第006話 38歳の初体験
流石は魔法のある異世界だ。
この程度の解体作業なら、女性二人で一時間もかからないらしい。
「向こうまで宜しくー。よし、これでスッキリしたな。二人ともご苦労様だった」
「ふぅ………いい汗かいたッス!」
「やはり結構精密で緻密な作りでしたね。興味深かったです」
清々しく汗を拭うクローネはいつの間にか元の小さな少女に戻り、キッシュは仕事を終えた事に対して満足そうに本を静かに閉じた。
レインもまた何やら事細かな書類を書き終え、満足そうに頷いているようだが、亮平は遂に跡形も無くなった我が家に泣きむせている。
「あぁぁぁぁぁ………我が家のリビングがぁぁぁぁぁぁ」
「がぁぁぁぁ♪」
言葉をぐんぐん吸収する櫻は直ぐに真似をする。そこが可愛いらしくもあり、余計な言葉を覚えさせまいとシスコン武の育児はいつも繊細かつ過保護である。
「親父が頑張って働いて建てた家だ。ここは感謝して見届けようじゃないか。なーむー」
これがせめてもの手向けだと、武は手を合わせて我が家の残骸を見送った。
「むー」
ついでに櫻も上手に出来ました。
「………さて、緊急会議が急遽終わっちまったぞ親父。これからどーすんだよ?」
「ぐぅぅ……だが、まだ慌てる時ではない。一先ず整理して状況を確認しよう!」
おっさんの泣き顔ほど酷いものはないが、この状況でそこを責めるのは野望というもの。殆どヤケクソ気味ではあるが、亮平が折角現実を受け入れようとしているのだ。
しかし、そんな遅すぎた決意表明に対して追い討ちをかけるというのが、この異世界というものである。
―――――ガチャン!!
はて、一体今何が起きたのか。
突然聞こえた聞き馴染みのない音の発生元に亮平が視線を落とすと、何故の自分両手が綺麗に拘束されている事に気がついた。
倉元亮平38歳。人生初の手錠体験である。
「ん?」
「おぉ、手錠なんか初めて見た。すげぇ」
とはいえ、普通の手錠よりは非常にゴツく、見た目だけでもかなり重そうな構造をしている。恐らく鉄製だろうが、あんなモノを付けられては万が一に逃げられても、そう遠くに逃げる事は出来ないだろう。
それによく注視してみれば、キッシュの本からうっすらと鎖のようなモノも伸びている。先程のリビング解体時の時もそうだが、モノにとらわれずに何かを拘束する事がキッシュの得意分野なのかもしれない。
「何で俺手錠されたんですかね!?」
「何でも何も、貴様が彼達の責任者であろう?」
「それは……えっとぉ……確かにそうですけどぉ……」
どうやら代表者1名様だけ連れてかれるっぽい。内心自分も連れて行かれるんじゃなかろうかとヒヤヒヤしていた武だが、なんとか生け贄一つで逃げ切れそうである。
「ふぃー……助かった」
「たける?」
「スマン親父。こっち見ないでくれ」
ここから入れる保険はもうないのだと。
武は清々しいくらいに、泣き目で訴え続ける亮平の視線をプイッと切り離した。
「交通妨害及び無断建築で連行する。調書もとらないといけないんだ。悪いな」
「えっ……いやちょっと………え!?」
「キッシュ、連れて行ってくれ」
「はーい。それじゃあ行きましょうねー」
アタフタする亮平を否応なしに引っ張りながらキッシュは連行し、レインは武の元へと歩み寄る。
「確かタケルさんとおっしゃいましたかね? ちょっとお父さんをお借りする」
「はい。ちょっとと言わずに何日でもどうぞ」
「たける?」
「後日連絡しますので、今日の所は町の宿にでも滞在しといてください。お金は………ありますよね?」
足りなければお貸ししますが……と、レインは言うが、倉元一家が複雑な事情持ち故に、宿も取れぬ日銭稼ぎでこんな事をやったのではないか? という可能性も危惧していたのだろう。
長年色んなタイプの悪党共と対峙してきたレインの嗅ぎ取った本能に従えば、倉元一家は手を差し伸べる基準には達していたという事だ。
しかしそんなレインの心配なんのその。
武的に理由はさっぱりだが、見知らぬ異世界にも関わらず奇跡的に一文無しではない。いつの間に詩織が回収していた巾着袋が鈍器になるくらいには小金持ちなのだ。
「はからずともお金は何とかなりそうですかね。お気遣いありがとうございます」
「なに、こちらが勝手に困っているのではないかと決めつけただけだ。色々と事情があるのは間違いなさそうですがね」
レインはそう言いながら困ったように優しく笑う。
武はその表情だけで、この町はきっと平和な所なんだろうなと思えたような気がした。
