第4話 死んだ牛はただの牛肉
「どうしてでございまし! どうしてでございまし!」
「どーなってやがんだ……ピクリともしやがらねーじゃねーか!」
四人で牛のもとまで辿り着くと、すぐにアンジェリカとベアトリクスは二人揃って発狂し始めた。
人が近づいても暴れない牛の姿を目にすることが、よほどショックな出来事だったらしい。
「だから言ったろ、全く動かないってな」
「暴れるって聞いちゃったら、動いてる姿も見てみたいわねぇ~」
「遊びじゃねーんだぞ……アタイ達が苦労させられたのは何だったってんだ」
「しかし本当に動かないな。最初見た時はプラプラと尻尾を振っていたんだぜ?」
俺は右掌をプラプラと振ることで牛の尻尾の揺れを表し、アンジェリカとベアトリクスに見せる。
心ここにあらずといった二人は俺のことをまともに見てはくれない。
「ちょっと牛さんの様子がおかしいわよね~」
「そうだな、尻だけでなく頭の方を詳しく確認してみるか」
午前と同じ様に毛をペシペシとしながら、後脚から腹、前脚ときて頭の前まで歩いて行く。
俺とお姉ちゃんは小唄混じりのピクニック気分だが、後ろに付いてくる二人はお通夜気分だ。
「あれ? 鼻が乾いてる? 舌なんて出てなかったのにだらしがないな」
「かなり元気ないわよね~」
午前に殴った時は確かに湿り気を感じた鼻が、現在は乾いている。
その上、口がだらしなく開いて舌が出てきている。
首も横に傾げていて、これは眠っているというよりは――。
「し、死んでる……」
「どうしてでございまし……」
アンジェリカが持ってきた槍で牛の顔を突いてみて確認するが、牛は微動だにせず何の反応も見せない。
俺が閉じられた目蓋を無理やり開いて確認してみたが、その瞳は濁っていて生気を感じさせない。
これはやはり死んでいると見て間違いないだろう。
「何もやってねーのに、死ぬか普通?」
「本当に何もしなかったのでございまし?」
「ケイ君がやったのは毛を叩いたのと、鼻をパンチしたぐらいかしら」
お姉ちゃんがした説明は事実であり、間違ったことは一つもない。
俺が思い起こしてもそれ以外にしたことは記憶にないので一致している。
ふと考えると、鼻を殴ったあたりから尻尾の風切り音がしなくなっていた気もする。
となると鼻が不味かったことになる……のか?
「鼻が弱点だった、ってことにしとくか?」
「誰もまともに攻撃を当てたことがございませんし、意外に打たれ弱かったとしても不思議でないのでございまし」
「だよな。理由はともかく死んでんだ。それは受け入れるべきだヨ」
「お二人の実力は確かでございまし。街の誰も疑いはしないのでございまし」
「アタイは賛成するよ。ってなれば、もう決まりだよな?」
「ええ」
アンジェリカとベアトリクスが地面に屈み込み、二人でヒソヒソと内緒話をしている。
漏れ聞こえる内容は聞かれて困るものでは無いようだが……雰囲気というのもある。
その打ち合わせが終わったようで、二人は立ち上がって俺とお姉ちゃんの方へと振り返る。
「コホン。えー……お二人の働きぶりなのですが……確かに確認したのでございまし。牛の死因は鼻の殴打という見解でございまし」
「あーだから雌豚も帰ったらちゃんと報奨を支払うから安心しろヨ」
わざとらしい咳を挟んでベアトリクスが目を泳がせながら宣言する。
アンジェリカは俺とお姉ちゃんの後ろに回り込んで肩を抱き寄せて祝福する。
どうやら俺たちが牛を仕留めたということで報奨金は頂けるようである。
俺も自分が牛を仕留めたのかは怪しいと考えている。
しかし牛が死んでいることが事実であることと、俺とお姉ちゃん以外にこんなことが出来そうな人が居ないという二人の判断だろう。
「それじゃあ赤レンガに戻れば金を貰えるんだな」
「はい。そこで金貨八十枚、きちんと受け渡すのでございまし!」
「今日は皆でパーっと行こーぜ、パーッとヨ!」
今この場所で金貨八十枚が貰えるとは思わないので確認をする。
気分を切り替えるためだろうか、テンションを無理に引き上げようとする空気を出している二人。
その姿は少し痛々しさを感じるのだが、この重苦しい空気はお姉ちゃんによって救われた。
「ねぇねぇケイ君ケイ君。この牛さんって食べられるのよねぇ?」
「動物ならまだしも、魔物って言うくらいなんだから難しいんじゃないかな。そこの所どうなんだベアトリクス」
「これは超巨大な牛でございまし。食べられないことなどないのでございまし」
「まあ食えるだろーな。ってなると、まともな肉なんて一体何ヶ月ぶりだヨ」
「昨日のヘビも帰るときには道から消えて無くなっておりましたでしょう。それは街人が持ち去ったのでございまし」
少しだけだが二人がまともな雰囲気を取り戻してくれたので俺は嬉しく思った。
何より芋と豆と麦の食卓にサヨナラ出来ることが特別嬉しい。
