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 ◇◇◇


 馬車の奥に荷物のように転がされたミアは、三日目の夜を迎えていた。

 常に緊張して眠れず、体は固まってあちこちが痛い。空腹は何とか耐えられるが、喉の渇きと寒さは何より辛かった。

 

 このまま王都に着いてしまえば、娼館に連れて行かれ、逃げ出す機会は来ないだろう。


 人買いから娼婦を買うことは禁じられている。そんなことをする娼館は、恐らくまともなところではない。

 

(逃げるなら、今夜しかない)


 この二日間、ミアは、恐怖に打ちひしがれる従順な少女を演じてきた。

 そうしていれば、乱暴なことはされなかったし、時折、気まぐれに食事や水もくれた。綺麗な状態を保って高く売るためだとは思うが、男たちはすっかり油断している。ミアのことをか弱い乙女であり、逃げる気力もないと思っているはずだ。


 ミアは、横になって目を閉じ、眠ったふりをしながら考えた。夜になると、男たちは見張りを一人外に置いて、残り二人はテントをたてて眠る。唯一の見張りも、焚き火の前に座っているだけだ。

 狭い馬車に転がされたまま、体を丸める。日が落ちて随分たった。夜もとっぷりと深くなり、風が木の葉を揺らす音しか聞こえない。


 眠りの魔法を使えば、彼らの眠りは深くなる。見張りも油断していれば、眠りに落とすことができるはずだ。日中の覚醒した状態からは難しいが、今なら効くはずだ。

 大丈夫。祖母にもよく使っていた。その時は、上手くいったではないか。得意なはずだ。


 追手がかかる前に、姿隠しをして、出来るだけ遠くに、王都に行く。なるべく、人が多い所へ。

 王都に行ったら、詰所に行って、サイラスに助けを求める。


 きっと出来る。


 ミアは自分を奮い立たせて、静かに、丁寧に呪文を唱えた。こんなにも集中して魔法に取組むのは、卒業試験以来のことだった。



◇◇◇



(あと、少し…!)


 ミアは、自らを鼓舞した。何度か挫いた足はずきずきと痛い。あちこち擦り切れて、泥だらけだ。

 喉が破れたみたいに痛んで、息を吸うと、血の味がする。酸素を送り続ける胸が苦しい。それでもミアは走った。

 太陽が周囲を明るく照らし始めるに従って、焦る気持ちが強くなる。

 捕まったらどうしようとか、農園はどうなるのだろう、とか、不安なことばかり浮かんでくる。


 眠りの魔法は上手くいった。男たちが寝ている隙に、ミアは音を立てないように馬車から降りて駆け出した。後は、逃げ切るのみだ。

 姿隠しの魔法を使いながら走ると、普通より体力を消耗するが、そんなことは言っていられない。


 王都の詰所に駆け込むまでは、とミアは自らの痛みを無視して走った。


 そして、王都の入り口が見える頃には、すでに朝日に追い越されていた。王都の門がその光に照らされている。すぐそこに見えているはずなのに、ずっと遠く、大きく見えた。ミアは、もう、走ることはできなかった。ただ、足止めないことに必死だった。


 西の詰所は、王都の入り口のすぐそばにある。ミアは、そのまま王都に駆け込んだ。

 膝をついて、息を整える。思い出したかのように身体中に痛みが襲ってくる。


 顔を上げると、朝の買い物や出店の準備をする人々が行きかっている。王都のいつもの日常があった。穏やかな、日常だ。安堵が込み上げてくる。多分、男たちはもう目を覚まして、ミアがいなくなったことに気付いているだろう。

 でも、これだけ人目があれば、おいそれと襲ってきたりはしないはずだ。

 


 ミアは、前を向いて足をすすめた。くじいた足がずきりと痛む。


 大通りの右側に荘厳な建物が見える。騎士団の詰め所だ。屋根には、真っ赤な色をした王の旗が悠々とはためいて、輝いている。堂々たる様子に、息が漏れる。建物が『待っていたよ』と声をかけてくれているようだ。


(ああ、私、逃げ切ったのね…)


