薔薇の魔女と契約の花婿
また、枯れてしまった。
私の指先が触れた白い薔薇が、みるみるうちに黒く変色して朽ちていく。
美しかった花びらが塵となって風に舞い散る様子を、私はただ呆然と見つめることしかできない。
「お嬢様……」
背後からマリアの心配そうな声が聞こえるけれど、振り返ることはしない。きっと彼女もまた、私を哀れむような目で見ているのだろうから。
私の名前はエリス・ローゼンハイム。魔法学院では「薔薇の魔女」と呼ばれている。
でも本当は、私は魔女なんかじゃない。ただの、呪われた少女なのだ。
七歳の誕生日の夜、私に嫉妬した宮廷魔女が私にかけた呪い——「愛されることのない女」。触れるものすべてを枯らし、近づく者を拒む力。この呪いのせいで、私は誰とも親しくなることができずにいる。
「エリス様」
学院長室のドアが開いて、いつもの厳格な声が響く。私は溜息をついて振り返った。
「また何か、呼び出しですの?私がまた誰かを傷つけたとでも?」
「そうではない」
学院長は珍しく穏やかな表情で私を見つめる。
「君に、結婚の申し出が来ている」
「は?」
思わず間の抜けた声が出てしまう。結婚だって?私に?
「冗談はやめてくださいまし。誰が私のような呪われた女と結婚したがるというのです」
「アルフレッド・グレイ君だ」
その名前を聞いた瞬間、心臓がどくんと大きく跳ねた。
アルフレッド・グレイ。平民出身でありながら、常に学年首席を維持している優等生。穏やかで知的で、誰に対しても分け隔てなく接する彼は、学院の女生徒たちの憧れの的だった。
そんな彼が、なぜ私なんかと。
「理由を聞かせてもらえますの?」
「それは彼に直接聞くがいい。今、応接室で待っている」
足が震えた。
心の奥で小さな希望が芽生えるのを感じて、私は慌ててそれを押し殺そうとする。きっと何かの間違いか、または彼なりの同情なのだろう。
私のような女に、本当の愛なんて向けられるはずがない。
応接室のドアを開けると、窓際に立つ彼の後ろ姿が見えた。午後の陽射しが金髪を輝かせて、まるで天使のように美しい。
「アルフレッド」
名前を呼ぶと、彼はゆっくりと振り返る。いつもの穏やかな微笑みではなく、どこか真剣な表情をしていた。
「エリス。来てくれたんだね」
「結婚だなんて、一体何を考えているの?あなたが私のことをどう思っているかは知らないけれど、同情なら——」
「同情じゃない」
彼の声は静かだったけれど、強い意志を感じさせた。
「僕は君と結婚したいんだ、エリス。君の呪いなど、僕には関係ない」
「関係ないですって?」私は思わず声を荒げる。「私に触れれば、あなたまで——」
「枯れるとでも?」
アルフレッドは一歩、また一歩と私に近づいてくる。私は慌てて後ずさりした。
「来ないで!私に近づかないで!」
でも彼は止まらない。そして、ついに私の手首を掴んだ。
「ああ……」
私は目を固く閉じる。きっと彼も枯れてしまう。私が愛した人がまた、私の呪いによって——
でも、いつまで待っても何も起こらない。
恐る恐る目を開けると、アルフレッドは何事もなかったように私の手を握っていた。彼の手は温かくて、生命力に満ちている。
「どうして……?」
「君の呪いは『愛されることのない女』だろう?」彼は優しく微笑んだ。「でも僕は、ずっと前から君を愛している。だから、君の呪いは僕には効かないんだ」
その言葉が胸に響いて、涙が溢れそうになる。でも私は首を振った。
「嘘よ。誰も私なんて愛してくれない。愛せるはずがない」
「なぜそう決めつけるんだ?」
「だって私は……私は何も与えられない。ただ奪うだけの女よ。美しいものも、大切なものも、すべて枯らしてしまう」
「それは違う」アルフレッドは私の頬に手を添えた。「君は僕に多くのものを与えてくれた。君がいたから、僕は努力することができた。君を見つめることで、僕は本当の強さを知った」
「アルフレッド……」
「エリス、僕と結婚してくれ」彼の碧眼が真っ直ぐに私を見つめる。「契約結婚でも構わない。まずは形だけでもいい。でも僕は、君を一人にしたくないんだ」
胸が締めつけられるような想いが駆け抜ける。彼は本気なのだ。この美しい人が、呪われた私を受け入れようとしている。
「でも……でも私たちは身分が違いすぎるわ。あなたは平民で、私は——」
「僕が君を愛していることに、身分は関係ない」
その瞬間、窓の外に見えた枯れかけた薔薇の蔦が、突然鮮やかな深紅の花を咲かせた。私たちは驚いて振り返る。
「あれは……?」
「呪いが……弱くなっているのかもしれない」アルフレッドは嬉しそうに呟く。「真実の愛は、呪いよりも強いんだ」
私は彼の手をそっと握り返した。初めて、誰かを枯らすことなく触れることができている。
「アルフレッド、私……あなたを愛しているわ」
「エリス……」
彼が私の名前を呼ぶ声が、こんなにも温かく響くなんて。
「でも契約結婚だなんて、そんな中途半端なことはしたくない」私は彼を見上げる。「もしも、もしも本当に私を愛してくれるなら……本当の結婚をしませんか?」
アルフレッドの表情がパッと明るくなる。
「それは僕からお願いしたいくらいだよ」
彼は私を抱き寄せて、額にそっと口づけた。その瞬間、応接室の花瓶に活けられていた白い薔薇が、すべて美しい深紅に変わった。
私の呪いは完全に消えたわけではないかもしれない。でも確かに、愛の力で変化し始めている。
「ねえ、アルフレッド」
「なんだい?」
「あなたが最初から私を愛していたって、本当?」
彼は少し頬を染めて微笑んだ。
「実は、君が入学式で一人でいるのを見たときから、ずっと気になっていたんだ。みんなが君を恐れている中で、君だけが本当に孤独な表情をしていた。君を守りたいと思ったのが始まりだった」
「そんな昔から……」
「君を愛することに理由なんて必要ないよ、エリス」
窓の外では、学院中の薔薇が一斉に花を咲かせていた。深紅の、美しい薔薇が。
私は初めて、心から幸せだと思った。呪われた薔薇の魔女ではなく、愛される一人の女性として。
「私たちの結婚式には、この薔薇を飾りましょう」
「それは素晴らしいアイデアだね」
アルフレッドが私の手を握る。もう枯れることのない、温かな手で。
愛は呪いより強い。
それを教えてくれた人と共に、私は新しい人生を歩み始める。薔薇の魔女としてではなく、愛される女性として。
そして、愛する女性として。
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