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泡沫のアクリュース【1500PV達成!】  作者: 稲荷ずー
一章 闇に潜む眼
3/13

一部 深淵に沈む

 いつから、こうしていたのだろう。

 いつまで、こうしていたのだろう。

 なぜ、ここにいるのだろう。

 生温い水の中に浮かんでいるような、妙な安心感と、どこまでも沈んでいくような不安が入り混じり、渦を巻いて心の奥深くに沈んでいく。

 気がつけば、硬い地面の上にいた。藍色の空には無数の星が瞬き、風に乗って、微かに潮の匂いがする。


 ――ここは、どこなのだろう。


 上を見てるのか下を見てるのかすら分からなくなるような暗闇だった。

 辺りを見回してみたが、建物の灯りらしきものは見えなかった。大声を出して、人がいないか確かめてみようか、とも思ったが、咄嗟に踏みとどまった。大きな声を出せば、暗い闇から何かが、こちらに気づいてしまうような気がしたからだ。

 闇に目が慣れるにつれて、徐々に周りの様子が分かってきた。

 どうやらここは大きく海に突き出た岬のようで、ときおり、岩礁に波が打ちつけられる音が聞こえてくる。服を通して、石畳の床の冷たさが肌に伝わってくる。

 石畳は円形に広がっており、中心には木でできた長机が置かれていた。それを取り囲むようにして柵が設置され、長椅子が置かれている。真正面と背中側には柵がなく、石畳の道が続いていた。

 どうやら、自分が寝ていた場所は四阿(あずまや)のような場所らしい。

 身体を起こし、長椅子に腰をおろした。ここからだと、海の様子がよく見える。とはいえ、塗り込めたような闇の中なので、波の動きは、薄ぼんやりとした影のようにしか見えない。

 やがて、海の上に、小さな輝く玉が見え始めた。玉の数は、1つ、また1つと増えていき、やがて、赤や緑に光るそれは、真っ暗な闇を明るく照らし出した。

 近くで見てみよう、と思い、立ち上がったとき、コツン、と石畳に何かが落ちたような軽い音がした。ズボンのポケットにでも入っていたのだろうか。金色の菱形のフレームの中に、斜めのラインで上下に分かれた円形の装飾があしらわれたペンダントが、地面に落ちていた。

 拾い上げてよく見ようとした途端、耳鳴りと共に激しい頭痛が襲われた。あまりの痛みに視界が揺らぎ、地面に倒れ込んだ。

 キィィィィン、という耳障りな音がどんどん大きくなり、頭の痛みが増していく。それに呼応するように、海の上で光る玉の輝きが増していった。

 意識がどんどん遠のき、視界が暗くなっていく。


 逆光の中、何者かが自分の顔を覗き込んでいるのを見たのを最後に、意識は深い闇の底へ落ちていった。


 ○o。.ーーーーー.。o○


 2555年 4月9日 天気:曇り 温度:22.6℃ 湿度:60.1%


 「なぁーんか、嫌な感じ……」


 輸送車の荷台に揺られながら、外を見た小夜が呟いた。

先程から、小型の〈(アクルース)〉の群れを頻繁に見かける。ここは人が住む集落からは遠く離れているし、何より小型であれば新人の〈霧祓い〉でも簡単に駆除できる。何も問題は無いのだが、妙に胸騒ぎがする。


「……停めて」


 主要な道路や、休憩地点には鉄塔が建てられており、〈霧〉が近づくことはほとんどない。安全な廃病院の前に輸送車を停車させて、荷台から外へ飛び降りた。


「少し、様子を見てくる。1時間経って戻らなかったら、本部に連絡して、先に帰ってて」


 運転手にそう伝え、廃病院から道沿いに歩きだした。

 風は穏やかで、春らしい暖かな天気だった。遠くの空を、雲の群れがゆっくりと流れていく。〈霧〉が出現する前は、あの廃病院にも大勢の人が通っていたのだろう。

 道の反対側にある朽ちた建物から突き出た鉄パイプには、青い布がはためいていた。おそらくは、ホームセンターか何かだったのだろう。大きな窓があった跡があるが、今は見る影もない。

 町を抜け、大通りから逸れて道沿いにしばらく歩くと林道に出た。林床は昼でも薄暗く、不気味な雰囲気を漂わせている。小夜は眉一つ動かさずに、その林に入っていった。


(空気が変わった)


 林の中に一歩踏み入った途端、外界とは明らかに異なる、異質な空気感に包まれた。草陰に潜む何者かにじっと見つめられているような不快感がある。

 突然、小夜の体が沈んだ。次の瞬間、草陰から黒い塊が飛び出した。真っ黒な体皮に覆われた狼型の〈霧〉だった。

小夜は、喉笛に飛びついてきた狼の牙を体を沈めて避けると、沈んだ力を利用して狼を無理やり地面にねじ伏せた。前足の関節を極め、身動きが取れなくなっている狼の頭を踏み抜くと、すぐに次の狼の襲撃に備えた。

