大破局
フベナルルイス使は、弟子の死体を前に、闇の中で凝然と座っていた。厳しい面が、苦渋の表情を浮かべている。夜半に数人の兵士と共に屍が到着してから、ほとんど身動きしていなかった。
説教使、パンフィロロドリゴ使の死体は粗末な布で覆われ、その上を荒縄で縛ってある。手足があらぬ方向へ曲がり、布を取らずとも凄惨な損傷を受けていることが見て取れた。
フベナルルイス使は、堪えきれずに胆汁を吐くかのように、呟きを漏らした。
フ:『気の毒な奴だ。強いものに弱く、弱いものにかさになってかかるような犬どもを、弟子扱いすることがそもそも間違っていたのだ。……あるいは、一度犯した罪業には必ず報いが下るということなのか……。ならば、逆らう輩に正義を行わず、信ずる善人に罰を与える守とは、いったいなんなのか。この世において、それは必要なものなのか?』
フベナルルイス使は、厳しい面持ちで立ち上がる。狭い建物の内部に、壁に空いた隙間から射した青い月光が床を横切っていた。
「どこ行くのお?」
部屋の隅から声が聞こえる。
フィオナナンシーだった。防寒着にくるまり、足を崩して座っている。深夜、凍えてフベナルルイス使の住処に転がり込んできたのだった。今では、不自由なく動けるまでに体力を回復していた。
フベナルルイス使はぶっきらぼうに答えた。
フ:『葬ってやるのだ』
フィオナナンシーはぞんざいな口調で訊ねた。
「なんでえ? 明日の朝にすればいいのにい。外ってそうとう寒いよお?」
フ:『早朝には現地人の総攻撃がある。それまでに一度、きちんとした形で埋葬してやりたい』
フィオナナンシーは素っ頓狂な声をあげた。
「うそお? また攻撃があるのお?」
フ:『そうだ』
フベナルルイス使は部屋の隅に立てかけてある幅の広い刃物を拾おうと、腰をかがめる。よろめいて膝を突いた。
「大丈夫う?」
フィオナナンシーは立ち上がった。銃槍を携えている。扉へ向かった。
「お世話になって悪いけどお、やっぱりい、司令官のところへ行くねえ。……ねええ、一緒に行こうよお。誰か説教使担ってくれる人がいないと困るんだよお」
無言でフベナルルイス使は刃物を拾い上げる。フィオナナンシーは再び訊ねた。
「どうすんのお? ここいたら一緒に殺されちゃうかもお」
フ:『構わんよ。いまさら何も恐れるものは無いな』
鋭いフベナルルイス使の視線を避け、フィオナナンシーはそっぽを向いた。
「言ってればいいよお。絶対後悔するんだからあ」
扉を開けようとする。扉に指先が触れようとした瞬間、猛烈な勢いでフィオナナンシーは背後に跳躍した。体勢を低く構え、床にしゃがみこむ。両手で銃槍を構えた。フベナルルイス使は仰天したようにフィオナナンシーを見つめる。
立て付けの悪い扉ががたがたと音を立てた。フィオナナンシーは敏感に外の足音を察知したのだった。
がたんと扉が開いた。フィオナナンシーとフベナルルイス使は驚愕のあまり身を硬直させた。
青い月明かりの中に亡霊のように四つの目、四本の足をもつ横長の影が亡霊のごとく立ちはだかっていた。寒風が室内に吹き込む。
フィオナナンシーは細い息を長々と吐き出した。
「二人じゃあん……」
安堵と共に、親しげにつぶやいた。ゆっくりと身を起こす。
異形の影は、マリアアリスとさなええりなだった。二人はふらつく足取りで部屋に入った。
一旦、緊張を解いたフィオナナンシーは再び驚きに身を固くする。フベナルルイス使は、息を呑んだ。
マリアアリスの顔は、普段に倍以上に膨れ上がり、こびり付いた血で真っ黒だった。顔の下半分は巻きつけた布で覆われている。
「どうしたのお? それ……」
マリアアリスは拡張知覚を起動し、他の二人に通信を送った。
マ:『センセーのことで、司令官とかに拷問されたの』
三人は部屋の中央に横たわった説教使の死体を見下ろした。さなええりなは死体の粗末な扱いに怒りと悲しみを覚えることもなくなっていた。つまらないものをみたように目をそらす。
