第043話 倉元詩織の日常
異世界主婦の朝は早い。
明るい東の空が山脈から顔を出す頃に、まるで太陽と連動するかのように詩織はベッドから起き上がる。その隣で亮平がまだスヤスヤと深い眠りについているのを見ると、詩織は微笑みながら、はだけた布団をかけ直してリビングへと向かった。
リビングのカーテンを開けて日差しを入れる準備をすると、片肘を押さえてグッと背伸びをし、気合い十分に主婦の一日が幕を開ける。
「んんっ~……くぁぁ……よーし! 今日も一日頑張るかー!」
その後顔を洗い、詩織はまず朝食の準備と弁当作りにとりかかる。今までなら冷蔵庫とにらめっこしていた詩織だが、こちらにきてから眺めるのは、キッチンの後ろに作った6畳ほどの食料保管室だ。
並んだ棚には野菜や魚やお肉が並び、それぞれの棚が保存用の結界にて覆われている。勿論ワインやお酒も保管され、一日の終わりの些細な楽しみとして、毎日詩織の体に収まっている。
「さてと……今日は何を作ろうかしらね」
考えているのは朝ごはんではなく、夜ご飯のメニューだ。
朝は全員の要望でパンと目玉焼きとサラダに、亮平が貰ってくるソーセージが並ぶのが倉元家の定番なのだ。
残念な事にこの国ではお米の文化がなく、穀物は麦くらいしかない。幸い朝はパン派の倉元家は問題なかったが、全く食べれないと恋しくなるのは必然だ。なのでひっそりとお米を探しに時間を割く事も、詩織の大事な仕事である。
「そういえば結衣ちゃんがポテトサラダ食べたいって言ってたわね……じゃあお芋か。お肉は……まだ足りそうね」
頭の中で献立を作りつつ、卵やらソーセージを棚から取り、家中に家庭の音色と朝の匂いをお届けする。その誘惑に釣られて次に目を開けたのは、倉元家の長男である武だ。
基本的に武は早起きであり、まだあくびをして寝ぼけながらリビングにたどり着くと、ソファーにドサッと倒れこむ。
「ふぁぁ……ねみぃ……」
「おはよー。牛乳取ってきてくれる?」
「んー……また忘れてた……りょーかーい」
まだ寝ぼけた息子にクスクスと笑う詩織は、毎朝届けられる牛乳を玄関まで取ってくるようお願いすると、魔法で手際よく調理を開始する。
嬉しい事に最近になって家族が増えたので、その量は大家族並みだが、慣れた手付きで料理を作りあげる。同時進行で作るサンドイッチは、全員分のお弁当だ。
料理中に亮平、結衣、リリィ、ブッブ、櫻の順でリビングが賑わってくると、いつものようにダイニングに朝ごはんが温かいベストな状態で並ぶ。皆で食卓を囲んでご飯を食べるのが、この家での大事なルールだ。
「「「いただきまーす!」」」
やがて朝食を終えると、それぞれが仕事へと向かう。
亮平はバタバタと着替え、サンドイッチが入った紙袋を受け取って第一陣。続いて第二陣の若者二人も、紙袋を受け取って最近働き始めた職場へ向かう。
「行ってらっしゃーい」
「「いってきまぁーす!!」」
玄関にて三人を送り出すと、手際よく木製食器を片付け、遊ぶ櫻達を横目に洗濯物を外へと運び出し、いつの間にか露になった太陽に感謝しつつ再び気合いを入れ直す。
「よーし。干すぞー!」
「ぞー!」
「プァァァ!!」
「手伝いますぅぅ!!」
娘と愉快な仲間達は詩織の万歳を真似てフワフワ漂う。
妖精のリリィがすっかり慣れた手つき洗濯を干すロープを張っている間に、詩織はバルコニーに魔法陣を作り出した。基本的に手干しが好きな詩織だが、最近はやる事も増えて来たので何かと効率的になって来たのだ。
「よいしょー!」
の、一声で水を大気中から集めて空中に丸い球体を作り出し、その中で汚れた洗濯物をワッシャワッシャ洗い、暫く陣の上で放置する。
後は30分後に勝手に水を森の方へ弾き飛ばし、上空へ回転しながら残りの水分を弾き飛ばすと、後は全自動でバサッっとバルコニー内で勝手に干されるので、これには主婦大助かりだ。
