序章 下
「さっそく同意書にサインしてもらおうと思いましたが、我妻君のことをあまりよく知らないので、少し自己紹介してもらえますか。 例えば、学業、スポーツ、趣味、恋愛、両親のことや将来の夢など、ざっくりと話していただければ助かります。」
俺は特に何の疑問もなく、質問されたすべての内容に淡々と返答した。
「先週、T大学の文科一類に合格しました。 スポーツは、フルコンタクト空手の全国大会で準優勝したことがあります。 趣味はアニメとゲーム。 恋愛に関しては、女性とお付き合いしたことはないですが、そこそこモテていたとは思います。 母は東京地裁の裁判官、父は財務省の事務次官です。 将来の夢は内閣総理大臣になって日本を良くすることです。」
それを聞いて山崎は顔をしかめていた。
<まだ【勇者の生まれ変わり】とか言われたほうが納得できるレベルのステータスだよこれ... 何かちょっと普通に腹が立ってきた。>
山崎の、俺がいつも初見の相手に自己紹介した時のテンプレートな反応をした時の表情を読み取って、少し茶化してみたくなった。
「また僕何か言っちゃいました?w」
「しばくぞ。」
「すみません。調子に乗りました。」
<なかなかの知性とユーモアも兼ね備えていて、さらにイケメンで副総理とのコネもあると... 多分オリジンでも成功するんだろうなぁ... 一回地獄に落ちればいいのに。>
「冗談はさておき... 一つ気になったのですが、その将来の夢を公言すると、イジメられたりしませんでしたか?」
「幸いなことに、私は友人にも恵まれて、一度もイジメられたり、馬鹿にされたことはありませんでした。」
山崎は素直に感心したという表情を浮かべていた。
<これが個人的には一番ヤバイと思う。 18歳にもなって「総理大臣になりたい」と言って今までに馬鹿にされた経験がないということが異常すぎる。 それはつまり、周りの人間の評価が非常に高く「こいつなら総理大臣になれる」と思われているということであって、今までにいろんなアナザーの人間に逢ってきたが、こんな子は初めてだ...>
「こちらからも、そのオリジンと呼ばれる異世界について、留意点をいくつか教えていただきたい。」
(本当は、一から十まで事細かく質問したいところだが、山崎さんの時間の都合もあるだろうしね。)
「そうですね。 では、オリジンについて軽く説明させていただきます。 オリジンとアナザーは厳密にいえば並行世界と呼ばれるものでして、明治維新より前の歴史は、我々の調査ではほぼ同一のものと認識されています。 ただ、異世界と呼んでいる理由は、あまりにも現状が違いすぎるということと、【異世界】と呼んだほうがアナザーの若い子たちにすごく受けがいいみたいでして...」
(日本のアニメやラノベ恐るべし!)
「あとその... 我妻君は大丈夫だと思うのですが... 少し言い辛いことがありまして...」
俺は露骨に歯切れが悪くなっている山崎をフォローするかのようにカルパチア号を出した。
「気にしなくて大丈夫ですよ。 もう、多少のことでは驚かないので。」
山崎は何か申し訳なさそうに話を続けた。
「少し考えれば当たり前のことなのですが、アナザーで優秀な人は、オリジンでも優秀で、その逆にアナザーでパッとしなかった人は、オリジンでもダメというか... つまり、夢を壊すようで申し訳ないのですが、異世界に転移したからといって、不思議な力に目覚めたり、急に異性にモテモテになるといった展開には絶対になりません。」
「...そりゃあ、そうでしょうね。」
山崎は、俺の反応を見て胸をなでおろしていた。
「よかった、まともな反応で。 この話を聞いた瞬間に「やっぱ異世界転移やめるわ」って言いだす若い子が男女問わず結構多いんですよね。 あっ、でも安心してください。 こっちの日本で優秀な子はオリジンのことをもの凄く気に入ると思いますよ。 暮らしやすいし、日本語も通じるし、美男美女もとても多いですし。」
(オリジンの長所の説明、雑過ぎない?)
山崎はふと、机の上のスマホを確認すると、少し慌てた表情をしていた。
「時間が押していると言いながら、つい話し込んでしまいました。 いや、余りにも珍しいタイプの人だったので、話をするのが面白くてね。 では、そろそろ本題に入りましょうか。」
俺は山崎から1枚の同意書を渡され、そこには4つの項目が書かれていた。
□ オリジンへ転移するために、一時的に睡眠状態になることに同意します。
□ オリジンへ転移した場合、実年齢よりも3歳程度、若返ることに同意します。
□ オリジンで違法行為を行った場合は、オリジンの法律に従うことに同意します。
□ 個人が特定できる情報が内蔵されているマイクロチップを、体内に埋め込むことに同意します。
(いろいろと気になることが多いが、まずは山崎さんの話を最後まで聞いてみるか...)
