それは、空から響いた
湯気のたつ料理を乗せたトレイが、乱暴に置かれた。
ガシャン! という硬い音に、女性は不愉快そうに顔をしかめ、トレイを目の前に叩き付けた女性を睨んだ。
「なんだよ」
睨まれた女性が、睨んだ女性へ凄み、言う。
「いいえ別に。子供と話すほど暇じゃありませんので」
しかめた顔を無表情へ変え、女性は先ほどまでと同じように淡々と食事を再開した。さらさらとした長髪を指で耳へとかけながら、フォークを口へ運ぶ。
幼さを感じさせる顔だち、笑っていれば愛くるしいであろうその整った顔は、しかし頑ななまでに無表情だった。
「はっ、餓鬼が偉そうに。まるでどこかの司令官様みてぇだな、えぇ若宮? あんな化け物になりてぇのか?」
若宮と呼ばれた女性は、表情を変えず、目の前に乱暴に座った女性を見もせず、咀嚼した物を飲み込んでから、ゆっくり返した。
「上官の悪口はやめたほうがよろしいかと、荒川班長」
「悪口? いつから事実を言うのが悪口になったんだよ若宮よ」
荒川と呼ばれた女性が肩をすくめ笑う。耳がぎりぎり隠れるくらいのショートカット、日焼けした肌、大きく盛り上がった胸、二人とも同じ軍服を着ているが、若宮は首元まできっちり留めており、荒川は胸の谷間が見えるまでボタンを外していた。
そんな対照的な二人が、にらみ合う。
「八つ当たりなら、ぬいぐるみにでもしたらどうですか」
「てめえもな」
広い空間。等間隔で長机が並べられ、カウンターには料理が並び、その向こうには同じほど広い厨房があった。食事をしている人数は多い。皆が揃いの黒い軍服を着ていた。
しかし、その二人の周りには誰も座らない。
「第八事案、現着したんだろ? え?」
「既に報告は流しています」
トレイに乗ったサラダのキュウリをつまみ、若宮のトレイへと無造作に投げて荒川が笑う。
「そんなもんいちいち見ちゃいねぇよ」
「なら見てください。そこに書いてます」
苛立ったようにキュウリをつまみ、口へ放り込んで若宮は俯いた。テーブルから身を乗り出し、荒川が若宮の顔を覗き込む。
しなやかな肉食獣のような瞳、勝気そうな顔立ちの荒川が、低い声を出す。
「見ちゃいねぇ、って言ったろう? 上官命令だぜ? 言えよこら」
「…三十分ほど前、第八事案は現着しました。同時刻で臨戦4号体制は3号体制へと移行しています。荒川班長、臨戦体制の変更に対応できなかった時に「見ていませんでした」は通用しません。以後ご留意ください」
きっと若宮が荒川をにらみつける。優しい草食動物のような雰囲気をまとう女性だが、眼だけは強く揺るがない意思をしっかりと表していた。
「1号と2号以外飾りじゃねぇか、くだらねぇ。じゃあ今から三日後か」
「はい」
「また人を殺して生き残るんだな、私たちは」
食堂のざわめきが、すっと冷えた。
「…迂闊な発言はさけてください、荒川班長」
皆が、食欲をなくしたように手を止め、黙った。
まるで、荒川の言葉に耐えるかのように。
「うかつ? 難しい言葉使うなよ、わかんねぇよ。ただの事実じゃねぇか」
「…やめてください」
「なにをやめるんだ? 人殺しはやめねぇのにか? あ?」
バン! と若宮が机を叩いた。
「しょうがないでしょ! そうしないとみんな死んじゃうんだから!」
「だから死ねってんだなてめえは!」
「なによその自分だけ悪者じゃないみたいな言い方はあぁぁっ!」
若宮が立ち上がり、同じく立ち上がった荒川に掴みかかろうと手を伸ばし――
「そこまでー、はいそこまでー。上官めいれーい、すとーっぷ」
横から伸びた手が、若宮のこめかみをツン、とついた。
「っ! す、すみません」
「いいよー。許すー。荒川はんちょも座るのだ。上官めいれーい」
白衣を着た長身の女性は、パンを頬張って、若宮の隣に座り、笑んだ。
「…邪魔すんなよ」
「するよー。本部きっての美女二人がつかみ合いの喧嘩とかねー、眼福だけどー、でもあれじゃない? ほら、それじゃない? くだらないじゃない?」
