首狩りの女神
その日の早朝、濃い霧の中を15000人の軍隊が細心の注意を払い静かに進軍を開始した。
15000人の軍隊は主力隊10000と別動隊の5000に別れ主力隊は敵陣中央を、別動隊は左に迂回しながら攻め敵先陣を壊滅させると直ぐに撤退する作戦となっていた。
要は一戦に勝ったという事実を求めるだけの作戦だ。
そして俺達は別動隊の方に組み込まれていた。
別動隊には戦の流れを素早く察知し生き残ってきたと言えるグラーノが雇い入れていた歴戦の傭兵達1000人も含まれているから彼らの動きを注視すれば俺達も生き残れる公算が大きくなる。
その事については最悪の中でも唯一の救いだと言えた。
もし主力隊なんかに組み込まれていたなら3人は敵先陣だけでなく本陣を狙い一番槍なんて狙いかねない。
「皆んな、気を引き締めていこう。」
なんて言ってみるが3人の耳には届かずに目が座り顔からは手柄を狙っている事が伺えた。
ダメだ……完全に巧妙狙いだ。
グラーノ・ヴェッキオに持ち上げられ兵士達からは『勝利の女神』なんて言われ持ち上げられたから、普段の彼女達の性格なら左右されない事にでも反応している。
グラーノ・ヴェッキオに受けた恩はテアラリ3部族の人間として必ず返すという義理からの想いである事は理解出来る、そして手柄を狙う事に対しても理解出来る。
それは悪い事ではない。
むしろ戦においては必要な事だろうと思う。
しかし一番に考えなければならない事は生き残る事だ。
覚悟の無い彼女達には、それらが無いのだ。
死ねば義理も手柄も何も無いのだから。
そうこうする内に味方の主力隊が敵先陣に仕掛けたのか鬨の声が響き渡った。
遂に始まった!
俺達の別動隊は主力隊が突撃し崩した敵先陣に更なる一撃を加える為に横っ腹に突撃する手筈になっている。
主力隊の槍隊が勢いよく突撃し敵先陣を分断するように飛び込んだのが霧の隙間から見えた。
敵先陣が崩れ敵兵士達の叫び声に似た悲鳴が響き渡り、同時に主力隊の騎馬兵達が颯爽と突撃していった。
俺達、別動隊も突撃のタイミングを探る。
完全に敗走に転じる手間を抑えて殲滅を図るつもりだ。
だが1時間後、おかしな事が起こり始めた。
予定と違い明らかに主力隊が何かに引っ張られるように突出し飛び出していった。
それを見た傭兵達が騒ぎ始めた。
「おい、幾ら何でも敵の敗走が早すぎないか?それに敵の動きが整然すぎないか⁉︎」
そんな声が各所で聞こえ始めた。
確かに奇襲による突撃を受けたにしても、あまりにも脆く逃げている。
いや、逃げるだけではない。
敵先陣は主力隊との位置間隔を確かめながら後方へ撤退しているように離れた場所から観ていた俺達や傭兵達には見えたのだ。
しかも、薄っすらと主力隊の左右に向かい大多数の人間がジワジワと近づいているように見え地面を響かすような足音の振動が俺の耳と足裏から伝わってきた。
最初に聞こえていた敵兵士達の悲鳴がいつの間にか消えている。
その時だ、別動隊の傭兵達が我先に馬を翻し城塞都市に向け逃亡を始めた。
年寄りの傭兵が俺達に親切か御節介か分からないが忠告をくれた。
「おい兄さん、お前らも早く逃げろ!ありゃ敗走を擬装してやがる、ありゃ囮だ。敵先陣は後方に敗走しているように見えるが主力隊を引っ張り込んで他の味方の隊と囲んで壊滅する気だ!」
「どういう事なんだ?」
「この奇襲が見破られていたって事だ!こっちにも直ぐに敵さんが殺到するぞ!」
なんだって……奇襲なんて見破られたら何の意味もないじゃないか……
そして年寄りの傭兵の言うとおりに主力隊が前、右、左と囲まれ次々と倒れ絶叫を上げ始めたのが聞こえた。
更には敵の1隊が退路を断つべく主力隊の後方に着こうと転開しているのが分かった。
「今こそテアラリ3部族の力を世界に見せつけてやる、行くよカミラ、ラウラ!」
そんな主力隊の危機を救うべく3人の中ではリーダー格のレイシアの号令の元、テアラリ3部族の3人が崩れ出した主力隊を救うべく馬で駆け出した。
一番理知的なはずのレイシアが一番我を忘れている。
「馬鹿、行くな!」
そんな俺の叫び声は虚しく空回りし3人は猛然と主力隊の後方に着こうとする1隊に向け馬で駆け出した。
「仕方ない、僕らも追い掛けよう。マンティス。」
やっぱり、こうなったか……ここまで来たら覚悟を決めて3人だけでも生かせて帰すのみ!
