第089話 ベストポジション
世間知らずなエルフっ子に翻弄されるキッチンでの攻防戦を武が繰り広げている最中、配膳を終えたフローラは地面にうち伏せる結衣の元へ歩み寄っていた。
「フフフ。可愛いですねぇ。ユイさんの妹さんですかぁ? こちらも可愛いトカゲさんですねぇ」
「……くぷぁっ?」
いきなり現れた馴染みのない女性にブッブはやや警戒しているようだが、喉を撫でられただけで直ぐにクルルと甘えた声を出して屈服したようである。あんなにお腹を差し出して服従している姿を見せられては、誰もアレがドラゴンであるとは思うまい。
そのお陰で無事にブッブの噛みつき護衛から解放された結納は、その隙に櫻の抱っこ権を性懲りもなく無事に確保出来たようだ。
「うぅ…? 私じゃなくて武のですけどねー。あんな兄に似合わず可愛いんだこれがぁ」
「浮遊魔法を使いこなすのは凄いですねぇ。バランスとるの凄く大変なんですよぉ?」
「そうなんですか? 流石さくらちゃん! やっぱ優秀だったんだねー!! むっはぁぁぁ……やっとむにむにほっぺゲットぉぉぉ」
「むにぃー」
「あぁ……癒されるぅ……」
苦労の末に得た最高の癒しに、結衣は溶けていくように感涙する。そんな、もう誰にも邪魔させまいと櫻を全力で愛でる結衣に対して、ミルクを作り終えた武だけが注意を促した。
「人をよく変態呼ばわりするけどお前も自覚した方がいいぞ? あと俺の妹のほっぺを摩擦で燃やすなよ?」
「武なんか顔赤くない?」
「所詮これが16歳クオリティだ」
「は? どゆこと?」
その後も結衣が櫻の頬っぺたむにむにを数分堪能していると、遂に料理を終えたニーナがキッチンから顔を出した。
「タッケルー! お肉出来たよー! ……あれ? サクラだー! やっほー!」
驚いた所を見ると、どうやら櫻達の来訪には気がついていなかったらしい。それだけ真剣に料理を作っていたのだろう。そして櫻だけでなくリリィやブッブも一緒に来ている事を確認したニーナは、自分が作っていた料理が一体誰の為のモノだったのかを、直ぐに悟ったようだった。
「なぁー! やほー!」
今更な事だが、櫻とニーナは嫉妬する程仲が良い。
それこそ姉妹に見えるくらいで、倉元家に遊びに来た時は大体櫻の居場所はニーナの傍ら、若しくは膝の上だ。
結衣が歯軋りして羨む入浴担当も、今やニーナが完全に引き継いでいる。
櫻はそんなニーナの存在に気付くなり、結衣のむにむに攻撃からするりと抜けると、何の未練もなく一直線にフワフワとキッチンの方へ飛んでいった。
「あははっ! そだよー! なぁーだよー! いらっしゃーい!」
「なぁなぁ~」
「ムニャ? 誰か呼ん……スヤァ」
「存在忘れかけてたなおい。寝んな」
あんな寝坊助侍の名前を覚えられるのは大変不服で悔しい事だが、流れ弾で櫻に名前を呼んで貰えたナナは非常に運が良い。
「んあぁー……私の癒しよ待ってぇぇぇ!?」
その一方で、結衣は簡単に捨てられた。
しょんぼり肩を落とす結衣を振り返る事なく飛んでいき、櫻はキッチン前のカウンターにちょこんと座る。隣で幸せそうに寝てる銀髪は、また後でフローラに縛って貰う運命にあるだろう。
「相変わらず上手に浮くねぇー! みんなで遊びに来たん? ジュース飲む?」
というニーナの質問にフルフルと首を横に降り、小さな両手を広げて何かを懇願する櫻。何かが欲しいのか、何かをして欲しいのか最初は分からなかったニーナだが
「ねぇねぇ。こっこ」
「ほら、櫻ちゃんも黒狐『コッコ』派みたいよ……ん? え? ちょっと待って?」
「櫻が言うなら仕方ない。よし、改名手続きを……ん? いやちょっと待て?」
だから改名出来ねぇよとまたベンチから唸り声がしたが、武と結衣はそれよりとても重要な事を聞き逃した気がした。
「ん? だっこ? いいよー! ちょっと手ぇ洗うから待っててねー。このまま抱っこしたらキチャナイから」
「あい」
「「ッ……!?」」
刹那!!