 どこから現れたのか、小夜の周りには、円を描くように、数頭の狼が距離をあけてこちらを見ていた。既に仲間がやられたのを見て警戒しているのだろう。じりじりと円を狭めながら、こちらを襲う機会をうかがっている。

 小夜が構えを解いた。刹那、2匹の狼が飛び出した。低い姿勢で足元を狙ってきた狼の爪に足を沿わせ、前足を踏み潰した。同時に、横に回り込んできたもう1匹の攻撃に合わせ、突きを繰り出す。

 流れるような動作で、1匹残らず頭を潰していく。気づけば攻撃は止み、辺りには無惨な姿になった狼の死体が転がっていた。小夜は、息が上がった様子もなく、何事もなかったかのように、林の奥へ歩き出した。

 やがて、異変に気づいた。道端に、先程と同じ狼たちが倒れている。それも皆、首から上が無かった。何かから逃げようとしていたのだろう。死体はどれも、同じ向きを向いている。小夜はそれを見て取ると、狼たちが来た方へと歩いていった。

 やがて、小夜はひらけた場所に出た。


「これは……」


 すぐに、異常事態に気づいた。ある一点から円を描いて小型の〈霧〉の死骸が転がっている。そして、その中心には少年が倒れており、それを守るように、大型の〈霧〉が佇んでいる。不思議なことに、それに視線を移すと視界がぼやけ、直視することができなかった。


「君、面白いね。そこにいるのは、君のご主人様かい?」


 小夜は、〈霧〉の元へ、ゆっくり歩いていった。

 殺気は感じなかったが、胸が押されるような緊張感を放っている。小夜は、なるべく〈霧〉を刺激しないようにして近づいていった。


「君は、他の〈霧〉とは違うみたいだね。……君のご主人様を助けに来た。君のご主人様を輸送車で運ばなきゃならないから、暫くの間、器に戻っててもらってもいいかな?」


 小夜の言葉が届いたのか、〈霧〉の姿が揺らいで、消えていった。それと同時に、周囲を支配していたプレッシャーも消えていく。ふぅ、とため息をつくと、小夜は倒れている少年に近づき、側に屈んで、様子を見た。


「ふぅーん、なるほどねぇ。別の支部の人間なのか……あるいは、どこかで拾ってきちゃったのか……。何にせよ、見てもらう必要がありそうだね」


 そう言うと、少年を肩に担いで、来た道を戻っていった。


 ○o。.ーーーーー.。o○


 突き上げるような衝撃で目が覚めた。車の中なのだろうか、整備されきっていない道をタイヤが進む音が響き、その度に体が揺さぶられた。長椅子に寝かせられているらしく、背中に硬い感触がある。小さな窓からは明るい陽射しが差し込み、車内は明るく映し出している。

 宙を舞う埃が陽の光に照らしだされているのを、ぼんやりと眺めていた。


「起きたみたいだね」


 不意に女性の声で話しかけられ、咄嗟に体を起こした。向かい側の席に、声の主――紫の長い髪の女性が座っていた。こちらを見る目は、冬の湖面のように静かで、惹きつけられるような魅力があった。


「おはよう。調子はどう?」


 静かで、落ち着いた声で、女性が聞いた。状況が理解できず、どぎまぎしながら答えた。


「はい。大丈夫です、多分。……少し、頭が痛いくらいで」

「そう。君、名前は?」

「……ユノです。ユノ=レイナナ」

「レイナナ……。ふーん、ここらへんじゃ珍しい名前だね。私は小夜。よろしくね」


 しばらく、無言が続いた。

 目の前の女性に見覚えはなかったが、彼女の放つ独特な雰囲気のせいなのか、彼女は自分の事を知っているように思えた。


「君、ここがどこか分かる?」


 ユノは窓から外を覗いた。

 荒れた砂地の上を、土煙を上げながら1台の車が駆け抜けていく。ところどころ、朽ち果てボロボロになった建物の残骸が見える。


「いや……分からない、です」

「そう、君がここに来る前、どこで何をしてた?」

「えっと……」


 何をしていたか……。思い出せなかった。背筋がすぅ、と寒くなり、変な汗が噴き出した。この車で目が覚めるまでの記憶が全て、頭からすっぽりと抜け落ちていた。自分が何者だったのか、何をしていたのか……。無限に広がる闇が、目の前に広がっている気がした。

 小夜、と名乗った女性が再び口を開いた。


「君が持ってるそれは、何?」


 言われて初めて、右手を固く結んでいたことに気がついた。手を開いて見てみると、金色のペンダントが握られていた。小夜は身を乗り出し、興味津々といった目で、手の中を覗き込んだ。


「君、やっぱり面白いね。あの子、私にはそれを見せてくれなかったからさ」

「あの……」


 自分の知らないところで話が進んでいくような感じがして、思わず口を挟んだ。


「さっきから話が見えないんですけど。一体何の話をしてるんですか」


 追い立てられるように喋るユノを、小夜は黙って見つめていた。その目には、さっきと同じく、面白いものを見るような光が浮かんでいる。


「それに、何者かも分からないあなたを信用なんてできませんよ」


 沈黙が訪れた。互いに目を見つめ合ったまま、無言の時間が続いた。だが、そのうち気まずくなって、ユノは目を逸らした。経緯は分からないが、様子を見るに、記憶がなくなっていることと、目の前にいる女性――小夜は何の関係も無さそうに思える。それに、今は小夜だけが頼みの綱なのだ。関係が悪くなってしまうようなことがあれば、頼れる人がいなくなってしまう。