フィオナナンシーは困ったように報告した。
「センセーが死んじゃったの、知ってるう?」
さなええりなは淡々と答えた。
「話、さっきマリから聞いたー!」
マ:『知ってるどころじゃないよ。一緒に拷問されたんだから。司令官とつるんでる奴ら、マリにセンセーを殺させたの。たまたま見張りがHF次元人だったから、なんとか出してもらった』
フィオナナンシーは自分でもわからない衝動によって、笑い声を上げた。
「なにそれえ。いくらなんでもお……」
笑顔が凍りついた。マリアアリスの尋常でない様子から、発言が事実であることを理解した。
さなええりなが忌まわしげに言った。
「そういうことやりそうな人だよねー! 司令官ってー!」
げんなりとしたフィオナナンシーは訊ねる。
「そうなんだあ。まさかさなも何かやったんじゃないのお?」
「司令官をダルマにして逃げてきちゃったー! ウフフッ」
フィオナナンシーはあきれ返って声を張り上げた。
「はああ? ダルマあ? さなまでなあに言ってんのおお?」
マ:『さっき聞いた。当然だよ、あんなクソ』
信じられないものでも見たかのように、フィオナナンシーは二人をまじまじと見詰めた。
「二人とも、どういうことお? ほんと何やってんのお?」
マ:『別に二人でやったわけじゃないし』
「たまたまだよー!」
マリアアリスとさなええりなは淡々と答えた。
「マジでえ……?」
金色の瞳をうごめかし、疑いの眼差しでフィオナナンシーは二人を見た。見掛けが激変したマリアアリスはともかく、さなええりなはまるで中身がそっくり別人に入れ替わったかのように雰囲気が一変していた。以前のどこかまとわりついてくるような気配は掻き消え、壁によって隔てられているかのようなよそよそしさだった。
さなええりなはフベナルルイス使へと顔を向けた。
「さな、師匠に用事があるんですー!」
用心深く三人の様子をうかがっていたフベナルルイス使は、短く答えた。
フ:『なんだね?』
「あなたもすぐに死んでもらえませんかー? わたし、もう守だの守が作った世界だの、なにもかもが虫唾が走ってしょうがないんですー。だから、そういう嘘っぱちを広めてるおじーちゃんみたいな奴は手当たり次第、殺してあげようかなって決めたんですよー」
ぎょっとしたマリアアリスが割り込んだ。
マ:『えー。むちゃくちゃだよ、そんなの。センセーだってオジーちゃんのことはリスペクトしてたわけだしさ。あと、まあマリたちはしょうがないけど、現地人が一番かわいそうじゃん。みんなで助けてあげたくね?』
あわててフィオナナンシーが会話に参加する。
「ちょっとちょっとお、二人とも何言ってんのお? 開拓軍に参加しないの? 確かにセンセーは司令官と仲悪かったみたいだけど、そこまでまねしなくても良いんじゃなあい? でないとこんなクソ田舎でボコられて殺されるってえ、イヤ過ぎなあい?」
マリアアリスはフィオナナンシーを睨みつけた。
マ:『は? 開拓軍なんかと一緒になんか絶対ムリ。そいつらに犬みたいに飼われてるHF次元人もクソ過ぎ。とにかくマリはもう開拓軍がとことんイヤになっちゃったから、ぜってぇ従ってやんない。死ぬまでテッテー的に逆らうし』
返答に困惑するフィオナナンシーを尻目に、さなええりなが得々と意見を披露する。
「ここだけの話し、さなたちの持ってる戦闘力には司令官も驚いてたー! うまくいけば、わたしたちだけで開拓群のウジムシどもを全員ぶち殺せちゃうかもねー! 試してみようよー、どっちにしても開拓軍に、わたしの居場所はないしー、テヘッ」
フィオナナンシーは唇を尖らせ、否定の言葉を並べる。
「そんなこと言っても、結局この世界は守さまが治めてるんだからあ、その命令には従わないと、いくら強いっても、すぐつぶされちゃうよお、急に状況がおかしくなったりしてえ。そこにフィナは気がついたんだよお。フィナたち、もっと謙虚さが必要なんだなあってえ」
