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動く信長と荒れる戦

目次


・1信長と今川の戦い(桶狭間の戦い)


・2甲斐の虎と越後の龍


・3信長の危機(1)


【この章に出てくる主な人物】


{織田信長}

「尾張の大うつけ」と呼ばれた武将。しかし、戦となると強い。桶狭間の戦いで活躍する。


{今川義元}

東海の、駿河・遠江を支配した戦国大名。桶狭間の戦いで活躍する。


{松平元康}

後の徳川家康。今川義元の人質にされる。桶狭間の戦いで活躍する。



第一章 信長と今川の戦い(桶狭間の戦い)


その頃、今川義元という二か国を支配した戦国大名がいた。


その今川義元が、尾張の武将・織田信長に軍を向けたのだ。


「今川様だぁ!!」


「私たちは、ここで負けてしまうのか…」


信長の家臣は絶望していた。あの二か国を支配した大名になんか、勝てるわけがない。そう思っていたのだ。


さらに今川は、甲斐の武田、相模の北条と三国同盟を結び、大軍で向かってきてるのだ。


(一体、殿はどのようなご対応をされるのであろうか…)


家臣たちは疑問に思っていた。


その後の集合会議、家臣たちは守りのほうを優先したほうがいいと、意見を出していた。


「今川様は二か国を支配した大名であります。攻めよりも、籠城したほうがよいかと」


「攻めないほうがよいのは賛成だ!!」


「降伏してみては」


すると信長は、家臣たちとは全く別の作戦を練った。


「籠城など必要あるまい、今川を攻めていくぞ!!」


そうして信長はその場を去り、会議は終わった。


「殿は本当に大丈夫なのであろうか…」


家臣たちは心配した。信長は若い時、「尾張の大うつけ」や、「たわけ者」と言われていた。それに加えて、全く人の話を聞かなかった。


つまり、信長の作戦の成功率はさほどではない。それで心配していたのだ。


一方で今川は、信長に対して多くの軍を率いていたため、調子に乗っていた。


「うつけの信長など、大したものでない」


今川は嬉しそうだった。まさか相手がうつけの信長とは。これは運が良い。


そう思っていたのだ。


「殿、信長には勝てるでございましょうか」


話しかけてきたのは、松平元康だった。そう、後の徳川家康である。


「当然だ」今川は自慢げな顔で言った。


いよいよ決戦が来た。しかし、今川の軍は約2万4000と多かった。


やはり最初は軍の数が多い今川が押していた。


さらに信長方の砦が次々と落とされていった。この情報は信長に入った。


「今川め…!!」信長は歯を食いしばった。


「…小僧、鼓を持て」


「はっ」


信長は鼓の音に合わせて舞い始めた。


―人間五十年 下天のうちを比ぶれば 夢幻の如くなり―


信長は舞って集中力を高めた後、清洲城を出た。


(今に見てろ、今川!!)


信長は優秀な兵約2000人を集めた。


一方今川は負ける気がしないので調子に乗りすぎていた。


この今川の油断が、信長に大きな逆転を与えることになる。


「わしらが負ける気が全くせん。少し休むか」


「殿。休むのであれば、桶狭間で休むのはいかがでしょう」


「おぉ、良さそうじゃ。そこで弁当でも食べるか」


しかし、その情報はすでに信長に入っていた。


「愚かめ、今川」信長は一気に軍を桶狭間に向けた。


それでも今川はそれに気付かなかった。


そして、油断していた今川は、あっけなく信長の兵に首を取られてしまった。


しかし、信長は兵をそれ以上進まずに、撤退した。


(三河の小僧がおる。あまり進撃するのもよくないであろう)三河の小僧とは元康のことであった。




年月が経ち、2年後。


元康は信長からの手紙が入った。


手紙にはこう書かれていた。


―三河の小僧。わざわざすまんが、清洲城へ来い。話がある。同盟を結ぼうでないか。 信長 ―


(信長様が、わしと同盟を結ぶと…)


元康はその頃、今川氏真という今川義元の後継ぎの人質にされていた。


(どうすれば、ここから出られるのか…)


元康は考え、思いついた。


元康は清洲城を訪れ、信長と清洲同盟を盟約した。


この有名な同盟は、あの信長の死まではずっと固く結ばれていた。


そして元康はそれから、「松平元康」の名を言うのを辞め、「徳川家康」と名を改めた。


しかし、そこで問題があった。


家康が信長に盟約、いわゆる同盟を結んだため、一緒に人質にされていた妻の鶴姫、弟の信康、長女の亀姫が殺されてしまいざるを得なか

った。


つまり、信長に味方した罰として、妻子を殺されるということだった。


(そうだ、人質を交換すればいい)


家康は、長照の二人の子と交換させた。


交換は無事成功し、家康は、信長の仲間になったのであった。


【難しかった言葉の意味】


「尾張」

昔の愛知県の西の方の読み方。


「甲斐」

昔の山梨県の言い方。


「相模」

昔の神奈川県の言い方。


【この章に出てくる主な人物】


{武田信玄}

「甲斐の虎」と呼ばれた有名な武将。川中島の戦いで活躍する。


{上杉謙信}

「越後の龍」と呼ばれた有名な武将。信玄のライバルであり、川中島の戦いで活躍する。


第三章 甲斐の虎と越後の龍


甲斐の虎・武田信玄と、越後の龍・上杉謙信はライバル同士であった。


武田信玄は戦国最強の騎馬軍団がいて、「甲斐の虎」と呼ばれていた。


一方上杉謙信は、「正義のため」に戦い続け、「越後の龍」と呼ばれていた。


ライバル関係があった信玄と謙信は、「川中島」の戦いが、繰り広げられていた。


その戦いは4回も行われ、特に最後の第四次(4回目)が激しかった。


この戦いでは、まず謙信は妻女山に陣を踏まえ、信玄は妻女山のふもと、海津城に入った。


そして、この戦いで最初に動き出そうとしていたのが、信玄だった。


別動隊を呼び集め、挟み撃ちにしようと考えていたのだ。


(これなら、あの謙信めにもわからんだろう)


