損得勘定
より豊かになりたい!他人よりも恵まれた生活をしたい!
家族は飢えさせたくはない!
他人より少しだけでも上へ立つ!
‥‥という願望に酔った群衆。
元は堅固を誇った要塞が今は単なる狩場と化した。
我先に土足で踏み入った者達が、本来の所有者には大した価値のない食器や鍋などでも奪い合う。
自分達の世界には無い形状や色、それだけで十分に価値はある。
下らない理由だが、逆の立場になれば頷ける。
しょせん価値とは、そんなものである。
ゲーネル要塞に残ったアビラ・サークルと約千人は要塞中央部の物見櫓のような高い塔の周辺に腰を下ろし集まっていた。
運河の如くゲーネル要塞を取り囲み次々となだれ込んで来る軍勢など気にした様子も無い。
「わざわざ死にに来る馬鹿共がいると思うと飲む酒も最高だな!」
アビラが笑いながら手にしたエスポワール特産ワインのボトルごと一口飲んでから掲げ言った。
ゲラゲラと千人が続いた。
「さて諸君。
第二の門が破られたら、いよいよだ。
すまないが諸君らの命を私にくれ!
その代わりに必ず奴らの命一万以上は支払って貰う、
なにしろ我々は儲けを追求する商人だからな、必ず損はさせない。」
『必ず』と付け足し強調したアビラに皆がボトル越しに一口飲んで掲げた、喜んで同意した。
とうに自分の命を散らす覚悟は出来ているのだ。
ここで敵を食い止め、少しでもローヴェへの侵入を阻止する。
状況が変わっても、それは同じだ。
少しでも騎馬に秀でる者を逃がし、少しでも弓に秀でた者が残った、それだけであった。
きっとローヴェを救うであろう、そう信じて。
「そろそろ奴等が第二の門に近づいて来そうです。」
「そうか‥‥ではさらばだ。
あの世で先に待っていてくれ。
私よりも先に逝くのだ、酒と肴の準備を忘れず待っていてくれ。」
「では祝宴の用意はお任せあれ。
ですが諸経費と参加費は支払って頂きますが。」
「お前‥‥ぼったくるつもりだろ⁉︎」
「我々は商人ですから儲けは出しても損はしません。
これがローヴェ商人!」
全員が爆笑し、それからアビラを残し全員が飲みかけのワインボトルを置いて決意と後悔を残さないという表情を残して塔の階段を降りていった。
死にに行ったのだ。
「すまない‥‥本当にすまない。
私達はここまでだが、ミュンとスノーならローヴェを必ず守ってくれる。
お前達の家族を守ってくれるから。」
五百人が胸に小さな木製の樽をぶら下げ第二の壁と最後の第三門との間の広場に均等に満遍なく散らばった。
残り五百人は第三の壁内側の広場にて大きな樽を満遍なくアビラが陣取る塔を中心に配置し守るように立った。
ただ五人だけは後に二人が第三の壁上に登り見つからないように隠れ、三人が塔の下にある地下室に入っていった。
残ったアビラは弓を持ち、ゆっくりと塔を昇り、最上部に陣取った。
やがてドーンと野太い音と歓声に似た叫び声が広がり、第二門が打ち破られたと分かった。
侵入した圧倒的多数に猛然と五百人が立ち向かうが多勢に無勢、一人につき数人以上で取り囲まれ呆気なく殺されていった。
だがタダでは死んでいなかった。
斬られ突かれ死んだ時には首からぶら下げられた樽も破壊され内容物を撒き散らした。
「なんだ⁉︎
あっ、これは油⁉︎
なんだ⁉︎もしかして食用油か⁉︎」
火攻めにされると浴びた者達が焦り叫ぶが食用の油なら発火の危険も少ないと安心し無視して突き進んだ。
更に勢いを増し興奮し宝を目指し突き進んだ為、そのまま勢いを落とさず第三門を目指し突入して来た。
アビラが陣取る塔を目印に進んでいたのだ。
そして第三門が打ち破られた。
残り四百九十五人も第二門の内側広場で命を散らした五百人に負けぬように戦うが、同じように囲まれ同じように樽から油を撒き散らし死んでいった。
さすがに大きな樽からの油に滑る者が続出したが、それでも食用油、大して気にならずに塗れながらも塔を昇った。
宝は、きっと一番困難な場所にあるはずだ!
途中でアビラの矢によって八人が射られ死んだが気にも止めずに登って来た。
そして最後の一本の奇妙な鏃を装着した弓を構えたアビラが立つ塔の最上階にたどり着いた。
「おい婆!
宝はどこだ?」
宝⁉︎
ここは防衛拠点の要塞だぞ、あるはず無いだろ!
そうは思いつつも先の二万からなる野盗の目的と、この最後の策略が間違いがなかったと思う。
「そうか宝が欲しいのか‥‥。
あるにはあるが、ちょっとした鍵が必要だな。」
「じゃあ、その鍵を早く出せ!