 ミアは、そこでようやく姿隠しを解いた。魔力も体力も限界だ。歩いて半日はかかる距離を夜通し進んでここまで来た。このまま倒れ込んで、泣いてしまいそうだった。


 ミアは、縋るような気持ちでドアを開けると、受付の女性がぼろぼろのミアを見て、ぎょっとした後、呆れたようにため息をつく。


「どうされました?」


「あの、王都に知り合いがいるんです。サイラス・ブラッドフォードというんですが…」


 『引き継いで欲しい』そう続ける前に、女性の背後から騎士が顔を出した。女性は、振り返ると『赤毛のお客様よ。英雄サイラス・ブラッドフォードへの面会希望の』と意味ありげに言う。


 あしらわれるような対応に違和感を感じる。何が起こっているのか分からず不安になるも、どうすることも出来ずにただ立ちすくんだ。

『布告されたのは今朝だろ?まだ昼前なのに、もう三人目か?』と、騎士が呆れたように話している。

 女性はミアに向き直ると、ミアの格好を上から下まで見てきた。

 ミアは、攫われたときに着ていた喪服のままだったし、転んで砂がついていた。あちこち怪我もしている。


「誰か亡くなったの?」


「はい、祖母が…」


 そういうと、女性は受付台から出てきて、いたましいような顔をして、ミアの背中を撫でた。

 

「布告を見てきたんでしょう?英雄様が赤毛で翠眼の若い女性を探してるって。賞金付きの」


「えっ」


 そんな布告は知らない。けれど、もしかしたらそれは、私の状況にサイラスが気付いて手を打ったのかもしれない。ミアは、確信めいてそう思った。

 サイラスにも祖母の訃報を送った。サイラスが、忙しい合間を縫って祖母の弔問に来てくれて、ミアに何かあったと気付いてくれたのだろう。

 カーテンを開けるように視界が開け、希望が広がったようだった。

 サイラスが探してくれている…!

 

 私がその赤毛の女です、と言う前に、女性が話し出した。


「お嫁さん探しとかいう噂だけれど…。悪いことは言わないから、貴方、諦めなさいな。夢を見ても辛いだけよ」


「え、いや…」


「貴方で三人目よ。他の方は、貴族の綺麗なお嬢さんや、商家の洗練されたお嬢さんだったわ。もう一人は平民で、髪を染めて来ていたわ」


 女性はミアの頭を撫でて『賞金が欲しいのか、英雄様に会いたいのか分からないけれど、今日は帰った方がいいわ。叶わない夢は見ないことよ』と続ける。

 ミアは、頭を殴られたような衝撃を受けた。今のミアは、側から見て、友人であることを信じてもらえほどなのか、と。

 それどころか、身の程をわきまえた方がいい、と諭されるような存在なのだ…。

 

 きらきらと輝いていた希望が、急に色褪せて萎んでいくようだった。

 学院にいた頃は、友人だった。今でも友人であると言えるだろう。でも、二人の間には大きな差が出来てしまっている。

 とはいえ、今のミアには他に縋るものも何もない。サイラスに助けを求めれば、応じてくれるのは分かっていた。サイラスは、人に傷つけられることが多かった分、誰よりも優しい。


「でも、私、身寄りもなくて…」


 女性は、やれやれ、と言った様子でため息をつくと、聞き分けの悪い子どもに言い聞かせるように『今日の午後三時に王宮前の広場に行けばいいわ』と教えてくれた。


 ミアは、二人が要件は終わり、といった風に奥に戻っていくのを茫然と見ていた。

 自分の状況を説明するべきだ、まだ間に合う。そんなことは分かっているのに、惨めで、情けなくて、何も言えなかった。


 二人に対して、ミアがサイラスの知り合いであることを説明し納得してもらう未来が全く見えなかったし、その気力もなかった。


 ミアは、生まれて初めて、世界に一人になってしまったように感じた。誰にも愛されず、必要とされず、迷惑をかけてしまう存在のように感じられる。自分という存在がぐらぐらと傾いていくようだった。


