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◇◇◇


 卒業したら、ミアは西の遠い街に帰ってしまう。馬車で三日の距離。遠すぎて、転移魔法は使えない。

 今までみたいに、気軽には会えなくなる。


 それを聞いて、僕は引き止める言葉を必死に探した。だけど、二人の関係は、友人で、どんなに取り繕ってもどこか不自然だった。

 僕には、ミアを繋ぎ止めるものが何もないのだ。

 

 ミアは、僕の容姿も、身分も、魔力のことも、何も聞かないし、何も言わない。ただ『この本が面白かった』とか『この料理が美味しい』とか、そんな普通の話ばかりする。

 鈴の鳴るような軽やかな声で、屈託なく笑って、自分の弱さも明るくさらけ出すことができる。

 それが、人間らしくて、とても眩しく思える。


 ミアが僕の在るべき場所のように、居心地が良くてあたたかかった。

 ずっと、ミアのそばに居たい。

 

 でも、ミアの気持ちと、僕の気持ちは釣り合わない。

 ミアは誰にでも親切で、朗らかだった。学院では、ミアのように真っすぐで無垢な優しさを持った者は少ない。僕と違って、友人だっていたし、近づこうとする輩も少なくなかった。ひっそりと、そういった奴らを始末するのにどれほど苦労したことか。

 僕が卒業してからの一年間は、魔術師団の見習いとしての仕事もあったから、虫どもを探し出すのも大変だった。


 けれど、それは何の意味もない。


 僕がいくら独り占めしたいと願っても、手に入らないから、僕ではない誰かのものになるのを見たくなくて足掻いているだけだ。


 結局僕は、なすすべもなく、遠くの街に帰るミアを見送った。


 それからは毎月送られてくる手紙が唯一の(よすが)となった。 

 手紙が来れば、繰り返し読んで、その後の一週間は返事を考える。


 時折、ミアから蜂蜜やりんごジャムを送られると、飛び上がるほど嬉しかった。どんなものでも良い。ミアの存在を感じられることが幸せだった。


 ごく稀に、ミアが、王都に仕事や遊びで王都に来ることもあった。

 『今度、王都に行くね』と、その言葉を見るたびに『それならうちに泊まっていけば』と書いては消す。

 もし、ミアとの今の関係が壊れてしまったら、と思うと怖くて仕方がない。


 結局、ミアが王都に来た時には、食事をして、買い物をして、一歩を踏み出すことができないまま、夕方には手を振って、ミアの背中が見えなくなるのを後悔に包まれながら見送る。


 サイラスは、ミアが王都に来ると必ず本を数冊貸した。本当は、忙しくてあまり本を読めていないけれど、貸せば返しに来てくれるから。

  いつか、理由がなくても、会いたいと思って欲しいと願いながら、想いを託した。

 

 それからはまた、ミアのいない日々の中で、ミアを辿って、反芻(はんすう)しながら過ごすのだ。

 

 仕事はと言うと、魔術師団に入っても、周囲の状況は変わらなかった。魔力は基本的に遺伝するから、魔術師団は高位貴族が多いのだ。

 サイラスは、その中に入り込んだ異分子だった。


 それと同時に、とても使いやすい存在だった。膨大な魔力を持ちながら、侯爵家に籍を置いているだけの平民。身命を()して挑む任務には、常に名前を挙げられた。

 皆、口々にサイラスを激励するが、それは建前で、実際のところはいい気味だと思っているのが透けて見えていた。


 身分と共に、自分の命の軽さを揶揄(やゆ)されているようで気分が悪かった。


 父は、深い苦悩をたたえた表情で、『使命を果たしてこい』と言った。それが力を持つ者の責任だという信念を持っている人だ。

 


 それでいい。仕方がない。そういうものなのだろう。



 そう思っていたけれど、ミアだけは、違った。

『行かないで。危ないことはしないで。成功なんかしなくていいから、無事に帰ってきて』

 ミアのヘーゼルナッツのような温かみのある翠の瞳から、きらきらと宝石が溢れていくようだった。


 使命よりも、あなたが大切だ。

 僕は、ずっと誰かに、そう言ってほしかったのかもしれない、とそのとき初めて気づいた。


 ミアの言葉が、ふらふらとぐらつく僕の不安定な心の根っこを支えて、闘志をたぎらせてくれた。


「絶対に帰ってくる」


 ミアの言葉が、その存在が、僕にどれほど力をくれたか、きっと知らないのだろう。

 ミアはいつも、生きることをあたたかく感じさせる。 

 僕は、ミアのために戦うと決めた。ミアが健やかに安心して過ごせるために、僕は戦うのだ、と。


 ミアがいたから、命の危機を何度も乗り越えられた。

 

