表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

4/5

第4話 囁く書架と星詠みの謎

夕陽の最後の残照が、埃一つなく片付いた「第一学生閲覧準備室」を茜色に染め上げていました。

海斗さんの問い――「君は、一体……どこから来たんだ?」――は、静寂の中に確かな重みを持って響きます。

それは、私が永い間、自分自身に問いかけてきた言葉と同じでした。


私は、ゆっくりと息を吸い込みました。

古書のインクと、新しい紙の匂い、そして微かに混じる海斗さんの汗の匂い。

それが、今の私の「現実」。


「どこから……そうですね。私は……とても古い、古い物語の中から、やってまいりました」

曖昧な微笑みを浮かべ、私はそう答えました。

嘘ではありません。精霊とは、物語そのものから生まれることもあるのですから。

「そして、気が付いたら、あの扉の前で……海斗さまと出会った、というわけなのです」


海斗さんは、納得したような、しないような、複雑な表情で私を見つめています。

「古い物語、ね……。まあ、しおりちゃんを見てると、なんかそんな感じもするけど」

彼は、私の古風な言葉遣いや、時折見せる人間離れした知識を思い返しているのかもしれません。

「でも、それじゃあ、家族とかは……?」

家族。それは、血の繋がり、あるいは魂の共有によって結ばれる、温かな共同体。

私の知る概念とは、少し異なります。


「私の家族は……そうですね、かつては数えきれないほどの書物たちが、私の家族でありましたれば。そして、それらを愛し、訪れてくださる方々もまた……」

言いかけて、胸の奥がチクリと痛みました。

失われた図書館。もう声を聞くことのできない、たくさんの物語たち。


海斗さんは、それ以上は何も尋ねませんでした。

彼のそういう、踏み込みすぎない優しさが、少しだけ心地よかったのです。

「そっか。……まあ、なんか色々ありそうだけど、今はよろしくな、相棒」

「相棒……で、ございますか?」

「ああ。この魔窟を二人で蘇らせたんだ。立派な相棒だろ?」

海斗さんは、悪戯っぽく笑いました。

その笑顔は、夕焼けの光を浴びて、少しだけ眩しく見えました。


翌日から、私たちの「第一学生閲覧準備室」での奇妙な共同作業が本格的に始まりました。

といっても、主な作業は、運び込まれる新着図書の受入と、そのデータを例の光る板――パソコン、でしたっけ?――に入力すること。

海斗さん曰く、「地獄の単純作業」だそうですが、私にとっては新鮮な驚きの連続でした。

ISBNコード? NDC分類第三次改訂版? MARCフォーマット?

まるで、未知の魔法言語です。


しかし、一度パターンを理解してしまえば、あとは私の独壇場。

書物の内容を瞬時に把握し、適切な分類を判断し、海斗さんが驚愕する速度でキーボード(という名の、文字が刻まれた板)を叩いていきます。

「し、しおりちゃん……君、本当に何者? もしかして、AIとか?」

「えーあい、とは、人工的な知能体のことでしたね。私は、もっと……天然自然の、古き良き精霊なのでございますれば」

「天然自然の精霊が、ブラインドタッチで秒速100文字打てるかよ!?」

海斗さんのツッコミは、もはや日常のBGMと化していました。


そんな日々が数日続いたある日の午後。

一段落ついた作業の合間に、私はあの図書カードの裏の書き込みを海斗さんに見せました。

『星を詠む者、月の満ち欠けと共に現る。鍵は“沈黙の螺旋”にあり』


「これ、やっぱり気になるんですよね……」

「うーん、ただのオカルト好きな生徒のイタズラじゃないかとは思うけどなあ」

海斗さんは、あまり乗り気ではない様子。

彼は、幽霊とか超常現象とか、そういう類の話は苦手なようでした。合理主義者、なのでしょうか。


「でも、『星を詠む者』とは、何かしら詩的な響きが……それに『沈黙の螺旋』。まるで、古い図書館の隠し通路を思わせるではございませんか?」

私の瞳がキラキラと輝いているのを、海斗さんは苦笑しながら見ていました。

「しおりちゃんは、本当に本と図書館が好きなんだな」

「ええ。それが、私の全てですから」


そこへ、不意にドアがノックされました。

「失礼しまーす! 図書委員の佐伯先輩、いらっしゃいますかー?」

元気の良い、しかしどこか間延びしたような女の子の声。


入ってきたのは、小柄な、ふわふわとした髪の少女でした。

桜ヶ丘学園の制服を、少し着崩しています。大きな丸眼鏡の奥の瞳は、好奇心でキラキラと輝いていました。

そして、彼女の首からは、なぜか水晶のペンダントが。

手には、分厚い……ええ、それはまさしく「ムー」的な雑誌!


