王子様は大変お困りのようです
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犬舎で少しずつ私とキオーンが距離を縮めていた頃、王城では王太子妃が行方知れずになったと大騒ぎになっていた。王太子妃付きの執事さんは、私がセリオン様に追い出された後すぐに両陛下に謁見を申し出たのだが、セリオン様の妨害にあって奏上できなかったらしい。ようやく別ルートで両陛下に私があの晩追放されて行方知れずになっていることを伝えられたのが、既に一週間後だったという。セリオン様、こういう工作は相当にお得意らしい。策士である。
国王陛下は驚愕し、セリオン様をすぐに呼び出した。王妃陛下はすぐに王太子妃の私室に侍女たちと乗り込んだ。王妃陛下が王太子妃の私室で見たのは、私のために用意された全てを入れ替えさせて、夜会用の盛装を昼からだらしなく来て、ゆるゆるとたばこを吹かすベンティスカの姿だった。
「あんた、誰?」
いきなり王太子妃の私室に入ってきた王妃陛下に、ベンティスカはソファに寝そべったまま、気怠げな表情でそういったらしい。侍女の中には卒倒する者もいた。
「そういうお前は何者か?」
王妃陛下付きの筆頭侍女が凜とした態度で問うと、ベンティスカは我こそがこの国のナンバーワンとでも言いたげな態度であった。
「はぁ?乗り込んできて何様よ?」
「王妃陛下の御前です!姿勢をただしなさい、この無礼者!」
だが、ベンティスカはヘラヘラと笑うと、たばこの煙を王妃に向かって吹きかけた。
「あたしはセリオンの女よ?セリオンがすぐに王になるんだから、私の方が上。分かる?」
「衛士、直ちにこのこんなを捕らえ、地下牢へ!」
王妃付きの衛士たちがベンティスカを拘束しようとすると、セリオン付きの衛士がそれを妨害した。
「なりません。こちらは王太子様のお妃様です。たとえ王妃陛下と言えども、罪状なく拘束はできません!」
「たばこの煙を吹きかけ、王妃陛下の前でこの言動をしている者が不敬罪にならないとでも思っているのか?お前たちは規律違反で拘束する。衛士!」
「そんな、われわれは王太子様のご命令で・・・。」
「王太子ですって?」
突然王妃陛下が口を開いた。
「この国に、まだ王太子はいないわ。」
「ですが、第一王子様が・・・。」
「だれが第一王子が王太子だと言ったのですか?言った者を連行しなさい!」
王妃の勢いに、その場の皆がたじろぐ。
「え~、セリオンって王太子じゃないの?」
「はい、違いますよ。た・だ・の・王子です。長男というだけの、ね。」
「話が違~う!」
突然ベンティスカは身を翻すと、窓からその身を投げ出した。4階の高さがあるこの建物から身投げでもしたのか?と誰もが思ったが、下を覗くと元気に走って逃げていく姿が見える。
「何ですか、あれ?」
「とにかく、捕らえなさい!」
王太子妃付きの侍女たちは、ほっとしたようになり、その場で泣き出した。
「なぜ報告を上げなかったのです!」
「一人息子を人質に取られておりました。今もどこにいるのか分かりません。あのままですと、あの女に殺されてしまいます、何とか息子をお助けください!」
王太子妃付き筆頭侍女が泣き崩れた。他の侍女たちも、ベンティスカに刃物を突き付けられたり、顔を殴られたりして、恐怖の余り報告できなかったというのだ。
「あれは紐付きかもしれない。必ず捕らえよ。」
「は、直ちに!」
ベンティスカは王城の城壁を越える前に特殊部隊によって捕縛された。暗器をいくつも持ち、その身のこなしも軽い。セリオンとは戦場で出会ったという。傭兵だと名乗ったらしいが、引っかかるものがある。王妃は幾重にも見張りを置いて、ベンティスカを逃亡させないよう厳命した。
王妃がそこまで終わらせて王の元に戻ると、セリオンが苦虫をかみつぶしたような顔をして座っていた。
「なぜベンティスカを拘束したのです?彼女は私の命の恩人です。」
「彼女が先に逃亡を図ったのです。」
「ベンティスカが?なぜ?」
「それを調べるために、拘束しています。あれが命の恩人と言いましたね?どういうことですか?」