武と結衣に強烈な衝撃が走った。
普通に電撃をくらった衝撃より遥かに上回るであろう、鋭く胸に刺さる精神へのダイレクトアタック。二人ともほぼ同時に膝から崩れ落ち、そしてカタカタと震える各々のマイボディ。
「んなっ……んですとっ!? だっ……こ!? こっこ……そうか抱っこ……ファック!!」
「『ねぇねぇ』……ですと!? だったらなぜ俺は『にぃにぃ』ではないんだっ!?」
「お二方それぞれの理由で驚いてますねぇ。流石ニーナですぅ」
余程ショックだったのか、結衣なんかもう何言ってるのか分からないくらい、ブツブツと小言を言ってらっしゃる。
「お肉うまっ! ブッブも食べます? 柔らかいですよ? なんというんでしたっけ……ズースィー? です」
「プゥゥ…」
「ぷぅぅじゃありませんよ。そんなんじゃ姫守れませんよ? 早く大きく、そして強い立派なドラゴンにならねば! さぁ! だから口を開くのです! 姫の為に!」
「プワワワワワワワ……ぷむぐっ!?」
「はいワンツー! もぐもぐ! スリーフォー! もぐもぐ!」
この一大事に、妖精リリィは呑気そのもの。ちょっとひいてるブッブに全くお構い無く、独自のスパルタ食育をしているようだ。リリィのせいで若干ベジタリアン思考になりつつあるブッブにとっては、これも中々に堪える修行の内の一つなのである。
「なぁなぁー!」
「んがっ!? ね、寝てないです!!」
「ナーナじゃなくてニーナだよーぅ!」
ナナは再び誰かに呼ばれたと勘違いしてガタッと起きると、うつらうつらに寝惚けながら酒を並べ始めた。これは棚ぼたラッキーだ。
そんな素晴らしき社会貢献をした事など気にも止めない櫻は、キッチンから出てきたニーナに手足をパタパタさせてだっこをせがむ。今や自発的に飛ばない櫻は、かなり珍しかった。
「きゃ……きゃわいい……」
普段はなかなか見る事の出来きないその櫻の姿を遠目で見る結衣は、ハァハァと息を乱しながら悶絶死しそうである。
「こっこー!」
「あいあいお待たせお待たせー! よいしょー! んむぅー……サクラはまだまだ軽いねぇー、けしからん!」
「んむ!」
苦しゅうないぞと、櫻は満足気だ。こうなってくると、ニーナもお姉さんに見えてくるから不思議である。
「「ありがとうござい……ました……ッ!!」」
そんな二人のやり取りを眺めていた武と結衣は、あまりの尊さに容易く死んだ。
「あれ? タケルとユイはどしたん?」
「お二人とも色々思うところがあるようですねぇ。今はそっとしておくのが良さそうです」
「そーなん?……あ、そーいえばサクラはフローラに会うの初めてだっけ?」
「んー? らぁ?」
「あはは、そうなん! ニーナのお友達の、らぁ!」
首を傾げる櫻は、ニーナと目を合わた後にフローラに目を向けると、どうやらウネウネと動くツルに少し興味を示したようだ。
「さっき会ったばかりですねぇ。こんにちはサクラちゃん。私がニーナのお友達のフローラですぅ」
と、フローラは優しく笑いながら櫻の手を取って握手する。因みにフローラは、人間の赤ちゃんを見ること事態が初めてだったようだ。
そんな櫻も既にフローラに興味津々で、最初こそウネウネと動く触手のようなツルに目を奪われていたものの、どうやら櫻的に一番気になるモノは、別のところに存在していたらしい。
「らー? ぱいぱい」
ギルド随一の立派なモノを前にして、櫻は無遠慮にペシペシとそれを叩く。その一部始終を見ていた遠くの客席からは『んおぉ……』みたいな、情けない声が漏れてきた。男共は何故か揃ってモジモジとしているが、これは確かに有料級に眼福な光景だ。
