第001話 期待以下のプロローグ
―――ふむ、まさか異世界召喚とはな。
アニメとかで見たことはあったが、ホントに存在するとは。
少年は、声にも出さず目の前の光景に呆ける。
倉元 武。
16歳。
黒髪黒目、天パがチャームポイント。
目下異世界召喚を体現中。
特に遊ぶ約束も無い無気力休日の最中、つい先ほどまでリビングのソファーに腰掛けてのんびりし、今や廃れつつあるレンタルビデオ店で借りてきた旧作DVDを見ていた筈なのに。それが今や視線の先、どういう訳かテレビの奥にある筈の立派な壁はごっそりなくなり、そこには見知らぬ世界が開放的に広がっていた。
―――なるほど。
異世界召喚しかり、異世界転生しかり。大体は知らない天井を仰いで知らない地に降り立つのが定石と言えるが、まさかシミの数まで覚えている天井のまま異界の地に立つ事になるとは予想外の事態である。
よもやテレビで非現実を味わっていたというのに、今やテレビの奥の方で非現実が広がる有り様。ほんの一回瞬きをしただけだというのに、なんともまぁファンタスティックな展開だ。頬張る予定だった海苔塩ポテッチを思わず落としてしまったが、拾う気力は今は思考に回したい所。
―――やれやれだ。
電気はどうやら切れてしまったらしく、さっきまで見ていたB級映画の続きは、リモコンの電池を変えたとて見れそうもない。二度と再視聴も結末も見れないこの竜巻サメVSチェーンソー男のDVDは、きっとこの世界のオーパーツにでもなるのだろう。
しかし延滞料金に絶望する未来やB級映画の結末に見劣りしないであろう光景が今や平然と目の前に広がり、リアルファンタジーをお届けしている。
―――やれやれだ。
一方異世界の住人達は、武……もといリビングが突如現れた事に驚いたのか皆歩く足を緩めて、ザワザワしながらこちらの様子をあらゆる興味感情で伺っているようだった。
今まで特に注目されなかった平凡かつ日常的な人生が、僅かコンマ数秒でこの変貌ぶり。しかし驚いてるのはお互い様なのだが、予期出来なさすぎる事態がキャパを越えて急に我が身に降りかかると案外冷静なもので。
武の様子は今のところ初期位置も変わらず、側だけに限定すればまだギリギリ高校生の休日だ。
まずそもそもに、武は何故この眼前に広がる光景を異世界だと一瞬で判断するに至ったのか。それは何も、建物だけの景観で判断した訳ではなかった。
それだけならまだ、昨今のバラエティ番組の内容に四苦八苦したテレビ局が血迷った果てに、一般家庭の家の壁を勝手かつ大胆にぶち抜くという革命的ドッキリを執行しただけかもしれない 。
―――ありえないけども。
周りのどこかヨーロピアンな建築物にしても、今ここから見えている一部の外観だけ作り変えてしまったに違いない。
―――ありえないけども。
つまり職人的に創れる人工物なら、無理やりな理由で無理やりにでも一応納得に持ち込む事は出来た。
よって問題なのは、それ以外の視覚情報だ。
試しにチラリと右に目を向ければ、そこにはピコピコと動くネコのような獣耳を持ち、眉を潜める怪しい表情でこちらを警戒する人がいた。
その直ぐ側にいる同じ毛並みを持った少年はきっと彼女の息子なのだろうが、母親とは対象的に好奇心を乗せたようなキラキラとした眼をこちらに向けている。
試しにチラリと左に目を向ければ、そこにはワニのように固そうな鱗を外皮に並べた巨漢な大男が、公園で休むおじさんのように新聞を読みながらベンチに腰をかけて、その横目でこちらの様子をチラチラと伺っていた。
少し間の空いた隣のベンチでは、遠くにいるであろう誰かを呼んで隣に座るように手招きしているカバのような大きな口を持ったご婦人もいる。
勿論人間もいる。
人間もいるのだが、人間以外も普通にいる。
そしてそんな光景を見ている最中に時折視界を横切るのは、大きなトカゲ、大きなカメレオン、大きなウーパールーパー……と、それぞれを現状そう表現するしかない謎の大型四足獣達が牽引する荷馬車のような……何かだ。
―――ふぅむ……。
武は休日の過ごし方に映画観賞を選ぶくらいには映画が好きだ。だから人間以外の個性的な人種についても、あれはきっと特殊メイクに違いないと悪あがける。だがあの荷車を引く獣については、作り物に見える……というような挙動を全く感じられなかった。
そもそもにあの車並の巨体が、荒々しくも生物らしい動きで目の前を駆け抜けていくのだ。そんな事を表現出来るスーパー技術が今にあれば、千葉や大阪のテーマパークのクオリティは一体何段階上がっていた事やら。万博で空飛ぶドローンを空飛ぶ車だと言い張る事も無かっただろう。
