第033話 しがない一日
ギルドで仕事を始めて早数日。
相の変わらず人は来ず、怠惰なマスターは1日中ゴロゴロしている。彼女は上司の特権にしても有効以上に活用中で、最低限の会話以外は寝息と寝言の方が多く発せられている有り様だ。
「んん……私に任せろぉ……」
ギルドの最高責任者たるマスターが、なんともまぁ無防備な格好か。片腕、片足はベンチからずれ落ち、腹部ははだけて野晒し状態。しかし夢の中では随分活躍しているのか、終始微笑んで随分と幸せそうだ。
「夢の中じゃ頼れるギルマスっぷりだな。檻の中の動物でも、もちっと警戒心あるだろうに。全身もて余す事なく緩みきってんな」
「にしても毎日毎日よく寝れるよね。ある種尊敬に値するストイックぶりだわ」
「いやこれ全然ストイックと違うでしょ。普通寝ない方がストイックだと思うんだけど」
対象的にこっちは相変わらず掃除な毎日。
自主的ではあるものの、受付募集の仕事とは思えない肉体労働っぷりだ。
数日程度では大した変化はないものの、室内も少しずつ歩けるスペースが増えるのは開拓してるみたいで割りと楽しい。一階作業での最初の目標は、ひとまず中央の奥から二階へと上がる階段まで開けさせる事だろう。一階奥にも二階にも部屋らしきものはあるが、現状ドアノブに手がかかる事さえ叶わない。
作業傍らに視線をギルマスに移すも、仕事という仕事は今のところしていない。睡眠が本業の櫻より寝ているのは明らかだ。
「私も結構寝るの惜しまないタイプだけど、腰痛くなりそうなベンチで微笑み爆睡は難しいな。12時間以上は寝るの辛くなって起きちゃうし」
「あー分かる。体ダルくなるよな。体休める為の睡眠なら別に何時間寝てもいいと思うんだけど、一体この人は何から体を休めてんだろな」
「寝すぎて疲れて寝る―――の繰り返しなんじゃない? こんなに気持ちよさそうに寝てるの見ると、疲れてる感じは微塵もないけど」
「確かに夢って見るなり体現すると超疲れるんだよな。それは経験済みだから間違いない」
武の脳裏に思い出されるのは、アリアとかいう、今のところ迷惑しかかけていない女神の事。といっても容姿は拝めていないので、ややハスキー気味の声色しか記憶には残っていない。
あと忘れられないのは、疲れる原因になったトラウマ級の人形だろう。もっぱら絵を描く事や工作は好きな武なのだが、無から創造するというのはセンスの欠片もなかった訳で、仮に創造のような魔法が使えたとしても、実用性乏しい結果だったかもしれない。
「夢ねぇ……それって前に言ってたやつだっけ? あれから女神様出てきた?」
「んーや、さっぱりだな。女神の『め』の字すらない」
魔法を授けてこの一件は終わりと判断されたのか、あの日以降は特に日常生活に介入してくる様子はない。その処遇に結構不満な武なのだが、それよりもムスッとしてるのは、どちらかと言えば結衣の方だ。
「しっかし、なんで私の所には一回も出てこないのかね? よくも武に変な魔法授けたわねって一喝したいんだけど」
どうやら女神が自分の所に何の接触もない事が不服らしい。しかし一喝と言う割りには、シュッシュッとシャドーボクシングの素振りを見せている。明らかに物理的な撃をおみまいするつもりのようだ。武的にはそんな事をしているから女神様がビビって出てこないのでは、とさえ思う。
しかしながらそれも嬉しい誤算というべきか、結衣の怒りの矛先が神にブレるのは、武的には願ったり叶ったりである。
「神に説教できる人間てのもそうそういないだろうな。人生一度きりにしたって一握り……ひと摘まみでも多いぞ」
「その権利は充分に持ってると思うんだけど?」
と、片目を瞑りヤレヤレと首を振る結衣。
これには、武もごもっともと言うしかない。
しかし、どうやら今のところ結衣の所には出て来ていないらしい。その他に詩織や亮平、櫻の所にも顔は出していないようだった。当初に武の夢にしか干渉出来なかったとは言っていたが、あの適当女神の性格的に、単に面倒だからとサボっているような気がしてならない。
しかしあの女神と結衣との関係性は武達ほど直接的ではないので、元凶には違いなくとも、結衣の前に今後出てくる確率は倉元家より低いかもしれない。
それに仮に万が一現れたとしても
