序章 上
『お前が、内閣総理大臣になり、本気で日本を変えたいと思っているのなら、理想の日本を経験しなさい。』
最後に覚えているのは、私が敬愛する白洲先生のその言葉だった。
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気が付くと俺は、面接室のような部屋でパイプ椅子に座っていた。
対面には就職活動の面接に使用されているような机とパイプ椅子が用意されており、「山崎」というネームプレートをのついたカードを首からぶら下げていた20歳前後の爽やかな見た目のスーツの青年が、パイプ椅子に座っていた。
「今回の共存プログラムに参加いただき、誠にありがとうございます。私、本プログラムの面接官をしております山崎と申します。」
山崎は丁寧な口調で俺にそう言った。
正直、今がどういう状況か理解できていなかった。
(今回の共存プログラムとは何だ?)
少し山崎の発言を疑問に思ったが、自分の育ちの良さからなのだろうか、
「初めまして、我妻天成と言います。」
咄嗟に自己紹介してしまった。
後で思えば、自分が置かれている状況がわからない状態で、自分の名前を明かすのは、かなりリスクの高い行動だと思う。
ただ、山崎の見た目から判断するに、なんとなく悪い人には見えなかった。
続けて俺は、山崎に質問した。
「今、私が置かれている状況を説明していただけますか?」
山崎は驚いた表情を浮かべつつ、少し興奮気味に、
「素晴らしい! この状況下で冷静、且つ丁寧な受け答え! とても別世界の18歳の日本人とは思えない!
君と同い年くらいの子は、「ここはどこで、お前は何者だ!」と騒ぎ立てるのが普通なのだが...」
しかし、俺は困惑した。
山崎が【別世界】と発言した瞬間、頭がおかしい人間の可能性が浮上したからだ。
とりあえず、その場しのぎでこう言った。
「お褒めいただき光栄です。」
すかさず、山崎が俺の表情を読み取って、
「さらに君は頭も良い。私の発言から、危険人物の可能性を考慮して、無難な発言をし、相手の出方を窺おうとした。経歴を見る限りでは、お金持ちのおぼっちゃまだと思っていましたが、認識を改める必要がありそうですね。ただ、顔に出るのは玉に瑕ですね。」
俺は平静を装うように努めたが、内心は恐怖していた。
(しまった...ペースを向こうにつかまれた。この場で俺が主導権を握ることはもう無いかもしれない...)
『申し訳ない。いじめるつもりは無かったのですが、白洲先生が推薦した子がどの程度かを、自分の目で判断したかっただけです。』
ここで俺は安堵してしまった。
そして、山崎がそれに気づいて少し微笑んだ。
(ダメだ... 知り合いの名前を出されて少し安心したのを見透かされてる... 多分、この展開は相手の思う壺だろう。)
たった二言しか言葉を発していないのに、心情がすべて見透かされているような気がして、俺は嫌悪感を覚えていた。
「安心してください。我妻君が望めば今すぐにでも元の場所に帰ることが可能です。
が、その判断をするのは、私の話を少し聞いてからでも遅くはないと思いますがどうでしょう?」
俺は、少し迷って返答した。
「では、話をしてください。」
自分の頭の中で、いくつかの可能性を考えた。
(身代金目的の誘拐という感じでもないな... 最初は怪しい宗教の勧誘かと思ったが、白洲先生の名前を出した時点で、どういう理由かはわからないが、白洲先生が俺を試している可能性が一番高いか...
ただ、本当に宗教の勧誘が目的の場合は、話を聞いた時点で相手のペースに持ち込まれる危険性も...)
「まあ、怪しげな宗教の勧誘とでも思って聞いてください。」
(メンタリストかよコイツは!)
山崎は俺の表情に気がついて、軽く笑みを浮かべて話をつづけた。
「結論から言うと、別世界の日本で、とりあえず3年ほど過ごしてほしいのです。」
俺は多分、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたと思う。
(キチーーー マジで言ってんのコイツ! 20歳そこそこのスーツを着た男が、真面目な顔でこのセリフ! 痛々しいことこの上ない!!!)
そうは思っても口には出さず無難な返答をする。
「山崎さん。本気でおっしゃってますか?」
山崎は苦笑いしながら、
「いや、まともな反応で少し安心しました。最近の若い子には、ラノベやアニメの影響か「僕にも異世界転移ができるのですか!」と胸を躍らせる子もいるのですが、この拉致されたかもしれない状況で、見ず知らずの男から、こんな話をされて喜んでいる子が少なからずいることに、こちらの日本の将来に不安を感じていました...」
客観的に見れば20歳前後の男が、【別世界】だのを口にしていることも大概だが...
