男の話
一体どれ程の距離を歩いたのだろうか。なだらかな勾配をひたすらに登り続け、丘の頂上を目指す。
最初はあちこちに茂っていた針葉樹の群れが姿を隠しているところから、標高が千は超えたと見える。
目に写る植物と言えば、延々と吹き付ける風に幹からすっかり傾けられてしまったオバケのような樹ぐらいのもので、枝葉の周りに氷を湛えたそれはまるで風に靡いた瞬間を冷凍保存したかの様な、刹那的な美しさを私の両眼に刻み込んできた。
「丘と言うよりはむしろ山だな」とひとりごちながら、最初にここを丘と呼んだ人間に文句の一つでも言ってやりたくなった。
この辺りは小高い山々が峰を連ねる山脈地帯で、その中で一番の高度を誇るこの丘は古い言葉で「星屑の丘」という意味を持つ名で呼ばれている。
先祖達にとっては千メートル程度であれば丘扱いだったのだろうか。
だとすれば彼らは今の我々とは全く異なる、とんでもない体力を保持していたに違いない。
心の中では呪詛の様にいい加減なネーミングに対する怨みばかりが湧き上がってくるものの、それでもなお眼前に広がる稜線の美しさには感嘆せざるを得なかった。
尾根に沿って歩きながら鈍色の空の中をどこまでも続く山脈を眺めていると、どこかフワフワとした心持ちになり、自分がまるで画用紙に描かれた山を登る下手くそな棒人間であるかのような錯覚すら覚えた。
現実は全くもって現実的で、吹き付ける風はまるで刃物の様に冷たく、足元を埋める雪はずっしりと重たく染み込んでくるのでこの錯覚は私にとってある意味僥倖だった。
先を急ごう。山頂は近い。沈みかけた日が厚い雲の向こうから辛うじて光を届けてくれているが、完全な闇が訪れるのも間もなくだ。
山頂に着く頃にはすっかりと夜が辺りを包み込んでしまい、満天の星が空から溢れ出さんとするばかりに瞬いていた。
昼間あれほどにまで世界を覆い尽くしていた分厚い雲は太陽と一緒に東の空へと逃げ込んだようで、今では代わりに巨大な狩人が冬の空を跋扈している。
私は夜空を欲しいままに揺蕩う大男に忠告しておいてやることにした。
「さぁ、気を付けろ。赤い心臓のサソリが、夜空に爛々と燃えるお前の命を狙っているぞ」
そうして季節は巡る。