【第89話】異形族
【第89話】異形族
土煙がゆっくりと晴れていく。
視界が開けた先には、地面に片膝をついたガルドの姿があった。
全身にダメージを負っており、服はところどころ焼け落ちている。
ダメージによる影響か、薬の効果時間が切れたのか、肥大していた体は元の姿に戻っていた。
「……さすがに、効いたよね?」
思わずそう呟いた俺の隣で、リックが肩で息をしながら笑う。
「はぁ……はぁ……あれでピンピンしてたら泣くわ……」
そう言った矢先、膝をついたままのガルドが、ゆっくりと顔を上げた。
「……あーあ、くそ。面倒な奴らだ。このままじゃせっかくの入れ物が台無しになっちまう」
「……ん?」
さっきまでのガルドとは、どこか違う。
声の調子も、言葉の選び方も、まるで別人みたいだ。
「おいアキオ、今の喋り方……」
「ああ、なんか……変、だよな」
戸惑う俺たちの頭上から、聞き慣れた声が降ってきた。
「やはりのう。臭うとは思っておったが……我の睨んだ通りじゃな」
見上げれば、二階に開いた大穴からひらりと飛び降りてくる影。
片腕にリズベルを抱えたナヴィだった。
ナヴィは軽い足取りで俺たちのそばに着地すると、雑にリズベルを地面に降ろす。
「いっ……もうちょっと優しく降ろせ……!」
「運んでやったというのに、煩い小娘じゃ」
億劫そうな顔でそんなことを言いながら、ナヴィはガルドへと目を向ける。
「ナヴィ、どういうこと?」
俺が問いかけに、どう答えたものかと考えるナヴィ。
「んー、以前説明した時には省いたのじゃがな。魔族の中には、特殊な“異形族”と呼ばれる連中がおる。魔物が長い時を生き、知能ある生き物を喰らい続けることで、魔族にまで進化した存在――アレみたいにのう」
ナヴィの視線の先。
ガルドの体が、小刻みに痙攣し始めた。
「な、なに……?」
実父の挙動を見て驚きを隠せないリズベル。
白目を剥き、ガクガクと震えるガルドが口元から泡を吹いた次の瞬間、大きく口を開け――
ドロリ。
粘り気のある何かが、喉の奥から次々と溢れ出した。
半透明のゼリー状の液体がだらりと垂れ、地面にボタボタと落ちていく。
「うげっ……!」
「ひっ……!」
リックとリズベルの悲鳴が重なる。
その粘液はひとかたまりになると、ぐにゃりと形を変え始めた。
ガルドの体はその場に崩れ落ち、その口から完全に“それ”が抜け出す。
「ま、まさか……あれは……」
デズが息を呑む。
ナヴィがちらりとデズを一瞥し、意味ありげに笑った。
「ほう、流石にデカいのは知っておったか」
粘液の塊はぬるりと立ち上がり、人の形を取っていく。
うっすらと半透明な肌の質感、細身で背の高い男のシルエット。
「人型の、スライム……?」
「……テメェ、一体何モンだ!」
リックが指先を向け構える。
スライムの男は、軽薄そうな笑みを浮かべた。
「んん、あーあー……ごきげんよう、俺の名前はニトラーゼ。……って、これから死ぬお前らに名乗る必要はねぇんだけどな」
声は妙に軽い。
さっきまでのガルドの重々しい声や威圧感とは、正反対だった。
スライムの異形族――ニトラーゼの愉快そうな声に、リックが眉をひそめる。
「……お前が、ガルドを操ってたってことでいいのか?」
「御名答!」
ニトラーゼは肩をすくめ、楽しげに口角を吊り上げた。
「中から寄生してアイツを動かしてたのは俺だ。裏ギルドのボスってのは実に便利な体だったぜ。ちょいと命令すりゃ、考えなしの下僕どもが犬みたいに走り回る――便利すぎて笑いが止まらなかったよ」
リズベルが目を見開き、拳を握りしめる。
血が滲むほど爪を立て、それでもなお震えが止まらない。
「アンタがみんなを……あの薬を――!」
「おいおい、そう怖い顔すんなよ」
ニトラーゼは軽く肩をすくめ、愉快そうに続けた。
「少し実験に使わせてもらっただけじゃねぇか。むしろ、結果的には礼を言われてもいいくらいだろ?裏ギルドの懐も相当温まったはずだからな」
「実験……?」
リックが反応した単語にニトラーゼは「あっ」と小さく声を漏らした。
「チッ、まずいまずい。調子に乗って喋りすぎちまったな」
舌打ちしつつも、ニヤニヤとした笑いは崩さない。
次の瞬間――ニトラーゼの右腕が、鞭のように伸びた。
「さ、話はここまでだ。続きは――死んだ後に聞かせてやるよ!」
腕が細く伸び、その先端がナイフのように尖る。
次の瞬間、振った腕から射出された半透明な刃が空気を裂いた。
「――リック!」
俺が叫んだ時にはもう、水の刃が目の前に迫っていた。
「ちっ!」
リックは身体を捻って飛び退く。
紙一重で直撃を避けた――が、攻撃は止まらない。
「ははっ、逃がすかよ!」
次々と放たれる、水の刃。
リックは必死に飛び、転がり、回避を重ねるが――
「――っ!? ぐああああっ!!」
一発が、左足を掠めた。
だが次の瞬間、リックの足から血飛沫が上がる。
掠めた程度の傷とは思えないほど、左足の肉がざっくりと抉り取られていた。
「リック!!」
俺が駆け寄るより早く、リックの膝が崩れ落ちる。
地面に転がり蹲る彼の足には、じわじわと黒いものが広がっていくのが見えた。
「な、なんだ!?腐ってる……!?」
駆け寄った先で、自分の顔が青ざめたのがわかった。
リックの左足は傷口の周りが爛れ、どろりと崩れている。
「ハッハァ!俺の体は猛毒だからなぁ!かすり傷だろうが、触れたところからゆっくり腐っていくんだよ!ほらほら、早く足を切り落とさないと死んじまうぜ?」
愉快そうに笑うニトラーゼ。
その近くにいたリズベルとデズが、リックのそばへ駆け寄ってくる。
「おい!大丈夫か!」
「……くそっ、足が……!」
「屋敷に解毒用のポーションがあるはずだ!お前たちは屋敷に戻れ!」
俺たちを庇うように前に出るデズの声が飛ぶ。
(……ダメだ、そんな時間はない!)
明らかに普通の傷じゃない。
じわじわと肉が崩れていて、リックの顔色も徐々に悪くなっている。見た目以上に毒の周りが速いのだろうか。この状況じゃニトラーゼの言った通りに足を切り落としたとしても、毒で死んでしまうのではないか。
「………俺が治す。リズベルは少し下がって」
「治すって……こ、こんなの、一体どうやって……!」
リズベルの声が震えている。
――しかし、俺はこの時、ナヴィの忠告が頭をよぎっていた。
『主殿のその《ヒール》じゃがの、正体を明かすなとは言ったが…スキルを使うなとまで言うつもりはない。が、先も言ったように強力過ぎる場合は使い所を考えたり加減が必要じゃ』
もし、俺がこの重症を治すことで、異世界人だとバレてしまったら――――。




