最終話 星の栞、時の螺旋の果てに
海斗さんのまっすぐな問いに、私は一度だけ目を伏せ、そして、静かに真実の書を開きました。
私が何者で、何故ここにいるのか。永い眠りの理由、「世界の栞」という言葉の重み。
そして、この学園の地下に眠る、私の故郷であり、墓標でもある古代図書館の存在を。
隣で息を詰めて聞いていた美咲さんは、時折「やっぱり!」「まさか!」と小さな悲鳴を上げ、海斗さんは黙って、ただ黙って私の言葉に耳を傾けていました。彼の瞳の奥には、深い理解と、そして覚悟の色が宿っているように見えました。
美咲さんのオカルト知識と、私が思い出した古代図書館の構造、そして海斗さんの現実的な推理が、パズルのピースのように組み合わさっていきます。
図書カードの裏の言葉――『星を詠む者、月の満ち欠けと共に現る。鍵は“沈黙の螺旋”にあり』。
「『星を詠む者』は、特定の人物ではなく、古代図書館のメインコンピュータ……いえ、当時そう呼ばれていたわけではありませんが、星の運行を読み取り、未来の出来事を予見する一種の神託システムのことなのです」
私の言葉に、美咲さんは「アストロ・オラクル・システム!聞いたことがあります、伝説の!」と目を輝かせます。
「そして『月の満ち欠けと共に現る』というのは、そのシステムが最も活性化するのが満月の夜であることの示唆。今日は……」
「満月だ!」海斗さんが窓の外を見て叫びました。夜空には、皓々(こうこう)と輝く満月。
「『鍵は“沈黙の螺旋”にあり』……螺旋書庫、それは図書館の最深部へと続く大螺旋階段。そして“沈黙”とは……」
私は、はっとして「第一学生閲覧準備室」の床の一点を指差しました。
そこは、他の床材と僅かに色の違う、古い石材が嵌め込まれている場所。片付けの際に気づいてはいたものの、気に留めていなかった場所。
「ここです! この部屋は、かつて古代図書館の地上へと繋がる、小さな昇降口の一つだったのです! そして、この床下には……!」
海斗さんが工具を持ち出し、美咲さんと私が息を飲んで見守る中、その石の蓋が開かれました。
ひんやりとした、古い空気。そして、下へと続く、暗く長い螺旋階段。
「本当に……あったんだ……」美咲さんは震える声で呟きました。
覚悟を決めた私たちの前には、もう迷いはありません。
懐中電灯の光を頼りに、私たちは「沈黙の螺旋」を下り始めました。
それは、まるで時間そのものを遡るかのような、不思議な感覚。
壁には、古代の文字で様々な警句や物語が刻まれていました。
その一つに、海斗さんが足を止めました。
「これ……俺の家の蔵に同じような模様の古文書があった気がする……親父が、先祖代々伝わるお守りだって……」
彼の言葉に、私は数千年前に交わした、ある若き書記官との約束を思い出していました。
『この図書館の知恵を、未来永劫守り伝えてほしい』と、私の手を握り締め、燃え盛る図書館の中で最後に微笑んだ彼の面影。
海斗さんの魂は、その時の……!
螺旋の底に辿り着いた時、私たちの目の前に広がったのは、息をのむほどに壮麗な、しかし今は静寂に包まれた大書庫でした。
天井には星々が煌めき(それは精巧なプラネタリウムでした)、中央には巨大な水晶の柱――「星を詠む者」――が鎮座し、淡い光を放っています。
しかし、その神聖な空間は、不釣り合いな機械音と、冷たい青白い光によって一部が汚されていました。
「待っていたよ、時の迷い子たち。そして……最後の司書殿」
声の主は、水晶の柱の前に立つ、銀色のスーツに身を包んだ男。
その瞳は、まるで凍てついた星のように冷たく、しかし知性に満ち溢れていました。
彼こそが、異世界からの来訪者。「知識保存院」と名乗る組織のエージェント、アルタイル。
彼らは、宇宙に散らばるあらゆる知識を収集・保存し、時に「危険すぎる」と判断した知識を封印、あるいは消去することを目的としていました。
「この図書館に眠る『世界の栞』……それは、宇宙の理すら書き換えかねない禁断のアーティファクト。我々の管理下に置くのが最も合理的だ」
彼の背後には、数人の部下と、解析用の機械が並んでいます。
「『世界の栞』は、力ではありません! それは、無限の可能性を秘めた、物語の種なのです!」
私は叫びました。
「それを一方的に管理し、選別するなど……それは、知の独裁! 図書館の精神に反します!」
「感情論だな。だが、我々には時間がない」
アルタイルが手を上げると、部下たちが私たちに銃口を向けました。絶体絶命!