「くだらないだぁ?」
荒川がどれだけ凄んでも、白衣を着た女性はへらへらと笑うだけだった。
「くだらないよお。わたしは科学者だからねえ、結果が出ない物はすべからくすべてまるっとまるまるぜんぶくだらないのだ」
「…」
「さっき若宮ちゃんに上官命令つって偉そうしてたんだからさー、ほらー、上官命令だよーん。座ってごはんたべよー。わたし荒川はんちょより上官だよ? ん?」
舌打ちをして、荒川が乱暴に座る。
それを見た女性は、眼鏡をくいっとあげて満足げに頷いた。
「仲良くご飯と行こうじゃないのー、わかったー? 返事はー? 荒川はんちょー?」
「わかったよ、三浦技術開発局長さまよ」
「よーろしーい」
三浦はからからと笑って、またパンを頬張った。
「三浦局長、すみませんでした」
頭を下げた若宮に、三浦が頷く。
「もういいよー、終わった話は飽きたからもういいの。若宮ちゃんもあれよー、荒川はんちょの発情期にいちいち相手しなくていいのよ。ちょっとまーじめすーぎるのねー」
「…すみません」
「おいこら、発情期ってなんだこら」
両者にひらひらと手を振って、三浦はパンを食べる。
「もういいよー、飽きたー。あーでも、若宮ちゃんだけもうちょっと補足」
「は、はいっ」
慌てて立ち上がろうとした若宮を手で制し、三浦はパンを食べながらのんびりという。
「第七事案のときに司令官がいったとおり、ここは地獄なのだよー」
「えっ…」
絶句した若宮に、のんびりとした声は続く。
「重たいよねー、命と平和とか、持ちきれないよねー。超重いよねー。もてないよ。そんなの抱えきれないよねー」
「三浦局長?」
「人類の存亡? そんなの個人が背負ってよいものじゃないのでー」
「す…みません、おっしゃることがよく」
「わたしはねー、可愛い女の子が結構好きでねー」
「は、はぁ」
「なので若宮ちゃんのことも結構好きでー、だからー、やなのねー」
「あの、なにがでしょう」
「若宮ちゃんの心がぶっ壊れちゃうのが、やなのー」
「…」
「荒川はんちょーのやり方は褒められたもんじゃないけど、けどねー、抱え込まないようにねー。しょうがない、って自分を殺さないようにねー。ここの防衛システムは超凄いけど、うんー、けどねー」
「…」
「君が君を殺そうとした時に、防衛システムはなんもできないからねー」
「ご助言、ありがとうございます」
「どういたましてん、さーごはんたべよー」
「はい」
「はっ、くっだらねぇ」
頷く若宮、毒気を抜かれたように肩をすくめた荒川、頷く三浦。
三者が食事を再開しようとした時だった。
(先輩…せんぱああああい! よかったーっ! 無事だったんですね!)
それは、空から響いた。
壁も天井も何もかもを貫き響く声。
耳を塞ごうと、聞かない事を許さない声。
「…食欲、なくなったわ」
荒川が呟いてスプーンをトレイに放り投げた。
若宮も同様に、静かに箸を置く。
(よかった…よかった…先輩が無事でほんとに…うぇぇぇぇぇん)
食堂に居合わせた者が皆、その声に俯き、次々に箸を置く。
ただ一人をのぞいて。
「優しいねー。第一声がそれかー、うわー、超いい子じゃーん」
パンを頬張りながら、三浦が呟いた。
それが、とどめだった。
その人物がよい人物であればあるだけ、その事案は地獄となる。
無力という砂を噛み締める地獄が、再び始まった事をその声は告げた。
(先輩…せんぱあぁぁぁぁい!)
第八事案、八回目の人類滅亡の危機が幕を開けたと、施設全てに告げたのだ。
「さあ…どうかなー…どうかなー。もしかすると、今回、もしかするのかもしんないなー。ぬっふふふ、やっとかな? 期待しちゃうと後で辛いかなー。ぬふふ、どう思う? 司令官さんー? どう?」
三浦のその囁きは、誰にも聞こえなかった。
「がんばれ少年。その恋を、あの空へ届けてみせてよ」




