第20話 絶望の剣姫
屋敷から出た俺を待ち受けていたのは衝撃的な光景だった。
「ゾンビが霧散した? それにアンジェリカが二人も!」
昨晩ソフィアが呟いていた分裂して強襲とはこういうことか。
アンジェリカが剣を振るう度にゾンビがなぎ倒されていく。
そして驚くべきことはそのアンジェリカが二人存在しているということだ。
俺の目から見て二人に見えるということは、本当に二人が実体として存在しているということ。
俺だって量子テレポーテーションにより何処にでも存在する状態を作り出せる。
それと似たような事象を特に理屈も無くアンジェリカは行っている。
「調子が良ければ最大八人にまで増加するのでございまし」
「私は四人より先を見たことはありません。ああ、魔法とは違う魔力の活用方法なんですよ。ここまで出来る人は少ないですけど」
「強いとされる剣士でも剣撃で衝撃波を飛ばすくらい。それでも一日に数回できればかなり強い方でございまし」
へえ、こういう形の魔力の使い方もあるのか。
頑張れば衝撃波を飛ばすくらいのことはこの世界の人は出来るってことね。
割と人間離れしたことをやってくるとは魔力って凄い。
「大抵の相手はソロでも楽勝ですの。ダブルはフェイント気味に使うくらいですわ」
「あのーあたしの目がーおかしいんじゃないですよねー」
「そうみたいねぇ。本当に二人に分裂して戦っているみたいよ~。ケイ君だって簡単に出来るんだからねぇ」
こうして話している間にもゾンビはみるみると数を減らしていく。
俺達に近づいてくるゾンビはお姉ちゃんとベアトリクスが始末しているが、その数はとても少ない。
それほどアンジェリカの戦闘力はゾンビに対して圧倒的なのだ。
「そもそも武器を持ってないゾンビも悪いのよねぇ」
「頭が腐って道具を使えないんだろ」
「受けている命令というのも関係しているのかもしれないのでございまし」
「それじゃー聖水を撒かなくてもードア閉めているだけでー良かったってことですかー」
「それはどうでしょうか。そこらに倒れているゾンビは聖水に当てられたのだと思います」
「多少乾いたところで私の聖水の効果が薄れると思ったら大間違いですのイチゴさん」
つい習慣付いてしまっていたために持ち出してきた聖水もこの調子であれば使う必要は無いだろう。
だって強すぎてあと数分もしたらゾンビが居なくなっちゃうもの。
「しかしこれじゃあ俺達もやることなくて突っ立ているだけになりそうだな」
「それじゃあ私がお相手仕りましょうか。貴方の剣も聖剣になること受け合いですよ。楽しみましょ☆」
ソフィアがローブの裾を捲くって誘惑してくる。
これが淫聖と呼ばれるこの女の本性か。
良くこんな状況で男を誘うことが出来るものだと感心する。
しかしなんて魅惑的でしゃぶりつきたくなる生脚をしていやがるんだ。
とても良い匂いまでしてくるし。
チキショウ……なんでこんな状況で誘ってくるんだよ本当。
「痛ッ」
変なことを考えていたらお姉ちゃんが軽やかなフットワークにまぎれて地面の小石を俺の目に向けて飛ばしてくる。
猛省を兼ねてダメージは甘んじて受けることにするが痛いものは痛い。
「あれーケイさん、どうかしましたー?」
「いや、目に砂が入っただけだ」
「砂埃が凄いですものね」
乾いた土の路面はアンジェリカの動きに合わせて砂埃を舞い上げる。
その勢いの強さから彼女の足さばきの巧みさと力強さが分かる。
「しかしあれですね。ゾンビの数が物凄く減っています」
「倒した数とはー計算が合わない減り方ですねー。これはボスキャラの予感ですよー」
ジェシカとイチゴちゃんの言う通りゾンビの減りが速すぎる。
倒したから減ったというより自主的に撤退したことで減っていることもあるようだ。
「確かに今までにない巨大で邪悪な気配が近づいてきていますね。ああ、空からドラゴンが降りてきますよ」
「生態反応はないが、あれもゾンビってことか」
「生きていたら食べられたのに残念でございまし」
「竜の鱗の揚げ煎餅は食べられないってことねぇ」
「熟成肉って可能性はーないですかねー」
「あれは単純に腐っていますわ」
ドラゴンの来襲。
それは普通の冒険者であれば絶体絶命の危機なのかもしれない。
しかし俺達は呑気なものだ。
だってアンジェリカがいるし、というか着陸して襲いかかってきたドラゴンのゾンビも一撃で屠ってしまったし。
