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10/10

自分の道は自分で切り開くのがよいようです

読みに来てくださってありがとうございます。

最終話になります。

よろしくお願いいたします。

 全員が呆気にとられた顔をしている。私は室内の人の表情を見、そして私の笑顔を見せるために、後ろ向きに倒れるようにして窓から飛び降りた。最後にキオーンの顔を見たいと思った。これが未練なのであろうか?


 と、背中に何か柔らかいものに触れる感覚がした。そして、私がそれ以上落下していないことに気がついた。


 え?何が起きたの?


 起き上がるようにすると、私の手に触れたものは明らかに・・・もふもふだ。よく見ると、白っぽい色の大型獣のようだ。


 「リア。間に合って良かった。」


 その声にはっとして、私は声のした方を見た。


 「キオーン!」


 大型獣の背に、正装のキオーンがいた。


 なぜ、正装?それも王子の姿?どういうこと?


 更に私を困惑させたのは、もう一人の人間がいたことだ。不快感はない。だが、違和感がある。何となく・・・透けている気がする?


 「違和感か。まあ、正しいと言うべきか。」


 低いその声の主の顔をよく見る。満月に照らされたその顔は、私によく似ていた。


 「・・・お父、様?」

 「よく分かったな。」

 「でも、亡くなったって。」

 「そうだ。私は死んだ。」

 「では・・・。」

 「いわゆる幽霊という存在と言うべきだろうか?魂と言えば多少は怖くないか?」


 私は震えながらキオーンを見た。キオーンはニコニコしている。


 「リア、今君は誰に助けられたんだと思う?」

 「この獣?空を飛べるのよね?初めて見る生き物だと思うんだけど・・・。」

 「そうだね。俺も本物を見るの初めてだ。」

 「で?」

 「フェンリルだ。」

 「そう、フェンリルなの。へぇ、フェンリルかぁ・・・って、フェンリル?あの、神獣の!?」

 「ああ、そうだよ。」

 「いたの!?」

 「いたねえ。」


 血縁上の父がくつくつと笑っている。お父様も、こんな笑い方をする人だったんだと知って、私は父と自分の間のつながりを少し実感した。


 「さて、それでは玉座に行こうか。」


 父がそう言うと、フェンリルは大きな扉のあるところから王城内に入り、玉座の間に直行し、私たちを玉座に下ろした。そして、私たちを追いかけてきた国王陛下や使用人たちを見下ろすように「お座り」をした。


 「兄上!生きていらっしゃったのですか!」


 国王陛下が真っ赤な顔をして興奮している。歓喜に打ち震えるその様子に、父は冷たい目をした。あ、これは私の嫌いな貴族モード・・・私の「氷花」モードと同じだ。


 「弟よ。久しぶりだな。だが私は死んだ存在。今回特別に神獣フェンリルと共に遣わされただけだ。」

 「これが、神獣様・・・。」


 いつの間にか犬舎から御使い様たちが玉座の間にやって来て、フェンリルに何か訴えている。フェンリルは静かにその話を聞いているようだ。


 「さて、私の娘をお前の息子と無理矢理結婚させようとしているようだが、私は認めない!」

 「待ってください、これは亡き父上がお決めになったことで・・・。」

 「お前は、本当にそれが父上の言葉だと思っているのか?」

 「え?父上からの書類には確かにそう記されておりました。」

 「つまり、お前はこの件について、父上と直接話していない。そうだな。」

 「はい。ですが、父上のサインがありましたから・・・。」

 「お前、決裁とはどのような順番で回ってくるのか分かっているのか?」

 「はい。初めに起案者、次第に上位の者、そして最後に国王・・・最後に国王?なぜ私の前に父上のサインがあったんだ?」

 「気づくのが遅い。お前は填められたんだ。」

 「そんな!一体誰が?」

 「私がいなくなれば、私より遙かに御しやすいお前が辺境伯家から王家に戻ってきて王太子になる。そうなってうれしいのは、潰された公爵家だけではない。むしろ、公爵家さえ利用して自分たちはのうのうと生き残った者がいたのだ。その家こそが、私を害した一番の親玉だ。弟よ、考えてみろ。私が死に、お前が王になって、一番得をした家はどこだ?」