 奇跡の勝利を収めて王都に帰る度に、人々はだんだんサイラスを称賛するようになっていった。英雄と讃えられ、権力と金を与えられた。


 今まで全くなかった社交の場にも引きずり出され、やりたくもない挨拶やマナーやらされた。


 今までは遠巻きに、ひそひそと悪口を言っていた香水臭い女が、(はえ)のように集まってきて、鬱陶しくて仕方ない。返事をするのも面倒なので、無視していると、不貞腐れて飛んでいく。そうしてまた勝手に『平民のくせにお高く気取ってる』と騒ぎ立てるのだ。


 そういう女性たちを見ると、いつもミアを思い出した。

 ミアの赤毛は、もっと深い。その髪を魚の骨のように柔らかく編んでいる。

 ミアは、あんなに青白くない。少しだけ日に焼けて、健康的で滑らかな身体だ。

 そんなことばかり考えて、ミアが手に入らないことを実感して余計に苦しくなる。


 ミアはここにいないのに、何故僕はこんなところにいなければならないのだろう。任務は、それがミアの安全に繋がると思えたから頑張れたが、社交の場はただ疲れるだけだった。

 

 ミアは祖母の体調が優れず、忙しいみたいだった。

 王都にも、あまり来られなくなってきて、『なかなか王都に行けないから、借りた本を送ろうか?』と手紙がきた。


 返事はまだ書けていない。何と書けば会いに来てくれるのか、再び返事がもらえるのか分からないからだ。

 会いたい。声が聴きたい。朗らかな笑顔を見ていたい。


 もう、半年もミアの顔を見ていない。心が凍ってしまいそうだ。

 


 馬鹿馬鹿しくて、虚しい毎日だった。



 

◇◇◇



 視界が歪み、サイラスは咄嗟に手をついて身体を支えた。

 ミアに関する声を拾えないものかと、犬耳の魔法と、探索魔法を組み合わせたところ、街中の声が流れ込んできて頭が処理しきれず混乱してしまった。


 こうしている間にも、ミアは誰かに奪われているかもしれない。

 焦る気持ちばかりが募る。


 娼館に売られる予定だと聞いた。高級娼館であれば、作法や手練手管を教えた後に、店出しをする。どれくらいで客を取るものなのだろうか。


 ミアの健康的な身体が、誰かに晒される。あの生命力に満ちたみずみずしい身体に、他の男が触れる。それを想像すると、ぞわり、と背中に不快なものが走る。そんなの、許せる訳がない。


 ミアは誰にも渡さない。僕のものだ。


 サイラスが、弔問に訪れた時には、ミアが攫われてからすでに二日経っていた。

 

 魔力があっても、何の役に立たない。


 悔しさに舌打ちをした時、ドアが開いて薄茶色の髪をした短髪の大柄な男がが入ってきた。

    

「サイラス、何があったんだよ。国単位の探索魔法何発もぶっ放してるって噂になってるぞ」


 騎士団員のクリフだ。討伐隊で何度か一緒になった。男爵家の三男で、任務中に偶々こいつの命を助けてやった時から、こうして馴れ馴れしく話しかけてくる。


 鬱陶しいが、まあ、悪い奴ではない。


「ミアが攫われて売られた」

 

「ローリー男爵がやったのか?犯罪だろ…」


「地下牢にぶち込んでる。殺してやりたいよ」


「いや、それも犯罪だからな」

 

 そんなことは分かっている。だから、法の裁きを受けさせ、罪を償わせた後に、ばれないように自らの手で殺すつもりだ。地獄の苦しみを与えなければ気が済まない。ただ、クリフは、無駄に真面目で正義感が強いところがあるから反対されると面倒なので、黙っておくことにした。


「協力するから、事情を聞かせろよ」


 クリフは、腕を組むとそう言った。

 サイラスはクリフを見た。何を使ってでも、ミアを助け出すという決意を秘めて。



 

 

 



 




 ミアを感じるので、サイラスは好んで毎日りんごを食べます。

 事情の知らない誰か『りんごと魔力』についての相関関係について研究に着手したらしいです。

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