第073話 路地裏の密談
とても戦闘後とは思えぬ雰囲気で、アイリスは武達の元に気だるげに歩み寄る。サキュバスは返事を期待出来ない彫像と化し、暫くは微笑を浮かべたままとなりそうだ。
その反面、アイリスの周囲で地面にひれ伏した住民達の氷はジワジワと溶けてゆく。アイリスの歩む一足が地面に触れる度に雪解けの様に氷を溶かし、先程まで拘束されていた男共は氷の枷から解放されるも、糸が切れた人形のように一人として動く気配はない。
どうやら凍結された事でサキュバスの催淫は解けたようだが、魔法の反動なのか気絶しているらしい。
「よし……帰るか」
と、やりきった表情でアイリスは突然にきびすを返すも、肝心の武達の所までは氷は解けきっていない。まだ膝下ギリギリまで氷で覆われ、アイリスから見て左からナナ、武、結衣、少し離れて地面ではデュラハンが全身凍結状態だ。
「ご足労無下にして放置!! 帰るのは止めませんけど、俺らの魔法解いてからにして下さいよ!? 凍傷なる!!」
「……いっそなればいい」
慌てて引き留めるも、アイリスはプクリと軽く片頬を膨らませ、可愛くない部下に冷徹な愛のムチを下した。
「もしかして拗ねてます?」
「まぁな。私まだ若いし」
「理由がイマイチよく分からないです……とにかく早く溶かして下さいよ」
そのお願いに返事はなく、アイリスはふてくされながら無言でチョイチョイと地面を指差した。
「……な、なんですか?」
「土下座」
どうやら愛情より明らかに非情の分量の方が、割合的に勝っているようである。
「膝まで凍った状態でどう折り曲げろと!!」
「膝の一個や二個砕けても問題ないだろ」
「最大二個しかないんですが!?」
そしていじけるアイリスを見て心の底で、『あっ、ちょっと可愛いかも』と思った結衣も、直ぐに我に戻って拗ねマスターのご機嫌を戻しにかかった。
「完全に拗ねてるね……あぁーもう!! メッチャ頼りになりましたって! 数分前に疑ってた自分が憎いっ! マスター出来る子! もうこのギルド入って大正解! ねっ!! 武!」
人生において必要な嘘もある。
アイリスの性格上、このままでは本気で放置されかねないと焦った結衣は、慣れないウインクであざとく武の同意を求めてきたのだが―――――
「え? あぁ……っと、ホントね! なんかこう……ね! 豚に真珠、ニートにタウンワーク、いや……虫に魔法みたいなね!」
「フォローヘタッ!!」
秒で助け船は沈没した。
「あと、ウインクに思ったよりトキメかなかった事を許して欲しい。スマン」
「私への謝罪はいらんけども!!」
「お前ら、春……迎えられるといいな」
「マスターの表情がもう氷河期に!!」
なんとなく褒められていないと察したアイリスの表情は、完全にOFF。既に武達を見限って無の彼方だ。
「すいませんて。いや、実際かなり助かりまし……ん?」
武が渋々と謝罪を入れた束の間、アイリスの歩みは二人以外の方へとその向きを変えた。
「で? コレが依頼主か? ったく……面倒な案件持ち込んできよって―――――」
「……ししょーと呼んで良いですか?」
「よし、採用」
「「なんでっ!?」」
だって素直に敬う奴の方がいいんだものと、アイリスが手をかざして最初に氷の魔法を解いた先は、銀髪の侍だ。そしてアイリスはそのままナナの脇を通過し、路地奥へと進みゆく。
「まぁ軽い冗談はさておいて、ちょっとお前らはそこで頭でも冷やしとれ。そこの銀髪、ちょっと来い」
「……私?」
「ん」
初対面ながらの指名に若干戸惑い、ナナはアイリスの背を追う。残った二人は、悲しくも直立放置プレイな状態となった。
「……ちょおぉぉぉッ!!!? マジで放置か!! 大人げない!! 頭ってか足が冷えてるんですが!!」
「あんたが宝のマジ腐れとか言うから、より拗ねちゃったじゃん!!」
「だってマジ腐……それは言ってなくないか!? くそぅ! こんなっ! 氷っ! なんてっ! 俺にかかれば……砕けないっ!!」
武は自分の拳をあらゆる角度で氷にぶつけてみるも、ダメージを負うのは我が身ばかり。その情けない無力さに、直立保存状態では膝を抱えて泣けないので、武は脱力した前屈姿勢で項垂れ沈む。
「き、亀裂すら入らんのか……魔法どうこうの前に、男としてこの非力さはどうなのよ俺」
「男のプライド云々にはヒビ入ったっぽいわね。てか武、何気に体柔らかいな」
