第5話 聖女の聖水
「了承。奥から用意を持ってくる。少々お待ちを」
そう言い残してソフィアさんは奥の方に引っこんでいく。
「なあなあ、お姉ちゃん。聖水は本物だと思う?」
「さあ? 分からないわよ~。魔法が在るんだしぃ、あってもいいじゃないかしらぁ?」
「それもそうだな。まだ実物のゾンビも見てないし、聖水の真偽はそのとき確かめればいいか。他の手段があるかも分からんし」
「肉片レベルまでバラしたら無力化するでしょ? 良いんじゃないかしらぁ」
「それでも動くなら燃やしちまえば良いよ。肉体消滅させれば終わりだろ」
「そりゃそうですねー」
死体を動かす手段など幾らでもある以上、ゾンビそのものの存在を疑う必要はない。
問題になり得る焦点は唯一つ。
俺とお姉ちゃんの二人が対応できるか否かでしかない。
「待たせた」
コルク栓で蓋がされた深緑色の広口ガラス瓶を手にソフィアさんが奥から出てくる。
その手が濡れていることから、今いま汲み取ってきたことが見て取れる。
井戸から汲んだなら普通の水との違いが無いだろうし、水瓶に貯めていたものを移したのだろうか。
何かしらの道具や魔法による聖水を精製する仕組みがあると思えば特別不自然な点はない。
「ありがとうございます」
つい彼女から手渡されてしまったので"不用意"に受け取ってしまう。
聖水という得体の知れない代物である以上、受け取る前に成分を確認しておくべきだったと振り返れば思えるのだが。
違和感は自分の手が瓶に触れたときに訪れる。
思いの外温かい。
人肌程度の温かみだろうか。
それは地中の温度と等しくなる井戸水や気温と等しくなる水瓶に汲まれた水では無いことを意味している。
聖水としての効果を付与するため、機械や魔法による影響も考えられるが人肌程度の温度である理由が分からない。
否。
とっくの昔に頭の中で答えは出ているが、それを認めたくないだけだ。
液体を構成する成分は明らかに人体から排出されたことを意味している。
聖水ってそういう意味……手は洗ったから濡れていたのかよ。
清潔でいいな……そういう問題じゃない。
「それでこの聖水の有効期限はどれくらいですか? 使用が明日の夜以降になるので知っておきたいのですが」
これを持つ役目はお姉ちゃんだったよね的なごく自然な動きにより、聖水の入った瓶をお姉ちゃんに手渡す。
それと同時にソフィアを質問攻めにする。
それはお姉ちゃんに口を挟ませないため。
そのためにお姉ちゃんと目を合わせることを避ける絶妙な視線ワークが肝になる。
「あと使用方法も知りたいですね。自分で飲むやつですか? 相手に振り掛けます? 場合によっては量が心許無いですね」
チラリと横目にお姉ちゃんを伺うと両手で瓶を持ったまま微動だにしない。
これは瓶の生温さから中の液体の正体が分かってしまったやつだ。
しかし流石というべきか、お姉ちゃんの次なる行動はとても早かった。
「イチゴちゃん。少しの間これを持っていて貰ってもいいかしら。今持ち運び用の袋を用意するから」
「はいー。ちょい温めですねー」
お姉ちゃんはごく自然な動きでイチゴちゃんに瓶を手渡す。
まずポーチから取り出したウェットティッシュで手を拭いてから巾着袋を取り出す。
そうした間にもソフィアによる聖水に対する説明は続けられる。
「効力の保持はは三ヶ月程。しかし一月を超えて使用した経験は聞いたことが無く断言は出来ない。使い方は自分で飲む方もいるが、悪霊やゾンビには塗布が効果的。布に浸して使うことがオススメ」
「飲む、飲むのか。人それぞれ好みというものがあるしな。布に浸すのならば手袋か。スプレーで吹きかけて使うなら……」
「おいしーって感じの味じゃないですねーこれ。なんかー知ってる匂いの気もしますけどーなんだったっけー。割と身近なやつなですけどー思い出さないですねー」
不穏な言葉が聞こえたので振り向くと、コルク栓の蓋を手にしたイチゴちゃんが瓶に口をつけていた。
発せられた感想からするとこれは既に一口飲んでしまっているやつだ。
「「「えっ?」」」
「あれー、飲んじゃ駄目でしたー?」
何飲んじゃってるのこの娘!
せめて舐めるところからにしなさい。怪しい液体を躊躇なくゴクリといくんじゃない。
お姉ちゃんもソフィアもドン引きじゃないか。
「いや、幾らでも作れると思うし別にいいけど……体調に異常はないか?」
「毒かもしれないと思わなかったのかしら。飲む人も居るって言われたけれども躊躇もなしね」
「飲用で特別な力が得られることは無い。説明しておくべきだった」
「それじゃあどうして飲む人がいるんですかー?」
性癖以外の理由があるとは思えないが……俺もたまにお姉ちゃんの聖水飲んでるしね。
違う、そうじゃない。
どう言えば傷つけずにご納得頂くことが可能だろうか。
これを考えるのが優先される事項だ。
「まあ味は確認したとおりで飲んで楽しいものではないよ」
楽しい時に飲むと楽しい気はするので自分に嘘をついている気がする。
「そうですねー」
「そうそう」
「あっ、これはお布施です。それではまた、必要があれば来ると思うのでそのときはよろしく」
「しょ、承知」
少なからず冷や汗が浮かんでいるソフィアに分かれを告げ、俺たちは足早にこの場を去ることにした。