 「王妃の実家の、侯爵家です。」

 「つまり、私を殺したのも、侯爵家だ。そうだったな、王妃。」


 王妃はブルブルと震えている。幽霊が恐ろしいのか、これから自分の身に降りかかることが恐ろしいのか、どちらだろう?私は、父の死がどれほど多くの者の手によって仕組まれたものであったかということを実感する他なかった。


 「お前は自分が王妃となって権力を握ることを望んでいた。だから、私に近づいた。だが、私はお前ではなく、サスーリカを選んだ。国内に敵なしと信じていたお前にとって、外国の王族というのはどうにもならない相手だったのだな。」

 「私のどこが気に入らなかったの?私はあなたに好かれようと、あんなに努力したのに!」

 「お前の権力志向を危険視しただけだ。尤も、国内の貴族の中でという条件を付ければお前が最有力候補だったことは事実だ。そして、私がいなくなれば弟にお前があてがわれることも予想済みだったのだろうな。」

 「そうよ!そして、協力した家には将来に昇進を約束していた!それなのに、みんな私より王女の方がふさわしいって言い出したわ。話が違うとお父様だってお怒りだった!」

 「で、俺を殺して、その罪をお前を裏切った家々になすりつけた。」

 「天罰よ!」


 王妃が激高して叫んでいる。誰もが王妃から少しずつ離れていることに、王妃が気づかない。セリオンとリオートさえ、母である王妃から距離を取っている。


 「私は御使い様を守るために命を落とした。その見返りとして、今日、この場にいる。ここに来ることができたのは、神獣様(フェンリル)が私の魂を運んでくれたからだ。そして、今日、まさにこのタイミングで来ることができたのは、キオーンのおかげだ。」


 私は、私の腰をずっと抱えているキオーンを見た。いつものいたずらっ子のような笑みに、私は安心する。


 「犬舎の中に、小さな聖堂があるだろう?毎日その聖堂に行って、リアを守る方法を教えてほしいって祈っていた。その内、リアの父上と話ができるようになって・・・色々相談していたんだ。今日もリアが連れて行かれたことを報告しに行ったら、こうやって来てくださったんだ。それに、俺には有能な部下がいて、情報をきちんと回してくれたからな。」


 フィンブルが私たちの方に歩いてくる。そしてキオーンの前で膝をつき、「我が君」と呼んだ。キオーンがフィンブルの肩を叩くと、フィンブルは立ち上がり、キオーンの斜め後ろに付いた。

 

 え?フィンブルの本当の主って、キオーンだったの?


 私の心の声はやはりキオーンには届くらしい。キオーンが頷いている。それと共に、フェンリルの足元にいたポメラニアンたちが、私とキオーンを守るように取り囲んだ。


 「王妃を逮捕せよ。王族の暗殺未遂、権力の濫用、横領、捜査攪乱、国王への虚偽報告。叩けばもっと出てくるだろう。侯爵家にもすぐに兵を向けよ。」


 キオーンの言葉に、呆然とする人々と、即座に動く人々に別れる。


 「キオーン?」

 

 私はなぜキオーンの命で動く人たちがこれだけたくさんいるのか分からない。国王陛下が私の側に来た。


 「キオーンは、私の子なんだ。」

 「は?」

 「私が再婚であることは知っているだろう?辺境伯家にいた時に生まれたのがキオーンだ。彼女はキオーンを手放したがらなかったが、私の後に婿入りした男は、自分の子を将来の辺境伯にすることを結婚の条件にした。それで私と一緒に王都に来たが、王妃もキオーンを第一王子とすることに難色を示した。王妃やセリオンたちから狙われないよう、キオーンは出自を隠して自ら犬舎に籠もっていたんだ。スティーリアがキオーンに保護されたと聞いた時、王妃は荒れたが私はほっとしたんだ。キオーンなら必ずスティーリアを守ってくれると信じていたから。」