フローラにしても特に嫌がる様子もなく、櫻にされるがままなのもまた、絶妙にポイントが高い。
「みーく?」
「フフフ。流石に出ないですねぇ。こっちからお水ならでますよぉ?」
「みじゅ」
「はい。お水ですぅ。友好の印に飲んでみますか?」
「あい!」
フローラがツルから水を出してコップに出すと、櫻は不思議そうに眺めてチビチビと飲み始める。ミルクとジュース以外はあまり飲まない櫻だが、フローラの天然水分はどうやら気に入ったようで、あっという間に綺麗に飲み干してしまった。
「ぷはっ! らぁ。ないない」
空のコップを小さな手でフローラに返すと、櫻は再びニーナの体に自分の体を預けて、収まりの良いベストポジションを探り始めた。暫く探った後にどうやら落ち着く場所があったらしく、櫻の目は次第にトロンとしてくる。
どうやら抱っこを求めるのには、櫻なりの基準値があるらしい。今まで櫻がせがまなかったのは、見るからに自分が落ち着くポジションが無かったということ。男である武はまぁ仕方ないとして、同性のこっちの方が若干可哀想である。
「私だってあるもん……」
どうやら櫻の仕草を見て、直ぐに項垂れ悟った会員No.3。
そぉーっと自分で胸元を覗き、そぉーっと視線を地面に戻すその姿は実に哀れだ。心なしかさっきよりテンションが低い結衣は、完全に自滅したようである。
「あらら。お口に合いませんでしたかね? やっぱりミルクが良かったですかねぇ。出るか試してみますかぁ?」
「「「!?」」」
何かとんでもない事を口走ったフローラの発言の後、何故か遠くの座席で、一斉にガタンと音が聞こえた。 おいおいマジかよと、客達はザワザワと何かを期待している。平日の真っ昼間から、実に逞しい事だ。
「おいしかったよねー。ないないはお片付けってことだよー! ねーサクラ?」
「そうでしたかぁ。では大丈夫ですねぇ」
遠くの座席で、一斉にガクンと首が落ちた。しかし、その手の店より無駄にハラハラするなと、男性客のファンが悲しく増えたのは、後に武も知れるしょうもない話だ。
「うまっ!……ケプッ」
幸いにしてそんな男達の事など耳にも目にも触れなかった櫻は、満足げにゲップをしてウトウトとし始めた。もうこうなれば夢落ちまでのカウントダウンは、片手で足りそうである。
「フフフ。ニーナはよく分かってますねぇ。おねーちゃんみたいです」
「えへへー。だって仲良しだもんねー?」
「んねぇ~……? スゥ……スゥ……」
「ありゃりゃ。寝ちった」
「ふふっ。よほど落ち着くんでしょうねぇ」
キッチン側ではこんなにもキャッハウフフで盛り上がっていると言うのに、受付付近サイドは最早黒い空気しか流れていない。
「私の方が長くいるのにっ……向こうから来てくれた事なんてまだっ……グスゥ……」
「バッカ……俺の方が1年は長いんだぞ?……なのに何故にぃにぃと呼んでくれないんだ……」
あっちが陽なら間違いなくこっちは陰。仕事手付かずな上に空気感もちゃんと濁った雰囲気になった結果、その後の客足は分かりやすく減ったのだった。
ー ニーナと櫻と時々結衣 ー
「サクラはぜったい将来美人さんになるん! おめめもパッチリだし!」
「るー!」
「早くいっぱいお喋りしたいねー。私もまだいっぱいお勉強中だから、一緒に覚えよっか! こー見えて、真面目なおねーさんなんだぞー?」
「んー?」
「じゃー例えば……かわゆい! いっぱい! 真面目!」
「二人とも可愛いなぁ~。フフフ」
「ゆい! ちっぱい! みじめっ!」
どんがらがっしゃーーーん!! 植木にどぉーん!!