「終わっちゃいましたねー」
「いいえ。ドラゴンがゾンビ発生の原因とは思えません。ドラゴンをゾンビにした親玉は残っているはずです」
そのとき俺とお姉ちゃんを除いた五人が突然身構える。
俺とお姉ちゃんに感じ取れない何かでもあったのだろうか。
いや、お姉ちゃんも何かを感じ取ることは出来たみたいで首を傾げている。
「どうかしたか?」
「どうかしたかってーケイさんも呑気ですねー。さっきの声が聞こえなかったんですかー?」
「イチゴさん。おそらく魔力のないケイさんには聞こえないのだと思います。そういう性質の伝え方ですので」
「頭の中に直接語りかけてきましたわ」
なるほど俺には魔力がないから何も聞こえない訳ね。
しかし凡人の半分しか魔力を持たないお姉ちゃんはというと――
「全然駄目ねぇ。何か言っているみたいだけど、小さくてノイズまみれだからわたしには聞き取れないわぁ」
「お姉ちゃんが聞き取れるなら楽だったんだけどさ」
最近分かったことなのだが、お姉ちゃんの肉体には幾つか極小の電子機器がインプラントされている。
俺が死ぬ前に居た世界では人の身体にインプラントを埋め込むことは特別なことではない。
そのインプラントによって身体能力を飛躍的に向上させていることがお姉ちゃんの強さの秘密だ。
そんなお姉ちゃんのインプラントの一つに電子通信機能がある。
といっても電子機器が無いこの世界では俺との繋がり以外には全く機能していない。
それを使うことで同時通訳的にお姉ちゃんが聞いた内容を回すことができれば、間接的に俺も理解できたのだが……
「すまないがイチゴちゃん。頭に聞こえてくることを口に出して貰っていいかな」
「あっ、はーい。やってみまーす。最初からですねー。なんてことしてくれるんだこのバカヤローが」
このメンバーの中において特にやることがないイチゴちゃんにお願いしてみる。
他の人にくらべて遅延はあるが、これで話についていくことができる。
「ありがとう。いきなり激怒してんじゃん。それより気づいたんだけどさ、こっちの声って通じるのかな?」
「実体が無いなら通じないんじゃないかしらぁ」
「会話が成り立たないのであれば困ります」
「一方的な罵りを受けても只々迷惑極まりないのでございまし」
「ソフィが気配を感じ取れないものですか。見えないというのは気味が悪くて仕方がありません」
見える範囲のゾンビを始末したアンジェリカがこちらに戻ってきてソフィアに話しかける。
確かに実体が存在しない相手から声が聞こえるだけだと恐ろしいものがあるだろう。
俺は声が聞こえないから、何が起きてるのすらイチゴちゃんを通さないと分からないのだけれど。
「そうですわね……ゾンビが多くて紛らわしいですが、あちらの方向に一際邪悪な気配を強く感じますわ」
ソフィアの指差す方に一同揃って目を向ける。
しかし何もない。
何もない……のか?
いや、何となくだが景色が霞んでいるようにも見える。
「ほう、我を見つけるとはお主らやるな」
「お主らて……イチゴちゃんいつの間にそんな言葉遣いを」
「違いますよー聞こえてきた声をー喋ってるだけですよー」
「そうだったわねぇ」
「あれが敵の正体ということですか」
アレと言うがアレは何なんだろう。
気体の構成が周辺のものとはちょっと違うってことは分かる。
ということはやはり何かは存在しているということだ。
「そんなお前達に敬意を表してゾンビの肉体をプレゼントだ」
「性急な性格みたいねぇ」
「私は無事で済む自信がありますの。みなさん供養して差し上げますわ」
「縁起もないこと言うのは止めるのでございまし」
「かと言って防ぐ手立てが無いのも事実ですが……」
「ジェシカの魔力で何とかできないものなのか?」
「ケイ君は魔力が無いからゾンビにならない可能性があって良いわねぇ」
「いや、そもそも俺を殺すことが出来たら大したものだよ」
「お喋りしている間に魔力を持った何かが来ますね」
魔力こそ実感出来ないが、モヤのようなものがすごい勢いで俺達に迫ってきたかと思うとそのまま通り過ぎる。
これは……攻撃を受けたという奴なのか。
「何かが通り過ぎたのでございまし」
「ゾンビになったぞ~うぉ~」
「きゃあっ、マスコットお姉ちゃんやめてくださいよー」
悪ふざけでお姉ちゃんがイチゴちゃんの身体を弄る。
飛び跳ねた勢いで制服のスカートが捲れて色気のないパンツが丸見えだよ。