その時、美咲さんが叫びました。
「待って! あなたたちの目的が知識の保存なら、この図書館の真の価値を理解していない! ここの本は、ただのデータじゃないの! 人々の想いが、歴史が、魂が込められているのよ!」
彼女は、道すがら拾っていた、古代の粘土板の破片をアルタイルに突きつけました。
「これを見て! これは、ただの文字じゃない! 数千年前の誰かが、必死に未来へ伝えようとしたメッセージなの!」
その粘土板には、家族への愛を綴った拙い詩が刻まれていました。美咲さんのオカルト知識が、それを読み解いたのです。
アルタイルの冷徹な仮面が、僅かに揺らぎました。
「……感傷だな。だが、悪くない」
彼は、部下たちに銃を下ろさせました。
「ならば、証明してみせろ。その『世界の栞』が、我々の管理を必要としないほど、価値ある形で未来へ繋がるのだと」
試練。それは、武力ではなく、知恵と意志の戦いでした。
「世界の栞」とは、特定の一冊の書物ではありませんでした。
それは、この古代図書館そのものに宿る「物語を紡ぎ、世界を動かす力」。
そして、その力を正しく起動させる「鍵」こそが、「星を詠む者」の予見と、そして……
「海斗さま、あなたのそのお守りを……!」
海斗さんが戸惑いながら差し出した古文書の栞。
それは、かつて私が、あの若き書記官に託した、「図書館の未来を託す」という印が刻まれた特別な栞だったのです!
栞を「星を詠む者」に翳すと、水晶の柱が眩い光を放ち始めました。
古代図書館全体が共鳴し、壁の文字が踊り、書架の本がひとりでに頁をめくり始めます。
私たちの脳裏に、数千年の時を超えて、無数の人々の声、物語、知識が流れ込んできました。
それは、喜び、悲しみ、希望、絶望……人間の営みの全て。
アルタイルも、その圧倒的な情報の奔流に目を見張り、やがて静かに目を閉じました。
光が収まった時、アルタイルは深い溜息をつきました。
「……理解した。この図書館は、単なる知識の貯蔵庫ではない。それ自体が、生きている物語なのだな。そして『世界の栞』とは、その物語を未来へと繋ぐための……道標か」
彼は、初めて穏やかな笑みを浮かべました。
「我々の負けだ。この図書館は、君たちに託そう」
彼らは静かに機材を撤収し、去っていきました。まるで幻のように。
全てが終わった後、私たちはしばらく言葉もなく、その場に佇んでいました。
「……守れたんだな、俺たち」海斗さんが、震える声で言いました。
「ええ。守り抜いたのです。たくさんの人々の想いと共に」
私は、涙が止まりませんでした。それは、数千年分の安堵と、感謝の涙。
数ヶ月後。
「第一学生閲覧準備室」は、正式に「古代図書館資料室兼特別閲覧室」として生まれ変わりました。
螺旋階段は安全に整備され、限られた学生や研究者が、しおりの案内のもと、古代の知恵に触れることができるようになったのです。
美咲さんは、その一番弟子として、目を輝かせながら古代文字の解読に励んでいます。
そして、海斗さんは……。
「しおりさん、ちょっといいかな?」
放課後の閲覧室で、海斗さんが少し緊張した面持ちで声をかけてきました。
彼のその呼び方は、いつからか「しおりちゃん」から「しおりさん」に変わっていました。
「はい、海斗さま。どのようなご用件でしょう?」
「いや、その……今度の週末、よかったら……新しくできたプラネタリウム、一緒に行かないか? 星、好きだろ?」
彼は、少し顔を赤らめながら、ぎこちなく私を誘ってくれました。
私のデータベースにはない、この温かく、少しだけくすぐったい感情。
これが、人間が「恋」と呼ぶものなのでしょうか。
私は、満面の笑みで答えました。
「はい、喜んで、なのです! たくさんの新しい物語を、一緒に見つけに行きましょう!」
私の役目は、まだ終わりません。
知識を喰らい、物語を紡ぎ、そしてそれを未来へと繋ぐ。
この桜ヶ丘学園の、ちょっと変わった図書館司書として。
そして、かけがえのない仲間たちと共に。
私の新しい物語は、まだ始まったばかりなのですから。
~あとがき~
皆さま、こんにちは!そして、長きにわたり『星詠みの司書と忘れられた図書館 ~数千年の眠りから覚めた栞の少女、時を越える物語~』にお付き合いいただき、誠に誠に、心の底からありがとうございました! 無事に完結の運びとなり、作者としても感無量でございます…。
この物語は、数千年の眠りからうっかり(?)目覚めちゃった、古風で可愛い「知識を喰らう精霊」のしおりちゃんが、現代の桜ヶ丘学園を舞台に、ちょっぴりお人好しな図書委員の海斗くんや、オカルト大好き元気印の美咲ちゃんといった愉快な仲間たちと出会い、学園の地下に眠る古代図書館の謎と、世界の法則すら書き換えちゃうかもしれない『世界の栞』を巡って、あんなことやこんなこと(主に本と埃と謎解きと、時々バトル!)を繰り広げる、ちょっぴりアカデミックで、でも心はほっこり温まるハートフルな学園ファンタジーでしたがいかがでしたでしょうか?
