新しい法則は、待っている
黒の軍服の上から急所を保護するアーマーを着込んだ女性が、廊下を足早に進む。
突き当りの扉が女性の接近にあわせたよう、音もなく左右へ開く。その部屋に入るなり、女性は怒号をあげた。
「つまんねぇ用件だったらぶっ飛ばすぞ三浦ぁ!」
「こ、こわっ! じょ、上官! わたし上官だよ!」
円卓に行儀悪く腰かけていた三浦が、びくんと跳ねて床に転がり、白衣にからまりながら言った。
「つまらない用件でありましたら拳で鳩尾を強くぶん殴る次第であります! なんでありましょうか三浦局長!」
「余計こわーい。やだもう、びっくりしたー」
「なんだよ早く言えよ、てめえ二時間後に出撃する人間つかまえて無駄話してんじゃねぇよ、用がねぇなら行くぞ」
「まってまって、用ある用ある」
「荒川班長、着席を。ブリーフィングです」
円卓の中央、目の前に浮く幾つもの画面に照らされながら、小柄な女性が緊迫した声を荒川へ発した。
(えー、別々に入るんですか? お風呂)
荒川が肩をすくめる。ガチャリ、とアーマーが硬い音を出した。響く場違いな声に苦笑しそうになるのをどうにかこらえ、自分をにらみつける小柄な女性へ言った。
「はっ、そんな御大層な物、今まで2号でしたことねぇだろよ、若宮」
「する事態とご理解ください。着席を」
その声に圧されたよう、荒川は唇をへの字に曲げながら、不承不承、円卓を見渡せる椅子へどかっと腰をおろした。
「なんだよ、ちょっと数が多いだけだろうが」
ぶつぶつと文句を言う荒川を相手にせず、その他の出席者全ての着席を確認し、若宮は三浦へ顔を向けた。
「三浦局長、どうぞ」
「はいよー。まずはこれ見て」
三浦が白衣をひらめかせながら円卓へ近寄り、その上を指さした。
円形のテーブル、その表面は緑に淡く光り、その上に山や川など一帯の地形を立体的に青いテクスチャーのようなホログラフで再現していた。
その上空、赤い点が十七、じりじりと近づいてきている。
「十七、確かに多い。が、それがなんだってんだ。やるしかねぇんだろう」
「荒川はんちょーのいう通り、どっちにせよやることは同じなんだけどね。ただ、どうも様子が違うの」
「あん?」
「今までのカケラは、十七は十七なだけだった」
「わかんねぇよ馬鹿、わかるように言えよ馬鹿」
ごつごつした手袋で頭をかく荒川に、厳しい声が飛ぶ。
「荒川掃討班長、茶々を入れず黙って聞いてくれ。時間が惜しいなら、尚更にな」
「うるせえ優男、ケツに銃弾ぶちこむぞ」
若宮の背後に立つ石黒が、困ったように頭をかいた。
(うー、あぁぁー、あっついお風呂最高です。いっきかえるー、はっ! 生き返ったんでした! また死にますけど!)
「岬奈々ちゃんいいねー…私大好き。それに比べて、はーもうほんと、いきり立つ荒川はんちょは始末に困るね。まあそういうわけで、十七のカケラの話に戻るけどね。とにかく、今までのカケラは、個体だった」
「わかんねぇよ。今回だって個体が十七だろ、同じじゃねぇか」
「同じだけど、違う可能性があるって感じ。あいつらは、特に意思もなく、コミュニケーションも成立せず、ただ一心に、ただ単純に、ここの地下を目指してたよね」
「ああ」
「そこにあるアレにカケラが一つでもたどり着けば、人類は死ぬ」
「知ってるよ、何を今さら」
「絶望と死という法則が、新しく上書きされてしまうから」
「ああ、だからなんだよ」
「ちなみに今やられたら、南アメリカ大陸以外ほぼ全滅。二年後には地球上に逃げ場はなくなるね」
「え?」
「え?」
「え?」
「え?」
三浦以外の全員が聞き返す中、三浦本人は周囲の反応に暫くきょとんとしてから、片目をつぶってぺろりと舌を出した。
「あ、いっけなーい。これ特級機密事項だった。私ととくねえしか知らないんだった」
「なにさらっと特級機密ばらしてんだお前!」
「やだー、荒川はんちょ。忘れて忘れて。忘れてくんないと君達みんな抹消対象になっちゃう。はい、せーの…ぱんっ! わーすれた!」
呆れる面々の前で陽気に手を叩き、うん、と一人で納得したように三浦が頷く。
「はいはい、みんな忘れたところで話を戻すけどね、うんうん、今までのカケラは、ここの地下をひたすらに目指す一つ一つのカケラ、だったんだけどね」
三浦が眼鏡を指で上げてから、十七個の赤い点を指でぐるりと囲んだ。
「こいつら、少し違うかもしんない」
「どういうことだ」
「十七の個だけど、それだけじゃない――可能性を私は感じた。
ひょっとしたらだけど、個が集団を理解している、ような気がしたの」
「つまり?」
石黒が続きを促し、三浦は頷いて続ける。
「他は構わずただ自分がそこにたどり着こうと直進していたカケラが―
そこにたどり着くという目的を共有した集団になった、かもしれない」
「連携、してくる可能性があるのか」
「うん、まあ簡単にいうとそういう事かなー」
「荒川班長、予測を」
石黒に水を向けられ、荒川は先ほどまでと様子を変え、真剣な顔で顎に手を当ててしばらくぶつぶつと呟き、ゆっくりと顔を上げた。
「今まで通りなら、十七全てが最短距離でほぼ塊となって直滑降で落ちてきた。弾幕と交差型カウンターアタックの波状展開で削っていきゃあよかった。だが…もしも連携してくるなら、そう…そりゃあ…定石でくるってんなら…」
