第098話 平和の隣
固そうな茶色い毛並みに、荷車並みに巨漢な体格。しかしブルと名付けられたこの獣は見かけによらず草食らしく、スピードは他の獣より落ちるがパワーと燃費は最高なのだとクルスは語った。
それと、明らかにニーナにデレているあたりが想像に容易いが、コイツは間違いなくオスだろう。搭乗前は結衣やナナにも頬擦りをしていたくらいだから、それは間違いない。
「可愛い女の子なら喜んで乗せるってか? とんだワガママ野郎で悲しいぞ俺は……。帰ったら丸焼きにしてやんぞ……ったく」
今までただの一度も背中に乗せてくれた事のないブルに、クルスは分かりやすくため息を吐く。長年気難しい性格のヤツだとばかり思っていたのに、存外一番欲望に忠実で誰よりも単純なヤツだったようだ。
「丸焼き!? え!? それじゃあブル食べられちゃうん!? 実は私もこの前タケル達に食べられそうになったんだよぉ……」
「ほほぅ?」
「ストップニーナ。語弊がすげぇ強い」
これは酷い印象操作だ。
大体、ニーナの可愛さに涎をジュルっていたのは主に結衣とフローラの筈である。
「今朝なんか私はタケルに激しく出し入れをだな……」
「シャラップ!!」
何か余計なアシストも加わった。事実として間違いではないが、その切り取り方は実に悪どい。お陰でクルスの思う武の印象は最悪……になると思っていたのだが、青年はケラケラと笑っているだけでむしろ楽しんでいるような反応だった。
「たはは! 若い男女なんだし、別に恥ずかしいこたぁねぇだろ? 俺も昨日は奥さん食って絶好調でさぁ!」
「おわぁ……やっぱり人間には食べられる習慣があるんかぁ……」
こんな話を、まともに捉えて可愛く震えているのは世間知らずなニーナくらいだろう。それに比べて元学生の二人は興味ないふりが精一杯で、興味ない景色をすまし顔でぎこちなく眺める時間が淡々と続いた。
そんな二人にはお構いもなく、話に波が乗って来たクルスは奥さんとのなれそめやらを嬉々として話しているようだったが、武と結衣の頭には殆ど入っていないようである。
「―――――そんでもって、今年ようやく結婚に至った訳でさぁ。いやぁ、あの時ラミヤ亭に泊まって正解だったよホント!……って俺の話ばっかだな。そういやさっきトレジャーハントだの言ってたけど、ひょっとしてあんたら冒険者って奴かい?」
正直、この質問にYESと答えられるのはこの中で一人だけしかいないのだが、肝心のアイリスは割りと早い段階で夢の奥へと誘われている。
「まさか盗賊って事はないでしょう?」
「え、盗賊ってやっぱりいるんですか?」
「なんだお姉さんは箱入りかい? 外の世界で怖いのは何も魔獣だけじゃないですぜ? 魔族になりたいって頭のおかしな連中もいるくらいでさぁ」
「ほら聞いた? 私箱入りお嬢様に見えるって」
お嬢様は言ってない気がした。
「要は世間知らずなただの無知って話だけどな……でも、魔族崇拝者ってやつですか。まぁ、いるんだろうなとは思ってましたけど」
信仰心というのは人それぞれだ。視点を変えれば呆気なく悪は正義に、正義は悪になる。誰に従うか、何を信じるか。己の意志がある以上、現状は武にとっても悪傾きである魔族に魅了される人もまた存在するのだろうとは思っていた。
それにさっきから足をジリジリと踏みつけている目の前の結衣も、どちらかと言えば武の分類的には悪になりつつある。
「確か魔族崇拝って呼ばれてる連中でさぁ。ただ、カタストロ団長の率いる魔導騎士団が何年か前に拠点を潰したお陰で、今や残党くらいしか息をしていないでしょうがねぇ。それでも良くない噂は絶えずチラホラ入ってきまさぁ」
「根絶やしってのは簡単じゃないでしょうしねぇ」
きっとこの先も、魔族に利を感じる人は出続ける事だろう。それは多分、例え魔族が滅んだとしても存在する不滅の特区のようなものなのだ。
「で、いつまでグリグリしてんだ? こんなお嬢様いる? 箱入り? 段ボールにですかね?」
と、武は結衣の足をムギュリ踏み返す。
「だったら梱包して早く日本に送って欲しいものですわね」
と、結衣は武の足をムギュリ踏み返す。
「出来ることなら俺も着払いで返品したいけども、生憎ちょっと配達エリア外でして」
結衣の足を……
「ケチな上に不良品扱いとは舐められたもんですわ」
武の……
「「………………」」
―――――ドカドカドカッ!!