それが今の俺の役目だ。
「行くぞ、ゲイシー、クオン!3人を守るぞ!」
そんな俺達が完全に主力隊後方に着いた敵1隊に突入しようとした時、残された別動隊の方向から叫び声が聞こえた。
一瞬だけ振り向くと赤の鎧を身着けた軍団とそれに続く緑色の鎧を身に着けた軍団が別動隊に突撃して行ったのが見えた。
* * *
「甘いな、グラーノ。
この霧を利用しての奇襲など御見通しだ。」
戦の状況を楽しむように指揮を執るスノー・ローゼオが1人言を呟いた。
彼女が、この戦が始まってから日課とした戦場視察の苦労が花開いたのだ。
視察していた時からスノーは、その日の天気と発生する霧の濃さまで記録し、前の日が晴天なら次の日の早朝は濃い霧が発生する事も分かっていた。
彼女の性格からくる念入りな情報収集癖が役に立ったのかもしれない。
それに先陣には自分の腹心であり歴戦の武人であるマーク・ローグを配してあった。
マークはスノーから得た助言から晴天の次の日の早朝は兵士達に警戒を怠らないようにと言い含め、尚且つ自軍の陣形にも予め敵が突撃して来ても対応出来るようにと槍隊の後方に弓隊を配していたのだ。
謂わば敵が突撃してくれば槍隊で抑え敵が後方に退こうとするなら弓を撃ちかけ下がらせないようにしながら自軍が崩れそうな擬態を演じさせ兵士達に悲鳴まで上げさせる念入りな演技までさせていたのだ。
我慢強く一定の距離間隔を保ちながら後方にゆっくりと退き敵を引き込み左右の味方達と呼吸を合わせ包囲陣を完成させたのだ。
「よし、もう良いぞ。よく我慢した。我慢した分だけ敵を殲滅しろ!」
マークが味方に敵部隊への攻勢指令を出すとストレスを発散するかのように襲い掛かった。
檻は完成したのだ、後は狩るだけである。
その状況を観ながら自分の出番に備え若き緑色の鎧を纏う兵士達に訓示をする女性がいた。
真紅の鎧を纏う血塗れの女神ことメリッサ・ヴェルサーチである。
彼女は今、この戦で初陣を飾る若者達に一言だけ言った。
「死にたくなければ冷静且つ確実に目の前の敵を薙ぎ払え」
それだけを言うと自分の直属部隊である赤の鎧で統一された2000人の先頭に立った。
緑色の鎧で統一された1000人の先頭には自分の愛剣の製作者の妹が製作したらしい剣を抜き緊張した顔を見せる実妹がいたが声は掛けなかった。
姉妹の感情など、この場では不要なのだ。
それに実妹も望んでいない。
実弟アベルが奴隷剣闘士にされていた事実そして消息不明の情報がもたらされ唯一の望みが断たれてから実妹リーゼが益々と自分自身に厳しくあろうとしている事には気付いていた。
そんな妹を見ていて悲しく思うが、もし自分に何かあった場合にはリーゼ1人で生きていかなければならない。
だから最近は、このリーゼで良いのだと思うようにしているメリッサだった。
そんな事を考えていると本陣のスノーからの伝令の使者がやって来た。
「スノー様よりカルム王国軍には先右方にて発見した敵別動部隊およそ5000を抑えて頂きたいと!」
伝令を聞いてメリッサが少し笑みを浮かべ使者にスノーへの伝言を頼んだ。
「抑えて頂きたい?スノー殿に御伝えして頂きたい。殲滅しろ!と間違えているぞ、とな。」
そう言うとメリッサはカルム王国軍5000に指示を発令した。
「これより我が直属2000に加え萌黄1000にて敵右方の5000を殲滅に参る!残り2000は女王アルベルタ陛下を守護せよ!」