「まぁ多分全然堪えないと思うけどな。文句言った所で『神』ってパワーワードで全部乗り切ると思うぞアレは。俺の時も反省どころか、後に控えた宴会の事でウッキウキだったし」
何を言っても「神だし」で返される姿が目に浮かぶ。あれぞ世界最強のパワハラだ。
「実際の神に言われちゃ敵わないわね。全知全能には逆らえない……か」
「知も能も感じられなかったけどな」
「武の話だけじゃ私はなんとも言えないわね。でも私も魔法授けて貰うくらいの慈悲はくれてもよくない?」
結衣が女神に会いたい実の真意はここにありそうだ。
折角の魔法世界。年齢関係なく使ってみたいのは道理といえる。
最近では亮平も多少ながら魔法を使えるようになってきた。炎というには乏しいが、指先からライター並の細火は出せるようになって、それをしつこいくらいにこれ見よがしに自慢してくるのだ。これが武にとってうざったいのなんの。
「いかん……あの憎たらしい顔思い出したら腹立ってきた。でも結衣が魔法貰えてもさ、俺と同じ召喚魔法だった場合が滅茶苦茶怖いよな。そのまま数珠繋ぎで無限に被害者が増えていきそうでさ」
被害者の会若頭とかになるのは御免こうむる。
「あぁーそっか……それは勘弁して欲しいわね。こっちに来る人選べるならまだしも、無作為はタチ悪すぎよホントに」
「もっと異世界に憧れる人山ほどいるだろうしなー。俺ら家族の場合うっかりだし、結衣の召喚は厳格には条件が分からんからな。何か規定があるのかね?」
「私の召喚理由ってあんたのヒロインになるとかいう、くだらない願望からじゃなかったっけ」
「…………そうだった。忘れてた」
「おいこら。言った事の責任は持っときなさいよ」
「つまり結婚しろと!?」
「違うッ!! 責任を取るまで行かなくていい!!」
日本語難しい。
折角デレたと思ったのに。
「でも女神様の話じゃ正式ルートもあるのよね?」
「あぁ、神が召喚とか転生させるに限った話だろうけどな。条件については話してなかったけど、死んだ人全員転生って訳にもいかんだろうし、召喚にしたってやっぱりチェック項目があるのかもな」
「何か徳を積んできたとか……? 後はやっぱ純心とか誠実かしらね。てことは、私も実は正規ルートでこっちに来た可能性も……」
「ないな」
どうやら結衣は、自分で純真とか誠実だと思っているらしい。数日前には巫女や僧侶になれると確信もしていたので、これはキツメの処方箋が必要そうだ。
「それこそ神のみぞ知る……って感じなのかね。あ、そういやなんか、創造主がいるとかも言ってたな」
「創造主? それって神様と何か違うの?」
「要するに神様のトップって事かね。俺らからすればどっちも雲の上で宇宙の彼方の存在だけどな。あえて言うなれば、んー……校長と教頭くらいの差があるんじゃね?」
「てことは校長の座を狙う神様がいるかもしれないわね」
「話ごっちゃになって神の存在価値だだ下がってるぞ」
創造主とやらはこっちの組合責任者と違って、随分と部下を萎縮させるような存在ではある。マスターの名を担う者でも、その威厳はえらい違いだ。
「すぴぃ……すぴぃ……むにゃ……白金貨5枚な……」
「なんか夢の国で法外な金踏んだくってんな。ダラケてるから無欲かと思ったけど結構ゲスい」
「白金貨ってまだ見たことないね。一番高い硬貨なんだっけ?」
「らしいね。貴族の硬貨って言われてるみたいだから、俺らが普段使いできるようなものではないな。だからあってないようなもんだ」
白金貨は金貨よりも桁が飛ぶ。
この世界では銅貨10円、銀貨1000円、金貨十万円といった所。全て大きさはほぼ同じで、名前の通り材料で価値が簡単に上がる訳だ。つまり、夢の中でアイリスが要求しているのは、およそ5000万円である。
今のところマックス依頼料がせいぜい銀貨数十枚程度の廃ギルドが、一体何処でどんな依頼を受領しているのやら。
「一枚で1000万て、持ち歩くだけでも末恐ろしい……硬貨だからかさばると面倒なのは分かるけど、桁飛ばしすぎじゃない?」
ここいらの町で流通してるのはほとんど金貨まで。王都ではそれなりに使われているらしいが、この町では無縁な硬貨だ。
「ここいらじゃ常備持ってる奴なんて1人もいないだろうな。逆に店で使ったら釣りが無いって怒られちまいそうだ」
「やっぱ貴重なのかな? プラチナの相場ってのが私はよく分からないけど」
「俺もよく分からん。金の方がゴージャスっぽいのに」
