二部 槽の中の小人
誰かの悲鳴、断末魔、怒号。それらは、一瞬にして小さな町を包み、町は炎の海と化した。
瓦礫の間の僅かな隙間に身を潜めていた少年は、恐怖に体をガタガタと震わせていた。ずるずると引きずられ、地上に血を滲ませていく死体。巨体に押し潰され、嫌な音を立てて肉を撒き散らし、死んでいった友人たち。
どこからともなく現れたソレは、日常を、友人を、家族を、全てを奪っていった。
少年は、瓦礫の隙間からそっと周りを覗いた。
破壊され、跡形もなく崩れた建物。燃える瓦礫の山。風にのって、肉の焦げる匂いが漂ってくる。
ふと、誰かの呻き声が聞こえた。声のした方に目を向けると、瓦礫に足を潰された男の人が、動けずに横たわっているのが見えた。息が漏れるような音が聞こえている。
彼も、もうすぐ死んでしまうだろう。燃え盛る炎に喉を焼かれ、潰れた足から血が奪われ……。
まだ、生きてる人がいる。もうすぐ消えゆく命でも、まだ生きている人がいるだけで、少し心が軽くなった。藁にも縋る思いで、少年は瓦礫の隙間から路上に身を踊らせ、彼に近づいていった。
その時だった。不意に、男を中心に影が広がり、地面が湿っていく。水の流れる音が、耳の奥で煩いほど響き渡った。
少年に気づいた男は、消え入りそうな声で、最後の力を振り絞って叫んだ。
「逃げ……ろ……早く……っ!」
影が揺れた。黒い霧が立ち込め始めた。男は、まとわりついてくる霧を振払おうともがいている。そして、影を破り、巨大な黒い魚が飛び出してきた。鋭い歯がびっしりついた口を大きく開け、男を飲み込む。
その光景を目の当たりにした少年は、腰が砕け、座り込んだまま動けなくなっていた。
全身を黒い霧に覆われたその魚が、こっちに向かって落ちてくる……。
生温い時間の中で、少年はただ、死がこちらに迫ってくるのを見つめるしかなかった。
黒く蠢く霧の中から巨大な目玉が一つ、こちらを覗いていた。
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2554年 10月14日 天気:晴れ 温度:16.4℃ 湿度:56%
舗装されていない道の上を、一台の輸送車が走っていた。
辺りは人の気配は無く、ところどころに崩壊し風化した建物と、黒く細い棒が突き刺さっているのが見える。
ここ、イェリバリの地は、かつては大都市を結ぶ貿易ルートの中継都市として栄え、たくさんの商業施設や娯楽施設があったが、今となってはその面影は消え去り、寂れた街並みは物悲しい雰囲気を醸している。
「麗十ー! ほら、寝ないでー!」
「んぁ……いや、寝てないよ……。目瞑ってただけ」
「もっとマシな嘘つきなさいよ」
「いて……ごめんて……」
麗十を小突く小夜を見ながら、遥都はなだめるように言った。
「まあまあ、麗十だって、昨日はほとんど寝れてないんだから、少しくらい寝させてやりなよ」
「体調管理くらい、ちゃんとやりなさいよ、全く……。
私なんて、どんなに忙しくても、毎日最低でも8時間は睡眠時間を取るようにしてるんだから」
「だからいつも仕事が遅いのか……」
「……はい?」
そんな軽口を叩き合いながら、輸送者は旧市街の小さな道を進んでいく。
「あとどれくらいで着くの?」
目をこすりながら聞く麗十に、遥都が答えた。
「もうすぐだと思うよ。多分、5分くらいで着くんじゃないかな」
「随分入り組んだ所にあるのね。イェリバリの避難地区は」
「開けた場所だと、〈霧〉たちに見つかりやすいし、なによりここは風に乗って腐敗した空気が流れてくるからね。周りに風を防げるものがあるほうが、多少不便でも、防壁1枚よりは遥かに良いんだろ」
輸送車の小窓からは、風化した建物の群れが遠くまで広がっているのが見える。砂埃が舞い上がり、砂を被って黄色くなってしまった街並みを見ながらしばらく進むと、目的地に着いた輸送車がゆっくりと停車した。
「行くぞ」
遥人の声を合図に、3人は輸送車から降りた。かなりの速さで流れる雲に遮られ、太陽が鈍く輝いている。地上に降り立った3人の手には、特殊な武器が握られていた。――〈黒鉄〉と呼ばれるそれは、持つ者に人知を超えた不思議な力をもたらす。
「正門の反対から西側を回って歩いてきたけど、防壁には突破された跡もなければ、傷すらついてないな」
「巡査兵たちの気配もしない……。小夜、何か感じる?」
「うーん……。まあ、あまり良い状況じゃないわね」
小夜のその一言で、緊張感が高まった。
遥都が、がっしりと閉ざされた正門に手をかけ、ゆっくりと押し開けた。
「これは……」
「……」
中は凄まじい惨状だった。建物のほとんどが倒壊し、酷たらしい肉の塊があちこちに転がっていた。防壁の外、先程輸送車で通ったイェリバリの街並みとは比べ物にならないほどだった。
「小夜、平気?」
「えぇ……なんとか。こういう光景は何回も目にしてるけど、慣れないものね」
どこからやってきたのか、黒い巨大な甲虫の群れが、瓦礫の山を漁るように、あちこちで蠢いているのが見えた。
3人は武器を構えた。
「俺が注意を引く。小夜はその隙を突いて攻撃。麗十は援護を頼む」
遥都は指示を出すと、甲虫の群れへと突っ込んでいった。