「一応聞いときますけど、俺らは逮捕しなくても大丈夫なんです?」
「はい。一先ず大丈夫ですかね。悲しい話、うちの拘留所はそこまで広くないもんで。軽く話を聞きたいだけですから、今日は代表者一名だけで結構ですよ」
「そうですか。まぁあんなんですから、お手柔らかにお願いしますね」
「アハハ。善処しますよ。ではこれで」
そう言って軽い会釈を済ませたレインは、長い金髪を靡かせて凛々しくその身を翻す。多少おっちょこちょいな部分もあるようだが、様になるその背中は格好良いなと素直にそう思う武であった。
「クローネはキッシュと先に帰って書類と牢の掃除を頼む。私は当初の予定を済ませてから後で合流する。今日も居るかは知らんが、ここのスライムも、どうせあそこから沸いたんだろうからな」
「了解ッス!」
「え!? 嘘!? 本当に!? 俺逮捕され……うわぁぁぁぁぁぁ!!」
「……親父ぃぃぃ!!」
「た、武ぅぅぅぅ!!」
言い忘れていた。
これだけはちゃんと言っておかねばと、みるみる小さくなっていく亮平に対して武は大きく息を吸って声を張り上げる。
「俺らに保釈金を出す余裕は微塵も無いッ!!」
「お前ちょっとさっきから父の逮捕に対しての感情操作が柔軟すぎやしないか!? もっと抵抗しろやこの親不幸ものッ!!」
「俺は悪くない。いつもと違う柔軟剤が悪い」
「んな訳あるかぁぁぁぁぁ!!」
そんな抵抗虚しくズルズルと連行される父親に最後の一言を言い放ったのは、無情にも倉元家の長女だった。
「バイバイねぇ~」
もしかしたら帰って来ないかもしれない父親に、なんと健気な妹なのだろうと、武はうんうんと黙して関心した。
「全然バイバイじゃないよさくらぁぁぁぁぁ………………」
さらば亮平。いつかまた会える、その日まで。
今日のご飯はきっと塩辛くなるに違いない。
「今度何か差し入れでも持って行ってやるからなー。それよりさくら! 俺も浮いてみたいんだが! 教えてくれお兄ちゃんにその魔法!」
「んー? ふわふわ?」
「そう。ふわふわ!」
櫻は万歳をして「よっしゃ任せろ!」 とでも言っているようにジェスチャーで返すが、天才櫻先生の指導はやはり生半可なモノではなく。
「んやぁー……ポイッ! なーなーのー、ふわふわ!」
「ふんふん」
「んー! パッ! んー! パッパ! どーん!! め?」
「なるほど」
やはり櫻は天才だ。凡人では何を言っているのかさっぱり分からない。先生はこんなにも優秀だが、いかんせん生徒の要領があまり良くはなく。武が何度繰り返しても、全てが程度の良いジャンプで終わるだけだった。
「先生無理っす」
結局謎の運動が続くだけで嬉しい実りもなく。いい加減そろそろ諦めようかと思った頃、今度は店での談笑を終えた詩織が帰ってきた。
「あら? お父さんは何処に行ったの?」
周りの景色は未だに見慣れないものの、買い物籠を下げる詩織は普段通りの主婦の出で立ちだ。後は服がパジャマでさえなければ、完璧に地元民として溶け込める事だろう。
「えらく呑気だけど、親父なら人生初逮捕くらって連行されていったぞ。割と呆気なく」
「あらそうなの?」
「そうなの」
「あ、そうそう。今日のお昼はお魚にしたからねー。焼き魚と煮付けどっちがいい?」
「俺が言うのもなんだけど、我が家の主って昼飯以下の扱いなのか。あと魚が……なにそれ怖っ!? それ魚なの!? 足生えてっけど!?」
見たところ、サンマの様な魚に羽毛の生えた鳥の脚っぽいのが4本もついている。種族は一体何なのだろうか。水辺で取れるのか陸で取れるのかも分からない。
「この辺りじゃ珍しい天然物らしいわよ?」
「まだ一個手前の珍しさに驚きが止まらないよ俺は。これはアレだ。カニやタコを一番最初に食った人凄ぇな……みたいな感覚に似てる」
あんなものでっかい虫やぬるぬめエイリアンでしかなかったろうに、アレを大阪名物や高級食材にまで押し上げた人類は、きっと思った以上に単純バカなのだ。
だからきっとコイツも普通に売られるくらいには旨いのだろうが……この先、倉元家の定番食になるにはもう少し時間がかかりそうである。
「てゆーかお袋、もうリビングがねぇよ。ついでに言うと最初から台所がねぇ」
「折角だしお刺身にしましょうか。新鮮だし美味しいわよきっと」
んダメだぁー!
もはや会話など成立していない! 異世界とか関係無しにどうしても主婦をする気か! なんてできた母親なんだ!ありがとうっ!!