信玄はそう思っていた。


しかし、それはもう謙信が見抜いていた。


信玄が動こうとしていることを見抜いた一つとして、海津城から米を炊く煙があがっていたので、それを見事に見破ったのだ。


「そんな作戦で、わしを倒せると思うなよ、信玄」こうして、状況が一変した。


そして、信玄も作戦を見破られたことに、歯を食いしばった。


(これを見破るとは、とんでもないではないか謙信め…)


その間で謙信は着々と作戦が進んでいた。


「陣に松明に火をつけろ」


「はっ」


上杉軍は松明に火をつけると、謙信に従いながら、山を下りていった。


一方で信玄の別動隊は妻女山に松明に火がついていることに気づくと、攻めに行った。


ところが、謙信たちはすでに山を下りて行っていたので、影一つもなかった。


だが、それだけではなかった。


なんとすでに謙信が信玄を攻めているのこと。


この時、激しい一騎打ちがあったとの伝説もあった。


(もはやこれで死んでも意味がない。耐えるしかない…)


さすがの信玄も死ぬかとおもうほどだった。


(わしが負けてしまったら、家臣にとんでもないことをしたのと同じではないか!!)


信玄はあきらめずに戦った。


そして追い詰められた武田軍は、別動隊が戻り、何とか死なずに済んだ。


謙信たちは戦場を離れていったのだ。




だが、その代償として多くの犠牲者を出した。


特に犠牲者を出したのが、武田軍であった。


信玄の軍師、山本勘助は、上杉軍に突撃するも上杉軍に打ち取られた。


そして。


「信繁…。すまぬ…、信繁…!」


信玄は唯一の弟、信繁を失った。これには謙信も惜しんでいた。


(あやつの弟も、命を絶ったのか…)


この戦いは、宿命のライバル同士の激しい戦いとして、永久に残るのであった。


甲斐の虎・武田信玄。


そして、越後の龍・上杉謙信。


彼らの絆は深く結ばれていたかもしれない。


【難しかった言葉の意味】


「一騎打ち」

両者とも味方がいない状態で一瞬で決着がつく戦い方。


【この章に出てくる主な人物】


{織田信長}

戦国大名、今川義元を倒し大名となった武将。桶狭間の戦い(二場面 第二章)で活躍する。


{徳川家康}

義元が倒された後、信長と同盟を結んだ武将。桶狭間の戦い(二場面 第二章)で活躍する。


{朝倉義景}

信長に逆らい続けた武将。姉川の戦いでは浅井と協力して信長を追い詰める。一乗谷城の戦いで活躍する。


{浅井長政}

信長の妹、お市が妻。姉川の戦いでは朝倉と協力して信長を追い詰める。姉川の戦いで活躍する。


{榊原康政}

徳川四天王の一人。家康にも厳しく注意したまじめな家臣。姉川の戦いで活躍する。


第三章 信長の危機(1)


戦国大名、今川義元を倒した信長に、またもや危機が迫っていた。


「長政が、わしを裏切っただと!?」


信長が朝倉軍を攻めたため、怒った長政が朝倉と同盟を結び、北と南で挟み撃ちにしようというのだ。


(妹のお市は長政の妻…。どうすればお市の命だけは助かるか…。いや、そんなことはどうでもいい!!)


信長は何にも気にせず、とにかく朝倉・浅井を攻めることにした。


信長は約2万の大軍を率いて岐阜城を出発した。


しかし、相手の浅井・朝倉の両軍も合わせて約1万3000と、そこそこの大軍だった。


(はて、どう挟み撃ちを阻止しようか…)


そこで駆け付けに来たのが、5000の兵を率いた家康だった。


「信長様。家康、只今参りました。」


「おぉ、家康か。」


すると、信長にある作戦が浮かんできた。


(三河の小僧…、この戦いに使えるかもしれんな)


そして、信長はいった。


「家康、5000の兵を率いて朝倉を頼んだ」


「はっ。承知いたしました、信長様」


こうして難関の挟み撃ちを回避することができた。


(だが、まだ浅井めがおる。一刻も早く倒さねば…)


一方の家康は朝倉軍とにらみ合っていた。


(朝倉め、まだ動こうとせんのか…)


すると、驚くべきことに気づいた。


(朝倉と浅井め、散らばっているではないか!!)


そう、挟み撃ちができなくなった浅井と朝倉は、ばらばらになっていたのだ。


(こういう時は、あやつが役に立つ!)


それは、徳川四天王・榊原康政であった。


「康政、朝倉軍を蹴散らせ」


「はっ」


そして、朝倉軍は榊原康政という徳川四天王により、見事に倒された。


その知らせは信長に入った。


(さすがは三河の小僧だな…!!)


信長は、家康に感心した。


だが、まだ他にも強敵はいた。


反信長の石山本願寺が、信長を攻めようとしているのだ。


(浅井の前に、まずはこいつを倒さないとな…)


そして信長は、浅井を後にし、強敵である石山本願寺を制圧しに行くのであった。


 {第三場面 第一章に続く}



【難しかった言葉の意味】


「承知」

承る。引き受ける。


「徳川四天王」

家康の家臣の中で、最も勢力のある四人の家臣のこと。






2部 終わり















































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