男と女の駆け引き
その日の朝は、やっぱり濃い霧包まれていた。
だが、その前の日の朝は少し違った。
グラーノ・ヴェッキオが負傷しカミラの膝の上で眠る俺を訪ねてきたのだ。
「アベルさん、カミラ様、少し話があるのだが宜しいか?」
そんな質問から始まった言葉は予想と驚きの内容だった。
「ローゼオ姉妹と和平を結ぶ選択をしました。尽きましては御二人にも同行して頂きたい。」
そんな一方的な要求からグラーノは俺達に話し始め明日のローゼオ姉妹との和平交渉に俺達も立ち会えと言ってきたのだ。
「グラーノ、このアベルの状態を見て言ってるの?ちゃんと目が見えてる?」
そんなカミラからの辛辣な言葉を浴びながらもグラーノ・ヴェッキオは言葉を続けた。
「カミラ様とアベルさんには和平交渉の証人になって頂きたいのです。ローゼオ姉妹に送った親書にも、証人を立てるように書いておきましたので向こうもカルム王国の人間を立てて来るでしょう。」
交渉なんて紙切れの上に文章と名前さえ書けば一通りは決着のはずだが何故か証人に拘り過ぎる。
何か企みでも持っているのか?そんな目で見るとグラーノが笑って答えた。
「正直に申せば、この戦の和平の条件に私は引退し全ての権利を放棄しデイジーに後を譲ろうと考えております。ですが相手はローゼオ姉妹、どのような無茶を言って来るか検討も付きません。ですから御二人には牽制の意味で御同行と和平が承認され正しく履行されるかの見届け人になって頂きたいのです。」
同行し牽制の意味は分らないでもないが『正しく履行』の意味が分らなかった。
そんなものは結局は紙切れ一枚の都合上の話であり未来的な事までは冷たいようだが他国の俺達に責任はないのだ、それにカルム王国としても同様の立場だ、証人と言われても迷惑な話だろう。
だがテアラリ3部族に多大な貢献をしてくれた男の頼みである。
テアラリ3部族共通騎士の立場としては無下にも出来ず別に俺達が同行したからといって何の役にも立たないだろうが行く事を決めた。
負傷中の俺が行く事に反対するカミラを説得しグラーノにもクオンを同行者の一員に加える事を頼んだ。
本来なら口の達者なラシムハの方が適任かもしれないが負傷中の俺では『牽制』の役目を果たせないかもしれず、その替わりでの同行だ。
それに転生者達のローゼオ姉妹と転生者との噂があるグラーノが揃うのだ、同じ転生者のクオンを連れて行けば通じるものがあるかもしれないと思った。
「カミラ、悪いけど俺のバックからもう一着のコートとズボンそれから儀礼用マントを用意しておいてくれないかな、公式の場になりそうだから一応羽織っていくよ。」
この儀礼用マントは本来ならテアラリ3部族が保有する帆船に掲げるテアナ族を象徴する青龍とテラン族を象徴する赤龍そしてテリク族を象徴する黄龍が絡み合って描かれた刺繍がなされている緑地の国旗であり、それを元にテアラリ3部族初の騎士となった俺の為に特別に仕立てたものだ。
もしテアラリ3部族の名が必要になった時はアベル・ストークスの判断の元に着用するように!
