私のことも心配してくれたらいいのに……)
無感動に吐き捨てられるような関係に期待をしても無駄だ。そう思うのに、どこかで少しでも自分のことを惜しんでくれたらいいのにとコレットは思ってしまう。
コレットのことを純粋に、普通の女の子と同じようにヴィクトルが心配してくれたら、それはとても嬉しいことだと思うのだ。
「《神の加護》がなくても……」
「ん?」
「……なんでもない」
想いが言葉になろうとしたところを、すんでの所で止める。
『《神の加護》がなくても心配してくれた?』
そう聞けば、ヴィクトルはもちろんだと頷いて、甘い言葉をかけてくれるだろう。
けれど、それは単なる嘘だ。
彼の本心はもう知っている。
コレット自身は彼にとって何の価値もないのだろう。
意識はもう覚醒していて、痛いところは何もないというのに、ヴィクトルは甲斐甲斐しく彼女をベッドに寝かせ、額の汗を拭った。
窓の外を見ればもう星が輝いていて、月の位置から見るに、深夜どころか早朝になりそうな勢いだった。
「……ヴィクトル、もう大丈夫。ありがとう」
コレットが目覚めるまで世話を焼いてくれたのだろう。ヴィクトルにそうお礼を言って、コレットは背を向けた。
ヴィクトルはそんな彼女の頭を優しく撫でる。
「心配だから寝入るまで側にいるよ。コレットはゆっくり眠って」
頭を撫でるその手のひらの心地よさにコレットは瞳を閉じた。まだ苦しさが胸の中に蟠っていたけれど、生唾と一緒に飲み下す。
(仕方ないものね……)
閉じた瞼から涙がじんわりとにじんでまつげを湿らせた。