 「黙っていてごめん。だが、俺の命を守るためにも、言えなかったんだ。」


 キオーンが私に謝ってくれた。国王はフェンリルに跨がったままの父に向かって言った。


 「兄上。私が愚かだったばかりに、兄上の命を失わせ、姉上に苦労を負わせ、スティーリアにも悲しい思いをさせてしまいました。申し訳ありません。」


 父はじっと陛下を見つめている。そして、大きくため息をつくと、厳しい顔をしていった。


 「お前が情に流されやすいことは知っている。だが、あまりにも王妃と侯爵家に心を寄せすぎた。その結果、この国の民や貴族にどれほどのしわ寄せがいったのか、その目でよく見るべきだった。」

 「はい。申し訳ありません。兄上がいるからと、帝王学を疎かにした私の不徳のいたすところです。」


 父は私を手招きした。キオーンと側に行く。


 「スティーリア。初めて会う父が霊体というのは申し訳ない。」

 「いえ、私には公爵様が養父となってくださるまで、父という存在を知らずに、周りの子どもたちを羨ましいと思いながら生きてきました。一生お目にかかれない思っていたので、どんな形であれお目にかかれてうれしく思います。」

 「そうか。それで、スティーリア、お前はこれからどうしたい?」


 父は厳しさと優しさの入り交じった目で私に問うた。


 「私は・・・。」


 私はキオーンを見た。セリオンとリオートが、諦めきれないという様子で花束をこちらにまた差し出している。だから、それいらないってば。


 「私は、キオーンと生きていきたい。王太子妃とか、王妃とか関係ない。二人でポメラニアンたちと一緒に、過ごしていきたい。」

 「俺もだよ、スティーリア。」


 よく見ると私たちの足元に、アルとラヴィーネが寄り添ってお座りしている。ミュラッカとルミは、それを仲良く見ている。セリオンとリオートはポメラニアンたちの様子を見て、ようやく諦めが付いたようだ。


 「キオーン、あなたはどうしたいの?」

 「ん?」

 「あなたは王太子になりたいの?それとも、今までのように犬舎にいたいの?それ以外にも何かヴィジョンがあるの?」

 「俺は・・・リアが認めてくれるなら将来は王になって、この国をよくしたい。人間も、御使い様以外の生き物も含めて、生きとし生けるものがまっとうに生きられる国にしたい。お前はいらない、っていわれる子どもが一人もいない国にしたい。」


 キオーンは親と一緒に過ごせない寂しさの中で生きてきたのだ。私も陰謀で父を失い、父に抱きしめられる経験なく育った。公爵様は、10歳になった私に触れてはならないと決めていたから、私を抱きしめてくれた最初の男はキオーンだった。少し年上のキオーンに、父というものを少しだけ、重ねていたのかもしれない。


 「元々、スティーリアの心を溶かした者だけが求婚できるという話だったんだ。キオーンと一緒になるならば、亡くなった陛下も怒りはするまい。」


 父は頷いた。そして、私をそっと抱きしめ、娘をこの手に抱けるなんてもう思い残すことはないと言った。


 「お母様には会わないのですか?」

 「もうサスーリカにとって、私は過去の男だ。公爵が守ってくれるなら、サスーリカも幸せだろう。」


 父は再びフェンリルの背に跨がった。


 「本来会うことのないはずのお前と話し、お前を助けることができた。神とフェンリルに感謝することを忘れるな。」

 「はい。お父様。」

 「父と呼んでくれて、ありがとう。」


 最後の言葉が届くのと、父とフェンリルの姿が満月の光の中に溶けて消えたのは、同時だった。


・・・・・・・・・・


 その後、王妃と実家の侯爵家への厳しい取り調べが行われ、王妃は廃されて毒杯を賜った。侯爵家は前王太子殺害の親玉だったことが発覚して、画策した前公爵から三親等までが処刑の対象となった。四親等以上離れた者は、平民に降格された。それ以外にも、王妃のために動いていた貴族や使用人たちが次々に逮捕され、処罰を受けることとなった。


