表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

短編小説 「カーテンの向こう」

作者: 神門 澪
掲載日:2026/03/18

「終わった?」――その声は、カーテンの“外”から聞こえていた。


#短編小説 #創作 #架

 サイレンの音がショッピング街に響いていた。服屋の前には人だかりができ、誰かが小さな声で「試着室で……」と呟いた。その言葉だけが、ざわめきの中に重く沈んだ。店員は青ざめた顔で立ち尽くし、警察官が店内へ急いで入っていく。ほんの数時間前まで、ここはただの休日の買い物客で賑わう場所だったのに。

 ――数時間前。

 私には夫がいる。結婚して七年になる。特別に派手な夫婦ではないが、穏やかな毎日を送っていた。仕事の愚痴を言い合ったり、夜に同じテレビを見たり、休みの日には近くを散歩したりする。そんな何でもない日常を、私は嫌いではなかった。

 ある日の夜、彼がふと思い出したように言った。

「今度の休み、久しぶりに出かけない?」

 少し意外だったが、同時に嬉しくもあった。

「ショッピングでも行こうよ」

 私はわざと困ったように笑い、「仕方ないなあ」と答えた。本当は少し楽しみだった。

 休日の朝、私は久しぶりにお気に入りの服を着て鏡の前に立った。外出のためにこんなふうに準備をするのは、思えば久しぶりだった。電車に揺られてショッピング街へ向かい、服を見て、本屋に寄り、カフェで休む。そんな何でもない時間が不思議なくらい楽しかった。

 カフェでコーヒーを飲んでいるとき、彼が笑いながら言った。

「こういう休日、いいよね」

「うん、たまにはこういうのもいいね」

 私はそう答えた。彼はいつも通りの穏やかな顔でコーヒーを飲んでいた。

 午後になって、私たちは一軒の服屋に入った。店内には静かな音楽が流れている。壁には色とりどりの服が並び、奥にはいくつかの試着室がカーテンで仕切られていた。

 服を見ていると、彼が一着のワンピースを手に取った。

「これ似合いそうだね」

 柔らかい色のワンピースだった。私は少し笑う。

「本当?」

「うん、着てみたら?」

 私はその服を受け取った。

「あそこ空いてるみたいだよ」

 彼が店の奥を指さす。私は頷き、そのまま試着室へ向かった。

 カーテンを閉めると、外の音が少し遠くなる。店内の音楽と、ハンガーの触れ合う小さな音がぼんやり聞こえていた。

 私は服を脱ぎ、ワンピースに袖を通す。

「どうかな?」

 カーテン越しに声をかける。

 すぐに彼の声が返ってきた。

「うん、似合いそう」

 私は少し笑った。鏡の中の自分を見て、裾を整える。

 そのとき、背後で何かが動いた気がした。

 振り向こうとした瞬間、強い力で口を押さえられる。声が出ない。何が起きているのか理解できないまま、体が床へ押しつけられる。

 カーテンの向こうから、彼の声が聞こえた。

「終わった?」

 すぐそこにいる。私は必死に声を出そうとした。助けて、と言いたかった。けれど喉は震えるだけで、音にならない。

 体が思うように動かない。誰かに押さえつけられている。私は必死に床を叩こうとしたが、腕も押さえつけられている。

 カーテンの向こうで、彼の声がまた聞こえた。

「まだ?」

 その声は落ち着いていた。ただ様子を確認しているような声だった。

 耳元で再び声がした。

「可哀想に」

 それが、私がはっきり聞き取れた最後の言葉だった。

 思えば、なぜ今日出かけたのだろう。なぜ彼は、あの服を勧めたのだろう。なぜあの試着室だったのだろう。

 そして、あの言葉。あれは、本当に私に向けた言葉だったのだろうか。

 それとも――。

 私は、その先を考えるのをやめた。もし考えてしまえば、きっと答えは出てしまうからだ。

 私にはもう何も見えなかった。ただ一つだけ分かることがある。

 彼の声は、カーテンの向こうから聞こえていた。

休日の買い物中、試着室で起きた“違和感”。

カーテン一枚隔てた向こうにいるのは、本当に――。


初めての短編ホラー『カーテンの向こう』ぜひ読んでください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