第3話 アタリかハズレか
「よしっ! でございまし」
「何でだよ! 興味持ってたんじゃねーのかヨ!」
ベアトリクスは立ち上がって大きくガッツポーズをとり、アンジェリカはテーブルに突っぶして手をバンバンさせる。
そんな対象的な二人を見ている俺の耳を、お姉ちゃんが軽く引っ張り耳打ちしてくる。
「おっぱいが大きい方を選んだんじゃないわよね?」
「ちっ、ちげーし。俺はこの世界に冒険をしに来たんじゃないってことを忘れなかっただけだし」
「ホントかな?」
「本当だって、本当。協会の方が近場でお金を稼げそうだから選んだんだよ」
「そういうことにしといてア・ゲ・ル」
助かった。
まさか本当のことを言い当ててくるとは。
お姉ちゃんの勘の強さは恐ろしい。
「それでは早速登録の手続きと参りますので、ここで少しお待ちを」
「チキショー、今回も転移者を協会に取られるとは……チェルシー、酒を頼む!」
ベアトリクスが左奥の無人のカウンターに向かい、何かを持ってこようとしている。
その間にアンジェリカはウェイトレスに酒を注文する。
すぐに先程水を持ってきたウェイトレスが、今度は金属製のジョッキを一つ持ってくる。
「ハイ、一丁! このナッツはいつものサービスだい」
ドシッと勢い良く置かれたジョッキを手に取ったアンジェリカは、ぐいと一口いく。
そこに丁度ベアトリクスが木の板とペンらしきものを抱えて戻ってくる。
板には一枚の紙が敷かれており、そこに何かを記入するようだ。
俺はこの世界の文字が書けないけど大丈夫かな。
「それではこちらの書類に必要事項を記入いたします。では、お二人のお名前を承らせてくださいまし」
「名前か。えーと、ケイ……」
「ケイさんですか。シンプルで言いお名前ですね」
名前なんて個人を識別する記号でしか無い。
そんな考えがふと頭をよぎってしまったのが不味かった。
その一瞬の躊躇の結果、この世界での俺の名前がケイに決定した。
「あ、いや待って……」
「それでは次は隣の女性の方。お名前を承らせてくださいまし」
抗議の声をあげようとしても取り付く島がない。
ベアトリクスは問答無用に書類にペンを走らせて記入すると、次にお姉ちゃんに名前を尋ねる。
「マスコット・チアーズよ」
「――はい、有難うございます。以上で手続きは完了でこざいます」
「えっ? 手続きそれだけ?」
「はい。異世界から来られた方に出身地や家族構成、経歴を伺っても役に立ちません。お名前も出来れば自筆での署名が良いのですが、それだと私たちは読めませんのでこういう形としております」
手続きの簡素さに驚きの声を上げた俺に、ニコリと事務的な冷たさを持った笑みを浮かべてベアトリクスが理由を説明してくれる。
親類縁者もいなければ、育った社会システムが違う場所から来た者に対して根掘り葉掘り聞いても仕方がない。
中身の殆どは理解することが出来ない事だろう。
それを聞いたところで苦痛なだけであるから、とても合理的な判断といえる。
「これが冒険者協会の協会員の証になるバッジです。無くさないようにしてくださいまし。あと手続きとは関係なく一つだけお伺いしていることがございまし」
「何です?」
赤い石のついた小さな金バッジを、俺とお姉ちゃんに手渡しつつベアトリクスが質問する。
「転移されてくる方は皆、神様より何かを頂戴するということなのですが、お二人は一体何を頂戴されたのでしょうか」
「お姉ちゃん」
「わたしよ」
俺は左手の親指でお姉ちゃんを指し示し、お姉ちゃんは右手の人差し指で自分の顔を指し示して即答する。
「……は?」
「ブッ」
思わず顔を引き攣らせて素の声を出したベアトリクスの隣で、アンジェリカが飲んでいた酒を吹き出す。
「ゲホッゲホッ、二回続けてハズレひいてやんのこの雌豚っ。ハハハ、ゲホッオェッ……」
あまりにもツボにはまったのか、アンジェリカはむせながらベアトリクスをあざ笑う。
「今なんと申されましたかしら? 聞き間違えでなければ、マスコットさんを頂戴したということのようですが」
「そうだよ、お姉ちゃんを貰ったんだよ。異世界で一人寂しく生きていくの嫌だからってのが大きな理由かな」
仕事でボロボロになリながら一人で生きていた俺は、甘えさせてくれる存在が欲しかった。
心の底から欲しかったのが隣りにいるお姉ちゃんなのだから、俺自身には何の悔いもありはしない。
だがこの世界に生きていく者にとっては違うの感覚なのかもしれない。
外に魔物が溢れていて危険に苛まれながら生きている人達にとってみれば、もっと役立つものがあるだろう。
魔物に打ち勝てるだけの力。
魔物を倒すための強力な武器。
魔物の攻撃から身を守れる強固な防具。
そうしたものと比較した時、お姉ちゃんは到底役に立たない戴き物に映ることもあるだろう。
周りで飲み食いしながら聞き耳を立てている冒険者たちの中にもバカにする者がいるだろう。
しかし――
「俺なんていまだに使い途がないアレを大きくしてもらったぜ?」
「儂は髪をフサフサにして頂いた」
「その手があったか……もう一回何か貰えるかもしれんし死ぬか」
「介錯しもす」
周りの会話から察するに、どこかの世界からやってきた者の数は多いらしい。
聞こえてくる内容からして、彼等が神様から貰ったものは大それたものではないように聞こえる。
