鉄仮面とチョコレート
何を考えてるのかわからない人間というものは、誰の周りにも存在すると思う。
突然訳のわからない発言をして回りの空気を凍らせたり、何を言っても無表情で表情の変化に乏しかったり、言動を発する前に行動で言葉を代弁しようとしたりと、例を挙げるならきりがないと思うけれど、典型例はこんなこところだろう。なのにそういう人間は逆に愛嬌があったり、不思議と笑いを誘ったりと存外高感度が高く、意外と付き合ってて悪くない奴が多い(あくまで俺基準なのだけど)。
唐突だけれど、俺には彼女がいる。その彼女が、いわゆる「何を考えているかわからない」というやつで、かなりの鉄仮面なのだ。不思議な話、なぜ俺が彼女の恋人になったのか経緯だってもう覚えていないし、後ろからいきなり抱き着いてみたりしても、街中で唐突に手をつないだりしても、ほとんど反応がない。それはもう、端から見たら冷え切った関係のカップルと間違えられてもおかしくはないだろう。けれど、決して彼女はそういった行動を嫌がるそぶりも見せないし、逆に無表情で甘えてきたりもする。可愛いといえば可愛いが、やっぱり訳がわからない。だから今回、こうした話を書くけれどほとんどが俺たちの日常風景に変わりないし、反応の薄い彼女に飽きる人間も出てくるだろうが、そこは容赦してほしい。
世間がその日にそのようなネーミングを名づけたのには、チョコレートの宣伝文句のために製菓メーカーがバレンタインデーを名売って、国民の記念日同然にしたのと俺は遜色無い気がしている。現に俺だって、彼女にそう言われるまでその日のことを気にも留めたことがなかったし、考えたこともなかった。
世間は11月11日。
「……ポッキーゲーム」
机を向かい合わせにして、彼女が提案してきたように課題をお互い解きあっていると、彩はいきなりそんなことを口にして、机の中から小さな立方体の箱を取り出した。
「うん、ポッキーゲームはいいけどそれはトッポな」
「最後までチョコたっぷり……」
人の話聞けよと反射的に返してしまうが、彩は箱の封を丁寧に開くと、トッポの入った袋を取り出して、これまた丁寧にはさみで口を切っていく。窓際から差し込んでくるオレンジ色の夕焼けが、彼女の特徴的なぼさぼさした栗色の髪に反射して、よりその明るさを増していた。
「……今日は何の日でしょう?」
彩は口元にトッポを当てて、首を傾げる。
「11月11日な。文化祭のちょうど10日後だ」
「……何の日でしょう」
「お前それ以上首かしげると横に大回転するぞ」
ぐぐぐ、と小刻みに動く歯車のように彩の体が持ち上がり、再び俺の前で「何の日?」と聞き、「1がいっぱい」と言いながら両人差し指を立てた。いや、知らねえよ。
「1がいっぱいです」
「そうだな」
「だからポッキーの日です」
「そうなのか。でもお前が持ってるのはトッポだな」
「トッポ……トッポ……トッポの日です」
「無理やり捏造しただろ」
そういうと彼女はトッポの先を少しだけ加えて、口を頬杖をつく目の前の俺のほうへ向ける。
「ポッキーゲーム……」
「いやいやいや待て、ここ学校だぞ。大体どこでそんなの学んだんだ」
「関川さんたちが教えてくれた」
またいらないこと吹き込みやがってと内心で、悪戯心の権化とも取れる関川のポニーテールを思い浮かべ、俺は嘆息する。こうして恋人同士ではあるけれど、彩は恋愛沙汰については非常に疎く、聞くこと聞くことをすぐ実践に移すせいで頭が痛い。現に、トッポを取り出してからも彼女の頬や垂れ気味の瞳は微動だにせず、トッポの先端を揺らす。
「……やろ?」
だが現に、首を傾げながらせがむ彼女を放ってはおけず、俺は再び深く嘆息した。
カリッ。
小気味良く音を立てて、両端のトッポがかじられていく。ふと目を上げると、視線の先には前髪に少しかかった彼女の垂れた目線が一線に俺のほうを向いていて、反射的にそらそうになるのをなんとか抑えようとした。口と口の間でトッポが揺れあったり、お互い引っ張り合いそうな加減が地味に難しく、チョコレートの甘みを感じている余裕があまりない。
カリッ。
二口目を噛むと、より彼女の顔が近づいてきて、動悸が早まる。彩ってこんなに顔小さかったっけとか、睫毛が思ったよりきれいに整っているとか、そうした彼女の顔を改めて見るたびに、耳や顔中が熱くなって、赤みが彼女に見られていると思うとそれが一層深まる。
「……へれへる?」
「ふっはい」
彼女は目で疑問符を投げかけてくるけれど、俺は見ないふりをして、三口目、四口目を口にする。半分以上食べ終えたところでようやく、俺は周囲の目を気にし始めた。窓の向こうからは、野球部や陸上部の掛け声が響いてくるけれど、ほかに誰もいない廊下や、教室の閑静が異様にすら感じ始められた。今のこの空間を伝って、心臓の高鳴りが彼女に響いてないか、それのほうに気が行ってしまう。
カリッ、と小さく音がすると、彼女の表情がまた近づいた。鉄仮面。こうした状況でも、彼女の表情は微動だにしない。感覚神経逝かれてるんじゃないかと思うほどに彼女は、俺の感情を汲み取ろうともせずに眉をひそめ、容赦なしでもう一口――
ぶつかりそうになる。
彩の唇は、もう俺の寸前まで来ていた。乾燥を防ぐために塗られたリップクリームの効果なのか、ひび割れのない彼女の唇は瑞々しく光っていて、視線をずらすのに精一杯になる。お互いに前のめりになっているせいで、上半身を支える手が崩壊したら終わりだぞと思案していると、
「あっ」
彼女の声が小さく漏れ、食べかけのトッポが落ちる。
けれど、世界の物理学的な法則はそのままで俺たちを終わらせようとせず、彼女の前のめりになりすぎた体が俺のほうへ飛び込み、そのとき唇の先に柔らかく、ふんわりしたものが重なった。たった数秒のことが、あまりに長い時間に感じられた。時計の針が刻む音すら聞こえなくなる。彼女の吐息と、チョコレートの濃厚な甘みが唇の先から全身に伝わって、思考すら間々ならなくなる。
「……甘い」
前のめりになった彼女が身を起こして、胸元についた消しカスやプレッツェル生地の粉を払っている間も、彼女の表情は何一つ変わらなくて、呆然とした俺が馬鹿みたいに思えてくる。
「瑞希の味、甘いね」
そこで少しだけ彼女は頬を持ち上げて、髪を揺らした。思考が追いつかずに、これがはじめての彼女とのキスだということをなかなか受け入れられそうにない。
「……また、やろうね」
そう言うと彼女はカバンにトッポの箱と開けかけの袋を仕舞い、俺の頭をもぐらたたきのように平手で叩いていく。鉄仮面。そればかりのワードが浮かぶけれど、どこか満足そうな表情を見ていると、なんだか呆然としている俺のほうが馬鹿みたいに思えてきて、俺は三度目の深いため息をした。
初めてのキスのときくらい、もっと可愛い顔しろよなどと彼女に聞こえない位の悪態を付くと、帰り支度をした彼女が俺の横を過ぎる間際に、少しだけ頬を赤らめて微笑んだ気がした。
ポッキーゲーム経験ありません!!!!!!
どんな感じなんでしょうね。完全に妄想です。
鉄仮面で表情を変えない彼女もかわいいと思います。
読んでいただきありがとうございました。