執筆のきっかけはですね、ある日の午後、近所の図書館の片隅で、ひっそりと佇む一冊の古~い洋書を見つめていた時なんですけどね、「この本、実は夜な夜な動き出して、他の本たちと秘密のお茶会とかしてないかな…。」なんていう、いつもの妄想がですね、それはもう盛大にスパークしまして!その妄想の泡の中から、ふわりとインクの香りと共に現れたのが、我らが主人公、しおりちゃんだったというわけです(笑)。知識を喰らう、なんて聞くとちょっと怖いかもですけど、彼女の「知りたい!」っていう純粋な欲求は、きっと誰もが心のどこかに持っているものだと思うんですよね。
キャラクターたちには、もう本当に親バカ全開で思い入れがいっぱいです!
しおりちゃんは、私の理想の司書さんをギュギュッと凝縮したような存在。あの古風な言葉遣い(「~なのです」「~でありますれば」とか、一度使ってみたくないですか?)、膨大な知識と時折見せる天然っぷりのギャップが、書いていて本当に楽しかったです! 彼女が人間的な感情を学んでいく過程は、なんだか我が子の成長を見守るような気持ちでしたわ…(遠い目)。
海斗くんは、現代っ子代表でありながら、古き良きものへのリスペクトも忘れない、まさに理想の相棒!彼の的確なツッコミがなかったら、この物語はただの「しおりちゃん観察日記~時々、専門用語で読者を置いてけぼり編~」になっていたことでしょう…本当にありがとう、海斗くん!彼の優しさと、いざという時の勇気には、作者もキュンときてましたぞっ。
そして美咲ちゃん!あのオカルトパワーと行動力には、もう脱帽です!彼女の情報収集能力と、時々(いや、頻繁に?)暴走する妄想列車は、物語に最高のスパイスを加えてくれました。彼女がいると、どんなシリアスな場面も、なんだかワクワクしちゃうんですよね!まさに太陽のような存在です。
この物語で特にこだわったのは、「図書館って、ただ本が置いてある場所じゃないんだよ!」っていう熱い想いを、そっと、でもしっかりと込めることでした。古い書物の手触り、インクの香り、ページをめくる音…そういった五感で感じる「本の魅力」や、知識が人を繋ぎ、時を超えていくロマンを感じていただけたら、司書作家(自称)冥利に尽きますわ!作中に散りばめた古代文字のヒントや、図書館の構造に関するマニアックな小ネタに気づいてくださった方がいたら、もう嬉しさで小躍りしちゃいます。
執筆中の裏話ですか? うーん、そうですねぇ…しおりちゃんのセリフを考えるのに、古語辞典とか漢和辞典とか、それこそ「知識を喰らう」勢いで読み漁りましてですね、その結果、日常生活でうっかり「左様でございますか」「異議なしにござりまする」なんて言葉が口をついて出そうになるという、嬉しいやら恥ずかしいやらの副作用が…。 あと、海斗くんにはもっとこう、少女漫画的なカッコイイ見せ場を!と思っていたのに、なぜかいつも美味しいところをしおりちゃんや美咲ちゃんに持っていかれがちな、愛すべき残念イケメン街道を爆走させてしまったこと、この場を借りて謝罪いたします、ごめんね海斗くん!でも、そんな君が大好きだ!
さてさて、この『星詠みの司書と忘れられた図書館』の物語は、これにて一旦閉架となりますが、私の頭の中の妄想図書館は、年中無休24時間営業でございます! 次回作の構想ですか? ふふふ、それはまだ「禁帯出」扱いの極秘情報なのですが…ちょーっとだけ囁いちゃいますと、今度は宇宙の果てにあるという伝説の「ギャラクシー・ライブラリー」を舞台に、猫型宇宙人とポンコツ新人司書が銀河の危機を救う、スペースオペラ風ラブコメディとか…あるいは、喋る魔法の羽ペンが探偵役となって、文学史に残る未解決事件に挑む、アカデミック・ミステリーなんていうのも良いですなぁ…。ま、あくまで構想は構想!ということで、気長~にお待ちいただけると嬉しいです(笑)
改めまして、この長い長い物語の最後の頁までお付き合いいただき、本当に、本当にありがとうございました!皆さまからの温かいコメントや、時には鋭い考察の一つ一つが、私の筆を進めるための何よりの燃料となりました。この物語が、皆さまの日常にほんの少しでもワクワクやドキドキ、そして本を開くことの楽しさや、図書館へ足を運んでみたくなるような気持ちを添えられたなら、作者としてこれ以上の喜びはございません。
またいつか、どこかの物語の世界でお会いできる日を心から楽しみにしています!それまで皆さま、どうかお元気で、そして素敵な読書ライフをお過ごしくださいね! アデュー!