「ん? そうか? これくらいは普通に曲が……あぁ……おでこが冷たい……これなら頭冷やせるか」
「あれ物理的な意味じゃないでしょ」
以後、武の体の柔らかさに食いついた結衣と共に、二人は前屈対決で時間を潰す事になる。そしてそんなくだらない暇潰しをしている一方で、路地裏では些細な密談が始まろうとしていた。
「罰が全然罰にならんなあいつら。さて……この魔刀はお前のか?」
サキュバスより奪った片刃の剣。
壁に背を預けたアイリスよりそれはナナヘと手渡されるが、彼女はすぐに受け取ろうとはしない。
「……それより彼女達……義母達を探さねば。無事か確かめたい。まだどこかで捕らわれている可能性があるらしい」
「あぁ、それなら大丈夫だ。まだ避難させちゃいないけどな」
聞けば、このギルドマスターは、自分達を助けにくる直前に住民の安全を既に確認していたらしい。未だ城内の地下に監禁されているらしいが、戦闘の巻き添えを考えてかそのまま待機してもらっているとの事。
アイリスにかかれば遠方への避難も容易かったが、また連れてくるのも面倒だなと頭を過ったので、先を見据えて面倒臭がったアイリスらしく、潔く放置してきた次第である。
「そうか……無事だったか。タケルに言われてから気が気で無かったから……助かった。あと貴女の仲間を勝手に借りて申し訳ない」
一先ず刀をひっこめたアイリスに、ナナはホッと胸を撫で下ろした後に姿勢を正して頭を下げる。そんな律儀な少女に対し、アイリスは適当な気だるげさでポリポリと頭をかいた。
「んあぁ、今日は休みだし別にレンタルは自由だから気にしなくていい。場所がここでなければ、私自ら来る事もなかったけどな」
「……正直、ここへは誰も来ないと思ってました」
「まぁ確かに、淫魔単機の襲撃は正直予想外だったな。君の行動がなければ、魔族共にみすみす土地を明け渡す所だった」
「私はただ……逃げただけで……」
「それは自分の実力を理解している賢い選択だ。それが出来る奴は意外と少ないもんさ。誇れとまでは言わないが、恥じる必要はない」
実際問題、元を辿ればナナが逃げ出せた事で最小限の被害に留まった。あと数日遅れていれば、奪還難しい魔女の拠点に成り果てた可能性さえある。
ウエスタンはバラスティア最東に連なる町の一角であり、バラスティアが一応に保有する、国土の境界でもある。その町へ、他国が魔族に襲撃されたかもしれない……という厳戒体制中に、いつの間にか侵入されていましたでは話にならないのだ。
「さて、被害は無くはないが……これくらいならまぁ問題ないか。金も何とかなるだろうしな」
アイリスが目を向けたのは、一部倒壊した町並。
現状、この国において魔族との接触による被害は、その程度によって見捨てられる事も多く、一々その全てに国の予算が出される事はない。だが幸いにしてウエスタンは、貴族でもない物好きなとある男による個人所有によって成り立つ、ギリギリにして法内となる町だ。
なのでアイリスの心配する復興費用は、間違いなくその男の懐により賄われる事だろう。しかし今後を考えると素直に喜べないのも事実であり、先々を見据えたアイリスの表情は固く険しい。
それを違う意味で汲み取ってか、ナナの表情も似たり寄ったりだった。
「……魔刀は本来、私の物ではないです。ですが売ればそれなりにお金になるかと」
詳しい価値こそ知らないが、今やヤマトの遺産とも呼べる魔刀は、この国の貴族の間でも希に取引されている事をナナは知っていた。
鍛冶職を生業とするドワーフにも作ることの出来ないとされた、ヤマトの魔刀。武器としての価値もさながら、技術としての価値の方が数段に高い品でもある。だから、元々ナナはギルドへの依頼達成報酬として、この刀を差し出す予定だったのだ。
しかしナナの意図を早急に察して、アイリスは腕を数回軽く横に振る。
「ん? あぁ違う違う。別にそういう事が言いたいんじゃなくてな。これも、単に前に見たことがあったというだけだ」
「カタナを? まさか、ヤマトに行ったことが?」
ナナは少し驚いた表情を見せた。
しかしどうも、アイリスの反応を見るにそうではないらしい。
「あー……それも違うな。私は行った事はない……行く前に、 解決してしまったからな」
薄く笑いつつも何処か寂しそうにそう語るアイリスに、ナナは首を傾げる。
「?」