飛び散る飛沫をキャーキャー言いながら喜び逃げる娘達に、詩織は思わず笑う。飛ぶように逃げるとは、まさにこの事だろう。
「あら? 洗剤が切れそうね」
洗剤入れに使う木箱を覗くと、赤い粉末がサラサラしており、少し傾ければ底が見える。
「ありゃりゃ。帰りに取りに行かなきゃ駄目ね」
買うではなく、取りにいくと言ったのはけして間違えた訳ではない。洗剤はこの世界に住まうカニ、バブリークラブで代用できるのだ。
バブリークラブは川に生息する。泡を出し、爪を回しながら踊るカニで沢蟹のように小さく、群れて朝、深夜問わず踊りまくっている。粉末にしておけば洗剤にも調味料にもいかせちゃうこれまたエコな生物で、川からワラワラ沸くので取りすぎも問題ない。
倉元家の洗濯なら、約10匹で1回分ほどだ。
「今日の予定はこんなもんかな? さて……私も準備しなきゃね」
本日の流れを頭で作り上げると、リビングへ戻りそのまま自室へと向かう。
クローゼットに置かれた装飾品入れの木箱を取りだし、厳重にかけられた鍵を魔力を流し込んで解錠する。箱の中には3つの指輪が一列に並んでおり、それぞれが違う輝きを放っていた。
また穴は空いているものの、指輪が納まっていない箇所も4つ程見受けられる。
木箱を化粧台へと移し、左手薬指にはめられた最も大事なシルバーのリングを外して箱に直す。その後、詩織は木箱内に納められた指輪の一つと付け変えた。ダイヤでもない透明の結晶石の中では、小さな黒渦がゆっくりと回転し、まるで小さな宇宙を彷彿させるようだ。
その後、指輪と対象的に白を基調とした格好に着替え、自慢の長い髪を編み込んで準備を完了する。
「よし!っと……」
いよいよパートタイムの時間である。最初は櫻も連れて行っていたが、最近はリリィがお世話をし、おまけにブッブがいるので、安心して二人に任せて仕事へ向かう事ができる。
それに寂しくなれば櫻はいつでも直ぐに会いに来るので、いつも一緒にいるのとなんら変わりない。
「じゃあ行って来るわねぇ。リリィちゃんとブッブは櫻をお願いね?」
「あい!」
「ぴぃぃ!」
「お気をつけてー!」
三人が笑顔で手を振るのを笑顔で返すと、詩織は転移魔法を起動し、玄関からではなくリビングから職場へ直接向かう。
「じゃあ今日は何しましょうかねぇ」
「ねー」
「ぴぃー」
櫻達が何して遊ぶか決める前に、詩織の視界はリビングから薄暗い洞窟へと切り替わった。場所は王都バラスティア近郊の元採掘場だ。
ここはその採掘場に入る為の天然の洞窟であり、何も知らずに踏み込めば、迷宮のように張り巡らされた坑道で日の目を見ずに生き倒れる羽目になる。
勿論詩織は間違って転移した訳ではなく、ここが今日の仕事場であり集合場所であった。
既にメンバーは集まっているようで、岩に腰を据えた三人の内、一人の冒険者が詩織を発見するなり手を振り駆け寄ってくる。
「しっ! おっ! りぃーーん!!」
先頭を駆けるのはチームのリーダーのモーラだ。
天上国メルンと呼ばれる国の出身で、美しい銀髪を靡かせている。
よく誤解はされているが、翼を持つ種族ではない。天空都市に住む人という認識は間違いではないが、そのイメージからかよく天使の風貌を期待される。
それ故に出身地を答えると、決まって翼を見せてくれだの言われるお決まりの返しに心底ウンザリしているのが、このモーラという少女だ。小柄で身軽な体を生かし、詩織を見つけるなり唇を尖らせ飛び付きかかる。
「つっ!かまーえ!……たぁぁあーーー!! フゴッ!?」
「遅れてすいません皆さん」
しかし詩織に容易く身を翻され、モーラは地面から突き出た岩肌に接吻をかました。
「ひ……酷いよしおりーん……」