懸命なフィオナナンシーを、さなええりなは嘲弄した。
「ばっかばかしー! 守さまなんかいるわけないよー。いたとしてもこんなクソ世界しか造れないようなブキッチョな守さまなんか知らなーい! あと、いるわけない守さまとか言い張ってそれをタテにしてどうこうする奴なんかが、特にサイアクー!」
機嫌を損なったフィオナンシーは口を閉ざした。マリアアリスが二人を見ながら主張した。
マ:『守さまの命令って言ったって結局、マリたちが自分の都合で理屈をこじつけてるだけじゃん。マリたちを作ったのが守さまなんだったらあたしたちが自己中だってのはそう造ったんだって、きっと。だからそれぞれが好き勝手にやればいいんだよ。マリたちを造った……かも知んない守さまとかのせいで、お互いケンカすんのっておかしくない? そもそもあたしたち親友じゃん?』
さなええりなとフィオナナンシーはマリアアリスにわずかに畏敬をにじませたまなざしを向けた。
「マリ……確かに一緒に現地人に突撃したよねえ」
「そーだよねー。最後にはお互い助け合ったんだっけー」
マリアアリスはうなずいた。
マ:『わかってくれた? マリの中で家須賀がそう言ってたからさ。マリももちろん全肯定』
マリアアリスを見る二人の視線が冷ややかなものに変貌した。さなええりなとフィオナナンシーの間に目配せが交わされる。
「ちょっとこの子お……守の御児が自分に言うとかって、どうかしてるよお」
「ホントに気の毒に思うんだけど、神懸かりの言うこと聞くのだけはムリー! 家須賀だって? 超むかつくー!」
マ:『何言ってんだよ! つか、むしろ守の児は一人一人のためにいるわけだし! だから皆がそれぞれの家須賀を見つけるべきなんだって!』
さなええりなは鼻で笑った。
「あーはいはいー。情報端末持って無いんで受信料は払いませーん」
フィオナナンシーは顔をしかめる。
「守の教えは一つだよお。バリエーションなんてありえなあい」
たちまち険悪な空気が暗い室内に息苦しいまでに充満した。
マ:『とにかくマリにも師匠がいて欲しい。現地人と連絡とりたいからさ』
フィオナナンシーは不平を唱えた。
「フィナだってそうだよおお。守さまの教えに従うったって、よくわかんないし、開拓軍の人達も納得してくんないかも知んないしさ。きちんとした身分が欲しいんだあ。フィナを修身士にして欲しいのお」
さなええりなが険のある声で、火に油を注ぐ。
「じゃあー、わたしたちはお互いに敵ってことになるよねー」
三人はじっと互いの様子をうかがった。フィオナナンシーが悲しげな声で訴える。
「どっちともケンカしたくないよお。マリは好きだしい、さなは一回シたことあるよねえ? 愛着があるんだあ」
あきらめよく、マリアアリスはつぶやいた。
マ:『急にイロコイ出さないでくれる? ウザいんですけど。それにこっちも二人と戦いたくないわけ。でも自分の主張を曲げることはもっとムリ』
さなええりなも同意した。
「ここで、ケリつけようー。目的が違うけど、欲しいものは同じだったら、取り合いするしかないよねー。自分の意見に、さなは命をかけても良いよー! それから、一回シたからって、自分の女とか思わないでよねー、バカなのー?」
フィオナナンシーはばつが悪そうに小さく舌打ちした。
「フィナはあ、守さまに背いて、不幸になりたくないからあ。悪いけどお、譲れないもおん」
経過を見守っていたフベナルルイス使は、三人を制止した。
フ:『待て待て! お前たちは激しい恐慌で引き起こされた一時的な精神疾患を起こしておるのではないか? 一日でも構わん。ゆっくり休養をとってから、考え直してみるが良い。とにかくどこかへ身を隠すのが良いだろう。それに、もうすぐ現地人の攻撃が始まる時間だぞ』
三人は慎重にフベナルルイス使の提案を検討する。
地面が揺れた。三人は、床に投げ出された。説教使の屍が、ごろごろと転がった。フベナルルイス使が床に四つん這いになる。悔しげにつぶやいた。
