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◇◇◇


「ミアをどこへやった!!」


 稀有の天才魔術師、サイラスは、激怒した。男性にありながら『女神の如き美貌』と讃えられるその端正な顔立ちが震えるほどに。


 その燃え盛る炎のような激しい怒りをぶつけられたローリー男爵は泡を吹いて失神した。


 サイラスは舌打ちをして、魔法で冷水を作り出すと、忌々しいその顔に容赦なくぶつける。


 しかし、男は石のように倒れたまま、ピクリとも動かない。

 部屋のすみに視線をやると、二人の女性が身を寄せ合うようにして震えている。男の妻であるビアンカ夫人と娘のイザベルだ。


「この愚か者の代わりにお前達が答えろ。ミアをどこへやった」


 サイラスの手から鎖が飛び出し、蛇のように二人に向かっていく。


「早くしろ。殺されたいのか?」


 鎖は逃げ惑う二人に飛びついて捉えると、ぎりぎりと締め上げる。イザベルの顔が赤くなり、蛙のようなうめき声を出した。


「ミアは、人買いに売りました!」


 ビアンカ夫人が悲鳴のように叫ぶ。

 サイラスは、一瞬、動きを止めて、目を閉じた。次に彼が目を開くと、黒い霧のようなものが広がり、恐怖に震える二人を飲み込んだ。



◇◇◇


 ミア•ローリーは、男爵令嬢だった。

 過去形なのは、今はその肩書きを失ったようなものだからだ。


 ミアが八歳のとき、両親が不慮の事故で亡くなってから、叔父が領主となり領地を治めている。

 ミアは、追い出されるような形で、母方祖母に預けられた。祖母は、貴族ではない。母が平民だったのだ。メイドをしていた母に父が惚れ込んで、大恋愛の末に結婚したらしい。

 だから、ミアは平民として、祖母と共にりんご農園を営みながら育ってきた。


 貴族らしいことといえば、魔力があって、十二歳から十六歳の四年間は国立魔法学院に通ったことくらいだ。

 

 一般的に、魔力を持つ者のほとんどは貴族だ。それも、高位貴族ほど魔力が高いので、学院は小さな貴族社会だった。

 男爵という低い身分に加え、半分は平民の血を引くミアの魔力はごく少ないが、植物や土との相性が良かったので、農園を管理するには非常に役立った。

 

 祖母と穏やかな暮らしを営んでいた、そんな折、祖母が逝去した。風邪をこじらせたのだ。あっという間だった。


『死ぬのは怖くないよ。こっちよりあっちの方が知り合いが多くて居心地がいいだろうからね。でも、残していくミアのことが心配だ。私が死んだら、この農園はダニーに売って、好きなところにお行き。魔法を使えるのだから、仕事はいくらでもあるはず。よく手紙が来ているあの友達だって助けてくれるだろう?』


 普段から祖母は、事あるごとにそう言っていた。ダニーは、近所に住む青年だ。祖母と同じくりんご農園を営んでいて、最近結婚した。春には子供が生まれる予定だ。近々、農園を広げたいと思っているそうだ。ぽっちゃりとした身体の朗らかな性格の彼は、きっと大切に育てていってくれるだろう。

 

 魔法を使えば、ミアだけで農園を続けていくことも可能ではあるが、祖母はそれを良しとはしなかった。叔父の近くにいることも、亡き家族に縛られることも良くないことだ、と言い募る。『自分の人生を生きなさい』と言って、王都に行って恋をしたらどうか、と茶目っ気たっぷりに言っていた。


 体力の衰えも年々大きくなっていて、いつかは別れが来ると分かってはいたものの、実際にそうなると喪失感が大きく、自分の軸がなくなってしまったように感じた。


 祖母に心配をかけたくない、きちんと見送りたい。その一心で、鉛のように重い体を引きずって、なんとか身体を動かして弔った。

 弔問客は祖母の親しい友人ばかりで、口々にミアのことを心配してくれた。

 

「先に行ってしまったのね。寂しくなるわ。ミアちゃん、ここのことは息子に任せて。遠くにお逃げ。あの領主は何をしてくるか分かったもんじゃないよ。王都にいい人がいるんだろう?」


 弔問に来たダニーの母がそう言って、ミアの背中をさすった。その後ろで、ダニーが『ミアの好きなようにしたらいいよ。続けてくれるのも同業としては嬉しいし』と付け足した。

 ミアは、喪が明けたら、ゆっくり話をさせて欲しい、と伝え、曖昧な微笑む。ミア自身は、思い入れのある農園を売る決心はついていなかったが、祖母が望んだように自分が何をしたいかゆっくり考えて決めたいと思っていた。


