第059話 大きな都市の屋の下で
バラスティア国、首都バラスティア。
王都とも呼ばれるこの都市は数十メートルにもなる石壁に囲まれた城塞都市であり、この国において最も栄えている場所だ。
綺麗かつ美しい石造の町並みであり、ここへ住み移る事に憧れを抱く者も少なくない。
そんな羨望される都市に、この国のギルドを束ねるグランドマスターの拠点が存在している……とされているが、場所は各ギルドマスター以外には機密であり、冒険者でさえも知らない事が多い。
20畳ほどの薄暗い部屋。それなりの広さだが、中央に位置するカウンターテーブルの他余計な物はない。
煌びやかなステンドグラスが壁面に並ぶも、早朝にも関わらず外からの光は一切差し込んでおらず、天井に下がるライトからの淡い光のみがたち揺れる。
「うぃーっす。金くれー」
「……おや?」
本日そんな場所へ顔を出したのは、小さな町のギルドマスター。円形ホールに、扉からではなく空間に突然としてヌッと現れるも、受付員は特に慌てるでもなく慣れた様子で出迎える。
「相変わらず期日ギリギリですねぇ、マスター・アイリス」
黒いスーツとも呼べる服を着こなす女性はカウンターテーブルに腰掛け、愛用のナイフを壁の的に投げながら遊んでいるようだった。その背には、黒服と対象的な美しく白い翼が収まっている。
しかしアイリスも同様に、その光景に特に驚く様子もない。現れた時同様にポケットに手を突っ込み、フードをかぶったままのやる気のない立ち姿だ。
「他の奴らと会うと色々面倒だからな。先月は運悪くキクリに出くわして、長いこと拘束されたんだ」
「アハハ! 実はマスター・キクリなら今月も待ち構えてたんですけどね。ただお店が忙しいようで、惜しくもニアミスです」
「いいね。それ聞いて安心した。そのまま永久に繁盛してるといい」
「ふふっ。あ、それとマスター・ウォーカーなんか貴女に会うために、ギルド休んで昨日までここで寝泊まって待ち伏せていましたよ? 直ぐに迎えにきたショットさんに、半場強引に連れ去られましたけどね」
人気のあるアイリスにクスクスと笑いながら、受付嬢は的に刺さるナイフをその場からフワリと引き戻し、座ったまま足のホルダーに刺し戻す。
指先の糸を手繰り寄せるような仕草の後、ストンとカウンターから降りると、魔法陣を起動するなり部屋全体が小さく震えだす。
壁を見れば原因は明らかで、この部屋ごと下へ下がっているようだった。上を見あげれば、先程の円形天井が徐々に遠ざかっていく光景が確認出来る。
「だから、そういう奴等に会いたくないんだっての。どうせ闘技場への誘いだろ……出ないっちゅーの暑苦しい」
「一回くらい対決してあげればいいじゃないですか。闘技場くらい予定組んであげますよ? マスター・アイリスであれば、ファンも沢山つくと思いますが」
受付嬢がせせら笑いながら予定を促すも、アイリスの顔は淀んだままだ。
「メリットがまるで皆無だな。それより、私の代理でお前が出ればいい。事務作業ばかりで体も鈍ってるんじゃないか?」
「アハハッ! 嫌ですよー。だって私、弱い人は嫌いですからね」
後半の間を置いた発言に、僅かばかりの冷徹さが入り混ざる。表情にこそ変化はないが、かつて『喉切』と呼ばれた名残なのか、その目の奥にはこの場所同様に生きた光は見てとれない。
彼女が今何を想像しているのか考えたくはないと、アイリスはしれっと視線を壁へと戻した。
「私の背筋を凍らせるのは貴様くらいだよ」
「ふふふ、何をおっしゃいますやら。さぁ着きましたよ。中でグランドマスターがお待ちです」
受付嬢が差し出した手の先には、石壁に現れた扉なき入り口。そしてそこをアイリスが潜ろうとした矢先に、その奥から足早にこちらへ駆けよる人影ひとつ。
「おぉー!! よく来た愛しの愛弟子ぃぃぃぃ……んぐっ……」
と、白髪のご老体が身を屈めて飛びつきかかるなり、アイリスは片足を上げてその靴底で、ゲシッとご老体の顔面を真正面から受け止めた。
「毎度毎度先に出てくるな。お待ちですって言われたんだから、部屋で待っとくのが主の勤めだろうが」
「相変わらず冷たいなもー。まぁまぁ積もる話もあるから座りなさいよ! ワシに!」
中腰のまま顔面を踏まれる奇抜な事態ながらも、とくに動じないご老人。アイリス同様にローブを羽織り、ドワーフ並みに立派な髭をこしらえている。
「なーにがワシだ。私は直ぐ帰って寝たいんだ。いいからさっさと金出せやこら」
「給料貰いに来てその口調と態度なのは、毎度君だけだよ……」
シュンとしながら、ご老人は入り口の奥へと案内する。
アイリスの背後では、静かに元の位置へとせり上がっていく円柱壁が感じとれた。そこから数メートルも歩けば、ホールよりは少し狭まった部屋が一室。暖炉のお陰で仄かに暖かく、上階のホール程薄暗くもない。
壁一面に敷き詰められた書物を見ると、部屋というより書庫に近い場所のようだ。
「しかし、いつの間にか社員が随分と増えたみたいだねアイリス。面白い子達で楽しそうじゃないか」
「確かに賑やかになりましたよねぇ。マスター・アイリスは 急に母性でも目覚めたんですか?」
「馬鹿言うな。私は親の気持ちなど知らん」
お茶を差し出す受付嬢の笑みた質問に、そっけなく返すアイリス。そのままぶっきらぼうに茶を受け取ると、適当に置かれた椅子に腰かけて一息つく。
グランドマスターなる人物もカップを受け取り、定位置と思われる椅子に座すると、背もたれながら机の書類を手に取った。
そこに書かれているのは、先日アイリスが提出してきたギルドの報告書だ。
「―――少年、少女にエルフと森精霊。ん……首のない魔法の鎧もいたかな? 社員にしては随分と豪華なメンバーだ」
アイリスから報告書が上がったこと事態、随分と久しい事だが、それよりも問題なのはこの鎧だ。遠回しに書いてはあるが、世界の外敵である魔族を指しているに他ならない。恐らくは数年前、騎士団によって討伐された筈の個体と同型のものと推測される。
「最後のは無休に無給で24時間働く便利な労働力だよ」
茶を飲みながら、アイリスは特に気にする様子もなくグランドマスターの真意にそう答える。
「まぁ君の考えだ。しかし我が国の治安に関わる火種には違いない。驚異と判断する前に、処分が下される場合もあると分かってるかな? 廃棄と同時に、君のマスター称号の剥奪もありえる」
「カレン。おかわり」
グランドマスターがキリッと視線を向けても、アイリスは同じ場所、同じ時間を共有しているとは思えぬ自由っぷり。受付嬢であるカレンもはいはーいと動じる事なく、空のカップにお茶を注いでいた。
「聞いてっ! 結構大事な話なんだからっ!」
今日も、グランドマスターとしての威厳はない。
どうもそんな一日になりそうだった。