よく分からないが、改めて母に感謝する結果になった。
そして浮いた櫻に関しては、今度は噴水の水を操り自分の分身をつくって近所の子供達と無邪気に遊んでいる。
「なにあれどっから魔法覚えてんの? なんで作れんの? 念じればいけるのか?」
この差は一体何なのだろうかと。
武は右手を前にかざしてふーーーんっ!!!と念じてみる。こんなモノが手のひらから出れば格好いいだろうなと、そんなイメージを展開した先は、先程キッシュが出していた鎖のような何かだ。
「・・・・」
だがしかし、やはり何も出ない。 うんともプスっとも言わない。強いて言うなら、虚無感は出たという所だ。
「折角のファンタジー世界……望んだとて来れる所でもない………なら何としても魔法は使いたい……ッ!」
さっきの兵士さん達のようなかっちょよさげな魔法は諦めて、武は別の事を試してみる。
人類の永遠のドリーム。
そう………それはやはりフライアウェイ!!
「浮けぇ……浮けぇ……浮けぇ……」
先程の特訓では無理な結果に終わったが、それはまだ雑念が多かったに違いないないと。武は真剣に妄想力を膨らませる。
足先が当たり前のように床を離れ、ゆっくりと浮くイメージ。魔力という未知のエネルギーが、身体を流れて自分を上に押し上げるイメージ。そして優雅に空を漂う、天使のようなイメージ。
妄想は得意だ。ましてや魔法の使い方など、小説、漫画、映画、アニメで説明書を読んだも同然。ここまで来といて使えない方がおかしい。現に櫻が飛べているのだから、飛べないという理屈は通らないのだ。
「櫻に出来てるからいける! 俺なら飛べる!! そう、俺は櫻のお兄ちゃん!! ならば行こう!! I Can Fly!!」
――――――それから3分が経過した。
「あいつさっきから空見上げて拳突き上げたまま動かないけど何やってんだ?」
「さぁ? どっかの宗派のお祈りなんじゃね?」
生憎武は無宗教である。
「……………………I Can't Fly!!」
そして無宗教が原因なのかは不明だが、結局棒立ちのまま天日干しをされただけで、うんともすんともならなかった。
「まぁ異世界的には浮いた存在になってますけどね!ナッハッハッハッハッハーーー!!……笑えないっ!!」
「ふわふわぁ~」
「見てみてフィーネ! なにこの子可愛い~! どうやって浮いてるのー?」
「ふふっ。ほらお姉ちゃんの所においでー! 飼い主はどうした? クッキー食べれるかな?」
「も~、犬じゃないんだから」
武の周りはこんなにも静かだというのに、櫻の周りにはいつの間にか沢山の人が集まっていた。今では杖を持った猫耳の少女と、かなり大型の剣を背負った女性騎士がメロメロになっているようである。
「…………」
これが、世界に愛された者とそうでない者の差であるらしい。
「チクショウ! なにこれなんで!? あれか? 邪念があると無理なのか!?」
あわよくば魔法使って、冒険者にでもなって誉めちぎられてモテモテになる!とかそんな野望あったりするとダメなんですかね!?
「ふんふふーん♪」
「ん?」
劣悪極まりない世界に嘆いてふて寝しかけ武だったが、ふと聞こえる鼻歌にピクリと反応する。次いで鼻に届いたのは食欲そそる香ばしい匂いで、思わずお腹の虫が鳴ってしまったくらいだ。
気になる匂いの元に目を向けると、そこには何処から出現させたか不明な即席キッチンでご機嫌にお昼の支度を始めている詩織の姿があった。
「んっん~♪ もうすぐお昼出来るからねぇ♪」
「えぇ……」
更に料理の手順も普段とは違い、食器を洗う水や食材を焼く炎に至るまで、その全てを完璧な魔法捌きで解決しているらしく。指先一つで複数の食材を難なく同時に捌くあたり、風系統の魔法も問題なく扱えていそうだった。
「俺が主人公じゃないのかこの世界……マジで」
この異世界家族召喚。兎に角待遇の差が酷く激しい。
でも変な魚(?)は引く程美味しかった。
ー 亮平とレイン ー
「俺は何もしてないのにぃ……あいつら寂しがってるんだろうなぁ……はぁ………」
「まぁ牢の中ですがくつろいでおいて下さい。書類が準備出来たら呼びますから」
「はぁ………犯罪歴が………俺の人生に逮捕の汚点が………」
「いや別にそこまで落ち込まなくても。後悔するなら何故あんなもの建てたんですかまったく………」
「家建てるのが悪いってんですかぁぁぁぁ!?」
「場所がダメなんですって!! 建てる場所もっと沢山あったでしょうに!!」
「あれ以上坪単価高い所いったら肝心の家が狭くなっちゃうでしょ!? 俺の月給で高層マンションに住めってか!?」
「こーそーまんしょんて何!?」
「高い所ですよ!! 色々とっ!!」
「高い所が良いなら山にでも住めば良いだろう!?」
「高けりゃ良いってもんじゃないっ!!」
「結構ワガママですね!?」