「だよね」
「でも金にまで身分を主張するとは物好きなもんだよな。二千円札より千円札の方が使いやすいのを知らんのかボンボンめ!」
「知らないでしょうね」
「愚か者めがっ!」
基本的に、貴族はここから遥か北にある王都を中心に居を構えている。分かりやすく言えばお金持ちだが、武達はまだお目にかかった事もないので、この世界での実態はよく分かっていない。
「あぁー……貴族のイケメン君私はここだよー。ここにいるよー」
結衣の想像的には、貴族はおとぎ話のような存在らしく、気分はまさにシンデレラ……といった感じらしい。
ボロ屋敷で掃除のお仕事。確かに化けるにしては心踊るサクセスストーリーになりそうだ。結衣はそんな妄想の中で自作箒を手に優雅に踊ろうとするも、埃たつわ、床の穴に躓くわで、瞬時に現実に戻ってきた。
「結衣の貴族のイメージって、白馬に乗ってるとかそんな感じか? 薔薇でも食わえた騎士みたいな」
「ケホッ……ケホッ……え? 武は違うの?」
「それもあるけど、俺的には平民見下す金の虫って感じだな。ある意味上流階級って魔族とかより厄介でタチ悪いって感じかね。何しでかすか分かったもんじゃない」
この発言が聞こえてか、夢で大金をせしめたせいなのか、僅かながらアイリスがピクりと動く。しかし特に目を覚ます気配はないようだ。
「それって単にお金持ちに対する嫉妬じゃなくて?」
「というより、読んだ漫画とか見てきた映画がそんなのばっかりだったからだろうな。わっるい貴族が欲任せに無茶したり、有能な平民を嫉妬心だけで潰したり……とかな。そういう分かりやすい悪がいると、いざ打ち負かした時に最低限のスッキリ感があるくない?」
「確かに……分からんでもないかも。権力持った人間なんか、その人の本質が分かりやすく出そうだし」
「だろ? 実際お袋の話だと、ここの町は領主に収める税は3割とあり得ないくらい良心的らしいけど、土地によっちゃ7割以上取られる場所もあるらしいぞ。そんで払えなかったら奴隷行き、下手すりゃ斬首……なんて事もあるらしい」
「こっわ……」
「でも俺からすれば、片寄った娯楽を楽しんでたお陰で貴族ってそんなもんだよな~……って感じな訳。だから俺と違って、結衣は恋愛とかラブコメ系の創作話が好きなんじゃないか?」
「あー……確かに。私の好み大体恋愛系だわー。冴えない女子が恋しちゃってるわ」
取り巻く環境と好みでイメージが違うのは当たり前。
武にしてみれば、自分の感情に羨ましいといった羨望が貴族に対して無い以上、心底では嫉妬どころか軽蔑に近い感情が仄かに強いくらいで、極論言えば『嫌い』に分類しても問題ないカテゴリーだ。
「まぁここがこのままだったら、貴族はおろかただの平民さえ素通りだろうけどな。きっかけ掴むにしても、見向きもされないようじゃねぇ」
「見向きはするでしょ。インパクト大よこの荒廃っぷり」
「俺らは新鮮味あるけど、この世界の人にとっちゃ昔からあったただのボロ屋敷だろ? 今更驚くような建物でもないんだろうさ」
実際人通りは悪くないこの路地だが、行き交う人の歩幅は変わらず興味ありげにこちらを見る事もない。ここはもう、建物というより町の景色の一部、といった感じなのだ。テレビゲーム等の世界でもよくある、立ち入る事の出来ない建造物のようなものである。
「あの人もあの人も、毎日ここの前通ってんだけどなぁ。さっき通ったおっちゃんなんか、この前食事処で冒険者雇うって話してたのに、ギルドに立ち寄る気配もない……あれ? あの熊ダンディーさん、別の女性連れてないか? 浮気か? まさか浮気なのか!? カバ美さんを裏切ったのか!?」
「カバ美誰ッ!? てかよく覚えてるわね……覗きの趣味でもある訳? 激しく身の危険を感じるわ。今更ながら」
「人間観察と言って欲しいな。この度、亜人観察もめでたく趣味に加わった所だ」
「こっわ」
「貴族ほどじゃないだろ」
武は学校生活においても、人間観察が趣味に届く領域まで達していた程。別に楽しいとかそんな気はさらさら無かったが、ボーッと見てるだけでも人の個性やクセは結構目についたものだ。
例えば結衣で言えば機嫌が良い日はほんの少し歩くペースが速いとか、何かに飽きたら唇尖らせた後にスンと鼻息をつく、みたいな些細な事ばかり。
よって、断じて変な趣味ではないのである。