 王都の騒動が一段落した頃、辺境伯夫妻が面会を求めて王都にやって来た。辺境伯夫人は、キオーンの実の母だ。私は曰く付きの王太子妃の部屋から、新しい部屋に移してもらっている。その部屋で、私は義理の母と面会するためにふさわしいドレスに着替えていた。キオーンが迎えに来てくれたが、私はドキドキして、ずっとキオーンの手を握りしめている。


 「俺も小さい頃に別れたきりだから、緊張している。リアが手を握っていてくれて安心するよ。」


 私の羞恥を見越したように、キオーンは私の手を握り返してくれる。本来のマナーとしては不合格だと知っているけれども、お互いの精神衛生上の問題を解決するため、私たちは辺境伯夫妻を前にしても手を握ったままだった。


 辺境伯夫妻は、軍事を最重要視する家柄らしく、鍛えられた大柄な人たちだった。婿入りした辺境伯は結婚するまで、20代前半で国軍の一軍を任される大将だった。その能力を買われ、今の国王の後釜に入ったわけだが、辺境伯家と領民にとっては雨降って地固まるとでもいうべきか、よりよい状況になったのは言うまでもない。辺境伯家の跡取り娘として、本人も従軍経験のある夫人もまた、騎士として名のある人なのだという。夫人を見た私は、キオーンの体型は母譲りなのだと理解できた。国王の媒で挨拶をして、私たちは王族のプライベートな応接室のソファに腰掛けた。私が誘拐まがいに王城に連れてこられた時、両陛下と会った部屋だ。あの時は、陛下の隣に王妃がいたが、今はいない。


 「キオーン……大きくなったわね。」

 「辺境伯夫人もご健勝のようで・・・。」

 「やめて、一応私たち、母子なのよ?」

 「ですが・・・。」

 「いいの。この人のわがままであなたを辺境伯家ではなく、王家に渡したんだから。でも、今なら先見の明があったとも言えるわね?」


 私が首をかしげると、辺境伯夫人が艶やかに笑って言った。


 「王家に血を入れることができたのだもの。これからの王族は、しっかり武力も持たないとね。」


 キオーンは呆然とし、国王は頭を掻いている。確かに国王陛下は、見た目から守られる側の人だが、キオーンは自分から戦いに行ける人だ。


 「それで、話というのは?」


 キオーンが気を取り直したように言った。そう、今日の会見は辺境伯夫妻から、キオーンと私に会いたいという申し出があって実現したものだ。


 「キオーンが生まれた時にあったことを伝えたいと思って。」


 辺境伯夫人は優雅な仕草で紅茶を飲むと、音を立てずにカップを置いた。辺境伯夫人のことを野猿などといって蔑む貴族がこれを見たらどう思うだろう。


 「キオーンが生まれたのは、冬の寒い日で、窓にはつららがたくさんできていた。難産でね、陣痛が始まって3日立ってもあなたは生まれなかった。このままでは母子ともに危険だと言われ、あなたを諦めるように医者に言われたわ。でも、私は諦めたくなかった。出てきたくないのか、出てくることができないのか、どちらなのだろうって思っていた。」


 夫人は辺境伯の腕にしがみつくようにした。国王陛下が瞠目したが、辺境伯夫人は言葉を続けた。


 「私の意識もその内に朦朧とし出して、私自身も危ない状況になってきたことに気づいた。どうしても私はこの子を産みたいと思った時、夢うつつにフェンリルがあらわれたの。もちろん現実にはいなかったはずよ。いたら騒ぎになったはずだもの。フェンリルが言ったの。『この子は神の祝福が与えられた子だから自分が守る。心配せずに産め。』って。」