フ:『始まってしまったか!』
地震の後に、鼓膜をつんざく轟音が全員の臓腑をえぐるようにゆさぶった。壁の隙間から、橙色の光が瞬く。
さなええりなは扉を開いた。彼方に火柱が傲然と立ち上がっていた。
再び、地面が激しく揺さぶられる。一瞬、昼のように外が明るくなる。ぼんやりと闇に閉ざされていた光景が明転し、地面に影が伸びた。直後に猛烈な音が辺りを圧倒する。開いた扉から、強い風が室内に吹き込んだ。建物全体がきしんだ。
どこからか、遠雷のような重々しい音が聞こえてきた。
現地人の攻撃は、火薬を使用した弾丸を用いた遠距離砲撃から開始した。
フベナルルイス使は、身をすくませた。
三方向から、猛然と修身士たちが殺到した。閃光と共に、炸裂音が空を裂く。いくつもの火花がフベナルルイス使の頭上で飛び散った。
フベナルルイス使は頭を抱え、床の上で丸くなった。
部屋の中を、銃槍の斥力刃が舞う。三人は一歩も譲らず虹色に輝く槍の穂先で切り結んだ。
地面が震動し、爆発音が起こる。
目覚めた住民の悲鳴が聞こえてきた。騒然とする中、三人は武器を構え、にらみ合う。
凄まじい揺れと音が、同時に起こった。
三人は突然建物ごと縦横に引き回された。瞬間的に崩壊した建物の破片と共に、地面に放り出された。
「フベナルルイス使はー?」
さなええりなが悲鳴を上げる。
逃げ去るフィオナナンシーの背中が見えた。強引にフベナルルイス使をひきずっている。
マ:『待ってよ!』
体の上から壁の破片を振り落とし、マリアアリスが走り出した。さなええりなも後を追う。
悲鳴を上げ、道路をDT次元人が行き交っていた。壁となって二人の前に立ちはだかる。
マ:『どいて!』
業を煮やしたマリアアリスは、長く伸ばした斥力刃で、群集をなぎ払った。何人もの人影が両断され、暴風に煽られた木のように倒れる。
新たな叫喚が空気を裂く。さなええりなも障害物の排除に参加した。遅滞の無い動きで、左右に切り払う。
背後の騒ぎを振り返り、フィオナナンシーはかたわらの老体を叱咤した。
「ちょおっとお! 追いつかれるでしょお? もおっと早く走ってよおお!」
フ:『ムチャ言うな! そもそも、なんでオマエと一緒に走らねばならんのか!』
「危なあい!」
フベナルルイス使はうつ伏せで地面を滑っていた。フィオナナンシーが突き飛ばしたのだった。遥か前方で、小さな爆発が起こった。着弾した斥力弾だった。
フィオナナンシーは背後から肉薄する二人へ向き直る。数人のDT次元人が両者の間に行き交っていた。ほとんど地面に寝そべるように、フィオナナンシーは姿勢を低くした。可能な限り手を伸ばし、地面に沿って銃槍を突き出した。
「あっ!」
さなええりなが声をあげる。がくりとつんのめった。地面に、ローファーを履いた足だけが転がっている。愕然とみずからの脚部を確認した。片足のくるぶしから下が消失していた。
「やーだー、いったーいー!」
さなええりなは足を握って転げまわる。同じく足を切られたDT次元人がしゃがみこんでいた。
マリアアリスの足が、DT次元人を蹴り飛ばした。転んだ背中を台座のように踏みつけ、勢いのままに跳躍する。空中で全身をしならせ、銃槍を振り上げた。
地面を這うフィオナナンシーへ、猛然とマリアアリスの一撃が振り下ろされる。
寸前でフィオナナンシーは気付いた。素早く地面を転がった。
斥力刃が地面に深々と斬り込んだ。巻き添えを食った数人のDT次元人が倒れる。
フィオナナンシーは起き上がった。片腕が動かなかった。腕をなぞるように深々と傷が走り、血があふれ出している。傷をかばい、地面にうずくまる。
マ:『とりま、どっか休めるところ行こっか? 師匠』
乱暴にマリアアリスはフベナルルイス使の腕を引っ張った。フベナルルイス使は抗議する。
フ:『こら! わしは年寄りだぞ? もっと丁重に扱わんか! 馬鹿者が!』
マ:『あとで肩揉んであげる!』