セリオンによれば、敵に囲まれてセリオンが窮地に立たされた時、ベンティスカが颯爽とあらわれて敵を蹴散らし、セリオンを無事味方の陣まで連れていてってくれたのだという。美しく強い傭兵のベンティスカに運命を感じたセリオンが求婚し、そのままセリオンのお手つきとなって、今回王城に連れてきたのだとセリオンは臆面もなく言った。
「おかしいな。いくら強くても、我らの特殊部隊一人であれを捕縛したと報告が上がっている。それほどの腕とは思えない。それなのに、敵に精鋭部隊を蹴散らしただと?皆切ったのか?」
「いえ、身のこなしが軽く、包囲網から逃がしてくれたという感じです。」
王は深くため息をついた。
「密偵の可能性は考えなかったのか?」
「は?」
「窮地に陥ったお前を助けたように見せかけた可能性は考えなかったのか?敵の精鋭部隊と協力してお前に取り入るための作戦だっとたかもしれないと思わなかったのかと聞いているのだ!」
「そんなこと、ありえない!」
「なぜだ?」
「ベンティスカは切られたんだ。」
「どの程度の傷だ?」
「それほど深くはなかったが、それは彼女がうまく躱したからで・・・。」
「いや、お前に聞くのはもうやめよう。お前がそんな愚かだとは思わなかった。」
王は心底がっかりしたという表情をしている。王妃は目に涙を浮かべている。
「セリオン。なぜスティーリアを追放したのです?」
「ベンティスカこそ我が妃。他の女性など、たとえお飾りの妃であってもお断りです。」
「公爵令嬢を王城の門から突き飛ばして追い出したと聞きましたよ。」
「私の許可も得ずに王太子妃の部屋になど入っているからです。」
「スティーリアは王太子妃です。これは決まっていることなのです。」
「お断りします。」
「お前は何か勘違いをしていないか?」
王の言葉に、セリオンは王の方に向き直った。
「お前はいつ、王太子になったのだ?」
セリオンは目を見開いた。
「私は長男です。確かに立太子されていませんが、私が王太子になるのは決定事項でしょう?」
「いや、誰が王太子になるか決めていない。ベンティスカという女は、お前がすぐに王になると言っていたという報告が上がっている。王妃も直接それを聞いている。お前が勝手に王太子を名乗り、王になろうとしているのだとすれば、それは反逆罪になるぞ?」
「お待ちください、どういうことですか!」
「愚かなお前にも分かるように言ってやろう。王太子妃スティーリアと結婚した者が王太子になれるのだ。お前はそれを拒否した。従って、お前は王太子になれない。」
「私は王子です。どうして公爵令嬢の方が優先されるのですか?」
「誓約魔法上の問題で、これ以上は言えない。だが、お前は自分から王太子を辞退したと見なす。一王子として王家の犬になるか、あるいは臣籍降下して王家に尽くすか、どちらかを選ぶことになろう。話は以上だ。」
「納得いきません。」
セリオンは絶対零度の目で王を睨んだ。
「私が王太子に最もふさわしいことは、父上が一番よくご存じのはずです。」
「私の評価では、お前が一番不出来だ。」
「父上!」
「つまみ出せ。しばらく顔も見たくない。」
「あの女を連れて来ればいいんでしょう!探してきますから!」
衛士に引きずられて、セリオンは王の部屋から追い出された。腹が立つ。愛しいベンティスカにはしばらく会えないだろう。規律に縛られ息苦しい人生を生きてきたセリオンにとって、ベンティスカのような自由奔放な女性はまぶしかった。傭兵としての力も十分、その上あの美貌、そしてプロポーション。どれもがセリオンを夢中にさせた。それなのに、王と王妃はそのベンティスカを密偵だろうと言った。
絶対許さないからな。
とは言え、スティーリアを見つけなければならない。そして、見つけて、お飾りの妻にしておけばいい。自分の妻はベンティスカ一人だ。
・・・・・・・・・・
10日が経ったが、セリオンはスティーリアを見つけることができずにいた。ベンティスカが拷問を受けているのではないかと心配だったが、側近のフィンブルによると最低限の生活は保障された状態にいるという。全てがうまくいかないことにイライラしたセリオンは、1年ぶりに自分の御使いに会いに行くことにした。
久しぶりに犬舎に入ると、キオーンがポメラニアンたちの排泄物を片付けていた。
「お前はそんなことをしていて恥ずかしくないのか?」
「お久しぶりです、セリオン王子。俺は犬舎の担当ですから、排泄物の処理をするのは当たり前のことですよ。」