 国王陛下も知らなかったようで、そんなことがあったのか、とつぶやいた。


 「あら、陛下にはお話したのですが、お忘れなのですね。」


 なんだ、忘れていただけか。私は国王の抜けっぷりが昔からなのだと思い知った。


 「次の瞬間に生まれたわ。でもね、人間って生まれる時には光っていないはずのなのに、この子は白く光っていたの。それを見て、私は、ああ、この子は本当に祝福を受けて生まれてきた子なんだ、何かしらの役目を果たすために神から授けられた子なんだって、そう思ったわ。だから辺境伯家に残したかったんだけど・・・将来王になるのも、あなたの役割の一つだったのね。」

 「一つ?」

 

 聞き返したキオーンに、夫人は頷いた。


 「あなたがフェンリルを召喚したと聞いたわ。」

 「それは、前の王太子殿下が・・・。」

 「彼が来たのは、あなたが神とフェンリルに祈っていたからよ。あなたが生まれる時、フェンリルが言ったの。神と神獣の存在を心から信じていれば、あなたが本当に困った時には自分たちが力を貸すって。前の王太子殿下はいわば証人。だから、彼を連れてくることが王妃様への牽制となったし、陛下も受け入れやすかったのではなくて?」

 「そうだな。キオーンの発言だけでは信じてやれなかったかもしれない。」


 国王も頷いている。


 「だからね、あなたがしっかりと神と神獣を信じて一生懸命に、誠実に生きていけば、この国はきちんと収まるわ。神と神獣が守ってくださるのだから。だから頑張って頂戴。」


 夫人はコロコロと笑った。


 「そうなれば、私たち辺境伯の仕事も軽くなる。だから、私に取っても大きなメリットがあるのよ。」


 きっとこの人は、キオーンを応援したくて遠い辺境伯領からやって来てくれたのだ。そして、変に気負わないよう、自分の利益を主張したのだ。


 「スティーリア様、公爵夫妻とはお話になりまして?」

 「いえ、まだですが・・・。」

 「そういうと思って、お呼びしておきましたわ。」


 伯爵夫妻の合図で入ってきたのは、公爵夫妻だった。


 「お父様、お母様・・・。」


 だが、それだけではなかった。


 「私・・・グレイシア・・・ラヴィーネ・・・。」


 公爵夫妻の後に付いて入ってきたのは、私とグレイシアとラヴィーネの「影」たちだった。さすがにこれには伯爵夫妻も唖然とし、「え?双子?聞いてない!」と騒ぐことになってしまった。


 「話すのが遅れたことは悪かった。だが、この子はお前を守るために、小さい頃から自分を押し殺してお前になりきってくれている子だ。感謝こそすれ、恨まないでくれるか。」


 お父様の眉が下がっている。だが、お母様の顔は、平常運転(=無表情)だ。


 「お前が前の王太子の子だと分かれば、必ずその命を狙う者が出る。この子は小さい時にお前とよく似ているということで、王家が雇ったのだ。」

 「お嬢様、お初にお目にかかります。私は普段から変装してお嬢様の傍にお仕えし、お嬢様の癖などを身につけました。今回の事、何の事情も知らないのに家に影がいると分かって、きっとご不快だったに違いないと思うと心が痛みます。どうか、お許しくださいませ。」


 「氷花」モードの時の自分なら、こんな言い方をするだろう、という話し方、態度で、私の「影」は謝罪した。だが、私には彼女を責めるなど、できるはずがない。


 「あなたがいたから、私は無事でいられたの。ありがとう。あなたのおかげで、私はキオーンをよく知ることができたのよ。感謝しているわ。きっとすごく努力したのでしょう?」

