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プロローグ
頰が痒かった。
虫に喰われたか、理由もなく起きるものか。
放っておけば、いずれその感覚も消えるだろう。だがそれは消えるどころか、増すばかりだ。
仕方なしに重い腕を持ち上げる。
ギィシギィシ、ジャリジャリ……頭の中で軋んでいるような金属音が鳴る。
既に鬱陶しさを感じるときは超え、ただの音だ。
ラタシアは黒ずんだ指先で頰を掻く。
その簡単な動作で、爪がポロリと落ちた。
落ちた爪も黒く、黴と埃だらけの床の上で見分けがつかないほどだ。
だが、ラタシアの口から久方ぶりの声が漏れる。
ーーーーあぁ。ようやく。
神の愛を感じたときの聖女のような光悦の吐息。
もうすぐ「今のわたし」は死ぬだろう。。
安堵したように、壁に預けていた背を横たえる。吸い込まれるように意識が遠のいていく。
明日の朝、看守は笑んでいる私の屍体を見つけるだろう。
その慌てた様子が見られないことは、少し残念だ。
「トゥーラ、エヌール、フィン」
最期に神へのことばを吐いた。
「あいつ」への恨みと……できることなら、「次の私」は安寧であらんことを祈って。