ぶっ殺すぞ、婆!」
「若いの‥‥焦ると碌な事にならないぞ。」
「やかましい、さっさと早く出せ!」
「そこまで言うなら仕方ないか。」
突然だった。
アビラが敵達に背を向け構えた矢を放った。
矢は鏃の効果なのか『ピ―』と甲高い擬音を大きく奏でながら飛んだ。
「‥‥何をしたんだ⁉︎
何かの合図か?」
「合図、確かに合図だ。
しかし、これで宝箱の鍵は開いたぞ。」
「ふざけんな!
どこに宝がある⁉︎」
「宝‥‥それはな‥‥。」
一瞬だった。
アビラが一瞬で老婆とは思えない程の速さで剣を抜き、代表し質問を繰り返していた兵士の首を叩き斬った。
「宝とは人の命だ、私達ローヴェ商人でさえ買ってはならぬし売ってはならぬもの。
その宝を国を守る為に散らさねばならなかった我が同志達の尊い心、お前ら如き野盗に分かるか!」
アビラの叫びに呆然となったウルバルト帝国の兵士だったが騙されたと気づき槍や剣を向けた。
「ふざけやがって、婆!」
「そのローヴェ商人達が命を差し出したのだ。
それ相応のものは代価として頂いていく。
お前らの命をな!」
「ほざくな、婆。
殺れー!」
一気に襲い掛かるが場所が狭く思うようには戦えない。
しかも足裏には油、何とか塔てっぺんに辿り着いただけで本来の獰猛さを発揮出来ない。
それでも多勢に無勢、有利を活かし十人程はアビラ一人によって斬り殺されたが、やみくもに突き入れた槍の一突きにより彼女の足を傷つける事に成功した。
「今だ、突き入れろ!」
無数の槍がアビラに突き刺さり持ち上げられ、そして床に落とされた。
「ざまあみやがれ、婆。
宝が無くば、婆でも大将首だ。
手柄にはなるぞ!」
首目当てに殺到した、その時だった。
第三の壁上から、まずは凄まじい紅い煙を吐きながら大きな矢が西の空に向かって飛んだ。
続いて黄色の煙を吐きながら大きな矢、更に白色の煙を吐き出す大きな矢が、これまた西の空に向かって飛んだ。
「何だ、あれ?」
殺到した兵士達が意味も分からず呟いた時、アビラが口から血を吐きながら大きな笑いして喋った。
「言ったろ‥‥代価を貰うとな。
あの赤は陥ちた意味‥‥黄色は崩壊だ。
白は‥‥お前らに‥‥関係無い。
ローヴェ‥‥商人は‥‥儲けを出さねば‥‥損はしない。
‥‥道連れだ‥‥ゲーネル要塞は棄てるが渡さない。
我らは‥‥利益を追求する‥‥ローヴェ商人だ‥‥。」
それだけを話してアビラ・サークルが笑いながら死んだ。
兵士達には全く意味が分からなかったが、すぐに意味分かった。
突然だった。
床がグラグラと動き始めたのだ。
「なんだ、地震か⁉︎
いや‥‥違うぞ、この要塞が揺れているんだ。」
要塞とは自身の手中にあれば心強いが、一旦敵の手に渡ると厄介になる。
その防衛力が自身に向く事になるからだ。
だからゲーネル要塞には敵の手に渡らないように仕掛けがあった。
地下室にある真柱的な石柱を崩せば内から外へと崩壊するように仕掛けてあったのだ。
アビラが放った矢は、その合図である。
飛距離のある大弓を射つ為に二人、ローヴェ本隊への伝令であり、赤色の煙はゲーネル要塞が陥落を意味し、黄色の煙はゲーネル要塞を崩壊させるという意味であった。
地下室に入った三人が石柱を破壊したのだ。
足元の床が小刻みに震え、徐々に大きな波となった。
「に、逃げろ!」
「ああ、滑って‥‥」
急いで逃げようとしても足裏や身体に纏わり付いた食用油が邪魔をして思うように走れない。
大波が塔を中心に外へと広がり、ゆっくりとゲーネル要塞は大きな埃を撒き散らし完全に崩壊した。
ローヴェ商人達の命とゲーネル要塞との代価を表すように崩壊しウルバルト帝国兵達を飲み込みでいった。
謂わば食用油は投資、一人でも多くの命を回収するという投資だった。
結果、ウルバルト帝国には奪略行為に走った先陣であった一万戸全員の戦死と左右陣から双方七千人以上の死傷者を生み出した。
アビラ達、ゲーネル要塞残留組は十分な利益を上げた、十分に得をしたのかもしれない。
これを見てサラーナは唖然にもなったが冷静に努めていたツォモルリグの進言により即座に対応した。
対応とは伝令を送るという意味であった。
「我々は西方を舐めていたのかもしれません。
もし先々でも、このような事態があるなら我らの戦術自体が意味を無くしますぞ。