 そんなことを考えていると、小夜がゆっくりとした口調で話し始めた。その声には、先程の面白がっているような様子は感じられなかった。


「ごめんね。そうだよね。記憶がなくなってたら、普通はパニックになる。真面目に話そう」


 そして、強張っている顔のユノを見て、微笑みながら言い加えた。


「なぁに、これから話すのは、そんなに複雑なことじゃないよ。少なくとも今、君が知るべき事はね」


 陽の光に照らし出されたその笑顔は、どことなく幻想的で、儚くて、それでいて、そこが見えない不気味さがあった。


「私はとある任務を終えて、サフォーリルへと帰っているところだったんだ。だけど途中で、倒れている君を見つけてね。そのままほっとく訳にもいかないし、連れ帰ってきた」


 サフォーリル。名前だけは知っている。

 大陸で最も技術の進んだ国、として雑誌やらテレビで取り上げられていた。


「あの、任務、って何ですか」

「んー……。それはちょっと、言えないかなぁ」


 小夜はユノをちらりと見た。神妙な面持ちでこちらの話を聞いている。体調もだいぶよくなってきたのだろう。起きた直後は、死人かと思うほど青白い顔をしていたが、今は落ち着いて、血が通った人の顔色をしていた。

 ユノの顔色を確認すると、さっ、とユノの手元にある金のペンダントに移した。これも、特に変わった様子はないらしい。


(彼が起きたあと、どうなるかと思ったけど、今の様子だと大丈夫そうだね……。疲れて眠っているのか、あるいは……)


 小夜はそう考えながらも、言葉を続けた。


「もうすぐ着くんじゃないかな。ほら」


 小夜は運転席の窓の外を指さした。地面を(なら)しただけの粗末な道路の先に、横に長く伸びた黒い外壁が見える。


「あれが、サフォーリルだよ。この国で一番大きい都市なんだ」


 数分ほどして、小夜は車を止めさせた。サフォーリルまではまだ距離がある。なぜここで止めたのか疑問に思っていると、小夜が口を開いた。


「ここからは歩いていこう」

「歩いていくんですか? まだ、距離がありますけど……」

「……少し外の空気を吸わないとね」


 輸送車の運転席に、先に帰ってて、と伝えると、ユノに向き直り、行こっか、と微笑んだ。

 風にサラサラと揺れる紫の綺麗な長い髪に、午後の陽の光が優しく降りている。横に並んで歩きながら、ユノはちらりと隣を見た。陽の光に照らされた小夜の横顔は美しく、思わず見入ってしまう。

 不意に、小夜が立ち止まった。空は沈みかけた太陽によって赤く染まり、風が髪をなびかせている。手を後ろで組んで微笑む小夜の姿は、神々しさすらあった。


「さっきのペンダント、まだ持ってるよね?」

「はい。ちゃんと持ってますよ。これが何か……」


 手を開いてペンダントを見せた瞬間、空気が揺れた。

 黒く光る刃が、首元に当てられている。なにが起きたのか分らないまま、いきなり、視界が激しく揺れた。地面に背中から叩きつけられ、息が詰まる。ユノの上に馬乗りになり、首元に刃を当てている小夜の目からは、先程まで見せていた優しい色は消え去り、別人かと思うほど冷たい光が浮かんでいた。

 全身に冷や汗が噴き出す。逃げようとしたが、腕と胸をがっしりと押さえつけられ、身動きが取れなかった。――殺される。そう思い、目をぎゅっと閉じた。……が、いつまで経っても、止めは来なかった。


「……そ。なるほどね」


 不意に、上に重くのしかかっていた小夜の体が軽くなり、胸を押さえていた膝が離れ、呼吸が楽になった。荒く呼吸をしながら頭だけ持ち上げると、小夜がこちらに手を差し伸べているのが見えた。ユノは、なんとか自分の力だけで立ち上がると、咳き込みながら言った。


「ごほっ……。何するんですか!」


 激しい怒りをたたえた目で小夜を睨む。その目を受けても、小夜は悪びれた様子もなく言った。


「ごめんごめん。これも、任務の1つだと思ってくれれば、それでいいから」

「何を言って……」

「悪いけど」


 ユノの言葉を遮って、小夜の鋭い声が響いた。


「逃げよう、だなんて思わないことね。その時は、本当に君を殺さなくちゃいけなくなるかもしれない」


 これまでと変わらず優しい喋り方のはずなのに、どこか威圧感があり、ユノは気圧されたように黙り込んでしまった。小夜は、何事もなかったかのような静かに歩きだした。その背中を、夕暮れの太陽が赤く照らしていた。

次の投稿、今週中にできるように頑張る。せめて、来週中には……。


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