第021話 今日も武はYESマン
二人の驚く姿を見るに、おそらく料理レシピというのはそれなりの価値があるらしい。武も流石に異世界の未知レシピが無価値だとは思っていないが、金貨100枚なら納得して諦める……といったそんなレベルまで飛躍するのはいくらなんでも考え過ぎなのでは? と、困惑しているのだ。
「そ、そんなに驚く事です? たかがレシピにお金なんかとりませんよ……?」
しかし頭の「?」の数で言えばフィーネとポッツの方が遥かに多い。今でこそ金貨100枚を直ぐに払うのは無理だが、価値が決まれば何年かかってでも手に入れたいと、そう本気で思える素晴らしい菓子だった。
あれほどの味であれば、貴族や王族だって満足出来るだろう。そんなレシピが手に入るのであれば、それは最早自分が持つ武器よりも強い強力な矛となる。
そんなモノがタダである筈がない。あり得て良い話ではない筈なのに、目の前の少年は本気で首を傾げている。いや、少年だから首を傾げているのか? と、フィーネは漸く冷静になった。そう、彼はまだレシピの価値を理解していないのだと。
ならば同じ仲間の息子さんにはしっかり教えてあげようと、フィーネは微笑みながら武にモノの価値を伝え申す。これでこの少年が将来、良からぬ人に騙される事を未然に防げるのならお安い御用だと。
「いい? レシピは魔導書みたいなものだぞ? 美味しいものを生み出す探求心とたゆまぬ努力が実を結んだ秘伝の書のようなものだ。それに価値がつくのは当然じゃないか」
魔導書とは面白い。武は素直にそう思った。
しかしオリジナル料理って訳でもない上に、今後も長いこと付き合う事になりそうな人達相手に、お金のやり取りは少々気が引けるというのが武なりの本音というところ。
「別にこれで商売してる訳じゃないし、これからするつもりも無いんでいいんですよ。つまりこれでフィーネさんやポッツさんが利益を得ようが全然問題ないんです」
「いや、しかしだな……」
「それで皆さんが喜ぶなら、何か俺も嬉しいじゃないですか。お袋も独占する気は絶対にないでしょうからね」
「!」
武の言葉を聞いて、フィーネは自分の目が曇り過ぎていたことを恥じた。この少年は、レシピの価値を分かった上で譲渡すると言っていたのだ。これで自分の父が助けられるならという、その健気な気持ちかつ純粋無垢な救い手でフィーネは胸が苦しくなる。
しかし生憎なことに、武はこれで「フィーネさんやポッツちゃんと仲良くなれたらラッキー!」程度にしか考えていないという悲しいすれ違い。
そしてフィーネが武の事を賢い誠実な少年と認識する一方で、ポッツは違う角度からこのレシピの素晴らしい価値を教え説いているようだった。
「それでもタダはやりすぎだよ~。だって安上がりでこのクオリティなら、これ相当売れると思うよ? 今の私ならこのお菓子の為に死ぬ気で働くね! そんでおばぁになって冒険者が出来ないくらいのガタが身体に来たら、しゅーくりぃむ屋を始めたって良い!」
元々お金稼ぎの為に始めたなんとなく始めた冒険者だったが、これがなかなかに刺激的で魅力ある日々。仲間も増えた事で更に楽しくなっているポッツは、すっかり冒険者という職が気に入っていた。
だから元気な内は冒険者として生きようと決めていたポッツだが、引退後の計画までは考えておらず。しかしその道が急に開けた事で、冒険者として頑張る楽しみが余計に増えたようだ。
そんなやる気満々なポッツに対し、武は更に便乗する形でポッツのやる気を底上げさせる。
「お、いいですねぇ。老後の楽しみが十代にして一個決まりました。なのでその前に、ポッツさんはシュークリームの最終形態を勉強……いえ、試食せねばなりませんね」
菓子だけにシュークリームの可能性を甘く見ちゃいけませんぜと、武はかけてもいないメガネをクイッとあげた。
「さ、最終形態とは!? まさかあの完成されたしゅーくりぃむが更に進化するというのか!?」
「ふふふ……今日は御披露目出来ませんが、いずれ貴女は知る事になるでしょう。単純にして至高、ただ積み上がるだけの暴力……クロカンブッシュ……をね」
「く、くろかん……ぶっしゅ」
その聞いたこともない単語に、ポッツは全身の毛を震わせてその目を輝かせた。あのお菓子より美味いなんてポッツの知識だけでは最早想像も付かない。それはもう、きっと人類が食せる最高峰の食べ物なのではと、ポッツの尻尾は風が巻き起こるくらいにブンブンだった。
そんなポッツの姿を見て、フィーネは恥ずかしくも呆れたように笑っている。
「まったく……ポッツはすっかりやる気だな。君は欲はないのか?」
「うーん……ありますけど貪欲じゃないだけです。でも気が変わればレシピ代を徴収するかもなんで、深く考えずタダのうちに聞いといた方がお得ですよ」
「フフフ。君はお人好しなのだな」
「ははっ。そうですかね? 一番まともだと思いますよ? この家庭においては自信あります」
「まとも? どの口が言うかね?」
しかし自己評価が高い武の背後にいつの間にか立っていたチェックパジャマの寝坊助召喚嫁は、納得いかず口を挟む。その後もポヤポヤとしながらまだ眠たそうにしつつ、武の隣へ腰掛けた。
「今日もご機嫌斜めな起床だな。結衣もシュークリームいるか?」
「ん、いる」
そう即答してチマチマとシュークリームを食し始めた結衣は段々と目が覚めてきたのか、自分が見ず知らずの客人の前で挨拶もなく黙々と菓子を食べている恥ずかしさに気が付いたらしい。
「…………もごっ!? ふみまへん!!」
顔を真っ赤にしつつ慌ててシュークリームを飲み込みながらペコペコと謝罪する結衣に、フィーネは優しく笑い返した。
「あはは、気にしないでくれ。早朝に押し掛けた私達の方が無作法だったんだから。きっとタケルさんの奥様ですよね?」
「ぶふっ……ッ!?」
そんな急に言われた奥様発言に、結衣は飲みかけた茶をぶちまける。お陰で武の半面はビチャビチャだが、武は全く動じていなかった。
「あ、はいそうです」
「げほっ……けほっ……イヤ違うでしょ!! なんで毎回躊躇ないのよ!!?」
「否定から入る人生もどうなのかと。そう、俺はYESマン」
「間違いは正す人生であれや!?」
「NO!」
「YESどこいった!?」
「だ、大丈夫か? 二人とも。喧嘩はよくないぞ?」
「あぁ、いや。妻はいつもこんなでしてね。申し訳ない。まだ照れてるんですよ。可愛いもんでしょ? ははははは」
「妻とかいうなぁぁぁぁああ!!」
結衣は机に項垂れ咽び泣く。まるでやりたくもないままごとを、無理やり続けさせられている気分だ。因みに近所では既に『若奥さん』なんて呼ばれるくらい、逃げ場は閉ざされている。
「ふふっ。二人は仲が良いんだな」
「いやいや、フィーネさんとポッツさんの仲にはまだまだ届かないですよ」
結衣は、違うのにぃぃぃ……と泣きながらリビングの机に頭をグリグリさせている。しかしその行動もまた、フィーネの目には照れ可愛い若奥様としてしか映っていないようだった。