それが3人の族長からの命令であり俺への温情だった。
今が、その温情に縋る時かもしれない。
俺を、そう思わせた。
次の日になり和平交渉の約束の場に赴く時だった。
グラーノ側からはグラーノとデイジーそして俺達3人、あとはグラーノの腹心たちを合わせて10人となったが、どうもデイジーの様子がおかしい。
何かに怯え落ち着かないようだ。
確かに敵であるローゼオ姉妹との和平交渉の席に着く事が怖いのかもしれないと言えばそうかも知れないが俺の印象からのデイジーでは不自然に感じた。
更には落ち着かせようとしたグラーノがデイジーの肩に手を置いた時には睨んで振り払い、そして怯える、そんな行動に不自然な感じがして堪らなかった。
意識が飛びそうな傷の痛みが加速する中を馬を走らせ目的地である城塞都市と敵先陣との中央付近に着くと前もって派遣されていたのかヴェッキオ側5人とローゼオ姉妹側5人とでテントを設営している最中であった。
少し待たされたが設営が完了し中に入るとテーブルとイスも用意されていた。
ヴェッキオに促され着席し待つ、その時に怯えていたデイジーを見ると最早放心状態といった感じになっていた。
そして5分後にローゼオ姉妹陣営10人が入って来た。
ミュン・ローゼオ、スノー・ローゼオ、ローゼオ姉妹の先陣を務めていた武人のマーク・ローグ、その他の腹心達5人、そしてカルム王国からメリッサ・ヴェルサーチ、リーゼ・ヴェルサーチの2人であった。
俺の対面にはリーゼが座っており突き刺すような視線が痛く感じるが、その内に視線をグラーノに挨拶を始めたスノーに代えた。
「まずはグラーノ、交渉の場を受け入れてくれた事を感謝する。」
「いやスノー、こちらこそ提供してくれた事を感謝する。」
互いに腹を礼儀と探り合うような挨拶から始まった。
「でだ、グラーノ、本来なら幾度かの交渉を重ねて決めたいところだが民の生活を考えれば我々には時間がない。だから単刀直入に言おう!グラーノ、貴方には・・・・・」
スノーが和平条件を提示しようとした時、グラーノが遮ったのだ。
「スノー、この白髪首一つで全てを無かったことにしてくれないか?私が死んで全責任を負うので国の民を救うのは勿論、娘のデイジー・ヴェッキオに私が持つ全ての権限を移行する事を認めてくれないか?ローゼオ姉妹には虫の良い願いかもしれんがな。」
俺が聞いていたのとは違う内容をグラーノ・ヴェッキオは話した。
死ぬなんて聞いてないぞ!
ローゼオ姉妹は勿論メリッサやリーゼ、その他の俺を含む他の者達を驚かせた。
驚く皆を尻目にグラーノはさらに言葉を続けた。
「この戦、私の私利私欲から始めたものだ。だから私の国は勿論全てのローヴェの民に禍根を残す結果を生み出した責任を取り私は死んで詫びを入れよう。だが娘のデイジーは違う。私の私欲を何度も止めようとしていたので自室に監禁していた。だから罪は無いはずだ。私はデイジーの言葉によって愚かさに気が付いた、だから愚かな私に代わりローヴェの一員に加えてやっては貰えないだろうか?」
「グラーノ・・・・・貴方それを本気で言っているの?」
スノーが焦った顔している隣でミュンが笑顔でグラーノに聞いて来た。
「ああ本気だミュン。正直に言うとな、この戦は誰かが責任を取らんと駄目だろう。だったらヴェッキオ親子・ローゼオ姉妹の内の一番に歳を重ねた奴が死んで、もうローヴェには禍根が無いと見せた方が民達も納得するだろうしローヴェは一層纏まるだろうが。但し俺が死ぬのはデイジーに俺の権限が正しく履行される事が条件だ!その為にテアラリ3国とカルム王国の証人達にも集まって貰ったからな!」
だから『正しく履行』なんて言葉を使ったのか、死んでしまえばどうなるかなんてわからないから『証人』なんて求めたのか、誓った内容を他国の人間の前で破棄なんてすれば信用はガタ落ちだからな。