しかしそうなった表情はほんの一瞬だけで、アイリスはほんの数秒だけ深く目を瞑った後に、直ぐに別の思い出に対する気持ちへと切り替えた。
「なに、知り合いというか……武器のコレクターがいてな。昔一悶着あって、これを見てたら嫌々思い出してしまっただけだ」
本当に嫌なのだろうと、分かりやすくアイリスの表情はヒクついている。しかしそんなコレクターと知り合いならば、価値を知っていて当然。ナナにしてみれば、断られる言われは尚更全くない話だった。
「では価値についてはご存知な訳ですよね。であれば……」
そんなナナの言葉を遮り、アイリスが首を振って続ける。
「確かに生唾物の一品だが、これを受け取るにはうちのギルドじゃ釣りが足りん。誰の物だったにせよ、今の所有者は君なのだろう?」
「それはまぁ……そうですけど」
「手放すのは自由だが、せめて預ける相手は考えるべきだな。少なくとも淫魔に釣り合う品ではない」
と、アイリスはチラリと氷の彫像へと目を向けた。
「私にも到底釣り合う品では……」
「かもしれないな。しかし魔族に劣る器でないと、私は願いたい所だ」
それよりも……と、一言据えてアイリスは話を続ける。
「君はどうやってこの町へ来た? 道のりは険しいで済む程、ぬるくはなかっただろう? それにここの結界。あの淫魔ごときで破れるような、安い物ではない」
通常、国土の境界となる町には強力な結界が張られている。魔女による強襲ならば破られても納得ものであるが、今回の襲撃犯は淫魔一体のみ。良く見積もって中級魔族であろう淫魔ごときに破れるとは、到底思えないのだ。
つまるところ、結界を破った者と襲撃犯は、別個であるとアイリスは踏んでいた。
「それは……」
口をつぐむナナから言葉は漏れない。
しかしアイリスからすれば、それはもう答えを貰ったに等しかった。
「まぁいい。個人の事情だろうしな。見た感じ、君の他にもリスト外は数人いたが……報告しなければ特に問題もないだろ。別に私は頼まれた依頼でもないしな」
家を失う事はけして珍しい事ではない。
アイリスもその光景は、嫌になる程目の当たりにしてきた。
そもそも、この境界の町に勧んで住む変わり者はいない。彼女達はともかく、それ以外の住人はここでしか住む事を許されていないのである。
「詮索しないと?」
「ん……今日はもうやる気がないんでな。知らない方が互いに幸せな事も多いだろ」
「あの人達に会った時から思っていたが、言動や行動があまりギルドらしからない気が……」
やや呆れたように、ナナは笑ってみせる。他のギルドの方ではこうはならなかっただろうと。
「昔からギルドってのは好き勝手やってこそだ。らしからないのは、今のその他多数のギルドだろうに。見ているだけで居心地悪い所ばかりだぞ」
「それでは……疎外されてしまいませか?」
「どうだろうな。その変は気にしてないから、周りの反応は知らん。私が楽しけりゃ、それだけでいいんだよ」
そう言って、アイリスは再び刀を差し出した。
「…………」
その自由な生き方に、無言で刀を受け取ったナナの心は再び揺り動かされていた。アイリスの生きるスタイルは、ナナの目指す道にピタリ当てはまってしまったようだ。
そんなアイリスに心打たれて仄かに感慨深くなっている最中、再び路地奥から叫び声が轟く。ナナは一瞬肩をビクつかせたが、どうやら前屈対決で時間を潰すのも、寒さに耐えるのにも、そろそろ限界が訪れた者達がいるらしい。
「アイリスさぁーん!? そろそろ足の感覚がーーっ!!」
「へルゥープ! キューティクルマスターへルゥープ!!」
そんな声を聞いてアイリスも預けた背中を切り離し、腕を上げると共に全身をのびのびと伸ばしきる。
「くぅ~~っと……さて、予想外の仕事も終わった事だし、おいとまするかね。あとの面倒事はうちの総大将に任せる。暇そうだったし大喜びだろ」
「そう………たいしょう?」
面倒そうな後処理はグランドマスターに任せる事に。再びあの場所に行くのは面倒この上ないが、全部自分たちで処理する事と天秤にかければ、どちらが楽になるかは明白だ。
ここの町の所有者としてせっせと面倒も見るだろうと、アイリスは大きく欠伸をあげる。どうやら彼女の中では、もう完璧に一件落着として処理されたようだ。
そんなアイリスを見てクスっと笑うナナは、アイリスが何となく口にした言葉を思い出した。
「……あの、ひとつ気になったんですが」
「ん~?」
「さっきの採用というのは?」