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第083話 物体Xは空を舞う

「のぉぉぉぉぉぉぉぉぉう!!」


 結衣の悲鳴が、これまでにない声量で轟く。

 原因は言うまでもなく結衣のささやかな体からこぼれ落ちた、ニーナの持つ物体X。

 成長期故に数年共にしてきた相棒が、無垢な少女によって回収されてしまったのだ。


 ―――あいつ温泉て前に、ここが町中でしかも夜中って事忘れてませんかね。ギルドが市民脅かしてどーすんのよ。てかなんであいつパン持ってきてんの? なんだパンて。風呂にパンはしなっしなになるだろ。持ってくるならどっちかというと米だろ……いや米でもだいぶおかしいけどさ!!


 男湯では武の疑問が無駄に加速。

 理解しようにも温泉イベントにパンの登場は難しい。


 一方パンだと認識したニーナは手に掴みとったものの、やや弾力のある感触に首を傾ける。素材は分からない。最近触ったもので近い肌触りは、隣でナナを痛ぶっているフローラのあの豊満な胸だ。自分と比べても、どちらかといえばフローラに近い。

 パンではなかったと理解したようではあるが、結果的に見慣れない三角形のこの物体が、ニーナの興味を逃す事はなかった。


「んんー?? なんかプニプニしてるん。 なんだこれ? スライムの断片かな?」


「ににに、ニーナー? それ返してもらえるかなぁ?」


 この場において慌てふためく怪しい人物約1名。

 盛大に湯に落ちた拍子と、トドメにアイリスに対してふんぞり返った拍子に水表漂っていたこの物体は、結衣の体の一部と言っても過言ではなかった。

 それ故に思春期の女子としてバレたくない恥ずかしさが、結衣の体のプルプルを加速させる。


「これユイのなん?」


「ど、どうかなー?……いやごめん私の……だから返して欲しいなぁと」


「いいけどこれ何か教えてよー。あ、もう一個あった」


 そんなの関係ねぇっ!!

 のがニーナだったり。


 再びすくい拾われた全く同じ形の謎素材。

 これで晴れて離ればなれだったパーツが揃った訳であるが、温泉に足をつける結衣の顔色はのぼせて赤くなるどころかどんどん青ざめてゆく。

 胸をペタペタ触って確認するも、当然親元は離れていた。


「のぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」


「さっきから結衣だけうるせぇな!? 何回叫ぶ気だあいつ!? てかパンもう一個追加!? なんだそんな腹へってたのか!? なにこれ気になって仕方ない!!色々とっ!!」


 堂々と壁に耳をつける事はまだ出来ず、武はそれとなく女湯側に肩を入れてみる。それでなくとも充分聞こえるが、やはり結衣を中心に盛り上がっているらしい。


「返してぇぇぇぇ!! ニーナ……には必要ないからそれ!!」


 改めて見るニーナの美麗な姿に涙だだ溢れな結衣。

 エルフの自然体には不必要な素材を取り戻すべく、ビショビショ娘は襲いかかる。はっきり言って物体Xは、裸を見られるより恥ずかしいのだ。


「わわわっ! 危ないよもー………じゃあこれ何か教えてよ!」


「そ、それはちょっと……知らないならそっとしておいて欲しいかも……」


 この気持ちが分かるのはせいぜい……アイリスくらいのものだろう。ただそもそも興味なさげなギルマスは、フローラに背中を洗われる事に駄々甘えていた。


「んはぁー……奉仕されてるっていいねぇ……マスター様々だわぁ~」


「マスターの体も意外とキメ細かいですねぇ。ニーナ程ではないですが」


「意外とって何だ……あっ……そこ最高」


「前も洗いましょうかぁ?」


「いや、流石の私もそれは恥ずい」


 その傍らでは巻き付いたツルを、知恵の輪の如くほどく侍が一人。この浴場において、全裸じゃないのは結衣とナナの二人だけのようだ。


「ぬっ……くっ……固いっ! 私も体も洗いたいっ!」


 基本的に怠惰なナナだが、普段から日に二回は水浴びする程風呂好きだ。下手すればこの場にいる誰よりも、その行為を好いている。だから先程からウズウズして仕方がないのだ。

 ただ、いつもは当然一人だった為に、こうして誰かと水浴びする事は新鮮かつ妙に恥ずかしくもあった。


「心配せずともナナさんも洗ってあげますよぉ。フフフ……前も」


「えっ……いや私は自分で……ちょっ……ワハハハ! や、やめろ! くすぐった……ニャハハハハハ!! ひぃぃぃぃ!」


 お気付きだろう。

 フローラは結構ドがつくSである。


「えー気になるよー! 食べ物じゃないし……ねぇ皆ー! これ何かわかるー?」


 と、シュルシュル回りながらついにニーナの手を離れる物体X。どうやら結衣の元へ帰りつくのは、まだまだ先になりそうだ。


「ちょっと投げないでよぉぉぉぉ!!」


「なんですかぁ?」


 ニーナから投げ渡された物を、フローラは見事にツルでキャッチする。しかし彼女には一番不要な素材であると共に、数百年生きたフローラでも全く分からない代物のようだった。


「初めて見ますねぇ。不思議な感触です。ニーナの言うとおり新種のスライムですかね?」


「ハァ……ハァ……やっとほどけた……ん? なんですかこれ? 小皿?……にしては保持力がないか」


「んー……私も分からんが何故かコレがすごく欲しい……何故だ?」


 謎の物体はニーナからフローラへ、フローラからナナへ、ナナからアイリスへと手渡されていく。

 不思議な物体に興味ありつつも、答えは見いだせないようで首が傾くばかりだ。とはいえギルドメンバーの一人が血眼ちまなこになってこれを欲っしているのを見ると、きっと価値のあるものだと解釈し観察にも気合いが入る。


「んなぁぁ! もう! 早く返してくださいってば!! そんな大層なものじゃない……」


「ふむ、おいタケルー。これ何かわかるかー?」


 そして最後に、物体Xはアイリスから壁の向こうへ投げ渡された。軟質素材は再び宙を舞い、無情にも壁の向こうへ消えていく。


 武。未知との遭遇まであと三秒。


「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!! 何回宙を舞うんだぁぁぁぁ!! そして見るな武ぅぅぅぅぅぅぅ!!」


ー 男湯 ー


「ん? なんだ? 遂にパンの奪い合いでも始まったのか? 風呂場でパン見て俺はなんて答えれば―――――」


 なんて思っている間に宙を舞う物体Xは弧を描き、狙ったように武の頭上へクリーンヒットする。


「いでっ!? なんだよもー……?」


 ―――いやまぁ実際には痛くは無かったんだけど、ついつい言っちゃうあれな感じでして。ただ思ったより少し重量があったな。なんだ? フランスパンですか?


 武は滑り落ちた水面に浮く謎の物体をすくい取り、ようやく騒動の原因を知る。


「あぁなるほど……そーゆーことですか……パンねぇ。ちょっと食べるには歯ごたえありすぎるなこれは」


 とは言うものの、これは果たして手に取って良かったのか……。要するにこの物体Xは、さっきまで結衣に装着されていた秘密道具である。本物を見るのは初めてだが、武にもそれくらいの知識はあった。


 何処でどう知ったのかは、武のみぞ知る。

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