そこでまた少し言葉を止め、そしてゆっくりと近づく点を睨みながら、言う。
「身体のでけえトリガタが矢印のように展開、弾幕に突っ込んで穴を開けながら、そこで水平方向に展開、迎撃を引き付ける。その間隙を縫って高機動のハチガタが散開しながら突破、って感じと思う」
「OK、若宮君、今の荒川班長の予測を参考に十五分で展開案を組む。それに基づいて指示を出してくれ」
「了解です、石黒司令官補佐」
「三浦局長、まだ何かあるかい?」
石黒に尋ねられた三浦は、眼鏡をいじりながら頷いた。
その口調は、とぼけながらも、どこか切迫した雰囲気を持っていた。
「うん、あー、技術開発局の人間の物言いではないんだけれど。今回はどうも色々とイレギュラーな気がするのね」
「イレギュラー?」
「うん、揺らいでる感じ」
「わかんねぇよ馬鹿」
「若宮ちゃん、カケラが落ちた瞬間の映像だして」
「はい」
円卓の上、即座に映像が浮かび上がる。
その場がざわめいた。そのざわめきを代表するように、荒川が呟く。
「おいおい…なんだよこれ」
「第八危機だよん」
「んなこたわかってるよ…おい、こんな、この形…これじゃまるで」
「そうだね」
「…人間そのものじゃねぇか」
「そう、第七危機の最終形より、今の段階でもう既に人間に近い形。わかる? 顔の部分、少し角度がついてる」
映像の中、宇宙空間でそれは膝を抱えて浮いていた。その膝の間、頭が斜めを向き少し起こされているように見える。まるでそれは
「何かを…見てるのか?」
「そう見えるよねー。ちなみに顔の向いてる方向には、特に何もない。
少なくとも私達には何もないように見える。そして、この後」
黒い人の形をした物が、その手をすぅ、と伸ばした。
誰かに触れようとするように、何かを掴もうとするように。
まるで人間がそうするように、手を伸ばした。
その伸ばされた手からぼたぼたと黒い滴が千切れて落ちる。
腕が宙をかき、それは胎児のように膝を抱え頭をうずめる体制へと戻り、動かなくなった。
「はい、皆が口々に好き勝手言う前に私がちゃちゃーっとまとめちゃうけど。今までの危機は全て現れて、でっかくなって、落ちてきて、本部に進撃してきて、迎撃されて消えて終わり。うん、私たちはそれを本能の塊、そこにたどり着くという本能のみしかない、死という概念の集合体だと思ってた。
けれど、さっきの動きは、ねえ?
意思があるように、見えてしまう。
だから、そこから落ちたカケラも、もしかしたらと思ったわけー」
しばらくの沈黙。
その沈黙を、役目とでもいうように石黒が破る。
「意思を、持ったということか?」
三浦は首を振る。
「わかんないねー。かもしれない、としか。そして技術開発局長の私がってのも差し出がましいとは思ったけど、ご進言さしあげたわーけなのだー。とくねえにね。まあそれ以外にもちょっと色々引っかかるところが今回の件はあってねえ」
「あん? 最後なんつった?」
「なーんも。ブリーフィング終了!」
ぱんっ、と三浦が手を打ち、参加者は戸惑いを見せたが、すぐに自らの職務にのみ意識を戻し、強い眼差しで席を立った。
「荒川はんちょ、これあげるー」
立ち上がった荒川に、三浦が傍らに置いてあった物体を投げる。
片手で受け取った荒川は、それを怪訝そうに眺めた。
「なんだこのおもちゃみてえな銃は」
先端にはガラスの玉。銃身はプラスチックの円筒。その中で赤い光が不規則に揺れている。銃身を囲むように黄色の液体の満ちたチューブと青色の液体の満ちたチューブが螺旋を描いている。
カートリッジには緑色の液体。
それはまるで、SFアニメの主人公が持つ、光線銃のようだった。
「きたよ宇宙世紀。レーザービーム! が出るはず」
さらりと言う三浦に、荒川が目を見開く。
「おいマジか、なんでもありか」
「法則はもう上書きされてるっぽい。理論上まったく説明ができなかったのに、今日もう一回試したらあっさり証明できた。変わってるよ、世界」
おもちゃのようなそれを、荒川はおそるおそる確かめる。
「マジか…」
「そいつも理論上、レーザー、しかもかなり強烈な威力のが出るはず、なんだけどね。私がやっても出ない。荒川はんちょでも出ないと思う」
「…」
「世界は既に変わった。新しい法則は、待っている。
今までの法則にとらわれず、心の底からそれを信じる、誰かをね。
君の時と同じだよ荒川はんちょ、人に翼を授けた君と」
「…じゃあやっぱ、今はまだおもちゃじゃねぇか」
「のほー、痛いとこつかれたね! まあどっちにせよ、そんな純度百パーの兵器なんて戦場でしか活きないから、とりあえず荒川はんちょ持っててよ」
「…いきなりケツで大爆発しねぇだろうな、おい」
「大丈夫 たぶん」
信頼できねぇなぁ…そう小さく呟きながら、しかしそれをしっかりと手に持ち、荒川は部屋を出て行った。
石黒が若宮に指示を出し、様々な画面を表示させながら検討をはじめる。
防衛班が、整備班が、医療班が、皆が自分達の役割に向け、動き出す。
ざわつきだす空気の中、三浦は白衣のポケットから取り出したチョコレートを口へ放り込み、中央に浮かぶ十七個の点をじっと見つめ、口の中で小さく呟いた。
「なんだかなぁ…尻のすわりが悪いなー…私結構頭良いんだけどなー。
ねえ地球さん、何考えてるか教えてよ。
ほんとに人類、滅ぼしたいの?」




