第5話 インフラのレベル落ちすぎ問題
街から少し離れた緑豊かな場所、メルは細道を大きなトラベル鞄と地図を片手に歩いていた。周りにはポツンポツンとイギリスの田舎で見るような煉瓦造の家があるだけだ。
「んーこの辺のはずなんだけど・・・」
するとオレンジ色の屋根に小さな煙突の家が見えてくる。
「あっあれかな?挿絵ともぴったり」
それは決して豪邸ではないものの広々とした庭が付いた平屋の木造建築の家だった。
「へー思っていたよりいいじゃない、1人で住むには充分そう」
そう、メルは念願だった独り立ちを果たしたのだ、そして目の前の家は母親からメルに相続されたものの一つである。
「ちょっと先生には悪い事しちゃったけど・・・」
昨日病院に戻った後アルルの能力によって先生やその他院内の関係者の思考を少々いじったのだ。つまりは先生にメルの一人暮らしを強制的に認めさせたのである。
その事に少々の罪悪感を覚えながらも心の中で謝罪しつつ入り口の扉を開けた。
「んぐっ!」
メルの鼻が歪むほどに中はカビ臭く埃まみれのようだった。
「まずは片付けからだなー」
家に上がり込んで見渡すと家具やその他小物、本など生活する分には充分なくらいに一通り揃っていた。
しかしあまり整理されてるとは言い難い状態である。
「まるで前の私の部屋みたいだなーこんなのまで反映されてるの?」
メルの表情がこわばる、前世に於いては仕事の日々だった為あまり家事は得意としてないのだ。
しかし一転やる気をみなぎらせ
「よし、やるか!」
新しい世界での生活の為前世での性格は捨てたかのように片付けにとりかかるのだった。勿論この世界に掃除機や洗濯機など存在するはずもなく
「掃除道具はこれだけ・・・?」
大小二つのボロくなったほうきがあるのみだった。
「仕方ない・・・あとは雑巾を使おう」
重い足で積もりに積もった埃を拭き取っていく。
「あっ、これ終わっても庭の雑草が・・・」
日も落ちはじめた頃メルは家の半分程を片付け終わっていた。外には処分する壊れた椅子やらボロボロの布や片付けの途中割ってしまった皿などが無造作に置かれている。
「はぁー、今日はこれくらいにしよ・・・さて買い出しにいかなきゃなー」
メルは木箱の中から硬貨を数枚手に取ってポケットに突っ込み、家にあった網かごの埃を払い手に持った。
「んーこの世界での初めての買物だー、ついでにカフェに寄っていくのもいいなー」
初めて1人だけで街に繰り出すワクワク感がメルに込み上げてきた。退職後の理想としていた生活が今ここにある喜びにメルの顔は綻ぶ。
「ぐえっ!」
市場に並ぶ紫色であんこうにも似た目の大きい奇妙な
魚にメルはギョッとする、夕刻今居るのは街中で開かれている市場。買い出しに来た市民でごった返している。
「奇妙なものいっぱい・・・こんなのどうやって捌くの?・・・取り敢えず貝とワカメを入れた味噌汁でも作ろう」
とメルは目の前のほんのり赤みがかった二枚貝を買う。
「はい、まいど」
「ど、どうも・・・」
お釣りの銅貨を9枚受け取り
「ふうー案外普通に買い物出来た・・・これに関しては八百屋と似てるかな?どちらにしろ助かる〜」
メルは前の世界と同じようなこの異世界のシステムに安堵した。
「でも物価はちゃんと覚えておかないとな・・・銀貨1枚で銅貨10枚分って事かな?」
取り敢えずお釣りをポケットに突っ込み次は肝心要の調味料を探す。すると香辛料のいい香りがメルの鼻を突いた。
「おー、これはインドっぽい香り・・・この世界にもカレーとかあるのかなぁ」
想像を膨らませメルは塩やオイルが並んだ売り場を覗く。前世でよく八百屋に買い出しに行っていたメルは慣れたように店主のおばさんに話しかける。
「あのーすみません」
「はい、いらっしゃい」
「味噌を少々頂きたいんですが?」
何も考えずそう聞くと
「ミソ???なんだいそれは?」
店主が不思議そうな表情でメルに問い返した。
(あっ、しまった・・・つい!)