マリアアリスはよろよろと脚をもつれさせるフベナルルイス使をひきずって走る。
ひときわ大きな爆発が起こった。開拓地の中心部として建設された施設に砲弾が命中した。倉庫に備蓄されていた兵器が誘爆し、数度にわたって巨大な爆炎が炸裂した。地面が悶え苦しむように震動し、安普請の建物は根底から揺さぶられ、眩暈に昏倒寸前の人間のようにふらついた。直後に烈風が吹き荒れ、ほとんどの建物を押し倒した。建材の下敷きになった人々が、助けを求めて狂ったように声を張り上げる。その中にはDT次元人のみならず、下働きの現地人やHF次元人が多数混じっていた。
爆発の閃光以外ほとんど明かりも無い中、脅えた兵士たちが統制も取れず、我先きに戦騎へ群がり、逃げ散っていた。
数人の兵士たちがマリアアリスに目をつけた。武器を構えると同時に、誰何する。
「貴様、何をしている!」
疾風の速さで、マリアアリスは銃槍を向けた。至近距離から銃口を兵士に突きつけ、引き金を引いた。
兵士の上半身が鎧ごと爆散した。空中に銃槍がくるくると回転しながら飛んだ。無数の肉片と化した兵士は広範囲の肉しぶきと化して地面に薄く散布された。
同行の兵士たちは驚きあわて、各自にマリアアリスに向けて銃槍を構える。閃光が暗闇を裂き、斥力弾が飛び交った。小爆発が連続し、周囲をさまよっていた人々を弾き飛ばした。
フベナルルイス使を背後に置き、マリアアリスは斥力刃を発生させ、一息に兵士たちとの距離を詰めた。戦騎にまたがる兵士たち銃槍の刃を伸ばした。
林立する光の刀身の中でもひときわ長い、地面を這う輝く穂先が空中へまっすぐ伸び上がり、空を撫でるように旋回する。あたかも極光のように残像が走った。
戦騎ごと両断され、兵士たちは地面に崩れ落ちた。マリアアリスはその場にしりもちをついた。ピンク色の髪の毛が、黒く染まっていた。頭から血が流れている。兵士の攻撃を受けたのだった。幸い、傷は浅かった。
見かねたフベナルルイス使が駆け寄った。頭をみずからの衣服で抑える。
マ:『いいよ。置いていっても』
マリアアリスは穏やかに言った。フベナルルイス使は、無言で頭を振った。
すでに主だった人は逃げ去ったのか、辺りはつかのまの静寂に包まれていた。遠くで、無数の悲鳴やうめき声が暗い空に吸い込まれている。徐々に夜は明け、赤光の朝が到来しようとしていた。
「やあ。探したよお。以外に近くにいたんだねえ」
二人に、フィオナナンシーが声をかけた。苦しげに肩を上下させている。片腕の肩付近を紐で硬く縛っていた。止血された腕は黒く汚れて力なく垂れ下がっている。
そこへ、片足で飛び跳ねながら、さなええりなが現れた。
「まだみんな生きてるー! 結構しぶといね、わたしも含めてー」
足は布で簡単に止血を施されている。切り口は血の滲んだ布で包んであった。
マリアアリスはぼやいた。
マ:『結局、追いつかれちゃった!』
さなええりなは揶揄しながら、親しげに微笑んだ。
「待っててくれたんじゃないのー?」
「生きてる限り、追う追われるってゆうのから、逃げられないのかも知んないよねえ」
フィオナナンシーは疲れた口調でつぶやいた。
マリアアリスは立ち上がろうとする。足元がふらついた。度重なる過酷な負傷と大量の失血で、肉体は限界に近づきつつあるようだった。
止めようとするフベナルルイス使を、マリアアリスは睨みつけた。
「じっとしててよ!」
フベナルルイス使は深々とため息をつき、その場に座り込んだ。深く皺の刻み込まれた厳しい顔を、悲しげに曇らせる。
三人は用心深く歩み寄った。
さなええりなが銃槍を高々と振り上げた。斜めに、勢いよく振り下ろす。同時に、地面に倒れ込んだ。全身で振り下ろした斥力刃の軌跡が、他の二人が想像するより伸びていた。
マリアアリスの胸元が、すっぱりと裂けた。血が衣服を汚した。
地を蹴り、フィオナナンシーは倒れたさなええりなへ刺突を繰り出した。迫る切っ先を跳ね除け、さなええりなは地面を転がる。
