プロローグ
少女は小さな酒場の舞台に立ち、それなりに賑わっている人々の前で歌を歌う。それが、彼女の仕事だった。
見た目は腰まである鳶色の髪に翡翠の瞳、平凡な容姿だが歌う彼女は十六とは思えない色気と若々しさがあり、魅力的である。
今日も客のリクエストを受けてのびのびとした歌声を響かせていた。
しかし、順調に仕事をこなしていた中でそれは起きた。
なんと兵士が突然雪崩れ込んできたのだ。
店の中は当然パニックになった。
皆、兵士がこんな小さな酒場に来た理由が分からず、混乱していた。
それは少女も例外ではなく、戸惑い、兵士と客、店の者の間に目をやるしかなかった。
それも次の瞬間には固まることになる。
なんと、舞台の上にいる少女を兵士の一人が指を指しているではないか。
舞台には少女一人しかおらず、周りの者達も訳が分からないまま指の先の少女をただ見る事しかできなかった。
「あの少女です。」指を指している兵士はそう言った。
辺りはシンと静まり返っており、その声は響いた。
すると、一人の兵士が前に出て口を開いた。「敵国の歌を歌い市民を惑わした罪及び、スパイの容疑で処刑に処す。」その言葉に皆絶句する。
ただ歌を歌っただけで、そう口に出さないが皆が思った。
当の彼女は理解ができず、息が詰まった。
今少女がいる帝国は王国と戦争していた。
その為、スパイはすぐに処刑するのが当然の時代だったのだ。
ただの歌でも王国に憎しみを持たなければいけない時に、歌と言えど親しみを持つのは禁止されるほどのものだったことをこの時に知った。
しかし歌には親しみがあるが、一般市民である彼女にとってスパイとは縁遠い存在だった。
そうしている間に兵士が近づいて、体を拘束されてしまった。
自分のことのはずなのに、他人のことのように思えた。
ただ、流されるまま身を任せる事しかできなかった。
本当は叫びたかった。わたしはスパイじゃないと、それも恐怖に喉が震えて声が出ず、荒い息しか吐けなかった。
そうこうしている合間に気づけば牢屋に入れられ、絶望で座り込んだ。
だが、今牢屋ということはまだ処刑まで時間があるはず。そう思うことで少しだけ余裕ができた。まだ恐怖で震えるのは止まらないけれども。
すると途端に家族の事が気になり始めた。
父は、母は、弟は、無事なのだろうか。
気になると落ち着かなくなり、誰か、と叫んでも返事は返ってこず、誰も来る様子はなかった。
しばらく鉄格子を掴み、獣のように揺らし、叫び続けた。けれどもやはり人の気配がしない。
他にどうすることもできなくなり、暗い気持ちがじわじわと蝕み涙が溢れ、嗚咽が漏れた。
家族まで飛び火していないだろうか。
彼らも同じように捕まっていないだろうか。
考えたくないが、処刑されるなんてことは・・・。
厳格だが家族想いの父、何かあったら優しく包んでくれる母、最近反抗期ぎみの弟。
わたしの大切な家族皆に迷惑をかけてしまうことが死ぬより辛い事に思えた。
しかし家族を想ううちに、家族が少女の歌は聴くと元気になるといつも言っていたことを思い出した。
震え、泣きながら、枯れた喉を唾で濡らしようやく歌い出したのは、明るい希望に溢れた歌。
それはやがて少女の心を軽くした。
それから彼女は明るい曲ばかりを選び、疲れて眠るまで続いた。
次の日、少女の処刑は行われた。
朝起きて連れ出されても恐怖で押し潰されそうになりながら明るく歌った。
気が狂ったかのように思われたかもしれない。けれど止められなかった。止めたくなかった。
「これよりエーテル・フォレスターの処刑を執り行なう。」
少女の名前と罪状をつらつらと述べ、処刑人が少女に斧を振るう。
首をはねられる瞬間まで少女は歌う。
希望と繁栄の歌を。
こうしてエーテル・フォレスターは死んだ。
少女の死は色々な人々に影響を与えた。
その処刑の場にいた売れない画家はその少女の絵を生涯描き続けた。途中で徴兵され戻ってきてもずっと描き続けた。
その画家の名はオリオ・レガット。後に彼の作品は高い評価を得る。
そして少女の処刑のシーンを幾人もの画家が描く事になる。
帝国が王国と周辺国に敗れ、平和な時代になった時、少女の悲劇は吟遊詩人によって広まり、人々は悲しんだ。
そして、芸を嗜む愛好家達による訴えで、国際法に芸は例え戦時中でも国境を越える事を許す法ができる。
もし、その法を破る国がいたら経済制裁が行われることになる。
戦争中に経済制裁を周りの国からされたらあっという間に形勢が落ちてしまう為に効果的であった。
そんな世界に影響を与えた少女の家族はというと父親は戦死し、母親と弟は二人を失い悲しみに暮れながら慎ましく暮らしたという。