アレはよく分からない動物だが、間違いなく生きている。そんな動物が平然と当たり前にいる世界など、住み慣れた我が国はおろか地球にあるとは到底思えなかったのだ。
「なにこれー? 中に誰かいるよー?」
「しっ! 見ちゃダメ!」
そうなると彼女達や彼らの事も、亜人族や獣人族と認識すべきなのだろう。息子と思わしき獣耳少年を、関わらせまいとする母獣耳。噛まれたらデスロールでもされそうな容姿の鱗男。連れのクマ男とイチャイチャし始めたカバ婦人。その他目に入り続ける多種多様の人種も、全てが本物なのだ。
「急に現れたけど何の催しだ? お前何か知ってる?」
「さぁ? でも多分旅芸人か何かだろうよ」
「邪魔ねぇ…… 何もこんな場所に建てなくてもいいのに」
「俺だけ見てれば良いのさハニー」
とかく元々あった壁の奥の路地では、ごもっともなヒソヒソ話から遠慮ない本音までがストレートに耳に入りこんでくる。そしてその内容から察するに、やはり向こうの住人にとっても武は急に出現した存在であるらしい。
「それにしても随分変わった身なりね……遠国出身? だから常識がないのかしら?」
「泡の模様だー。ママ可愛いねあれ」
「こら! 指差さないの! 衛兵さんに任せましょう。なるべく関わらない方がいいわ」
武も当事者でなければ獣耳母親の意見に賛成だった。こんな身も知れない男は、関わらないが吉に決まっている。
現状武にとっても超絶意味分からない状態だが、向こうの人達にとってはもっと意味が分からない事態なのだろう。
恐らく急に現れた変な建物と変な服を来た人だ。
SNSでもあろうものなら即座に呟かれること必須の事態。
―――あ、しまった……スマホ部屋で充電したままだ。
取りに行こうにも階段から先の部屋がない。
正確に言えば、目の前の壁同様に階段すらも途中から見事に寸断されている。しかもまだ召喚されたてホヤホヤなので、その寸断面は煙立ち、心なしか焦げ臭い。
登ってる最中に召喚されていたら、体も真っ二つだった可能性大いに有りだ。
しかしこんな世界でも一個大事な安心ポイントがあるとすれば、それは言語だった。これが問題無いほどスムーズに武の耳へと流れこんでくる。何かの店の看板であろう知らない文字は全く読めないのに、言葉は分かっちゃう良心的システムのようだ。
―――何故分かっちゃうのかって? そんなこと知らん! 俺が聞きたい今すぐにっ!! でも日本語吹き替えで助かります。 映画はもっぱら字幕派ですが。
漫画だろうが小説だろうが現実だろうが、異世界なるもの異世界人に凄くお優しい。
例外もあるが、武の場合はその点では当たりに分類されるだろう。コミュニケーション取れる取れないは、かなり最初の印象が変わってくるだろうから。
ただ、大人達であろう人種はチラ見ヒソヒソ程度で済んではいるが、恐れを知らぬ獣耳子供達は足を止めて堂々とこちらを伺っている。
しかしまだ話しかけるには互いに少々勇気がない。人には見知らないが、人種というか種族が変わっちゃうとどうも見知っちゃう。
あるいは”警戒している”が正しいのかもしれない。
―――ていうか、幾らなんでもこんなことってある? 異世界だよ? 違う世界だよ? ファンシーファンタジーだよ? いや、あるよ? 想像とか俺が異世界に行ったら……みたいな夢とか見たことあるよ?
……夢か? 寝てんのか俺?
実は目ぇ覚めたら映画のエンドロールでも流れてるんじゃ?
……ふむ。
一呼吸置いて武は目を瞑り、ブツブツ考えながら夢であることを祈った。
実際問題こんなハッキリした夢など見たことないので結果は分かり切っているが、いざ理不尽に放り込まれると無駄と分かっても一応祈ってしまうのはむしろ正常な行動だろう。
―――ここは日本ここは日本ここは日本ここは日本……そう俺はジャパニーズ!!
そんな事を願いつつ再び恐る恐る目を開けると、景色はやっぱり同じだった。
―――ですよね。
相変わらずなんか獣耳いるし、なんか羽生えてるちっこいやついるし、なんか杖持った魔法使いっぽいのいるし、なんかもう色々頭が痛い。『なんか』祭りでワッショイ状態だ。
さて。
そろそろ武も我慢の限界だ。
ここまで目前の人達を警戒させまいと、表情すら変えずにひっそりと心根で分析しながら人知れず呟いてきた訳であるが。
だが流石に、今か今かと出かかった言葉が既に喉奥を通過して口元でウズウズと暴れているので、とりあえず異世界初の第一声を是非ともに。
「――――――なんでッ!?」
2025/05/03 表紙絵を追加しました。イラストも描け次第、たまに追加していこうかと思います^^