しかしこの牛が食べられるのが食べられるというのであれば、気になる点がある。
魔物を食べると考えてしまうと、少々気分がノッてこない。
街の人は良くあんなヘビの肉を食べようと思ったものだ。
「魔物と動物って一体何が違うんだ? これは魔物になるんだろ?」
「魔物と動物の違い、それは人に危害を与えるか与えないかの違いでございまし」
「子供の熊は動物だが、成獣になったら魔物ってこった」
「敵か敵じゃないかって区別でしか無いってことね。お姉ちゃん分かったわ」
「ま、そーゆーこったな」
ふむ、なるほど。
魔物と動物とを区別するラインの引かれ方は、人の脅威になり得るか否かということであれば納得した。
この牛は巨大で暴れて人の手に負えなかったから魔物であり、死んだ今となってはただの肉。
なんと単純な論理だ。
「食えるとなると、誰かがこれを運ぶってことだよな。売ったりも出来るんだろ? ボロ儲けだな」
「そう上手くは行かないのが商売というものでございまし」
「ベアちゃん、それどういうこと?」
お姉ちゃんが不思議そうな顔でベアトリクスを見つめる。
肉を売ってしまえばお金が手に入りそうなものだが。
「まず、これだけの肉を一部の人間で独占することは不可能なので、誰でも取り放題でございまし。すると誰も買わないのでございまし」
「そうだな。じゃあ冒険者連中で街人に気づかれない内に解体して売りつけるっていうのはどうだ?」
「稼げんのは最初のほんの少しの間だけさ。背景がバレりゃあ相手にされねーヨ」
今、巨大暴れ牛が倒されたことを知る人はこの場にいる四人だけだ。
街中に知られる前に冒険者に声を掛けて運び込めば、それなりの値段で売れると思ったのだが、そう上手くいきそうもないらしい。
「難しいのねぇ~」
「街に食い物がねーんなら儲からんこともねーが……」
「プリメロには芋と豆と麦だけは捨てるほどあるのでございまし……」
芋、豆、麦、それは朝、昼、晩の全ての食卓を支配するもの。
主食でありながら食の全てでしかない恐ろしい存在。
「というか、それしか無いのかってくらいだよな」
「はい。この辺り一体はセントロ一番の穀倉地帯なのですが、収穫したものを他の街に運び込むルートがこの有様だったのでございまし」
「街の倉庫にゃ食い物と酒だけ。二束三文の商品に無理やり値段を付けて経済を回してんだヨ」
「牛が現れてからのこの一年。醸造業だけが発達した一年でだったのでございまし」
イモ類や穀物類といった炭水化物は発酵させることで酒になる。
有り余る炭水化物の使い途としては真っ当ではある。
やたらと昼から飲んでいる酔っ払いが多い理由は、酒が手に入り易いことにあるのか。
「今晩はこれを食いながら酒を飲むってところか」
「しばらくはこれじゃないかしら?」
「これだけで交易ルートが安全になった訳じゃあねーからなぁ……」
「牛以外の魔物も多くのさばっているのでございまし。そいつらを退治しないといつもの食事に戻るのでございまし」
「そうか……そうだな」
隣街との街道が牛によって塞がれていることが理由で、他の街との間で人と物の行き来が出来ないでいる。
その牛を排除したものの、街の周りは依然として魔物が溢れかえっていることには違いがない。
数ある一匹を始末したに過ぎないわけであり、どこに隠れていたのか今も魔物が一匹二匹とこちらに向かってくる。
牛を食べ物として認識したからだろうか。
それはこちらも同じこと。
簡単に奪い取られる訳にはいかない。
「これはキリがなさそうね~。どうする? お姉ちゃんだけだと手が足りないかも」
「万年処女は街に戻って応援を呼んでくるのでございまし」
お姉ちゃんが静かに仕留める横で、ベアトリクスが弓を一射し仕留める。
お姉ちゃんがちょー強いのは既知の事実だが、ベアトリクスの腕も確からしい。
「四人で耐えてもジリ貧だし、そうすっか。ちゃんと持ちこたえろヨ」
ベアトリクスの提案にはアンジェリカも槍を振りかざして応える。
こちらも一撃で魔物を屠っている。
「私めを誰とお思いでございまし?」
「淫乱雌豚ッ!」
「さっさと行くのでございまし!」
「あいよっ」
ベアトリクスがアンジェリカの尻を蹴飛ばしながら、それでも向かってくる魔物をきちりと仕留める。
なるほど余裕すら感じられるじゃないか。
この場所はベアトリクスに任せて良いだろう。
「ベアトリクスはそのままここで戦い、お姉ちゃんは東から来る奴らを迎え撃ってくれ。俺は西から来る奴らを牽制する!」
「離れるのは寂しいけど、分かったわケイ君!」
「了解でございまし!」
[登場人物紹介]
ケイ君 この作品の主人公。やっぱり方角に詳しい。
マスコットお姉ちゃん 今回は居ただけ。
牛 ケイ君という存在に恐怖してストレスで命を落としたか弱い存在。今は肉。
ベアトリクス 別名:淫乱雌豚。弓と床がお上手。
アンジェリカ 別名:万年処女。足の速さはそこそこ。