 サイラスは王宮に住んでいる。ミア一人で広くて厳重な警備の王宮に入れるとは思えない。きっと、門番には、今の受付の女性のように帰った方がいい、と諭されるだろう。

 手紙を出すにも、お金も伝手もない。

 

 

 そこで、ミアははたと気づいた。

 

(今日寝る場所も、食べるものもないかもしれない…)


 今日中に、サイラスと会えるかどうかなんて分からないのだ。でも、野宿は危険だ。街の隅で姿隠しをしながら一夜を過ごしても良いかもしれないが、そんな体力も魔力もない。

 

 職業斡旋所に行けば、住み込みで、今日から置いてくれるところはあるだろうか。これ以上、迷惑をかけずに済むだろうか。

 ぼんやりしたまま、鉛のように重い身体を引きずった。



 

「少しなら魔法が使えます。植物系の魔法が得意です」


 ミアは、職業斡旋所の受付で話した。担当者は、ミアの格好を見て驚いていたが、嫌がらずに対応してくれた。『今日から住み込みでっていうのはちょっと難しいかも知れない』そう話している時だった。


「おい、あんた、植物系の魔法が得意だって?」


 横からよく響く低い声が聞こえた。視線をやると、熊のように大きい男が立っていた。日に焼けて、浅黒い肌をしている。


「はい、花を咲かせたり、枝を伸ばしたりできます」


 それを聞くと、男はミアのことをじっと観察して、考えているようだった。ミアは、自分が価値のない存在だと思われてしまうのではないかと不安になった。


「俺は庭師だ。妻は花屋を営んでる。妻が身重で、助手が欲しかった所だ。店で寝泊まりしてもらうんでいいなら、うちでどうだ」


 今度はミアが男を観察する番だった。服は、丈夫そうな作業着で、使い込まれて汚れている。髭を剃っていて、手は分厚くて大きく、汚れているが、爪は短く切り揃えている。動きやすい靴に、ゲートルを足に巻いていた。


 庭師だという話は間違いなさそうだ。

 ミアは、不安ながらも頷いた。


◇◇◇


「大変だったわね。服はいくつかあげるわ。ジェシーを産んでから、体型が変わって着られなくなったものがあるの」


 お腹の大きい、金茶色の髪をした女性が言う。彼女は、庭師の妻でイライザという。

 ミアを雇ってくれた熊のような庭師は、アドルフというらしい。ミアを連れて帰ったとき、イライザは呆れたようにけらけらと笑った。さわやかな声だった。


「今度は何を拾って来たのかと思えば、女の子じゃない」


 そうして、ミアに何も聞かないまま、自宅に招き入れると、温かい食事とお風呂を用意してくれた。お風呂に入ると、あちこちに作った傷が沁みたが、温いお湯が固まった身体をじんわりと溶かしていくようだった。髪は三回洗ってようやくいつもの手触りと色を取り戻した。

 イライザが用意してくれたのは野菜がくたくたになるほど煮込まれたスープと、バターをたっぷり塗った柔らかいパンだった。全部が暖かくて、優しかった。ミアは、込み上げてる涙を堪えながら食べた。人生で一番美味しい食事だった。


 お風呂と食事を終えると、こじんまりとした可愛らしい花屋に案内され、その奥に、簡易なキッチンと、大きなソファが置いてある。『休憩室みたいなものだから、ベッドも暖炉もお風呂もないの。ごめんなさいね。ひとまず、ゆっくり休みなさい。話はあとで聞くわ』とふかふかのブランケットを用意される。

 イライザが手際よくストーブをつけると、狭い部屋はすぐに温まった。


 満腹で、暖かくて、穏やかな空間の中、もう何日もまともに寝ていなかったミアは、意識を失うように眠りに落ちた。





 アドルフはお人よしで、犬とか猫とかよく拾ってくるので、イライザは『そのうちセミとか拾ってきそう』と思ってます。

 ちなみに、イライザはアドルフより八歳も年下。穏やかな人ですが、若いときは結構悪かったんです。優しいアドルフに惚れ込んで猛アタックして落としています。


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