カルム王国軍に緊張が走ったのを確認すると再びメリッサが発破を掛けるように叫んだ。
「よいか、敵に情けは掛けるな。目の前の敵は全て殺せ。手伝い戦で死にたくなければ気合いを入れろ!進軍!」
颯爽且つ勇壮にメリッサが馬を走らせると同時にカルム王国軍の赤と緑の軍団が一丸となり動き出した。
その光景を見たローゼオ姉妹側のローヴェ軍が感嘆の声に上げた。
「カルム王国の血塗れの女神が最前戦に出陣するぞ、勝利は我らのローゼオ姉妹のものだ!」
感嘆の叫び声の中をカルム王国は突き進み最前戦に到着し敵別動部隊を発見した。
「者共、我に続け、遅れるな!」
メリッサ自ら先頭の突撃が開始された。
敵別動部隊に真正面からの突撃である。
人数的には敵別動部隊の方が優位であったが些細な事であった。
メリッサが先頭で突撃し続く同じ赤の軍団の破壊力に敵別動部隊があっさりと陣形が崩壊し更に押し潰すように続いて緑の軍団が襲い掛かった。
敵別動部隊の悲鳴が木霊し我先に逃げる者、反撃しようとして討ち死にする者が多数出た。
敵別動部隊は崩壊し敗走した。
僅か30分持たずして戦闘は終わりカルム王国軍は自軍死者0という華々しい戦果を上げたのであった。
これには依頼したスノーも唖然とするしかなかった。
士気が下がり始めた敵とはいえ人数的には不利には変わりなく正面から戦いを挑み死者が0である。
途轍もなく破壊力のある軍団だ……これが敵だったらどんな恐ろしい事になっていただろうと思った。
あの時のミュンがした投資は間違いなかった。
そんな事を考えていると後ろから女王アルベルタが声を掛けてきた。
「利子のお支払いは、こんなものでよろしいでしょうか?」
「いえ、これで完済で結構です。女王アルベルタ陛下。我らの友誼は永遠です。」
こう答えるしかなかった。
そんなやり取りがスノーとアルベルタで行われている頃、メリッサとリーゼが馬を並べ互いの無事を確かめ合っていた。
「姉上、御見事です。」
「リーゼもよくやった。萌黄の指揮見事だった。」
メリッサは突撃を開始したと同時にリーゼが予め指示していたとおりに萌黄の子供達が連携して動き出した事に気付いていた。
それはリーゼを除く999人が3人1組の333組を作り不手を補う為に1組で敵1人と戦わせたのだ。
勿論、リーゼが馬で駆け巡り叱咤しながらの指揮を繰り広げ自身も1人で30人の首を挙げる戦果を上げたのだった。
「敵を30人も倒したか、やるなリーゼ!」
「私も血塗れの女神の妹ですから。それより、あちらの敵本体はどうなされますか、姉上?」
「あっちはマーク殿に任せよう、我らはこれより帰陣する。」
「はい、姉上!」
これによりリーゼ自身も姉メリッサ・ヴェルサーチの『血塗れの女神』に因んでからかローヴェ軍から噂で『首狩りの女神』と呼称されるようになってしまうのであった。
「さぁ女王アルベルタ陛下もお待ちだろう。朝食を食べずに待っていると言っていたからな。」
「早く戻らないと、お腹を空かせた女王アルベルタ陛下に怒られてしまいますね!」
笑い合いながらも女王アルベルタが待つ本陣に敵主力部隊を横目に急ぐ姉妹であった。
もう死んでしまったと諦めている実弟であり実兄であるアベルが自分達のすぐ近くで敵として戦い死地にいるとも知らずに。