「グラーノ、貴方は自分の命で私達を脅そうとしているの?」
「脅す?違うな、これは駆け引きだ。俺達は商人だ!自分の持てる最高の物と相手の最高の物とで交渉する。商人の基本だろ、違うかミュン?」
「そう来ましたか、さすがはヴェッキオ商船の代表だけありますね。」
「どうだ、ミュン?このヴェッキオ商船の代表のグラーノ・ヴェッキオの駆け引きに乗るか?」
「その前に1つお聞きしても宜しいかしら。私達は貴方の引退で手を打とうと考えておりましたのに、どうして貴方は命を投げ出そうとするの?」
「それは俺達トップだけの都合の良い話だ。俺達の私戦のおかげで互いの多くの兵士の命が失った。その兵達や巻き込まれた民達への責任は誰が取るというのだ?はっきり言ってやろうか、それは俺かミュンのどちらかだ!だが仕掛けたのは俺だ、だから償う為に俺が死ぬ、それだけだ!」
「では行き残る私にどうしろと言うのですか?」
「そうだな、ミュンにはデイジーの後見人になって貰おうか!その方が安心して死ねるしな。」
その言葉を聞いたミュンから笑顔が消えた、そして少し睨んだような顔になって言った。
「グラーノ・・・・・お前最初から、これを狙っていたな。私を嵌めて後見人に仕立ててデイジーに手を出させない為に。だが私が後見人の立場でデイジーから全てを奪ったらどうする?」
睨むミュンにグラーノは最高の笑顔をもって答えた。
「質問に答える前に言うがミュン、誰もがお前の笑顔に騙されているが俺は出会った時から気付いてたよ。
それはなローゼオ姉妹の腹黒いのはどっちだって話だ。スノーは実直なだけの女が無理して黒を演じているがお前は違う、お前は生まれついて腹黒だ。だが、この場合は腹黒が悪い訳じゃない。腹黒は体面をやたらと気にするからな、特に人の目のある所では尚更だ。このグラーノ・ヴェッキオは本来は女を道具にして生きてきた男だ、お前にどんなに知恵があっても女を見てきた目は誤魔化せんぞ!
ローゼオ姉妹は俺をローヴェに誘う前に男に死ぬほど抱かれて精進しておくべきだったな。
それから質問に答えるが俺の娘のデイジーは、ちょっとやそっとの悪知恵で倒れる程の軟な育て方はしてねえんだ、やるなら死んでも良い覚悟で掛かって行けよ!」
完全にグラーノ・ヴェッキオがミュン・ローゼオを圧倒した瞬間だった。
和平交渉、謀略、証人としての駆け引き、いや違う、男と女の駆け引きでグラーノ・ヴェッキオがミュン・ローゼオを圧倒したのだ。
ミュンからは完全にいつもの笑顔は無くなり般若のような顔になり、本来の性格を見破られたと感じたのかスノーが青い顔になって何も言えずになっていた。
「グラーノ・・・・・お前・・・・・」
「そう怒るなよ、どうせ俺は後で死ぬんだ、年寄りの戯言だと思って聞き流せよ。」
そんなやり取りでさえ、グラーノが怒れるミュンを封殺し有利に進める中でデイジーが小さな声で言った。
その一言は、今までのグラーノの努力をぶち壊すような一言だった。
「グラーノ・・・・・私には出来ないよ・・・・・」
か細く小さな声が、あれほど有利に展開させていたグラーノの言葉を止めた。
「出来ないんだ、私にはどんなに頑張っても努力しても・・・・・」
「何を言う、デイジー!お前には誰よりも優れた知恵で俺を・・・・・」
そうグラーノが必死な面持ちで言うと堰を切ったようにデイジーが叫び始めた。
「駄目なんだよ・・・・・どんなに頑張っても前の世界が襲って来るんだ。あの惨めで情けない生活しかなかった私に引き戻そうとするんだ、前の世界での繰り返しが襲って来るんだ!」
このデイジーの悲痛な叫び声と『前の世界』というキーワードに俺、メリッサ、クオン、そしてローゼオ姉妹の5人の転生者達の時間が止まったかのように身体を硬直させた。
前の世界だと・・・・・グラーノ・ヴェッキオではなく、このデイジー・ヴェッキオの方が転生者だったのか!?