「お、美咲か。どうしたんだ?」

海斗さんが声をかけると、彼女――美咲と呼ばれた少女は、私を見て目を丸くしました。

「わわっ! せ、先輩、その美少女は一体!? もしかして、ついに先輩にも春が……!?」

「ち、ちげーよ! 新しく手伝ってくれることになった、しおりちゃんだ!」

慌てて否定する海斗さん。面白い。


「初めまして、わたくし、如月きさらぎ 美咲みさきと申します! オカルト研究会会長兼、図書委員の末席を汚しております! 以後お見知りおきを、しおり先輩!」

美咲さんは、勢いよく頭を下げました。

「しおり、と申します。こちらこそ、よろしくお願いいたします、美咲さま」

私も丁寧に挨拶を返します。


美咲さんの視線が、私が手にしていた図書カードに吸い寄せられました。

「あれ? それ、なんですか? もしかして、古代文明のオーパーツとか!?」

「いや、ただの古い図書カードの裏書きだって……」

海斗さんが呆れ顔で言うのを遮り、美咲さんはカードを覗き込みました。

そして、その顔色が変わったのです。


「『星を詠む者』……『沈黙の螺旋』……!? ま、まさか、これって……学園七不思議の一つ、『螺旋書庫の番人』のことじゃ……!?」

「はあ? 学園七不思議? 寝ぼけたこと言ってんなよ、美咲」

海斗さんは取り合いませんが、私の胸は高鳴りました。

螺旋書庫……! なんて魅力的な響きでしょう!


「本当ですよ! 昔、この学園の図書館には、地下深くに続く螺旋階段があって、その奥には膨大な禁書が眠る『螺旋書庫』があったって噂なんです! そして、そこには美しい女性の番人がいて、満月の夜にだけ姿を現して、選ばれた者に知識を授けるとか……きゃー! ロマンチックですー!」

美咲さんは、一人で興奮して頬を染めています。

彼女の言葉は荒唐無稽に聞こえるかもしれません。

けれど、「地下深く」「螺旋階段」「膨大な禁書」……。

それは、私の記憶の断片と、奇妙に符合するのです。

私のいた古代図書館もまた、地下へと螺旋を描くように広がっていたのですから。


「その『螺旋書庫の番人』と、この書き込みに、何か関係が?」

私が尋ねると、美咲さんは得意げに胸を張りました。

「大アリですよ、しおり先輩! 『星を詠む者』っていうのは、その番人の別名だって言われてるんです! 彼女は星の配置を読んで未来を予言したとか……。そして『沈黙の螺旋』は、その螺旋書庫のこと! きっと、このカードを書いた人は、番人に会うための手がかりを……!」


海斗さんは「はいはい、オカルト乙」と鼻で笑っていますが、私は美咲さんの言葉に、無視できない何かを感じていました。

もし、本当にこの学園の地下に、私の知る図書館の残滓が眠っているとしたら……?

そして、そこに「世界の栞」が……?


「美咲さま、その『螺旋書庫』の場所や、番人について、もっと詳しく教えていただけますか?」

私の真剣な眼差しに、美咲さんはゴクリと喉を鳴らしました。

「も、もちろんです! 私の長年の研究成果、全てお見せしますよ! さあ、しおり先輩、私たちと一緒に、この学園の最大の謎を解き明かしましょう!」

美咲さんの瞳は、探求の光に満ち溢れていました。

それは、かつての私が、未知の書物を前にした時に浮かべた光と同じ。


海斗さんは、やれやれといった表情で頭を抱えていますが、まんざらでもない、という顔もしています。

彼もまた、心のどこかでは、この学園に眠る「何か」に気づいているのかもしれません。


こうして、奇しくも三人の「図書」に関わる者たちが、一つの謎を中心に集結しました。

それは、まるで運命の糸に手繰り寄せられたかのよう。

私たちの前には、埃をかぶった古い地図が広げられようとしていました。

その地図が指し示す先は、果たして……。

物語は、まだ序章の次の頁をめくったばかりなのです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