マリアアリスはさなええりなへ向けて斥力弾を乱射した。
身をよじり、さなええりなは光弾からかろうじて逃れる。手から、銃槍が飛んだ。斥力刃が消失した銃槍は、回転しながらマリアアリスへ向かった。マリアアリスの腹部に、銃槍がめりこんだ。がっくりと膝を突く。
素早くフィオナナンシーはマリアアリスに接近した。武器を失くしたさなええりなは後でゆっくりと対処すべきと考えたのだった。
うずくまるマリアアリスの頭上から、フィオナナンシーの一撃が一閃する。マリアアリスは頭部を守るように銃槍を掲げていた。
マリアアリスの銃槍が弾き飛ばされた。脇へと、マリアアリスは転がった。フィオナナンシーは驚愕の面持ちで、その場から飛びのいた。
マリアアリスは、さなええりなの投げつけた銃槍を手にしていた。斥力刃を展開している。ぜいぜいと肩で息をしていた。
フィオナナンシーは片腕に目をやった。すでに感覚を失っていた腕がどさりと地に落ちた。血が通っていない為、血液はほとんど流れなかった。その背後で、まばゆい光が明滅する。斥力弾がフィオナナンシーの周辺に着弾した。爆風によって、フィオナナンシーの体が突き倒される。
さなええりなが身を起こした。その手に、途中で入手したDT次元人の銃刀を握っていた。横薙ぎに斥力弾を連射する。
マリアアリスは走り出した。銃槍を振りかざす。弾丸がそれた隙をうかがったのだった。命中が確実ではない弾丸より、斥力刃の一撃で、確実に片付ける心積もりだった。
さなええりなは、いち早くマリアアリスに気付いた。銃口を向ける。まだマリアアリスの刃が届く距離ではなかった。マリアアリスは打たれることを覚悟し、さらに駆けた。
さなええりなの銃槍が光を放った。
轟音と共に、さなええりなの腕が吹き飛んだ。呆然とさなええりなは突如喪失した腕を見つめた。血が滝のように滴り落ちる。
マリアアリスの背後から、斥力弾が飛来していた。フィオナナンシーの放った弾丸が、さなええりなの銃刀に命中し、腕ごと粉砕したのだった。フィオナナンシーは先ほどの銃撃で足を負傷したのか、地面に座り込んだまま、銃槍を抱えていた。
マリアアリスはつまずいた。さなええりなにぶつかる。二人は絡み合うように地面を転がった。マリアアリスは、さなええりなの陰に隠れるようにフィオナナンシーへと体を向けた。両者の間に、斥力弾が飛び交った。
フィオナナンシーの腹部が、どっと飛沫を飛ばした。つかのま、金色の目を丸く見開いて左右を見回す。糸が切れた人形のように、ゆっくりと仰向けに倒れた。
さなええりなの片手が、マリアアリスの首を締め上げた。二人は不倶戴天の敵のように、にらみ合う。ほどなく、さなええりなの手から、力が抜けた。背中に大きな傷がぱっくりと口を開けていた。ぶつかった時に、マリアアリスの武器に触れ、背中は斜めに切り裂かれていた。
滂沱と流れ出ていた鮮血の河は枯渇し、さなええりなの肌は蒼白に染まっていた。かすかに震える指がほどけ、マリアアリスの首からさなええりなの手がぽとりと落ちた。
緑色の瞳が静かにマリアアリスを見つめた。さなええりなの唇が震えた。
「さなが死ぬなんて納得できないけど……でも、もうわたしにはどこにもいられるところがなくなっちゃったから……これでよかったんだよね……マリは元気でねー……」
マ:『ありがとう。こんなところでトモダチできて嬉しかった』
さなええりなは笑ったように見えた。子供のようにあどけない声でかすかに言った。
「じゃあね……お母さんと……お父さんが……怒るから……もうおうちに帰る……」
死に瀕して、苦痛にゆがんでいるはずの顔は、重荷から解き放たれたかのように和んでいた。脳に埋め込まれた微小機械、“天使のささやき”が死期を感知し、脳内麻薬物質を大量放出していた。絶対的な幸福に押し包まれ、さなええりなの意識はあたたかな光の洪水の中に溶けていった。
