六部 隠し刀
機嫌が良いので更新しました。
次は無いからな!覚えとけよ!!
サフォーリル特別警察局長、小夜。異国から来た彼女は、己の実力のみでサフォーリルの〈霧祓い〉のトップに昇り詰めた。
特別警察局長の最年少記録が塗り替えられた時、小夜はまだ19歳だった。それから4年が経ち、彼女は今、次世代の〈霧払い〉を育成する職責を負っている。
「おはよう2人共。サフォーリルで初めての朝だ。気分はどうかな?」
寝ぼけ眼を擦りながら、元気です、と呟くユノとは違い、エリナはハキハキとした声で、問題ありません、と答えた。
昨日はよく眠れなかった。緊張やストレスが緩んだせいか、目を閉じてからすぐに寝てしまったが、悪夢にうなされ、何度も目を覚ましてしまった。
結局、朝の5時にはベッドから降り、コーヒーを淹れてテレビを眺めていた。
ユノはそこで初めて、アクルースを見た。
「朝のニュースとか、局内放送でもやっていたから知ってると思うけど、昨日、任務に出ていた〈霧祓い〉が6人亡くなった。
彼らは前線に出たばかりだったけど実力もあって、将来有望だったんだけどね……」
暗い顔をするユノとエリナとは違い、小夜はいつもの調子を崩さず淡々と喋り続けた。
〈霧祓い〉というのは、常に死と隣り合わせだ。そんな世界に長くいると、嫌でも人の死というものに慣れる……ということもないが、誰かの死、というものから自分を守る術を無意識に得てしまう。
そこら辺に無数に転がる死を、いちいち嘆いていられるような心の余裕など、並の人間は持ちあわせていない。
「君たちはそうならないように、私がしっかり鍛え上げてあげないとね」
「よろしくお願いします」
ユノはエリナをちらりと見た。エリナはピシッと姿勢を正し、小夜の目を真っ直ぐに見つめている。今朝、食堂で会った時と違い、よく訓練された軍人のような雰囲気をまとっていた。
「ほら、ユノも返事」
「は、はい!」
「よろしい」
小夜が笑みを浮かべて言った。エリナからは、貴族なような高貴さと気品だけでなく、虎視眈々と獲物を狙う獣のような、秘めた凶暴性を感じる。それに比べて、ユノはへっぽこだったが、じっくりと丁寧に育てていけば、小夜や麗十に並ぶほどの〈霧祓い〉になれるポテンシャルを秘めている。
「じゃ、さっそく始めようか」
そう言うと、小夜は狭い訓練室の真ん中へと歩いていった。ユノとエリナも、小夜に続いて歩き出した。訓練室は、壁も床も真っ白に塗られており、その上から、格子状に線が引かれていた。
「訓練と言っても、初めのうちは、あんまり厳しいものはせずに、基礎的なことからやっていこう。はい、これ。あげるよ」
小夜から渡されたのは、樹脂製のトレーニング用ナイフだった。持ってみると、意外と重さがある。
「君たちにはしばらく、それを使った訓練をしてもらう。……まあ、遊びみたいなもんなんだけどね」
「俺、ナイフなんて持ったことないですよ」
「エリナは?」
「細剣ならあります」
「なるほどね。でもまあ、別に大丈夫だよ。やり合う訳じゃないしね。それに、使い方なんて分かんなくても、とりあえず当てられればいいから」
小夜は自分のナイフを取り出すと、これから行う訓練の説明を始めた。
「ルールは簡単。当てられないようにすればいいだけ。どう? できそ?」
ユノとエリナは、顔を見合わせた。リーチの短いナイフに触れないようにするだけなら、戦ったことのないユノにでもできそうだった。
「馬鹿にしないでください。それくらいできます」
やや怒りのこもった声で言うエリナに、小夜が笑顔で応じた。
「ほんと? じゃあ、やってみる?」
エリナが構えるよりも早く、小夜が動いていた。首に精確に突き出されたナイフを払おうと、エリナが右手を出した瞬間、小夜のナイフが向きを変え、エリナの右腕を切り払った。
「はい、私の勝ち〜」
すぐ隣にいたユノでさえ見えないほどの早業だった。一方のエリナは、心の底から悔しそうに唇を噛んでいた。
「まだまだだね、エリナは」
「あの、俺、こんな風に動けないですよ」
「だろうね」