 ミアを愛してくれた家族は、いなくなっても、様々な形に変えて愛を残してくれている。


 祖父母と、両親。皆が眠るお墓の前に、祖母の好きなリンドウを咲かせ『私が死んだら、リンドウの花を手向けておくれ。ミアはどんな花だってとても綺麗に咲かせることができるから、みんなに自慢するために少し持っていこうかしら。楽しみだわ』と、そんな冗談を言ってみる。


(私だって、そっちの方が家族が多いじゃない)


 でも、私は大丈夫。ミアは心の中で語りかけた。家族から愛された思い出が、ミアの身体と心を育み、ここに、こうして立つことが出来ている。それは、ミアがたとえどこでどんな生活をしていたとしても変わらないと信じられた。


 静かに、祖母と別れの言葉を交わしていたその時だった。


 突然、据えたような不快な匂いと、人の気配を感じて振り返ると、柄の悪い男達がにやついた顔で立っていた。声を上げる間もなく、引き倒され、縛り上げられると、荷物のように袋に入れて馬車に放り込まれた。

 

 肌にちくちくと刺さるような粗い麻袋の中で身体を丸める。乱暴に動く馬車が飛び跳ねるたびに、身体のあちこちを打ちつけた。

 ミアは、現領主のローリー男爵が何かしたのだ、と理解した。叔父を知る者からは、再三注意を促されていたし、ミアも、今更叔父と分かり合えるなんて思ってはいない。それでも、ここまで非道だとは思っていなかった。曲がりなりにも血が繋がっているのに。

 貴族の籍に思い入れはないが、たとえミアがそう思って関わろうとせずとも、叔父にとってミアは存在するだけで邪魔なのだろう。

 

 『なかなかの美人だし、赤毛は珍しい。身体つきも申し分ない。相当高く売れるぞ』と楽しそうに男達が話している。ミアは現実味もなく、その話を聞いていた。どうやら、人買いのようだ。このまま王都の娼館に売られるらしい。


 ミアは、父に似た低く良く響く声で、似ても似つかぬ卑しい叔父を思い浮かべて、失意に沈んだ。

 

(このままじゃ、おばあちゃんに顔負けできない。叔父にしてやられるなんてごめんだわ)

 

 男達は、ミアが魔法を使えることを知らないようで、普通の縄で縛っただけにしている。小娘一人、さぞ簡単な仕事だと思っているのだろう。機嫌良く報酬の使い道を話している。


 全部で三人。隙をついて、魔法を使えば逃げられそうだ。でも、逃げ続けることが問題だ。姿隠しの魔法は得意ではない。粗が目立って不自然に滲んでしまう。夜の闇の中であれば、誤魔化せるだろうか。

 不安で、手にじとっと汗が滲む。低く、浅い呼吸で、心臓がどくどくと脈打っている。


『姿隠しをする時はね、周りの魔力に溶け込むようなイメージをするんだよ。自分も木になったみたいに。そうして身体に魔力を巡らせるんだ』


 少し掠れた、張りのない声の友人を思い浮かべる。

 いつだって近くにいたはずなのに、今はもう、あまりにかけ離れてしまった。こんなに情けない自分では、彼の友人であることすら恥ずかしくて言えない。


 だめだ、とミアは首を振って思考を追い払う。余計なことを考えている場合ではない。現実逃避も、卑屈になるのも後にしよう。


 ミアは、身体に魔力を巡らせる感覚を辿って、静かに、息を潜めた。




◇◇◇




(ちくしょう、ちくしょう!!!)


 肩を怒らせて王宮を歩くサイラスを、周囲の人が避けていく。 

 それを横目に、サイラスは舌打ちをした。王城なんて、虫のように権力と金にたかる屑ばかりだ。

 しかし、ミアは違う。真っ直ぐで、優しく、愛に溢れている。他人を心から思いやることが出来る女性だ。彼女といると、まるで陽だまりにいるように心が安らぐ。


 ミアは、サイラスにとっての唯一の救いだった。


 ミアと比べれば、世界の全ては些末なものだ。それなのに、何故あのような、厚顔無恥の忌々しい一家のためにミアが酷い目に遭わねばならないのか。

 彼らと同じ血が流れているなど信じがたい。


 荒々しく魔術師団の詰所に入り、水晶に手をかざす。

 生物に探索魔法は使えない。それは魔力の矢を降らせて、刺すようなものだからだ。ミアの持ち物や服を片っ端から探索魔法にかけるが、ひとつもかからない。


 何も持たずに、着の身着のまま攫われたのか。


「ふざけるなっ…!!」


 サイラスは、拳を壁に叩きつけた。大きな音と、木が割れるような、軋む音がしたが、そんな事は構っていられなかった。


 どうか、どうか無事でいてくれ…!


 サイラスは、生まれて初めて、神に祈る気持ちになった。

 



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