【第87話】ガルド・グレイモア①
【第87話】ガルド・グレイモア①
その後の数日、俺たちはリズベルの護衛という名目で彼女の仕事を手伝っていた。
……と言っても、実際は裏ギルドの下っ端業務そのものだった。
酒場の見回り、賭場の監視、喧嘩の仲裁。
護衛というよりはほとんど雑用だったが、どれも特に大きな問題にはならず、あっという間に作戦決行の日を迎えた。
――そして夜。
歓楽街では予定通り、大規模な賭場が開催されていた。
多くの構成員が警備や運営に駆り出され、通りは人で溢れている。
その喧騒を背に、俺たちはリズベルたちとともに、街の奥にある屋敷の前に立っていた。
「中の様子は?」
リズベルの問いに、部下の男が一歩前に出る。
「ほぼ出払ってます。数人はまだ中にいますが、俺たちで抑えられる範囲です」
「わかった。行くぞ」
短く言い捨てると、屋敷の正面扉を開ける。
数人の部下たちと別れ、リズベル、デズ、リック、そして俺とナヴィの五人で奥へと突入する。
歓楽街の喧騒とは裏腹に屋敷の中は静まり返っていた。
正面ホールを抜け、階段を上る。
二階の奥の扉の前に立つリズベルは、深く息を吐くと――思い切り蹴り飛ばした。
扉が音を立てて開く。
中は豪奢な家具で飾られた部屋だった。
赤い絨毯、ギラギラと光る黄金の装飾。
その中央、重厚な椅子に腰掛け、金貨を仕分けている男――
立派な髭を生やし、分厚い毛皮のコートを纏った巨躯
リズベルの父親、ガルド・グレイモアがそこにいた。
「リズベル、持ち場はどうした。なぜここにいる」
机から視線も上げずに、低い声が響く。
「緊急の案件でな、抜けてきた」
リズベルは机まで歩み寄ると、手にしていた書類の束を無造作に机へ投げ出した。
紙が散り、ガルドの目の前に広がる。
ガルドはちらりと目を落とし、鼻を鳴らす。
「ほう、よく調べたじゃないか。……で、これがどうした?」
指先で紙を拾い滑るように視線を走らせ、興味もなさそうに床へと放り投げた。
「なんでアンタがこんなモンに手ェ出してんのよ。裏ギルドの掟はどうなってんの?」
「掟?何を言うかと思えば掟だと?」
鼻で笑うガルド。
「よく考えろ。古臭い理想だの信念だのが金になるか?見ろ、この金を。薬を少し流しただけで、これだけの山になる。需要がある場所に品を下ろすことの、どこが悪い?」
「……その薬のせいで、どれだけの人が苦しんでいると思っている。……いつからお前はそんな金の亡者になったんだ」
声を出したのはデズだった。
拳を握り、怒りを抑えるかのようにガルドを問い詰める。
「あぁ?いいじゃねぇか、金の亡者で」
ガルドは机の上の金貨を手に取りながら続ける。
「腹が減っても、掟や正義なんてもんは喰えもしねぇ。デズ、お前も先代のジジイの時は苦労しただろ。そんなカビの生えた古臭い考えは捨てろ」
そう吐き捨てると、今度は俺とリックへと視線を向ける。
「……見ねぇ顔だな。冒険者被れでも雇ったか?」
ガルドは机の上の小袋をひとつつまみ上げ、俺たちの足元へ放り投げた。
袋が床を転がり、金貨がこぼれ落ちる。
「いくらで雇ったかは知らねぇが、どうせ小娘の端金じゃたかが知れてる。おい、その中身で俺がお前らを雇ってやる。数年は遊んで暮らせる額だ。……どうだ、悪くねぇ話だろ?」
「断る」
俺が即答すると、ガルドが目を細め、低く唸った。
「ああ?」
空気が一気に張り詰める中、リックが口を開いた。
「おいおい、空気くらい読めよ、オッサン。俺たちは悪者退治に来てるんだぜ?」
不愉快そうに眉をピクリと動かすガルド――そして、ゆっくりと口の端を歪める。
「……随分と頭のめでたい連中を拾ってきたな、リズベル。金じゃねえなら……女か?ハッ、そんなガキでも抱き心地はよかったってか?」
「……ッ!」
リズベルの肩が震える。
怒りに顔を真っ赤に染め、今にも飛びかかりそうになったその瞬間――
「ガルドォォォ!!」
デズの怒号が響いた。
重厚な机を片腕でひっくり返し、金貨が床に散乱する。
ガルドは椅子の上で微動だにせず、散らばる金を見下ろす。
「木偶の坊風情が……」
気だるそうに息を吐きながら、ガルドはポケットに手を入れ金属の筒を取り出す。
先端には針。中には黒ずんだ液体が揺れていた。
「後ろのゴミ共は一本ありゃ足りるだろうが……木偶の坊には二本だな」
そう呟き、ガルドは自らの首筋に針を突き立てた。
シュウウッ――
空気が焼けるような音と共に、ガルドの身体が膨れ上がっていく。
筋肉が盛り上がり、皮膚の下で血管が脈打つ。
ミシミシと骨が軋むような音が部屋に響く。
「ったく……高ぇ薬、使わせやがってよ」
深く息を吐き、にやりと笑う。
「男どもをバラしても足りねえ分は……お前の体で稼いでもらうぞ、リズベル」
「ガルドォッ!!」
デズが咆哮し、拳を振るう。
だが次の瞬間、デズの巨体が弾かれたように吹き飛び、壁を突き破った。
「デズ!!」
粉塵が舞い上がり、リズベルが叫ぶ。
反応はなく、床には崩れ落ちた木片と金貨が散らばっていた。
リックが隣で苦笑混じりに呟く。
「アキオ、いまの動き、見えたか?」
「えーっと……い、一応は」
「ハハッ、頼もしいじゃねぇか。それじゃあ――俺たちで悪者退治といくか!」
「な、ちょっと待――!」
俺の制止も聞かずリックが飛び出し、戦いの火蓋が切られた。