第一回、無言で足踏みバトルが始まった。
武としては一度綱無し綱引きで負けているので、ここは何とか勝利しておきたい所である。因みに時間制でも加点、減点制でもない降参制である。
「こらこら! 荷車壊さないでくれよ!?……で、結局のところ、さん達は冒険者って事でいいのか?」
「あーっと……ですねぇ……全員ではないですが、まぁ概ねそんな感じで……あ、靴脱げ……イダダダダダダダ!!? 分かった! 送料は払う!」
「よっしゃあ! 勝っ……違う! そこじゃない!」
第一回無言で足踏みバトル。
勝者、結衣。
「おぉ、やっぱりか! 実は最近、親父が荷運び中に魔獣に襲われてな? 大量の荷物を運ぶ時なんかだけでも、冒険者を雇った方が良いんかなーって話してた訳でさぁ」
「なるほど?」
「だからもし冒険者に会ったら、参考までに護衛費用とかどんなもんか聞こうかなーと思ってたんだわ」
どうやらこのクルスは、近々冒険者を雇おうと考えているらしい。最近は特に商売の方も軌道に乗りつつあるとの
事なので、あわよくば専属になってもらおうとまで考えているようだった。
なので武は、うまくいけば良い話になりそうだなと思ってジンジンする足の痛みに耐えつつ、クルス側に肩を入れる。
「残念ながら俺は冒険者ではないんだけど、そういう人達を派遣する仕事みたいなもんだから、話は聞けるかもですよ?」
「派遣? そんじゃああんたら、組合の人なのか? あの町にも最近出来たらしいって、チラホラ噂は聞いてたけどよ」
これは有難い情報だ。
ギルドの存在が少しずつ町に広まっていると知れたのは、かなり喜ばしい事である。
「お、それは嬉しい話ですねぇ。以後宜しくお願いします。それでどれくらいの距離なんですか? その護衛というのは」
「そうだなぁ、今はとりあえずここからエルサレムまでの往復路になるかなぁ。運搬量にもよるんだが、平均して片道10日前後って感じだ」
武の軽い見積りによれば、獣車の時速は平均20km弱程。竜車となればもう少し早くなるが、商人レベルは大差なくこのくらいのスピードだ。獣達の疲労も考えて長距離移動では、休憩込みで1日80kmくらいがギリギリの距離だろう。
となると―――――
「じゃあ大体他国までは200里くらいあるんですねぇ……遠っ……」
しかしこれは厳密には首都感の距離だ。
エルサレムとバラスティアは地図上では隣国になるので、ヤマダの町からは西に100km行かない程で既にエルサレム領土である。
しかし首都に行くまでの間に厄介な魔獣やドラゴンの生息域すらも点在しているので、エルサレムは領土全てを有効的に使えているかと言えば非常に微妙な所だ。
「大昔は片道徒歩一月で行ってたらしいけどな。それで考えりゃ随分マシなもんでさ」
「そりゃ過酷ですねぇ……それにエルサレムって確か―――――」
「えぇ、少し前に魔族の襲撃にあった国ですよ。あわやヤマトの二の舞。もし陥落されてたら、今頃バラスティアや他の国も……って所でしょうねぇ」
武達が異世界に来て間もない時期、エルサレムという国が魔族の襲撃にあった。沸いた数は万を超えたにも関わらず出現場所は不明であり、退けた時には国は半壊状態。
栄えていた中心の都市部ほど被害は甚大で、魔王及び魔女が直接現れた……なんて話も出ている。しかし、であれば無粋な話、半壊ですんだのは疑問に残る所ではある。
そして現状、バラスティア、エルサレムを越えてアランドールの二国は、どちらがエルサレムを取り込もうとするか躍起になっているらしい。エルサレムの国王が存命だったら、まだ同盟を続けるという話の流れもあっただろう。幸い娘である王女は無事だったらしいが、恐怖のあまりにとても国を統治できる精神状態ではないらしい。
既に母国を見限ったエルサレムの移民は両国にも流れ、エルサレム領土はバラスティア騎士団とアランドールの聖導士達によっての警護体制が続いているのだ。
そんな現状を武達が知ったのは、比較的最近の話である。
「「…………」」
そんなクルスの話に聞き耳を立てていたアイリス、そしてナナは人知れずに物思いにふけている様子。特にナナは涌き出る思い出を振り払うように強く瞼を閉じて、頭内でこだまする幾多の悲鳴を閉じ込めるように、ギュッと耳を塞いだのだった。