メルの常識はこの世界では通じない事もあるようで咄嗟に別の物を買い求める。
「ま、間違えました、そこの油を下さい」
取り敢えず指差したのはガラスボトルに入った薄黄色の液体だ。
「こ、これでいいのかい?嬢ちゃん物好きだねードラゴンの涙なんて」
(ドラゴンの涙!何それ!てっきりオリーブオイル的なものかと・・・)
メルは予想外のモノに戸惑いを隠せなかったが、取引は待ってくれず進んでいく。
「8000ラルクだよ」
「はっ、はっせん?・・・」
メルはポケットから取り出した銀貨の額面を確認する。そこに刻印されていたのは
「1000?・・・って事はこれ買うには銀貨8枚が必要って事ーー!」
当然払える額ではなく
「ご、ごめんなさい・・・別の買い物思い出しちゃって・・・」
冷や汗をかきながらメルは逃げるようにして場を後にした。
「んん?変な子だね〜」
「ふぅーこんなものかな」
フランスパンのような大きめのパンを2つカゴに詰める。中には野菜類と何だか分からない鳥類の肉、塩などの調味料が詰め込まれていた。
「取り敢えず前の世界に似た食材を買ったけど・・・」
異世界の未知の食材にメルは不安しか感じていないようだ。
「こりゃカフェなんて寄ってる暇ないなー」
辺りにはガラの悪そうな大人もちらほら見られ、すでに日は落ちかかっており真上の空は紫色だった。
「早めに帰ろう、この見た目で夜出歩くのは危険すぎる」
そう呟くとメルは小走りで家に向かった。
「おっ、ついたついた」
メルは家にあった全てのランプに火を灯す。
「マッチがあるだけマシかな・・・でも街に電気は通っていたしその気になればうちに引く事もできるはず、一通り片付いたらそうしよ」
薄暗い部屋の中でメルは台所の窯にも火を灯す、燃やす薪が外に放置されていたのが救いだ。
「そういえばガスもないんだっけな・・・前ならスイッチ一つだったのにー・・・これって明らかに文明レベル落ちてるよね・・・」
メルは愚痴をこぼしつつも鍋の中に貝と野菜を無造作に放り込んだ。
「まっ、考えてみれば自由と引き換えって事で釣り合いはとれている・・・のかな?」
メルはポジティブにそう自分に言い聞かせてグツグツと煮えたぎるスープに塩を加える。
「んー見た目は悪くないかな・・・」
テーブルに自ら調理した貝のスープと市場で買ってきたパンが並ぶ、冷蔵庫がない事に途中で気づいたメルは買ってきた貝を全部調理したせいかスープは少々黒みがかっていた。
一つ貝の身を取り出し恐る恐る口に運ぶ。
「んむっ、何これ美味しい・・・ちょっと苦味があるところとか、牡蠣に近いかな?」
思わぬ美味に舌鼓しながらパンも一切れパクリ
「んんーパンに関しては前の世界と同じだー」
口一杯に豊かな小麦の風味が広がる。
「ほぁー、ちょっと味付けが塩だけで寂しいけどまぁ料理に関しては何とかなりそう」
メルはどこから来るのか分からない自身に浸った。
「まぁ生活はこれから慣れていくしかないかな?でも・・・やっぱりインフラレベルおかしいってーーー・・・」
前世で先進国日本に住んでいたメルにとってこの文明の落差は流石に応えたようで
「はぁ、大人しく先生と一緒に住むべきだったかなー」
もう後戻り出来ないと理解しつつ愚痴を漏らしながら汲んできた井戸水で皿を洗うのだった。