そういえば送られてくる前に、この世界がどのような世界なのかを神様から教えられていなかった。
他の皆も同じような境遇であれば、生きていたときに欲しかったものを要求するのが自然か。
「くっ……何たる不覚。チェルシーさん、お酒を持って来てくださいまし」
「はい、ただいま!」
ハズレを引いてしまったことで不貞腐れてしまったベアトリクスは酒を注文する。
どうやら酒で忘れてしまいたいほどショッキングなことだったらしい。
ベアトリクスにジョッキが届けられると、慰めようとするのか隣で飲んでいたアンジェリカが自分のジョッキを手に掲げる。
「おっ、今日はもう店じまいかヨ。まあ強い奴はさっさと出ていっちまうんだから弱い方がいいこともあるってナ。頭数多いとやべえ時に役立つぜ。ホイ、完敗!」
「馬鹿にしないでくださいまし。前回の御方も宿から全然出てこないのですから、人数だけいてもありませんですわ。チェルシーさんもう一杯!」
ベアトリクスはアンジェリカとジョッキを合わせると、中身を一気に飲み干してしまう。
「ねぇねぇケイ君ケイ君。お姉ちゃん、ちょー強いんだけどお荷物扱いかな?」
先程から黙っていたお姉ちゃんが俺の服を引っ張りながら聞いてくる。
名前を呼ぶようになったのは、入会手続きのときに俺の名前を知ったからだろう。
俺もそのときになって初めてお姉ちゃんの名前を知ったのだから。
『マスコット・チアーズ』
今までお姉ちゃんって呼んでいたけれど、これがお姉ちゃんの名前らしい。
これからはマスコットとかマス姉とかいった風に呼んだ方が良いのだろうか。
まあ、それは追々なるようになるだろう。
「お姉ちゃんは強くなくていいんだ。俺の隣にいてくれればそれだけでいいよ」
「ケイ君、ありがとう……」
ぐーーっ。
俺がお姉ちゃんと見つめ合っていると気の抜けた音が鳴る。
発生源は俺のお腹。
この世界に来てから一時間少々といったところだが、これまで水以外のものを口にしていない。
死ぬ前の記憶は曖昧だが、最後に食べ物を摂取してから結構立っている気がする。
多少の間は食事を取らなくても死ぬことはないのだが、腹が減るという感覚は厄介である。
「ケイ君、お腹空いちゃった? 飴ちゃん食べる? チョコレートもあるよ。あっ、ラムネもいいかも」
「ああ、そういうのがあるんなら貰うよ。ありがひょ」
俺を心配したお姉ちゃんがポーチの中から個別包装された飴を取り出す。
そのまま飴を手渡してくれるのかと思いきや、包装を剥いてそのまま俺の口にインしてくれる。
うん、りんご味で甘い。
「しかしアレだなお姉ちゃん。お金がないと食べ物も注文できやしねぇ」
「お姉ちゃん、お金持ちよ。この世界のお金はないけど、これを――」
「それは止めておこう」
猛烈に嫌な予感がしたので、お姉ちゃんがポーチから取り出そうとする手を引き止める。
ベンチに座るときにはハンカチを取り出して、ここまでの道すがらには水のボトルを取り出そうとした。
飴というお菓子を取り出したし、お姉ちゃんの言うとおりであればチョコレートやラムネも取り出せるのだろう。
そして今取り出そうとしていたのは金塊か、それに近いものだと推測した。
このポーチはヤバい。
どう考えてもおかしい。
ボトルの時点で気づいていたが、ポーチの容量を超えるものが出てきている。
きっとお姉ちゃんの望むものが何でも出てくる危ないやつだ。
神様はお姉ちゃんをくれただけかと思いきや、お姉ちゃんにとんでもないものを持たせてきやがった。
考えなしに何でも取り出したらこの世界に悪影響を与えかねない代物だ。
「そういった手段に頼らずにお金を稼ぐ必要があるっていうことだよ。例えば魔物を退治することだけれど……」
それを教えてくれそうな人は今、三杯目の酒に手を付け始めたところだ。
他の冒険者連中もまだ昼間だというのにベロンベロンに酔っ払っている。
こんな状況を打破するには、今この場所にいないまともな冒険者がやってきてくれることを願うしかなさそうだ。
「アンタらもウチに来てたりゃ一週間分のしょくりょーをくれてやったってのに、バッカらよなぁ」
ろれつの回らなくなった語り口で、アンジェリカが俺とお姉ちゃんに絡むようになってきた。
困惑の顔を浮かべたお姉ちゃんを見て、ベアトリクスが助け舟をだす。
「そんなこと仰って食料だけ持たせた冒険者を外に放り出した結果、ひどい目に遭わせているんだから。きちんと私め達が支給する武器がないと外を出歩くのは危険でございまし」
「それこそ名前が剣ってだけの鉄の塊じゃねーか。テメーんとこの冒険者みんな利き腕だけ倍の太さでシオマネキみたいになってんだヨ」
「きちんと戦っているから鍛えられているだーけーでーすー。逃げ足ばかりお早くなっていくあなた方の冒険者諸兄に見られるカモシカとは違うのですございまし」
口喧嘩を始めた酔っぱらいの二人を見ながら、俺は今後の心配をしてみることにした。
しばらくの空腹はお菓子で我慢しておくとして、今晩は野宿になるのだろうか。
それもこの酔っぱらい共が夜になってどう動き出すか次第であるが、無料で宿泊出来る施設があればよいのだが。
それが無ければお姉ちゃんに毛布を出してもらって野宿しよう。
二人で一緒に包まっていさえすれば、外が多少冷えたところで問題ないだろう――