第050話 早朝のリーフラビット
ヤマダ町一角に多く点在する宿屋のうちのひとつ。『ラミヤ亭』で今日も朝を迎えた女性冒険者がひとり。
しかし夜と変わらず部屋の明かりは灯り、窓のすぐ外は隣の宿の石壁が差し迫っている為、太陽の光は降り注がず。入ってくるのは、招き入れていない羽虫くらいのものだ。
服を纏わぬ妖艶な姿でギシリと鳴るベッドから身を起こし、カーテンのない窓に目を向ける。そこから見えるのは壁ではなく、ガラスに写し出された今の自分の姿だ。洗練された体つきであり、ベッド横に置かれた大剣をみれば引き締まった体の維持も頷ける。
胸の中心には幼い頃より共にしてきた刺し傷に縫合の跡。
綺麗な肌に無縁の傷をなぞり、そのまま流れるように握りしめたのは、蒼銀のロザリオだ。
「…………」
そのまま目をつむりながらトクンと脈打つ心臓の鼓動に耳を預け、フィーネは心から生を実感する。
「今日もこの命に感謝します」
そんな祈りから始まる毎朝の恒例行事をしていると、空きベッドの下からモゾモゾと音がするなり、獣耳を筆頭にした小柄な体が顔を出した。
「んん~っ? もう朝ぁ~?……いでっ」
しかしまだ夢と現実の狭間にいるような表情で、うつらうつらとする少女は、睡魔の余韻で床に何度か頭突きを食らわせている。
「おはようポッツ。またベッドの下で寝ていたのか?」
呆れて笑うフィーネに目をこする寝具下のポッツ。
ベッドに絡まる寝間着に苦戦しつつ、何とか身を起こしてフルフルと体を震わせると、ポッツは尻尾もろとも体を伸ばす。
「暗くて狭い所が寝やすいんだもん……ふあぁ……今日はどうするの?」
「んー、暫くは新しい仕事を探さないといけないからな~。あ、この前話を持ちかけてきた……えーっと、確かツァレルさんだったっけか? 彼に仕事ないか頼んでみる?」
フィーネは、少し前に酒場で会った小綺麗風の中年男性を思い出す。彼からは、やたらと仕事をしないかと頼まれ、内容こそ伝えずに日当金貨一枚と銀貨五枚の報酬を持ちかけられた事があったのだ。
「うぇー……あの人、非合法な売春宿を経営してるって噂だよ? 可愛い私なんかすぐに売り飛ばされちゃうよ」
しかし、どうやら初見で既に胡散臭いと踏んだポッツなりに、ツァレルという男の情報を集めていたらしい。その結果として、ポッツのお眼鏡に叶うような人物ではなかったようだ。
「貴族でもないのに香水くさいと思ったらそゆことか」
「大体、仕事の内容言わないなんて怪しすぎるでしょ。綺麗な格好であんな酒場にいるのも胡散臭いし」
そんな奴の依頼を受けるのはないない……と、ポッツは大袈裟に手を振りながらそんな事を言う。しかし、この疑り深いポッツの懐に、しれっと潜り込めた人物もいる事を知っているフィーネは、当時の状況を思い出してクスクスと笑う。
「フフッ。そんなに人の洞察に優れているのに、直後に現れた水玉男に警戒心は抱かなかったのか?」
二人の記憶に根付くのは、どちらかと言えばこちらの男。
剣を持つのに腰にも背中にもかけず左手に握りしめ、見たことのない薄青の布にあしらわれた白の美しいまでの円模様のそれを上下にそれを着込み、物珍しさにうっかり目が合うなりドラゴン討伐を持ち掛けて来た、あの無謀男の存在だ。
普通なら笑って追い払うような話だが、その真剣な目と溢れる自信の立ち姿に、思わず無言で手を取ったのは記憶に新しい。
「だってあんな自信に満ち溢れてたんだもん……それになんというか、獣の直感的に悪い人って感じしなかったし」
「直感ね。だとしたら私も獣人族なのかな。善人特有の温かい―――――」
「お二人さーん。朝食できたけど今日は食ってく……あっ……」
そんな二人の話に突然扉を開けて割って入ったのは、この宿の主人だ。だが、そのタイミングは非常にマズかった。
「「あ………」」
部屋から間抜けに声が二つ程漏れたのは、朝日より眩しくも若々しいフィーネの裸体を、宿屋主人の瞳に焼き付けるチャンスを与えてしまったからである。
顔を段々と赤く染めるフィーネは慌ててシーツをベッドから剥ぎ取り、直ぐに自分の体に纏わせた。
ポッツはかろうじて1枚羽織っていただけなので、余裕を持って哀れみのジト目だけに切り替わる。
「オッチャン……何か言うことは?」
「なんか……その……ありがとよ」
テヘッと白髪混じりの頭を撫で、軽く頭を下げてお礼を述べたのは、御歳59になるこの宿のご主人だ。
「何をテヘッて感謝しとる!? 普通謝罪すべき場面なんだけど!?」
「いやな、だって最近は女房のダルダルの老婆スライムみたいな体しか見てな……イデデデデ!?」
不満気に愚痴を溢す主人だが、突然耳に激痛を感じて身を捩る。その原因は、ご主人の体格よりひとまわりも体格のいい、気さくで豪快な女将さんだ。
ラミヤ亭はこの二人と、今は不在の娘の計三人で切り盛りしており、今日みたいなハプニングがなくとも大体騒がしいのが、この宿の日常である。
「だーれがダルダルだバカ亭主。ゴメンねフィーネちゃん、ポッツちゃん。朝ごはん作ったから食べてきな」
「アハハ……着替えたらすぐ行きますー」
