ボトルメール
顔も知らない彼女と文通をするようになったのは偶然からだった。
ある日私は、日課である朝の散歩で自宅近くの砂浜を歩いていた。
その日もかわらずぼんやりと寝惚けたようなままゆっくりと砂浜を歩いていた。
そうして歩いていると、ふと足元のビンが目に付いた。
恐らくどこからか流れ着いたのだろう。普段なら特別目もくれないだろうが、そのときは何かがビンのなかに入っていることに気がついた。
足元のビンを拾いあげてよく見てみると中に入っているのはどうやら紙らしい。
そこでピンときた私は手に持っているこれがボトルメールだと気がついた。
存在は知っていたが、実物を見たのは初めてだった。
ビンのふたをあけ、中の紙を取り出してみると、やはり入っていたのは便箋だった。
そこにはこう書いてあった。
『はじめまして。
この手紙はどこかへ届いたでしょうか。
どこかへ届くことを祈ってこの手紙を書いています。
どこかでこの手紙を読んでいるあなたへ。
あなたは運命を信じますか。
私は信じています。
ただ、今まで運命というものを感じたことがありません。
運命ってどんなものなんだろう、そう考えたとき、ふとこれを思いついたのです。
手紙をビンにつめて、それを海に流す。そして誰かがどこか遠くでそれを拾う。
それってまさに運命だと思いませんか。
どこかでこの手紙を読んでいるあなた。
最後に住所を添えておきます。
気が向いたらでかまいません。
お返事ください。
待ってます。 ○○○○○○○』
変わった人もいるものだな、と思った。
しかし、私がこうやってこのボトルメールを拾ったことに関して少しばかり縁を感じたのは確かだ。
私もこのボトルメールの送り主に返事をだしてみるのも悪くないかな、と思った。
すぐに家に帰って、私は封筒と便箋を引っ張り出しさっそくボトルメールの送り主へ手紙を書いてみた。
『はじめまして。
あなたのボトルメールを拾ったのでお返事を書いています。
私は「運命」というものが実際に存在するのかわかりません。
しかし、私がこの偶然になにかしらの縁を感じたことは確かです。
この偶然がいわゆる「運命」というものならば、
私とあなたの間には運命による縁が存在するのかもしれませんね。
あまり長々と書いていてもしかたないのでここらで。
それでは。』
ボトルメールの送り主に返事を出してから一週間ほどがたったある日、自宅に一通の手紙が届いた。
『こんにちは。
あのボトルメールを拾ってくれた人が居て、
それだけでなく、お返事までくれるなんてまるで夢見たいでとっても嬉しいです。
拾ってくれたあなたも書いていたようにこれってまさに運命です。
急なお願いになりますが、
運命による縁をもつあなたともっと色んなお話をしたいです。
もしよかったら私と文通をしてください。
どうかよろしく。
ではまた。』
この手紙を境に彼女と文通を始めた。
大体月に二往復程度の頻度で手紙をやりとりをするようになった。
手紙の内容といえば。互いの住んでいる土地の特徴や風景。趣味。好きな食べ物。今日あったこと。未来のこと。
色々なことを手紙に書いて送った。
そして彼女のことを色々と知った。
彼女の家は海のすぐそばに建っていること。歳は私とほとんどかわらないこと。シチューが好きなこと。趣味は本を読むこと。いつかいろんな場所のいろんな景色を見に行きたいと思っていること。
本当に色々なことを知った。
彼女と手紙を交わすたび、彼女という存在が徐々に私の中で大きくなっていった。
『やあ。
元気にしてる?
もう君は気づいているかな。どうだろう。
僕と君とで文通を始めてからもう一年がたったらしい。
時間がたつのは本当に早いものだね。
君と文通を始めてから毎日が楽しみになったよ。
これからもよろしく。
じゃあまた。』
『こんにちは。
私も元気にしています。
あなたの手紙を読んで、時間の流れの早さに驚かされました。
私もあのボトルメールをあなたが拾ってくれて本当によかったと、
そう思います。
たくさんの話ができて、私も毎日が楽しみになりました。
次の手紙にはなにを書こうか。
次の手紙にはなんて書いてあるのか。
そういったことが楽しみで楽しみで。
なんだかこんなことを書くのはちょっと気恥ずかしいですね。
でもいつか、あなたと実際に会って話してみたいです。
手紙だけじゃ話し足りないことがたくさんありますから。
いつかお会いできたらいいですね。
では、お返事楽しみに待ってます。
また。』
彼女と会ってみたい。
手紙を交わすだびその思いは強くなった。
会って話したいこと。手紙では伝えられないこと。
手紙では不自由なことだらけで、思いの丈はつのるばかりだった。
私は君に会いたい。
そして――。
『やあ、急だけど君に頼みがあるんだ。
会いに行ってもいいかな。』
私は決心をして手紙を送った。
彼女に会いに行く。
そして、思いの丈を伝えよう。
しかし、一ヶ月たっても彼女からの返事はなかった。
普段なら遅くても二週間もすれば返事が届いていたのに。
彼女になにかあったのだろうか。
それとも。
彼女は私と会うことを躊躇っているのか。
この気持ちは私の一方的なものだったのか。
しかし、彼女も手紙で、私と会って話がしたいと書いていてくれたではないか。
あれは嘘だったのか。
彼女なりに気を使っての嘘だったのだろうか。
考えても彼女の気持ちはわからない。
なぜなら私は彼女と一度も実際に会ったことがないからだ。
たくさんの手紙を交わして、私は彼女の色々なことを知ったつもりでいたが、実際のところは顔も知らなければ、声も知らない。知らないことばかりだった。
運命なんてなかったのだろうか。
もう考えても仕方のないことだ。
彼女が距離をとったのなら私はそれを受け入れるしかない。
それより、起きたままの格好でいつまでもいるわけにはいけない。
まずは顔を洗わなくては――。
寝起きの重い腰を上げたそのとき、玄関の呼び鈴がなった。
こんな早くに客だろうか。
とにかく出なくては。
「はい、いま行きます」
扉の向こうに居るだろう誰かに声をかけながら扉を開けた。
すると、扉の向こうにいたのは一人の女性だった。
顔の知らない女性だった。恐らく知り合いではないはずだ。
私はその女性に聞いた。
「あの、どちら様ですか」
そう声をかけると、その女性は笑顔を浮かべてこう言った。
「大きな海を長いこと漂って、やっとここまでたどり着きました。 きっとあなたに会うためです」
女性のその一言を聞いて、私はすべてを理解した。
彼女は続けて言った。
「ずっとあなたに会いたかった」
目の前の女性は文通の彼女だった。
ふいに私は彼女に尋ねた。
「でも、なんでここに」
「あなたから手紙もらったら、どうしても会いたくなっちゃって。 準備とかに思いのほか時間がかかっちゃったけど」
「心配したよ。 手紙、全然帰ってこないから。 距離を置かれたのかとおもった」
「ごめんなさい。 でも、どうしても私から会いに行きたかったの」
彼女のその言葉がとても嬉しくて、愛おしかった。
運命は存在した。
私たちの物語は偶然から始まった。
大きな海を漂いながら、いつかどこかの誰かのもとに偶然にながれつく。
それが運命なのだろう。
私は彼女に思いの丈を伝えよう。
「ありがとう。 私は君のことが――」