「もういい。お前と話をしていると頭痛がする。ミュラッカに会わせろ。」
「ご自分でどうぞ。部屋を知っているでしょうに。」
「犬舎担当の分際で、俺に指図するか!」
セリオンの脅しに、キオーンはケロッとした表情で言い切った。
「ええ、しますよ。犬舎内のことは私次第と陛下からもお許しを得ていますからね。」
ちっという舌打ちの音が聞こえる。
「どこか覚えていないんだ。案内しろ。」
「最初からそう言えばいいものを。」
キオーンはミュラッカの部屋の前に立った。
「どうぞ。」
だがタイミングが悪かった。セリオンが外側からドアを引いたのと、清掃を終えた私が内側からドアを押したのが、同じタイミングだったのだ。思いがけず強い力でドアノブを引っ張られた私はそのままドアから飛びだし、廊下の反対側の壁にぶつかって止まった。
「いたたたた・・・。」
「リア、大丈夫か?」
慌てたキオーンが私に駆け寄ると、私の顔が見えないように自分の胸の中に抱き込んで、頭を撫でた。そして、セリオンには聞こえない小さな声で私の耳元でささやいた。
「静かに。向こうはセリオンだ。頭を打ったよな?大丈夫か?」
私は黙ったまま小さく頷いた。
「なんだ、犬舎の担当が増えたのか?」
「ああ、俺一人では流石に無理があったからな、下女に入ってもらった。」
「そうか。せいぜいキオーンに気に入られるといい。」
私はじっとキオーンの腕の中で身じろぎ一つできずにいた。セリオンがミュラッカの部屋に入り、扉の閉まる音が聞こえた。私は力が抜けてその場にしゃがみ込みそうになった。
「大丈夫か?」
私が思っていたよりも青い顔をしていたらしい。抱えるぞ、そいう声が聞こえてすぐに、私はキオーンに抱き上げられた。そして、そのまま私とラヴィーネの部屋に入ると、私をベッドに寝かせてくれた。ラヴィーネも心配そうに私を見ている。
「俺が迎えに来るまで、ここに隠れていろ。ラヴィーネ、お守りしてくれるか?」
ラヴィーネはキオーンにお手をした。了解の合図だ。
「心配するな。年に一度来るか来ないかという奴だ。ちゃんと追い払ってやる。」
キオーンは一度立ち上がったが、もう一度戻ると、私の唇にそっとキスをした。
「あんな奴に、リアを渡さない。」
そうだ。私は形式上とはいえ、あのセリオン様の妻なのだ。この恋は人の道に外れるものだという思いと、キオーンの優しさにすがる他ない情けなさで、私は涙がこぼれた。キオーンは涙をはらうと、眦にもキスをした。
「大丈夫。この犬舎の主は、俺だ。」
「うん。待ってるわ。」
「ああ。シアが来ても開けるなよ。脅されているかもしれないから。」
「分かった。」
キオーンはもう一度私の唇にキスをすると、ラヴィーネの頭を撫でて、そっと部屋を出て行った。ラヴィーネがベッドに上がってきて、私に寄り添ってくれた。
どうして私の夫は、キオーンではないのだろう。
どうして、あんなひどい男が私の夫なのだろう。
涙が溢れて止まらない。貴族の娘としての利益を享受した以上、責務を果たすつもりでこれまで生きてきた。だが、その責務が、愛のない相手と無理矢理結婚させられ、義務に縛られた一生を、頼れる者もなく過ごしていかねばならないのか。キオーンという人を知ってしまった今、セリオンとの生活が、王太子妃、王妃という「仕事」が、無味乾燥したものに思えた。
とりとめもないことを考えている内に、夕方になっていたらしい。夕食を作らねばと思ったが、まだキオーンが来ない。キオーンに叱られるかもしれないと思ったが、私はそっと部屋を出た。ラヴィーネが静止するようにドアの前を塞いだが、ご飯の用意するから、と言うと道を空けてくれた。
そっと扉を開け、誰もいないのを確認して、私は犬舎の厨房に滑り込んだ。グレイシアは他の犬の世話をしているのだろう、まだ厨房には誰もいなかった。私は既に運び込まれていた夕食の材料を使って蕪と鶏肉のポトフを作り始めた。煮込みに入れば後は放置できる。火に掛けると犬たちの食事を作り始めた。全頭分を各自のお皿に分け終えると、人間用にニンジンのグラッセを作った。野菜が苦手だった子どもの頃に、これだけはなんとか食べることのできたニンジンのグラッセは、私にとって食欲がない時でも食べられる料理の一つだ。