「オバチャン、今日ミルクある?」
「勿論さ。温かいの用意してるよ。ほら! あんたはさっさと仕入れにでも行ってきな!!」
「あいでっ!? 蹴るんじゃねぇよ! 骨砕けちまうだろが!」
「こんなんで砕けたら離婚さね! ほら行った行った!」
「仕入れならさっき行ったじゃねぇか! あれで足り……痛ぇっつってんだろ!?」
「あんなんじゃ足りないよ! うちの評判これ以上さがんないからって、油断してんじゃないよ!」
その後もボコスカに殴られる主人と、ボコスカに殴りつける女将さんは、仲良く一階へと消えていった。
「「……プッ」」
そんな二人のやり取りを見てフィーネとポッツは同時に吹き出すと、栓が抜けたように笑い声が宿屋に響く。他の宿泊客達もそんな彼女達の笑い声を目覚ましにして、それぞれの朝を迎え始めたようだ。
「さて……私たちも行くか」
「はぁー面白かった。それで? どこ行くか決めたの?」
色々と考えた末にフィーネの頭を過ったのは、最近足を運んでいなかった場所だ。そして装備を纏いつつ、フィーネは最後に剣を背負うと、今日の目的地をポッツに告げた。
「ん、久々にアイリスの所に行ってみるかな」
「おぉ! アイチャンか!」
彼女達は今日もラミヤ亭を後にする。
そしてその後に待ち受けていたのは、すっかり見違えたギルドと、そこで働いていた新しい冒険者仲間の息子夫婦達との、久方ぶりの再会だった。
「「ここどこ!?」」
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この町には城塞とまでは呼べないが、町外に出ようとすれば周囲を取り囲む石壁を抜ける必要がある。
西の端には大きな門。
その先は広大な荒野と山脈が続き、その先はエルサレム国へと繋がる。そこはバラスティアと並ぶ三大国の1つだ。
門からは概ね商業目的の荷車が出入りし、門兵二人がかりでチェックをしながら管理している。
国の首都ともなればもっと厳重だろうが、何せここはのどかな外れ町。見慣れた行商人しか行き交わない。
「ほい。これが積み荷許可書と通行書だ。無くしたら出るときまた金かかるから、ちゃんと保管しとけよ」
サラサラと積み荷を書面に記入し、門兵はカメレオンのような獣に股がる男に渡す。後ろの荷車には麦俵や鉱石がどっさりだ。
エルサレムより来たその男は王都へ向かう途中で魔獣に追われ、やむ無くルートを変えてこの町を経由する事にしたのだという。
「これ以上出費はしたかないね……ったく」
「命あっただけ感謝すべきだな。因みに何に襲われたんだ?」
「ありゃ鬼猿だな。木を伝ってしつこく追ってきたから間違いねぇ。麦を狙ってたんだろうよ」
「あぁ……ヤツらも冬に備えて食料をかき集めてるんだろうな」
王都の門を潜るにはいくつか山を越えねばならないが、そこは魔獣が巣くう山脈地帯。通常なら冒険者を雇い護衛を任せれば訳ないルートだが、往復で頼むと料金もそれなりだ。
面倒かつ出費がかさむ上に、足の速い獣車なら最悪魔獣から逃げ切れる。よって冒険者を雇わず山脈ルート……というのが一番お金がかからない行商人のお決まりコース。
だが今回鉱石を積みすぎたが為に、スピードが出ず泣く泣く積み荷を軽くしながらルートを変更した……との事だった。
「なぁおい。最近通行料上がるって聞いたんだがマジか?」
「ん? やはり商人は情報を嗅ぎ付けるのが早いな。ここはさして変わらんと思うが、王都に入るには銀貨1枚プラスされる事になる」
「やれやれ……はるばる食い物や資源を運んでやってるのに、まだ通行料巻き上げる気かよ……こっちの物価も上がってたまったもんじゃないってのに」
「向こうは大変か?」
「皆死人みてぇな面してるよ。王不在でてんやわんやだな。魔獣より略奪の方の被害が多い地域もある」
「ならお前さんも、あーゆーのを雇い時じゃないのか? ケチった方が金は高くつくのは、今回身にしみただろ」
くいっと兵士が顎を向けた先は、門の柱に寄りかかる女性と少女の二人組だ。
「あん? あの綺麗なねーちゃん達の事か?」
「そっ。冒険者だよ。いっそ冒険者に転身するのも儲かる手かもしれんぞ?」
「ほぅ。若いってのは無茶したがるねぇ。だが冒険者が儲かるってのはもう時代遅れだろ?」
「でもお前さんが渋る通行料金は免除されるぞ? 名持ち組合の所属は税金すら払わんと聞くが」
「命の対価にしちゃ随分お安い免除だな。大体、名持ち組合ってのはごく少数だろ? それに半年前の王都の防衛戦でも随分死人が出たそうじゃないか。なら俺は次回から喜んで通行料払うとするよ」
「違いない」
せせら笑う二人が冒険者にはなるまいと胸に秘めた頃、どうやら待ち人が来たらしく柱から背を切り離す二人の冒険者。
「おーい!リョーヘー!こっちこっちー!」
「早く行くぞオッチャーン!」
遅れて現れたのは黒の鎧に身を包んだ男。
自分と同じくらいの中年男が、美しい女性と愛くるしい少女に手招きされる姿を見て、羨望と嫉妬心で削れる程に歯軋りをかます門兵と行商人。
互いに心中で『冒険者もありかもな……』と早速考えを改めたのは、実に男らしい単純思考だった。