 「はい、お嬢様・・・。」


 「影」には名前がない。いや、雇われたと同時に奪われる。だから彼女に名前はない。何と呼べばいいのか困っていると、キオーンが助け船を出してくれた。


 「これからも彼女はリアの『影』を続けてくれるんだろう?だったら、コールネームでもいいから、何か呼び名がないと困るな。」

 「名前があると、本人もやりにくいのですよ。」


 お父様は説明してくれた。名前は個を表す。だから、固有の名前があると個が本能的に出てしまう。そのために本当の名さえ捨てるのだ。そう考えれば、呼びたいからと言って名を付ける方が本人には酷なのだ、と。


 私は私の「影」を見た。


 「名前を呼びたいと言ってくださった、そのお心だけで、私は十分です。」


 そう言って、彼女は立ち去った。お父様は私に噛んで含めるように言った。


 「お前はこれから王太子妃となる。逆恨みをする者、誤解する者、敵対する理由は様々だが、敵対者は必ず現れる。そうした者たちから命をかけて守ってくれるのが『影』だ。彼らの献身を心に刻み、彼らが危険に巻き込まれないように注意深く生きてほしい。そう思って、彼女に会わせた。理解してくれるか?」


 私は私の足で立って、私の力で生きていくのだと思っていた。だが、本当はそうではなかった。守ってくれる人がたくさんいて、私の気づかぬ所で助けてくれる人がたくさんいて、そうして私は生かされてきたのだと気づいた。たとえ愛情を感じられなかったとしても、違う形で愛が示されていたということか。子どもには難しすぎる。後になって、ああ、あれは愛の一つの形だったのだと気づく日があるかもしれないが、その時にお礼が言えないのはもっとつらい。私は頭を下げた。


 「皆様、私を生かしてくださって、本当にありがとうございました。」


 本当は分かりやすい愛もほしい。だが、それはキオーンがくれる。世の中にはいろんな愛がある。それぞれが少しずつずれ、かみ合い、補い合って、一人の人の中で愛とは何かというものを形作っていくのだろう。ならば、私たちがこれから形作ろうとしているのはどんな愛だろうか。キオーンへの愛と、両親への愛は違う。民への愛と、身近な使用人たちへの愛も違う。ただ、私たちはそれをいつか相手が気づけるように、たくさん注いでおくだけだ。そして、他人からもらった愛を今度は私が与えていくのだ。もらった愛が多いほどたくさん与えられる。たくさんの人に愛された私は、たくさん与えられるはずだ。


 キオーンが王太子、私が王太子妃になる日。結婚と立太子の儀を同時に行うことで経費節減した私たちは、夜明け前に犬舎に行った。それぞれの役の重みの分だけ仕事が増え、私たちは犬舎に住めなくなった。だが、必ず犬舎でポメラニアンたちと遊ぶ時間を作っている。グレイシアはここに残ることを決めた。私の傍から離れたかったのではない。むしろ私がいつでも来られるように、自分が残るのだと言ってくれた。グレイシアの影だった女性は影から外れ、グレイシアと一緒にこの犬舎にいる。グレイシアは私の弱みになるので、その女性が護衛を兼ねてくれるのだと言う。一人っ子のグレイシアは、姉ができたようだと喜んでいる。女性もまんざらでもない様子である。


 犬舎で起きたいろんな事件を思い起こす。ポメラニアンたちが私たちを取り囲んでいる。こんな時間に来たので、驚いているようだ。私はアルを抱き上げ、キオーンはラヴィーネを抱き上げる。二頭には先月、子犬が生まれた。最近、健康的な子犬が生まれる傾向が見られると繁殖の担当部署の文官と獣医官から報告が上がっている。何かいい予兆のような気がしてならない。


 朝日が上り始めた。今日という一日が始まる。朝日に照らされて、ポメラニアンたちと今日一日の無事を祈る。


 犬舎の奥にある小さな聖堂の中では、フェンリル像の目がキラリと光っていた。

お読みくださってありがとうございました。

楽しんでいただけたなら幸いです。

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