【第102話】ジャムパン好きの狂犬姫
投稿が遅くなりました、すみません……!
【第102話】ジャムパン好きの狂犬姫
午前中の診療を終えた頃、診療所の扉が控えめに叩かれた。
「ごめんくださ~い」
声と共に入ってきたのは、パン屋の店主さんだった。
五十代くらいの女性で肝の据わっている、いつも朗らかな人だ。
「ごめんね~先生、ちょっと腰をやっちゃってねぇ」
話を聞くと、重たい粉袋を持ち運んだ拍子に、ぎくっときたらしい。
「わかりました。それじゃあ、早速診ましょうか」
ステータスを確認し、状態に合わせてヒールを流す。
数秒もしないうちに、店主さんは目を丸くした。
「あらまぁ!ずいぶん楽になったわ!」
立ち上がって腕と腰をぶんぶんちパワフルに振り回す店主さん。
「あまり無理しすぎないでくださいね」
「あっはっは!これだけ元気になればもう大丈夫よ!あ、そうだ!」
店主さんはパンと手を叩き、にっこりと笑う。
「お礼に、お昼のできたてパンをご馳走させてもらおうかしら!」
「ほほう!?」
隣で聞いていたナヴィが、ぱっと顔を輝かせる。
「あ、それなら俺は診療所にいないといけないから、ナヴィが貰ってきてもらえるかな?」
「うむ!まかせよ!できたてを全て平らげてきてやるわ!」
そう言って、ナヴィは店主さんと一緒にウキウキで出ていった。
ああやって俺以外の人と自然に触れあっているのを見ると、この村に来てよかったと思える。
……あれ、ていうか全部平らげてくるって言ってたけど、俺の分は持って帰ってきてくれる…よね?
午前の診療がひと段落し、昼休憩に入る。
ナヴィが戻ってくる気配はまだない。
……本気で平らげているのだろうか。そうなったらあとでパン屋へ支払いにいかなくては……。
そう思っていたその時だった。
コンコン、と扉が叩かれる。
「はい、どうぞ」
扉の向こうに立っていたのは、ふわりとした獣耳が目印の獣人、ランファだった。
「あ、アキオ先生!どうもっす!」
「こんにちはランファさん。今日はどうしました?」
「うちの畑のおすそ分けに来たっす!」
最近まで4日間ほど通っていたイケメン青年のレイ。
彼の治療が終わった後、お礼を言いに一緒に彼女が来たときは驚いた。
まさか彼の言っていた母親がランファだったとは。
その日も大量の野菜を受け取ったのだが、いまはちょうど畑の収穫時期らしく、こうして定期的に新鮮な野菜を分けてくれる。
「いつもすみません。ナヴィも美味しそうに食べてますよ」
「……あれ、そういえば今日はいないっすね?ナーヴェリア様」
ランファが診療所の中を見回す。
「ああ、今はパン屋さんでお昼をご馳走になってますよ」
「……ナ、ナーヴェリア様がおひとりでっすか?」
「ええ。特にあのお店のジャムパンがお気に入りみたいで、よく通ってるんです」
「…………」
しばし沈黙。
「……あの方が、ジャムパン……?」
頭を抱え始めた。
「あー、そういえば。ナヴィ……ナーヴェリアはランファさんの昔の上司、でしたっけ?」
「そうっす!当時は“歩く厄災”なんて二つ名もあったんすよ!」
「……随分物騒な二つ名だなぁ」
「当時のナーヴェリア様は良くも悪くも力で解決するお方でしたから、少しでも口に合わない食事が出た日にはそれはもう……」
「もしかしてその二つ名って身内側で……」
目をそらすランファ。虎耳がしょぼんと垂れたその仕草でなんとなく察してしまった。
「あ、でも人間軍には“戦場の暴風”って呼ばれてました!」
「おお」
「……あと、“狂犬姫”」
「最後が一番ひどい」
ランファは肩をすくめる。
「正直、あの方がこんな平凡な村で暮らしてるのも信じられないっすねぇ。それになにより――」
身を乗り出して、距離を詰めてくるランファ。
「旦那様がいるって聞いた時は、天変地異でも起きたのかと思ったっす」
「そ、そんな大げさな……」
「で、どんな出会いだったんすか!?一体どうやってあのナーヴェリア様を!?」
「あー、いや、それは――」
わくわくしているランファの視線が突き刺さる。
というか興奮しているのか距離が近い。
なんと誤魔化せばいいだろうか。
異世界人と奴隷に落ちた死にかけの少女。
――決して人に話すようなものではない。
じりじりと下がりながら言葉を探していると。
「我のおらぬところで、随分楽しそうじゃな?」
ランファの背後から、低い声が落ちてきた。
「ひょぇぇぇ!?」
振り返ると、そこにはナヴィが立っていた。
手には紙袋。甘い匂いが漂っている。
「ナ、ナーヴェリア様!?!?」
「大声で喚くな阿呆!今はナヴィじゃ!」
ゴンッ!!
強烈なゲンコツが、ランファの頭に叩き込まれた。
「に"ゃふっ!?」
床にめり込むランファ。
「うわ、ナヴィ!やりすぎ!」
「ふん、この程度でくたばるような鍛え方はしておらぬ。頑丈さは昔から人一倍じゃからのう」
ランファのお尻をグリグリと足蹴にするナヴィ。
「にゃひぃ……あ、頭割れてないっすか……?ち、治療を……」
ランファにヒールをしながら、あとで床の補修しなきゃなぁ……なんて考える平和な昼過ぎの出来事だった。