なにより逃走部隊を追った五万を退かせましょう。
きっと罠など仕掛けているはず。
ここまで周到な世界、ウルバルト民の性質には一番厄介で苦手になりましょう。
即座に撤退させましょう。」
「‥‥そ、そうだな。
これでは勝っても損害が上回るぞ。」
東方に生きる者達よりも知恵があり執念深い。
そう判断せざる得ない。
勿論、個々の力は負けてはいない。
戦況から考えても、そう判断して間違いは無い。
だが、これでは嘉威国と雷国の存在がある以上、こんな無意味な戦いに感けて兵を無駄死にさせている場合じゃない。
「摂政テムルン様とボルド殿の帰還次第、早急に協議しゾンモル草原へ帰還する。
アンフニャム、それで良いな?」
こんな光景を見た後である。
アンフニャムも仕方無しという表情を浮かべて同意した。
後は言われずともテキパキと撤退準備を進め始めたのだ。
的確に粛々と進め各万戸に指示を出すアンフニャムを見てサラーナとツォモルリグは思う。
これだけ有能な人物、なのに何故ウルバルト帝国民優先主義なのだ。
彼女の能力なら異国人にも負けずにやっていけるだろうにと。
だがアンフニャムも思っていた。
これで、また『対等の日』が遠のいた。
焦るな、皆が屈辱に耐えに耐えて待ったんだ。
焦ってどうする。
私もバヤルツェツェグも待つのは、もう慣れたじゃないか、もう涙は流し尽くしたじゃないか。
あいつらが私達に言った。
必ず機会は来る、だから耐えて待てと。
気付かれぬようにツォモルリグの顔をちらっと見て思った。
その頃、カイナ・サークル率いるゲーネル要塞守備隊は数を二千まで減らしながらも逃走を続けていた。
そして大きな川の向こうに陣取るローヴェ本隊を発見した。
「もう少しだ、後少しで合流出来るぞ!
頑張れ!」
もう少し、その少しが遠い。
更に二百人が身を犠牲にしてカイナ達を逃がす為に反転して突撃していった。
「ローヴェ本隊に合流出来れば必ずミュン達が何とかしてくれる。
犠牲になってくれた兵達の仇をとってくれる!」
それだけを信じ馬を走らせた。
ローヴェ本隊ではアビラ達が打ち上げた伝令によりゲーネル要塞の自沈を知った。
赤色はゲーネル要塞の陥落、黄色はゲーネル要塞の崩壊、そして白色は救難信号。
陥落、崩壊と来て救難、即ち『脱出した者がいるから保護されたし!』の意味だと理解した。
「もうすぐ、ゲーネル要塞からの脱出者達が来るぞ。
全軍弓隊は構えろ、あの一点だ。
射つタイミングは私が出す!
一閃連射だ、フォースが使える者は遠慮なくぶち込んでやれ!
槍隊、続いて騎馬隊も待機しろ、侵入し崩れたら皆殺しにしてやれ!」
ローヴェとエスポワール帝国、そして集まった小国達、全軍の指揮を受け持つスノー・ローゼオが叫んだ。
あの三本の矢が飛んだという事はアビラ・サークルは、もう生きてはいないだろう。
知恵に恵まれ勇猛果敢な婆さんだった、きっと一番危険な役割りを担ったに違いない。
小国奪取以来、同志として建国の労苦を共にしたアビラ・サークルとは、そういう婆さんだ。
だからアビラ達が守ろうとした者達は、必ず守ってみせる!
スノー・ローゼオの目に同志を奪われた悲しみと怒りの炎が満ちていだ。
『よくも同志アビラ・サークルを殺してくれたな。
お前らはローヴェに大損害を与えてくれた。
しかし、お前らの命で償って貰う。
我々は商人だ。
絶対に損はしないからな!』
スノーが決意した、傍らに待機したマーク・ローグが叫んだ。
「来ましたぞ、生きていますぞ、先頭を走るのはカイナ様です!」
「よし、何としてもカイナ達を守れ!
アビラ達の想いを無駄にしないぞ!
奪われた命の分は、奴らの命を奪って帳尻合わせる。
いや‥‥遥か上を殺してやるぞ!
全軍用意!」
スノーの叫びに全軍の士気が否応無しに上がった。
全ての兵士達も同じなのだ。
殺意と怒りの絶叫が辺りに満ちた。
これには対岸にいる抑えとなったウルバルト帝国兵士達が恐怖した。
自分達と比べて人数は少ないが、あれは相手にしてはならない者達ではないかと気がついた。
東方を恐怖に陥れ蹂躙し個々には獰猛の者達が集まる軍団が、目の前にある殺意の塊に恐怖したのだ。
「来たぞ、ぶっ殺す準備をしろ!
これはアビラ・サークル達の弔い合戦だ!」
スノー・ローゼオの再びの叫びに全軍の士気と殺意が倍加した。