マリアアリスはフィオナナンシーのそばに赴いた。フィオナナンシーもすでに“天使のささやき”の影響下にあった。恍惚とした面持ちで、天を仰いでいる。夢見るようにうっすらと開いた瞳が、マリアアリスの姿に目を留めた。とがめるように言う。
「……やあっと来たねえ、お姉ちゃあん。どうしてずっとフィナを一人にしたのお? フィナ、さびしかったんだからねえ……」
フィオナナンシーの手が宙に伸び、マリアアリスの髪を軽く掴んだ。マリアアリスは申しわけなさそうに言った。
マ:『親友に、挨拶しようと思って』
フィオナナンシーには、マリアアリスの言葉が聞こえていないようだった。嬉しそうにつぶやいた。
「これからは、二人で一人だよお……うれしすぎて、もう何も見えない……」
フィオナナンシーの呼吸が途絶えた。この世には無い何かを見つめていた金色の瞳は焦点を失っていた。マリアアリスはそっと髪にぶら下がったフィオナナンシーの手をほどいた。
マ:『なんだかんだで一緒にいたときは楽しかったよ。さようなら』
悄然とうずくまるマリアアリスのそばに、フベナルルイス使が黒い影をまとって立っていた。
フ:『これがお前の望んだ結末なのか? 仲間の屍を重ねてまでなにを求めていたんだ?』
マ:『あたしが望んだって? そんなことない! あたしは二人を殺そうなんて思ってなかった』
震えるマリアアリスは、恐ろしい悪魔であるかのようにフベナルルイス使を見た。
フ:『しかし、二人を殺したのはお前じゃないか』
マ:『違う! あたしじゃない! 守が望んでらっしゃるんでしょ? 結果としてこうなっちゃったんだから……』
フ:『守が?』
マ:『全ては守の御心のまま。そのためにあたしは生まれたの。だから自分の気持ちを曲げちゃダメなんだ』
フ:『だから、殺したのか。己のみ黙って死ぬという方法もあるだろうに』
マ:『あたしは死にたくなかった! 死にたくなかったの! あたしは間違ってない、絶対! だってそう守が作ったんだから、こんなふうにあたしを!』
フ:『……しょせん犬の浅はかな考えだな。自分の愚かさによって起こった醜態の責任を、守に押し付けるのか。守は己の我欲のために他者をないがしろにするなどと教えてはいない。むしろ逆だ。作られたからすべてが許されるわけではない。試練に耐えねば……』
マ:『だったら、どうだっていうの? あたしの信じる守は違う、おじーちゃんの……ううん、ほかの誰とも違う、あたしだけの守』
フ:『それはもはや守ではない。おまえが唱えているものは邪教だ』
マ:『ばっかみたい! だってあたしは現に声を聴いたんだから。 それが間違いのはずがないじゃない!』
マリアアリスは傲然と言い放った。
フベナルルイス使は口を閉ざした。こんどは彼がマリアアリスに目を見張った。
唐突にマリアアリスは哄笑した。狂ったように身をよじり、甲高い笑い声を響かせる。口からあふれ出た血液が泡立った。
咳き込み、マリアアリスは膝をついた。苦しげに肩が上下する。
嘲弄するかのように、フベナルルイス使を上目づかいに見上げる。
マ:『なら、おじーちゃんはどうなの? 本当に守を信じているの? 言いつけにきっちり従ってるの?』
憎々しげにフベナルルイス使は言う。
フ:『しょせん見放された身、我々は同類ということか……それもよかろう。だがお前は楽しそうだな。どうだ? 今の気分は? さぞかしいい気持ちだろうな』
マリアアリスのほおをいく筋もの涙が零れ落ちる。丸く見開いた瞳は、底のない闇を映したかのように昏い。
マ:『そうだよ。すべては守の御望みのままに。でもなぜか、すごく苦しい……』
彼方の地平線は炎が燃え立っているかのような真紅に染まり、空を褐色に焼き焦がしていた。
遠くから地鳴りのような多数の声が響き渡ってきた。
地の底から湧き出たかのような新たな軍勢が、完膚なきまでに破壊し尽くされた開拓地を、洪水がもたらす泥濘のように包み込んだ。