ストレートに言われ、ユノが狼狽えていると、何故かエリナに睨まれた。昨日話した時には、多少冷たく接することもあった。その時は、何か癪に障ることをしてしまったのかと、反省したが、これには、自分は関係ないだろう。……嫌われてるのかな、と思っていると、小夜が説明の続きを話しだした。
「今日から2人にやってもらうのは、何度も言うけど、あくまで遊びみたいなもんだよ。これと同じナイフを持った人たちがいるから、その人たちに攻撃を当てられないようにすること。オッケー?」
想定していたような訓練と違い、ユノは戸惑った。たしかに、遊び、とは言っていたが、何かもっと、武器を使った実践的な練習をすると思っていたからだ。
「逃げればいい、ってことですか?」
ユノがおずおずと尋ねた。
「それも1つの手だね。怪しいと思う場所とか人には近づかない。生きる残るうえで大事なスキルの1つだ。
エリナならどうする?」
思いついたように、小夜がエリナに聞いた。エリナはまだむすっとしていたが、しばらく考えたあと、はっきりした口調で答えた。
「攻撃される前に攻撃します」
「いや、それはさすがに……」
「ありだね」
これは、どうやって攻撃を躱すか、の話だから、エリナの答えは的外れだ、と思ったユノが、エリナにそのことを言おうとすると、小夜がそれを遮るように言った。
「例えば、怪しい、とわかっていても、どうしてもそこを通らなければならない状況だってあるかもしれない。そういう時、脅威を排除して先に進むのは、選択として間違ってはいないと思うよ」
小夜が、自分に注目がいくよう、声をひとまわり大きくして、指を立てた。
「つまり、なんでもあり、ってこと。目的を達成するためには、なにをしてもいい。今回のことで言えば、自分を危険から守るのが目的だね。
それを達成するのに1番簡単な方法は、危険から遠ざかること。ユノが言ってくれたやつだね。危険から遠ざかるのが難しい場合には、エリナみたいに、戦う、ということも選択肢に入ってくるかもしれない」
小夜が不意に、エリナの目を見た。
「でも、戦うってことを選択肢にいれるのは、まだもうちょっと先の話だけどね」
エリナの顔が、また厳しくなった。どうやら彼女は、プライドが高いらしい。
「今朝のニュースからも分かる通り、〈霧祓い〉っていうのは、常に死と隣り合わせなんだ。つまり、人手不足ってことね。だから、君たちみたいな新入りは、丁寧に丁寧に育てないといけない。
よって、君たちには、まず始めに、死なないための戦い方、を学んでもらう」
横で話を聞いていたエリナが、ふと顔を上げた。驚いてエリナの方を見てみると、顔はやや赤くなり、眉間にはしわがよっていた。
「そんなもの必要ありません。たしかに、ユノみたいな素人にとっては、重要な訓練かもしれませんが、私には不要です。私は幼少期から今に至るまで、より高度な訓練を受けてきました。私には、このようなものは相応しくありません」
まくしたてるように、エリナが言った。小夜は、黙ってエリナの話を聞いていたが、その目には面白がるような色が浮かんでいた。
「そうだね。たしかにエリナは、両親や祖父から、もっともっと厳しい指導をされてきたとおもう。でもそれは、勝つための戦い方、だ。
〈霧祓い〉に必要なのは、勝つことではなく、負けないことなんだよ」
「勝ち続ければ、負けることなんてないでしょう」
「なら君は、勝ち続けられるのかい?」
間髪入れずに、小夜は畳み掛けるように、エリナに詰め寄った。
「もし、そんなことができるのが1人でもいたなら、人類はここまで追い詰められなかっただろうね」
すっかり黙り込んでしまったエリナを見て、小夜は少し距離を置くと、先程までの柔らかな口調で、エリナに言った。
「ま、私を信じてやってみなよ。失望はさせないからさ」
○樹脂製のトレーニング用ナイフ
・トレーニングに使うためのナイフ。実際に切ることは出来ないが、本物に近い重さと形状をしている。
・サフォーリルの新人〈霧祓い〉は、まず初めに、ナイフを使った危機回避トレーニングを行うことが、慣例となっている。