「とりあえず、一番気になるであろう、最初の二項目から簡単に説明しますね。 結論から申し上げますと、異世界転移を行う場所や転移方法は、情報の機密性が高いため、今の我妻君には教えることはできません。 そのため、一時的に薬で眠っていただき、その間にオリジンに転移させることになっています。 また、転移の副作用として、身体が少し若返ります。こちらの原因に関しましては、私もあまり深い理由は理解しておりません。」
(「身体が若返る」というのはにわかには信じがたいが、異世界転移よりはマシか... 実はそれよりも「今の我妻君に教えることができません」という言葉のほうが気になっている。 要するに、何か条件を満たせば異世界への転移の場所や方法を知ることができるのだろうか。 あと、あまり薬漬けにしないでほしいな...)
「三つ目の項目については、当然といえば当然なのですが、海外旅行に行った時と同じような感覚でしょうか。 まぁ、安心してください。 アナザーの日本の法律を守っていれば、オリジンの法に触れることはまずないと思います。」
(正直、これはかなり不安だ。 いきなり、よく知らない法律のせいで逮捕される可能性もあるってことだよなぁ... 今は山崎さんの「安心してください」って言葉を信じるかないか...)
「最後の項目についてですが、親指の少し横くらいに、米粒二つ分程度のマイクロチップを埋め込ませていただきます。 オリジンには、現金が博物館くらいにしか存在しないので、普通はマイクロチップを使って決済を行っています。 5年程前まではアナザーの人に結構驚かれたのですが、最近ではアナザーの北欧にも同じことをしている国があるみたいですね。」
(確かにスウェーデンでは最近流行っているとネットで見たことがあったな... 山崎さんの話から推察するに、オリジンの日本では、ほぼ全てがキャッシュレス決済になっているのか。 となると、こっちの日本よりも文明が進んでいるとみて間違いないだろう。)
「ここまでで、何か質問はございますか?」
聞きたいことは山ほどあったが、今更何を言われても俺が異世界へ行くことに変わりはないと思っていたので、オリジンに到着してから、まず何をすべきかを尋ねることにした。
「多分、今から何を言われても私の意志は変わらないと思うので、オリジン到着後、最初にすべきことを教えてください。」
「わかりました。 我妻君は最初に病院のベッドで目覚めることになると思います。 まず病衣を着替えていただき、スマホに【Noroshi】という連絡用のアプリがあるので、それを使用して、担当の【芦部】という人に連絡してください。 そこからは芦部がいろいろと説明してくれますので。 あと、服装とスマホについて何か要望はありますか?」
「服装はそちらの世界に合ったものがいいですね。 スマホは出来るだけ今使っているものに似たやつでお願いします。 やはり、今持っているスマホは使えないですよね?」
それを聞いて山崎は、さっきの仕返しとばかりに皮肉な笑みを浮かべながら答えた。
「ええ、残念ながらスマホを異世界に持っていったからといって、なぜか都合よくスマホを使用出来たり、急にドラゴンを倒して無双したり、女の子にモテモテになったりは絶対にしません。」
山崎の発言から少し悪意を感じ、このままでは癪に障るので言い返した。
「ご心配には及びません。 スマホがなくても女の子にはモテモテです。」
「その返し、やるやん。」
(山崎さんって、基本的には言葉遣いが丁寧なのに、たまに素が出るよな...)
そんな会話をしつつ、山崎は再び机の上のスマホに目をやり、流石に潮時かという表情を見せ、スーツのポケットから小さなカプセル状の薬品を俺に差し出した。
「申し訳ない、限界のようです。 こちらの薬の服用をお願いします。 飲んでいただくと、2~3分で眠りにつき、気が付いた時には、オリジン病院のベッドの上でしょう。」
「わかりました。 では、いただきます。」
俺は素直に山崎からもらった薬を飲み込んだ。
薄れゆく意識の中、山崎の声が微かに聞こえた。
「これから起こる体験は、我妻君にとって、良くも悪くも人生を変える経験となるでしょう。 あなたに幸運がありますように。」