もう一度、死んでくれ
(いやだよ、いや、いや、死にたくない、いや、死ぬのはいや)
トンネルのような薄暗い通路、壁と床は鈍い銀色、天井は全体がぼんやりと発光している。等間隔で壁の両側に並ぶ扉も銀色、その横に同じく並ぶベンチも銀。
(死にたくない、死にたくない、生きたい、こんなのいや、生きたい、いきたいの)
静かな通路に響く悲痛な声。
(おかあさん、どこ、ねえどこ、やだよ死にたくないよ助けて、お願い助けてわたしをたすけて、死にたくないの、いきたいの)
ただ一人そこにいる女性は、ベンチに座り眼を閉じていた。眉間に皺を寄せ、腕を組み、ただ、耐えるように聞いていた。
響き渡る、断末魔を。
(生きたい、死にたくない、こんなのいや、やっぱりだめ、むり、こんなのいや、生きたい、あぁ、あぁぁ! 行きたくない! たすけて! だれか助けて!)
女性の整った顔が悔しそうに歪む。
(無理、ごめんなさい無理です! 許してください! 助けてください! 行きたくありません! ごめんなさいごめんなさいごめんなさい! できません! 助けて! 死にたくない! しにたくない! 生きたい! お願いします生きたいんです! だれか助けて! ごめんなさい無理! 無理です! できません!)
女性が体制を変えた。黒く染められた軍服が微かな衣擦れの音をあげたが、それは響き渡る断末魔にかき消された。
壁も天井も、耳を塞いだとしてもその手すら貫通し、上空から響く断末魔。
(無理! 無理です! お願いします助けてください! わたし、わたし―)
上体を倒し、膝に手をつき、座ったまま頭を下げるような体制で、その女性はそっと眼を開き冷たい声で、呟いた。
「すまない」
(わたし――人類なんて救えません! 死にたくない! 生きたい!)
「人類のために、死んでくれ」
(あっ…あぁ…これ、って…)
「私たちが生きるため、君は、ここで」
(これ…いやぁ…こんなの…いやぁ、おかぁ…さぁん…)
女性の声が響き、そして。
「もう一度、死んでくれ」
(いきたい)
ぶつん、と。
響いていた声は途切れ、痛いほどの静寂だけが通路に残った。
女性が上体を起こし、壁にこつんと頭をつけ天井を仰ぐ。眼を閉じ、ゆっくりと息を吸い、そして吐き出した。その息は細かく震えていたが、その震えを聞く者も、感じる者も、この場所には彼女以外いなかった。
何度か深呼吸を繰り返した女性は顔を前に向け、耳に装着されたインカムのスイッチをオンにした。
しかし、彼女の耳に音は届かない。たった数秒前まで戦況報告や指示命令、怒号が飛び交っていたであろう場所から一切の音が消えていた。
女性は息を吸い、声が震えないよう下腹部に力を込め、そして言った。
「報告を」
その一言で止まっていた音が動き出す。
「―失礼しました。本部情報管制班、若宮、報告いたします。時刻0400、23秒をもって作戦対象の消滅を確認。臨戦1号体制、同時刻をもち臨戦4号体制へと移行。本部および関連班の被害なし。続いて掃討班被害報告、荒川班長お願いします」
女性の耳へインカムから淀みなく紡がれる若い女性の声。気持ちを全て殺したかのように淡々と、冷淡であろうとする声は、荒川班長なる人物へ報告を促した。
しかし、報告は流れない。
「…荒川班長?」
若宮が再度、呼びかけた。
女性は表情を殺し、ただ聴いている。
「…荒川班長、報告を。戦場における被害報告を」
「断る」
短く、素っ気なく、心を切り捨てたような声だった。
「荒川班長、報告を。それは、あなたの仕事です」
若宮の声が震える。
子供の駄々に苛としながらもそれを押し殺し言い聞かせる母親のように、荒川へと指示を重ねる。
「荒川班長」
「断ると言ったろう、若宮。被害報告がしたけりゃてめえがやれよ」
怒りを隠そうともせずに、荒川と呼ばれる女性は吐き捨てた。
「…荒川班長、報告はあなたの仕事です。責務です」
「しらねえよ、てめえが言えよ。ほら若宮、言えよ。でけえ声でたからかにほがらかに、笑いながら胸はって、そのぺったんこな胸を反らせて、偉そうに、誇らしげに、さあ言ってみろ」
「荒川班長…悲しみも悔しさも虚しさも、それは全ての者が同じです。駄々をこねず、もう一度は言いません。荒川掃討班長…報告を」
「言えよ若宮! だーれも死んでません! 怪我人すらいません! 今日も被害者ゼロでわたしたちは地球を守りました! やったね! ってよお!」
「荒川班長!」
若宮が抑え込んだ心を爆発させたように叫んだ。
その叫びを荒川が怒号でかき消す。
「なにやってんだよ私たちは! なんなんだよこれは! なにが被害ゼロだ! 心を! 命を! なんの覚悟もねぇ幼い魂を踏みにじって…生きるためだぁ⁉ 人類のためだぁ⁉ こんな事しなきゃ生き延びられねぇってんならそんなもんなぁ! いっそのこと―」
「荒川さん!」
荒川の声を消そうとするように若宮が叫んだ。その先を言うな、と。その先を言えばどうなるかわかっているだろうと。
高ぶった荒川は若宮の叫びすら無視してその先を叫ぼうとしたが、しかし、その叫びは女性の静かな声に制された。
「荒川、軍務の邪魔だ。黙れ」
「なっ…」
銀色の壁、ベンチに座る女性の目線の先には扉。その扉は開かない。
「駄々なら自室で捏ねろ。自慰なら股の間に手でも入れていろ。軍務にのみ利用する備品と帯域を使い、貴様のくだらん喘ぎ声を垂れ流すな。邪魔だ。黙れ。若宮」
「は、はいっ」
開かない扉をじっと見つめ、女性は口だけを淡々と動かす。
「被害者なしと第一報告をあげろ。兵器および掃討班員の損耗は整備班および医療班よりあげさせろ、事後処理は君がやれ」
「わかりました」
「荒川班長、帰投したら私のところに来い」
そう冷たく告げ、女性は立ち上がった。インカムから忌々し気な荒川の声が流れる。
「…偉そうに、言ってくれるもんだな」
「偉いのだよ、貴様より。現場で駄々を捏ねて一人でスッキリするような糞餓鬼が、敬語を使え」
「てめえ…」
「嫌なら死ね、話が違うなどと甘えるな、ここはそういう場所だ」
「人を殺す場所か」
大きな勲章が4つ、右胸に2つ、左胸に2つ、黒い軍服の裾を翻らせて女性は薄暗い通路を歩きだした。
「人を、守る場所だ」
「わらえねぇ冗談だな!」
その怒号にも、女性は表情を変えず歩く。
「笑う必要はない。貴様の感情なぞどうでもいい」
「…地獄におちろ」
女性は口の端を少しだけ上げ、冷たく言い放った。
「愚かだな貴様は」
「なんだと!」
「ここが地獄だ。だからこそ、我らが守るのだ」
そして女性は歩き去る。
女性が見つめ続けていた扉は、女性の姿が見えなくなっても尚開く事はなかった。