「こんな所で何をしている。」
背後から声を掛けられて、私はビクッとした。この声は・・・
「王子殿下・・・。」
「お前に聞いている。何をしているのだ?」
セリオンの声には怒りが含まれている。私は頭を下げたまま答えた。
「御使い様たちの食事を作っています。」
「だが、犬はタマネギを食べてはならないはず。」
あ、そうか。人間用に作っていたサラダに、私はタマネギのスライスを入れていた。それを見とがめたということか。
「私たちの食事も作っているのです。王城の食堂まで取りに行くとここに戻るまでに冷め切ってしまいます。それに、お世話が大変な時は食堂まで取りに行くこともできなかったとキオーンが言っていたので、簡単なものでよければ私が作ると・・・。」
「御使いたちに食べさせるわけではないのだな?」
「私は犬舎のお世話係です。御使い様を殺すなんて、絶対にしません。」
「それならいい。疑われるようなことをするな。私は滅多にここには来ないが、私のミュラッカを傷付けたら、お前の命で贖ってもらうからな。」
この人はごく稀に来て、自分だけ満足して帰ってしまうのか。ミュラッカはいつも寂しそうな顔をして扉を見ている。散歩で犬舎の周りを歩くと、必ず王城の方を見ている。それは、セリオンを待っているからなのだろう。ポメラニアンは一度信頼を結ぶと主人に対して従順になる。もちろん子犬時代のしつけにもよるのだろうが、忠誠心の強さ故に侵入者や見慣れない者への警戒感が強く、吠える。ポメラニアンはキャンキャンうるさい、といわれるが、警戒心・忠誠心から発せられる、主人を守ろうとする叫びなのだと思えば可愛いいと私は思っている。
「失礼ですが、ミュラッカが普段どう過ごしているか、気にはならないのですか?」
私は思わずセリオンに話しかけてしまった。
「どういうことだ?」
「ミュラッカはいつも寂しそうにしています。部屋にいる時は扉を見つめ、入ってきたのが私たちだと分かるとがっかりします。散歩に行けば、王城の方を見て動こうとしないこともあります。ミュラッカはもっと殿下に会いたいと思っているのです。一年に一度しか会いに来ないと聞きましたが、普通はそんなに離れていたら主人だと思わなくなる子もいるんです。健気に待っているミュラッカがかわいそうです。もっと会いに来てやっていただけませんか?」
セリオンは何も言わない。しばらくしてから、
「お前は何を考えている?」
と聞かれた。
「私はただ、御使い様たちが楽しく元気に過ごせるように、そして私自身も癒やされたい、それだけです。御使い様たちが元気でなければ、私も癒やされませんから。」
「そうか。だが私の行動に口出しするな。忙しい合間を縫ってここに来ている。」
「さようでございますか。」
ベンティスカさんとイチャイチャする時間はあるのに、ミュラッカには会えないというのか。ああ、絶対にこの男との結婚から逃げなければ、と私は強く決意した。
「私は今、最愛の女性に会えずとても機嫌が悪い。ミュラッカが癒やしてくれたが、お前の発言でまた気分が悪くなった。そうだ、お前に一つ任務を言いつけよう。うまく果たせたら、お前の不敬は問わないことにしてやる。」
は?ベンティスカさんに会えない?で、いつ私が不敬を?私の方がイライラする!だが、セリオンはお構いなしだ。
「私にはどうやら妻がいるらしい。」
思わず体がピクッと動いてしまった。
「公爵令嬢なのだが、勝手に王城に来て王太子妃の部屋に入り込んでいた。だからつまみ出したのだが、後から聞いた話では、私の妻になるということで先に入っていたらしいのだ。事情を知らなかったとは言え、追い出してしまったのでな。悪いと思って謝罪しようと探しているのだが、見つからないのだ。見つけてくれたら、許してやる。」
この人、自分は悪くないように話を作っているよ。
私は呆気にとられて顔を上げてしまった。セリオンは遠くを見ている。
「あれと結婚しないと私が王太子になれないなんて、どういうことなのかよく分からないのだが、私に必要な人なのだ。よいな?」
私と結婚しないと王太子になれない?どういうこと?
セリオンの言葉の意味が分からない。そういえば王妃様が私のことを「鍵」と言っていた。そのことと関係があるのだろうか?