とりあえず、山崎の発言から推察して返答する。
「山崎さんの発言から察するに、【日本】が2つあって、山崎さんは別世界の日本出身のように受け取れるのですが... それと、こちらからの質問ですが、仮に山崎さんの話が全て本当だとして、わざわざ私をその【別世界の日本】に招待するメリットはあるのですか?」
そう聞かれて、山崎は少し考えこんでいた。
<本当にこっちの日本出身とは思えないほど頭の回転が速い子だ。推察力もさることながら、最初に相手の「メリット」を聞くことで、出方を窺いつつ、相手の目的を理解しようとしている... アナザーでは相当優秀だったとみて間違いないだろう。このプログラムに関しては、わざわざ隠す必要もないし、ここはある程度本音で話すべきか...>
考えがまとまったのか、山崎が再び話し始めた。
「私たちの日本では【異世界人共存プログラム】というものがありまして、簡単に言えば、こちらの日本から人員を選別して、私たちの日本で暮らしてもらい、問題なく生活できるかという実験を行っております。因みに、こちら側の視点で申し訳ないのですが、私たちの世界、特に日本を【オリジン】と呼び、こちらの世界、特に日本を【アナザー】と呼んでいます。そして、白洲先生の推薦という意味では特別な人員と言えなくもないですが、現在のオリジンには、老若男女合わせて約2000人のアナザー出身の人が生活しています。そのため、我妻君が特別な存在という訳では残念ながらありません。」
俺はこの山崎の荒唐無稽な話を信じそうになっていた。
(「特別な存在ではない」という言葉が妙に信憑性が高いな... 「君は選ばれた人間だ!」とか言われれば、耳障りは良いかもしれないが、俺は余計に不信感を抱いていただろう...)
とりあえず、本当か嘘かを確かめるために、この内容をもう少し深く掘り下げたいと思った。
「仮に山崎さんの話が本当だとして、約2000人のアナザー出身の人間が生活しているとおっしゃいましたが、もし、日本で2000人もの人間がいなくなった場合、かなりの大事になるのではないでしょうか?」
<あー、話の内容に矛盾がないか探るパターンね。これは予想の範囲内。>
再び、山崎は少し考えてから話し始めた。
「我妻君はアナザーでは年間8万人以上の行方不明者がいることをご存知ですか? 毎年その行方不明者の中から数百人がオリジンへ転移されています。 原則として3年間過ごしていただくシステムとなっていますが、途中でアナザーへの帰還を希望される方や、条件さえ満たせば永住も可能なため、現状オリジンで生活しているアナザー出身者が約2000人ということになります。」
あらかじめ用意していたかのように具体的な数字を出しながら返答された。
(妙に具体的な数字だな... 日本での行方不明者数も俺の記憶と一致している。 この質問は良くされるのだろうか...)
急に思いついたように、山崎がポケットに入っているスマホから時間を確認して言った。
『申し訳ない、これ以上の時間をかけると次の仕事に支障をきたす可能性があります。 もう少し我妻君とお話がしたかったのですが、白洲先生から「天の性格上、納得がいくまでとことん質問攻めに逢うと思うから、時間が押したら私に連絡するように」と言われておりますので、今から先生に連絡させていただきます。』
そう言うと山崎は電話をかけ始めた。
(やはり白洲先生が関与していたようだ。 かと言って、今までの話を鵜呑みにするのはさすがに厳しいか... やはりどういうことか先生に直接確認しておきたい。)
山崎はスマホをスピーカーモードにして机の上に置き、そこから、初老の男性のハスキーボイスが聞こえた。
《悪かったな天よ、少し試させてもらった。 私の部屋で飲んだジュースに睡眠薬を入れて、そこへ連れてきた。 自分が普段想定していないことが急に起きた時に、どういう対応をするかを監視カメラから見いたよ。》
「いえ、お気になさらずに。 先生がお考えになったことなら問題ありません。」
俺が冷静にそう言うと、山崎が露骨に顔を曇らせた。
<いや、ありえんだろ。 どんな親しい間柄であっても、飲み物に薬を盛られて、知らない場所へ拉致されて「お気になさらずに」と言える人間がいるのか? 信頼関係が構築されているといえばそうなのかもしれないが、この冷静さは異常だろ...>
《信じられないかもしれないが、山崎君が説明したことは本当だ。 私もオリジンで3年間過ごした経験がある。》
さすがに俺は耳を疑い、先生に意見した。
「いくら先生のおっしゃたこととはいえ、今までの話を全て信じるほど、私は馬鹿にはなれません。」
するとすかさず、山崎のスマホのスピーカーから力強く重い声が聞こえた。
《ならば、私を信じろ! そして山崎君についていき、オリジンを経験してこい! お前の夢を叶えるために!》
「わかりました。 行ってまいります!」
俺の返事を聞くと、スマホの通話が途切れた。
そして、白洲先生の言葉に即答した俺を、山崎が気持ち悪いものを見るような目で見ていた。
<あれだけ聡明な我妻君が即答した?! 宗教の教祖と信者でもなかなかこうはならんだろ... いや、これは白洲先生の凄さを再認識すべきか。 さすが天下の副総理、白洲勇人!>
目的が決まった俺はすぐに山崎に質問した。
「まず、私は何をすればよいですか。」
山崎は俺の切り替えの早さに少し戸惑った様子を見せながら返答した。
『同意書にサインをしていただき、それからオリジンへ向かいましょう。』