「おい、女。返事しないということは、ここで切られてもいいんだな?」
「止めろ、犬舎は俺の決定が絶対だといいうことを忘れたのか!」
突然、私はキオーンに後ろ背に庇われた。走ってきたのだろう、キオーンは肩で息をしている。
「お前、相当その女が気に入ったようだな。地味でもっさりしているが、犬の世話だけでなくお前の食事まで作ってくれるそうではないか。胃袋でも掴まれたか?」
「リアの料理は確かに美味い。だが、俺はリアが大切だ。お前はちょっかいを出すな。」
「リアというのか。覚えておこう。リア、王太子妃を探せよ。」
セリオンは側近と護衛騎士を連れて犬舎から出て行った。
「見送りは?」
「あんな奴の見送りなんて、する必要ない。」
キオーンの背にしがみついていた私は、ようやく離れることができた。
「キオーン、ありがとう。」
「ばか、どうして部屋を出たんだ!」
キオーンの雷が落ちた。
「だって、ポメたちのご飯を用意しないと、お腹がすくと喚くじゃない、あの子たち。」
「それはそうだが。」
「だいたい、厨房にまで入り込んでくるなんて、そっちの方がおかしいわよ。あ~気分が悪い!それに聞いた?あの人、私を探しているみたい。私と結婚しないと、王太子になれないんだって。」
「リアと結婚しないと、王太子になれない?」
「そう言っていたわ。よく分からないんだけど、そのために私を探しているみたい。私、嫌よ。あんな人が夫になったら・・・あ、もう夫なのよね。でも、あの人と一緒にいても、私はただのお飾りだろうし、誰にも助けてもらえないだろうし・・・」
キオーンがぎゅっと私を抱き込んだ。
「俺がいる。」
「今は、ね。」
「犬舎に来ればいい。」
「あの人に見つかったら言いがかりを付けられて、二人とも処刑されるかもしれないわ。」
「そんなことには、絶対にさせない。」
「あら、キオーンって、時々権力者みたいな発言するわよね。」
「俺は犬舎のナンバーワンだからな。」
「随分小さな国の王様ね。」
「王様か。それもいいな。」
私は食事の支度の続きをしようと、するりとキオーンの腕から抜けた。厨房に立って、ニンジンのグラッセを見る。セリオンが来たのが煮始めたばかりでよかった。水気がまだ残っていて、焦げずに済んだ。
「ニンジンのグラッセ、生きてる!よかった!」
そう言った私を、キオーンが後ろから抱きしめてきた。
「キオーン?」
「離したくない。」
「!」
いつになく、キオーンの声に切羽詰まったものがあった。
「あいつ、リアがスティーリア様だって、自分の妻だって分からなかった。そんな奴の所に、リアが泣く未来が見えているのに、俺の大事なリアを帰したくない。」
ぎゅうぎゅうと腕の力が強くなる。作業着越しに触れたキオーンの体が、思いのほか固くて、鍛えられたものだと気づく。犬舎担当の生活だけで、こんなに体が鍛えられるものなのか?私ははっとした。もしかしたらキオーンには本当の役目や仕事が他にあって、犬舎の担当というの仮の姿なのではないか。一人でいたというのは、その辺りの事情もあったのではないか。だとすれば、キオーンはそれなりの身分を持つ人で、ずっと、一人でこの犬舎にいて・・・。
「キオーン、聞いて。私ね、あの人が言った、私と結婚しないと王太子になれない、その言葉を逆手に取ってみようと思うの。」
私はキオーンの腕にそっと触れた。
「私が王太子妃であることが決定事項で、私と結婚する人が王太子になれるというのであれば、私、あの人を捨てることができるわ。」
キオーンがはっとしたように腕を緩めた。私は後ろを向くと、キオーンの揺れる目を見つめながら宣言した。
「あなたが何者であろうと、あなたが王太子になればいい。ずっと私といられるわ。もう寂しくなんてなくなるのよ。」
「ずっと、一緒?」
「そう、ずっと、一緒。」
キオーンのささやくような声に、私も答える。キオーンは額を私の額にくっつけた。
「約束だよ。」
「ええ、約束よ。キオーンこそ、あなたいい男だから、他の人に誘われても付いていかないでね?」
そのまま私たちはキスをした。本当に溶けてしまうのではないかと思うほど、深く、優しく、激しいキスが続いた。厨房の向こうでは、お腹をすかせたポメラニアンたちを、グレイシアが必死で宥めていたとも知らずに。
読んでくださってありがとうございました。
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